ごめんやす馬場章夫です

ごめんやす馬場章夫ですの最新ニュースをまとめて検索!

ごめんやす馬場章夫です(ごめんやすばんばふみおです)は、1972年10月6日から2003年9月26日にかけて、毎週月曜日から金曜日までMBSラジオで放送された番組。放送期間は31年間で、日本の民放ラジオ局が放送したワイド番組では史上最長とされる。

目次

[編集] 放送時間の変遷

  • 1972年10月6日~2001年9月28日 毎週月曜日~金曜日10:00 - 12:00
  • 2001年10月1日~2002年10月4日 毎週月曜日~金曜日10:00 - 12:30    
  • 2002年10月7日~2003年9月26日 毎週月曜日~金曜日10:30 - 12:30

放送開始日に当たる10月6日は、日本のラジオ番組で初めて、日本記念日協会から記念日(ごめんやすデー)に制定されている。

[編集] 概要

本来は探検家である馬場にとって、初めての冠番組。タイトルの「ごめんやす」は、「ごめんください」を意味する京都弁である(大阪弁の説もあり)。

当番組では、毎回の放送終了後に、馬場がスタッフなどとさまざまな場所で取材。翌日(週末に取材した場合には翌週の月曜日)の生放送で、馬場自ら取材の内容を報告するスタイルを取っていた。そのため、日帰りできる地域から取材先を選んだり、1つのテーマを数回に分けて取材したりすることが多かった。

年に数回は、関西サイクルスポーツセンターなど、スタジオ以外の場所で公開生放送を実施。構成作家には、香住春吾、女性アイドルの応援・評論で知られた青木一郞、ラッキョウマンのニックネームを持つ岡田貞樹などがいた。

当番組は、2003年9月26日を最後に、31年間にわたる放送を終了。同年10月4日からは、出演者を変えないまま、毎週土曜日の午前11:30 - 13:30に『ごめんやす馬場章夫のボラボラわーるど』として放送していた。しかし、同番組も2005年3月19日の放送で幕を閉じた。

MBSラジオでは、『ボラボラわーるど』を含めれば、馬場がメインパーソナリティを務める午前帯のワイド番組を通算32年半(8009回)放送してきた。また、今や同局を代表する平日朝のワイド番組『ありがとう浜村淳です』のルーツは、当番組の土曜版『ごめんやす浜村淳です』である。

[編集] タイムテーブル(最長時間時代)

「 」は放送上のコーナータイトル。CM明けには、馬場が当番組のタイトルを勢いよく絶叫していた。

10時台
前日の放送終了後にスタッフなどと実施した取材の成果を伝える。ただし、毎月23日(ふみの日)には、リスナーから届いたハガキのメッセージ紹介に充てられた(後述)。
11時の時報前には、馬場が必ず、ドライバーに向けて安全運転を訴えていた。
11時台
  • 「電話訪問 うちの人たち」
阪急百貨店提供のコーナー。毎回1人のリスナーが、電話を通じて、家族の身辺雑事などを語る。出演者には、同百貨店の商品券1万円分が贈呈された。
  • MBSニュース→お天気のお知らせ→交通情報
  • 取材報告・後編
12時台
  • MBSニュース→お天気のお知らせ→交通情報
  • 「ネットでボラボラ」
番組終了までの1年間放送。鳥居やスタッフが興味を持ったホームページを、毎回1つ紹介する。紹介されたページには、放送終了後に、当番組の公式サイトからリンクが貼られた。
  • エンディング
「さあ、ラッキョウマンもピーマンもウーマンも、 今日も元気にぐぐっっとあくび体操!」 という馬場の掛け声で、リスナーやスタッフに「あくび体操」によるリラックスを促すことが約束事になっていた。 

番組の末期には、リスナーやスタッフと思われる声で「ごめんやす馬場章夫です。○○しながら1179(いちいちななきゅう、MBSラジオの周波数)、毎日放送ラジオ」と歌われたジングルを放送。また、ニュース・お天気のお知らせ・交通情報・CM・著作権に抵触する部分を除いた放送音源を、放送後に公式サイトからオンデマンド形式で配信していた。

