くろがね・ベビー

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くろがね・ベビー
乗車定員 2/4人
ボディタイプ トラック/ライトバン
エンジン 水冷直列2気筒OHV4ストローク 356cc18馬力/4500rpm
変速機 3速MT
駆動方式 RR
サスペンション 前:独立 半楕円リーフ横置き 後:独立 コイル
全長 2995mm
全幅 1280mm
全高 1665mm
ホイールベース 1750mm
車両重量 540kg
最高速度 65km/h
最大積載量 150-250kg
-このスペック表は試行運用中です-

くろがね・ベビーは、かつて存在した日本の自動車メーカー東急くろがね工業が1960年から1962年まで生産した軽自動車である。

1959年11月の全日本自動車ショウで一般公開されたベビーは、東急くろがね工業初の軽自動車であり、三大オート三輪ブランド「くろがね」の起死回生を目指す意欲作であった。日本初のリアエンジン方式のキャブオーバー型軽4輪トラックである。

ベビーの設計者は東急くろがね工業の前身会社の一つ・オオタ自動車の創立者・太田祐雄の三男・祐茂で、それまでのくろがね3・4輪トラックとの技術的脈絡が一切無い、4輪独立サスペンション・水冷4ストロークエンジンなど、軽自動車には空冷2サイクルが常識であった当時としては進歩的な設計であった。鋼管を部材に使用した低床ラダーフレームを用い、またルーフの一部はキャンバス張りにするなど軽量化・コストダウンにも配慮されている。ボディ・シャーシの設計やスタイリングには、1957年にヤンマーからの依頼で祐茂がエンジン以外を試作開発したキャブオーバー・ミッドシップレイアウトのディーゼルエンジン軽トラック(後年少数が生産された「ヤンマー・ポニー」の原型。エンジンはヤンマーの自社開発)との共通点が多く見られる。

なお、ベビーのエンジンは戦前からのオオタ系4気筒サイドバルブの設計を元に、祐茂が半分の2気筒へ縮小、排気量設定の変更やOHV化など大変更を施して開発したもので、当時のこのクラスのエンジンとしては高出力であった。

祐茂は1951年以降、オオタ自動車工業の下請けとして、自ら経営する「オオタ商会」で公営四輪オートレース用競技車の製作に携わっており、オオタE-9型4気筒903ccサイドバルブエンジンをベースに、OHVヘッドを搭載したレーシングエンジンを自製していた。従って「ベビー」用エンジンにもこの経験を活かすことができた。当時水冷化に出遅れた小型車クラスのくろがね3輪・4輪トラックも、やはりオオタのE-13型4気筒OHVエンジンを基本に排気量拡大または縮小で急場をしのいでおり、かつて小型車エンジン開発の名門であったくろがねのパワーユニットは、この時点でほとんど傍系であるオオタ系の設計に置き換えられてしまったことになる。

車体バリエーションには普通のトラックである「キャリアー」(当時の価格は29万8000円)、幌付の「コマーシャル」、「コマーシャル」に補助席を付けて4人乗りにした「キャンバスワゴン」、そして5ドアの「ライトバン」があった。

ベビーは好評で迎えられ、発売初年度の1960年には16,497台を生産、順調な滑り出しを見せたが、スバル・360で軽自動車のトップメーカーとなっていた富士重工業が翌1961年にスバル・サンバーを販売すると製品の完成度、販売力ともに歯が立たなくなり、売れ行きは急速に減退、1962年1月に東急くろがね工業は会社更生法の適用を申請、ベビーは生産中止に追い込まれた。

東急くろがね工業は後に再建を果たし、日産自動車グループのエンジン製作会社「日産工機」として今日も存続しているが、ベビーはくろがね・オオタの血脈を受け継ぐ最後の自動車となった。

最終更新 2009年6月18日 (木) 22:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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