おおすみ正秋

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おおすみ 正秋(-まさあき、1934年 - )は、日本の演出家映画監督である。旧表記・本名大隅- (読みは同じ)。兵庫県出身。東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻修士課程修了東京工科大学東京工科大学片柳研究所クリエイティブアドバイザー。

目次

[編集] 人物・略歴

1934年(昭和9年)、兵庫県に生まれる。

兄とともに人形劇団「神戸人形芸術劇場」を主宰。人形劇の「ひとみ座」出身者の藤岡豊らが結成した東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)に参加してからはアニメの演出を手がけるようになり、その初期に活躍した。

1971年(昭和46年)、後述する様々な問題のためにテレビアニメ第1シリーズ『ルパン三世』以降は東京ムービーと疎遠になる。日本テレビ動画の『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』(1972年)、日本サンライズの『ラ・セーヌの星』(1975年)、『ろぼっ子ビートン』(1976年 - 1977年)、NHK『子鹿物語』(1983年)、劇場用アニメ映画『走れメロス』(1992年)なども手がけた。一方、劇団「飛行船」などで、「マスクプレイミュージカル」と称する着ぐるみミュージカルなども手がけている。

1993年(平成5年)に放送されたTVスペシャル第五弾『ルパン暗殺指令』では、東京ムービー側からの関係修復の呼びかけに応えて、監督をつとめた。

2003年(平成15年)、東京工科大学に新設された大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に、漫画家で『ルパン三世』原作者のモンキー・パンチとともに入学、コンピューターアニメーションを研究する。2005年(平成18年)、同過程を修了し[1]、同年、同大学の片柳研究所のクリエイティブアドバイザーに就任した。

[編集] アニメの挫折と再評価

[編集] ムーミンの場合

ムーミン』の演出を担当するが、原作からの逸脱が多いということで原作者からの不興を買い、制作会社の東京ムービーごと交代させられている。しかし、「東京ムービー版のムーミンが見たい」という日本のファンの声に原作者が折れて、「日本以外では放映しない」という条件付きで作風を大隅時代の演出に近づけた『新ムーミン』が作られた。それから約20年後、原作者のビジョンに沿ったムーミンも作られている。

[編集] ルパン三世の場合

ルパン三世 (TV第1シリーズ)』では前半の演出を担当、その都会的センスとスタイリッシュな映像作り、さらに「勧善懲悪という図式にとらわれた、子供向け」という従来のテレビアニメの制作体制に対する大隅自身の懐疑的な思想から生まれたピカレスクかつ頽廃的、シニカルな作品世界にはいまだに支持者も多い。しかし、本放送時には低視聴率に苦しみ、テレビ局からの対象年齢を下げるようにとの要求を飲むことができずに第3話の放映後に降板。その後は高畑勲宮崎駿の現在のスタジオ・ジブリのコンビ(「Aプロ演出チーム」名義)に引き継がれた。

クレジット上は4 - 6話、9話、12話までが大隅の演出と表記されているが、実際には多少、高畑・宮崎二人の手が入っているものもある(放映順と作られた順番は異なる)。逆に、7話と10、11話も、もともと大隅が残した未完成の作品にその二人が手を入れたものである。

両者の違いは「後のジブリの2人がどの程度手を入れたか」であり、大隅の影響が強い作品が大隅の演出と表記され、そうでない作品には大隅の名が入っていないというだけである。

低視聴率のせいで降板することになった『ルパン三世』だったが、結局、ジブリ・コンビに代わって路線変更しても視聴率は上がらず、2クールで打ち切りとなっている。人気が出たのは、日本各地で何度も再放送された後のことである。その後、第1シリーズ終了後22年目にTVスペシャル『ルパン暗殺指令』を監督したのは先述の通り。

[編集] おもなフィルモグラフィ

[編集] テレビアニメ

[編集] 映画

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  1. ^ おおすみ正秋の公式サイト「おおすみ正秋の仕事場: 第1弾 モンキー・パンチ氏」の記述を参照。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月19日 (木) 05:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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