[編集] 出演者

長年にわたって「ノコ」の愛称で親しまれてきたが、神戸市議会議員選挙への出馬に伴い降板。同議員を1期務めてから、当番組と同じ時間帯にABCラジオで放送された『歌はおまかせ小山乃里子です』へ、メインパーソナリティとして出演した。
愛称は「むっちゃん」。小山の降板が急であったため、後任が鳥居に決まるまでは、MBSの女性アナウンサーが交代で出演。馬場が休暇や海外取材などで番組に登場しない場合には、MBSの男性アナウンサー(柏木宏之亀井希生河田直也など)が代役でパーソナリティを務めた。

[編集] テーマ曲

  • 「ごめんやすのテーマ」(作曲:上村茂三)093-7801-4
    • 初代:番組開始~1992年3月13日
    • 二代目:1992年3月16日~番組終了

[編集] 特集コーナーの主な内容

取材企画では、東京などの遠隔地まで日帰りで赴いてから、翌日に大阪での生放送で報告したことが頻繁にあった。一部の企画は、後継番組を経て、馬場一家が運営するインターネットラジオ「JOBBBラジオ ボラボラ大冒険!」に引き継がれている。

  • 会社、工場、注目現場などへの訪問取材
「(宗教問題など)マスコミタブーのない取材」(「ごめんやす30年」より)をモットーに、取材音源を交えながら馬場自身で報告。連絡ミスや手違いなどで取材できなかった場合にも、翌日(翌週)の放送で移動の模様の一部始終をありのままに伝えていた。予備知識のほとんどないモーニング娘。のコンサート取材で大阪城ホールに入ったり、素足で大阪の都心部を歩いた模様・感想を伝えたりするなど、取材範囲は多岐にわたった。
  • 旧街道をボラボラ
“ボラボラ”とは馬場の造語で、「好奇心を持ちながらブラブラする」というニュアンスを含む。当企画では、東海道などの各街道を、数回に分けて歩きながら付近をリポート。各回のゴール地点では、人目をはばからず万歳三唱を披露した。また、当企画以外にも、多数の“ボラボラ”シリーズが放送された。
  • 全国各地の湧き水、名水探し
ちなみに馬場は、自宅資料室の冷蔵庫に、各地で集めた名水を保存している。
  • 美術館、博物館などの特別展取材
最終日やその間近に取材することが多く、リスナーが放送で内容を知っても、イベント自体を見に行けないことが多々あった。
  • 「ふみの日」お便り紹介
ふみの日に当たる毎月23日には、普段の取材報告や放送内容に対する感想・意見など、リスナーからのハガキに書かれたメッセージを、全編にわたって紹介していた。
  • ばんちゃん語録
月に1回放送。当該月に馬場が生放送で語った内容から、放送作家の香住が日本語としておかしな言葉・表現をピックアップ。当コーナーでまとめて紹介していた。
  • 代理参拝
年1回の恒例行事で、年明けに参拝の模様を放送。毎年末には、リスナーに対して、祈願したいことを往信面に記した往復ハガキを募集していた。その条件で届いたハガキを、馬場が年末年始に全国各地の由緒ある神社(毎年1ヶ所)へ持参。現地で祈祷やお祓いを受けた後に、返信面に御朱印を押した往復ハガキを、応募したリスナー全員へ送り返していた。参拝する神社が毎年異なることもあって、受験合格や家内安全の祈願を中心に、毎回数千通の応募があった。
  • 復興のつち音
1995年1月17日月曜日)に発生した阪神淡路大震災をきっかけに、毎月17日の放送では、馬場が被災地の現状を報告した。

[編集] 書籍

「ごめんやす30年」(2002年9月初版発売、出版:廣済堂、著:馬場章夫 ISBN 978-4-9901363-0-7
当番組の放送30周年記念出版。30年間の主な放送内容を、馬場自身の思い出話と写真を交えて紹介している。

