瑞春院

瑞春院の最新ニュースをまとめて検索!

瑞春院(ずいしゅんいん、万治元年2月1日1658年3月4日) - 元文3年6月9日1738年7月25日))は江戸幕府5代将軍徳川綱吉側室。通称、伝・三ノ丸様・御袋様。

父は下級武士(黒鍬(10俵一人扶持)とも、中間頭(80俵)とも)の小谷正元(小谷権兵衛)で、のちに堀田正元(堀田将監)と名乗る。兄の権太郎は天和2年(1682年)2月に賭博の喧嘩で小山田弥一郎(小山田弥市)に殺された。

[編集] 生涯

綱吉が館林藩主であった寛文10年(1670年)、桂昌院御付の侍女として白山御殿にあがり牧野成貞の推挙で御中臈となる。綱吉の寵愛が厚く、延宝5年3月7日1677年4月8日)19歳のときに白山邸で鶴姫を、延宝7年(1679年)21歳のときに神田邸で徳松を産んだ。綱吉の子を産んだ女性は瑞春院だけである。

同じく出自の低い綱吉生母・桂昌院とともに、正室鷹司信子を筆頭とした公家出身の側室たち(大典侍、新典侍、右衛門佐局)とは対立関係にあったという説もあるが確証はない。また、悪女として語られることの多い伝だが、実は自己主張の弱い、大人しい女性であったという話もある。

ただ、兄を殺した小山田弥一郎は、賭博からの喧嘩の罪ではなく、将軍世子の外伯父殺害を罪とされ、獄門となっている。彼を捕らえる時も、親・主君殺しでもない限り行われない人相書きまで全国に配られたという。これらは将軍の威を借りて天下の法度を動かしたとも考えられ、必ずしも大人しいだけの女性とは言い切れない部分もある。

徳松を幼くして亡くした後は、鶴姫の婿である紀伊藩徳川綱教を将軍にしようとする動きもあったが、鶴姫・綱教ともに早世した。綱吉の死後は落飾して瑞春院と名乗り、二之丸に移る。1738年、81歳で死去。墓所は芝増上寺

[編集] 演じた俳優

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月25日 (日) 10:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【瑞春院】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!