[編集] 放送時のエピソード

  • 放送開始初日には、毎日新聞朝刊テレビ・ラジオ欄(大阪本社発行分)の最下段に、当番組の広告が掲載された。
  • 馬場は、当番組が始まるまでの2年間、MBSラジオの深夜番組『チャチャヤング』月曜日に出演。同番組の終了を機に探検生活へ戻ろうと考えていたため、最初は平日の朝に放送される当番組への出演依頼を断っていた。しかし、同局の関係者がかなり説得した甲斐もあって、結局は当番組でパーソナリティを務めることになった(「ごめんやす30年」より)。
  • 放送開始当初、番組を通勤途中の車内で聴いていた毎日放送の幹部の一人が馬場の話しに怒り心頭し、局につくや否や、危うくスタジオ内に入って来そうになるということがあった。またゲストに対しても不愉快な思いをさせるということが相次ぎ、その後馬場自身の取材報告を主とする番組スタイルがとられることとなった。[要出典]
  • 毎日放送の本社・制作機能が千里丘大阪府吹田市)にあった時代には、阪急グランドビル大阪市北区)内にあった自社スタジオ(通称“ラジオポート”)から放送していたこともあった。
  • 馬場が現在の妻と結婚した1976年には、2週間にわたって、放送中に3回の公開結婚式を挙行している。2回目までは、神社への取材を兼ねての結婚式。3回目は、当時公開放送に使われていた毎日放送千里丘放送センターの最も広いスタジオから、放送作家の香住夫妻を仲人に立てて生中継形式で放送した(「ごめんやす30年」より)。ちなみに馬場は、結婚後から現在に至るまで、出演番組で妻のことを「よっちゃん」と呼んでいる。
  • MBSラジオでは、当番組を放送した時期に、選抜高校野球の全試合を完全中継。その関係で、中継期間中は、原則として当番組の放送を休止。馬場が海外での取材などを目的に、夏休みを取ることもあった。ただし、それ以外に馬場が当番組を休んだのは、実父の死去と、自身が結石を患った時の2回だけである。
  • 阪神大震災では、馬場・小山とも、自宅で被災した。しかし、馬場は発生当日、当番組の放送枠の一部(10時台)に急遽編成した「報道特別番組 近畿地方大地震」 の途中からスタジオに登場。移動中に目撃した被災地の模様を報告した。ちなみに、馬場は偶然にも、発生直前の放送で阿武山(大阪府高槻市)にある京都大学の地震研究所を取材。取材報告の中で、専門家のコメントを引用しながら、神戸市近辺に活断層断層が存在することを指摘していた(「ごめんやす30年」より)。
  • 河内音頭家元の河内家菊水丸は、10代の頃に、当番組でメディア初出演を果たした。そして、当番組が終了した2005年4月から5年間にわたって、ラジオパーソナリティとして当番組の放送枠で『さてはトコトン菊水丸』を担当した。ちなみに、メロディアンの生コマーシャルは、同番組でも10時台の後半に放送されていた。
  • 鳥居は、歴代アシスタントの中で、馬場に対して特に厳しいツッコミを連発。メインパーソナリティーに対してイエスマン(ウーマン)になりがちなアシスタント像とは、一線を画していた。ただし、両者が決して険悪なムードになっていたわけではない。良くも悪くも馬場が世間離れした人物であることに加えて、彼の取材報告に単純な間違いやあいまいな説明が多かったためである。
  • 日替わりプレゼント当選者との電話のつながり具合などによっては、後枠のミニ番組である『ホットのしゃべって当てましょう』を内包する形で放送してから、エンディングで改めて電話することがあった。そのため、番組後期には、放送中に当選者へ電話をかけないようになった。
  • 1999年には、当番組とシキシマパンのコラボレーション企画として、ばんちゃんのあんぱんを発売した。2種類のあんぱんで、定価はいずれも100円。当番組の特集コーナーでは、企画から完成までの様子を、数回にわたって取り上げた。
  • 2001年10月には、関西地方のサークルKサンクス加盟店において、当番組プロデュースによる2種類の弁当が期間限定で発売された。
MBSラジオ 月曜日~金曜日10:00~12:00(1972.10.6~2001.9.28)
前番組 番組名 次番組
?
ごめんやす馬場章夫です
ごめんやす馬場章夫です
(10:00 - 12:30)
MBSラジオ 月曜日~金曜日10:00~12:30(2001.10.1~2002.10.4)
ごめんやす馬場章夫です
(10:00 - 12:00)
?
(12:00 - 12:30)
ごめんやす馬場章夫です
ありがとう浜村淳です
(8:00 - 10:30)
ごめんやす馬場章夫です
(10:30 - 12:30)
MBSラジオ 月曜日~金曜日10:30~12:30(2002.10.7~2003.9.26)
ごめんやす馬場章夫です
(10:00 - 12:30)
ごめんやす馬場章夫です

最終更新 2009年11月21日 (土) 12:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ごめんやす馬場章夫です】変更履歴

ご利用上の注意