だいせん (列車)

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大阪駅にて(2003/1/14)
サボ(2003/11/18)
展望型先頭車

だいせんとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が大阪駅米子駅間を福知山線山陰本線経由で運行した夜行急行列車

2004年平成16年)10月に廃止された。

日本国有鉄道(国鉄)が大阪駅鳥取駅米子駅出雲市駅益田駅間など山陰本線の主要駅間を福知山線経由で昼夜運行していた急行列車が著名であるが、これは1968年昭和43年)10月になったからでそれ以前は岡山駅〜松江駅間を伯備線経由で運行する快速列車が用いた列車名であった。下記も参照されたい。

周遊券周遊きっぷとなる前は山陰側において、「京阪神ミニ周遊券」を購入すれば急行料金不要で大阪とのバス運賃と同等となるうえ、最東端となる米原までという広いフリー区間内の移動が無料であったことから、夜行の自由席が大混雑したが、周遊券が廃止されたことで、夜行のみとなっていた当列車の需要が激減することとなった。

なお、本稿では廃止時唯一の定期京阪神対山陰夜行列車であった事もあり、京阪神対山陰夜行列車沿革も合わせて記載している。

目次

[編集] 列車愛称について

元々、「だいせん」の名称は鳥取県にある伯耆大山(ほうきだいせん)にちなむものとされている。そのことから、その周辺に近い鳥取県西部及び島根県東部が終着駅となる列車の名称として使用された。

[編集] 快速・急行列車「だいせん」

[編集] 伯備線快速→山陽本線・伯備線急行「だいせん」

やくも (列車)#伯備線優等列車沿革」も参照

[編集] 福知山線急行「だいせん」

北近畿_(列車)#福知山線優等列車沿革」も参照

  • 1968年(昭和43年)10月 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる事になる大規模ダイヤ改正により、それまでの「だいせん」は列車名を「おき」に変更するとともに、大阪駅発着で福知山線経由の急行列車であった「山陰観光」、大阪駅~益田駅・大社駅間の「三瓶」、大阪駅~松江駅間の「白兎」、大阪駅~出雲市駅・大社駅間の夜行急行「おき」の名称を「だいせん」に統合。昼行夜行を含め大阪駅と山陰地方を福知山線経由で1日4往復する急行列車となる。
  • 1972年(昭和47年) 3月 このときのダイヤ改正により、「だいせん」以下のように変更。
    1. 昼行の下り1号に米子駅で急行「はぎ」を併結し、大阪駅~長門市駅間を結ぶようになる。
      • ただし、「だいせん1号」は益田駅までの運行であったため、「乗り継ぎ料金制度として乗り通すのが認められた」形となる。
    2. 昼行の大阪駅~松江駅間運行の列車を鳥取駅までとし「いなば」に改称。
  • 1975年(昭和50年) 3月 下り1号の米子駅からの併結の急行「はぎ」が「ながと」に改称。
  • 1978年(昭和53年)10月 「いなば」から更に「いでゆ」と改称されていた大阪駅~鳥取駅間の急行を「だいせん」に改称(復帰)し(下り)2号・(上り)3号となる。
  • 1982年(昭和57年)7月 下り1号の「ながと」との併結を解消。
  • 1986年(昭和61年)11月 福知山線宝塚駅~山陰本線城崎駅間の電化に伴い特急「まつかぜ」、急行「丹波」と共に「だいせん」の昼行列車をエル特急北近畿」に統合。これにより昼行は廃止され、「だいせん」は夜行急行列車のみの運行となる。
  • 2004年(平成16年)10月16日 唯一残っていた夜行を廃止し、急行列車「だいせん」の歴史に終止符。

[編集] 京阪神対山陰夜行列車沿革

[編集] 戦後の展開

  • 1947年(昭和22年) 大阪駅~大社線大社駅間を運行する夜行準急列車409・410列車が運行を開始する。なお、この時期にすでに同区間を運行する夜行普通列車407・408列車が運行されている。
  • 1951年(昭和26年)11月 準急列車409・410列車が東京駅発着となり同時に急行列車に昇格。「いずも」の名称が与えられる。
    なお、この「いずも」は東京駅~大阪駅間は宇野線宇野駅発着列車である「せと」と併結されていた。
  • 1954年(昭和29年)5月 「いずも」大阪駅にて浜田駅発着編成を連結し、運行区間を東京駅~大社駅・浜田駅間とする。又、列車名を漢字書きの出雲に変更する。
  • 1961年(昭和36年)10月 「サン・ロク・トオ」と呼ばれる事になる大規模ダイヤ改正に伴い、「出雲」の経由地を従来の大阪駅・福知山線経由から綾部駅経由に変更。これにより「出雲」は東京対山陰連絡列車の性格を帯びることになる。
  • 1964年(昭和39年)10月 従来大阪駅~大社駅間を運行していた普通列車を急行列車に昇格させ、「しまね」の名称を与える。
  • 1965年(昭和40年)10月 「しまね」の名称をおきに変更。
  • 1968年(昭和43年)10月 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる事になる大規模ダイヤ改正に伴い、大阪駅発着の福知山線経由の急行列車の名称に「だいせん」の名称を与える。これに伴い「おき」は「だいせん」の中に内包され、「だいせん(下り)3号・(上り)4号」となる。
    なお、「だいせん」には昼行列車もあり、従来観光専用列車であった「山陰観光列車」が臨時列車として含まれた。運行区間は大阪駅~出雲市駅・大社駅間としていた。
    以降、山陰本線側終着駅の変更はあったが「だいせん」はおおむね大阪駅~出雲市駅間を運行する急行列車として運行される。
  • 1975年(昭和50年)3月 マルスシステム拡張に伴い、山陰本線全通より京都駅~出雲市駅間を運行していた寝台車連結の夜行普通列車に「山陰」(さんいん)の名称が与えられる。[1]
  • 1978年(昭和53年)10月 夜行列車である「だいせん5・6号」が20系客車に置き換えられる。
  • 1985年(昭和60年)3月 「だいせん5・6号」に自由席設置、運転区間は大阪駅~出雲市駅となり、倉吉駅以西を快速列車とした。また、「山陰」運行廃止。
  • 1986年(昭和61年)11月 昼行列車をエル特急北近畿」に統合。「だいせん」夜行列車のみとなる。また、使用車両も14系14形寝台車12系客車を連結した客車列車で運行される。
  • 1994年(平成6年)12月 寝台車の使用車両を14系14形から14系15形に変更。B寝台を2段寝台化。
  • 1999年(平成11年)10月2日 「だいせん」エーデル用気動車による運行となり、寝台車は廃止。同時に米子駅発着となる。
  • 2004年(平成16年)10月9日10月11日 「だいせん」廃止に先駆け、14系15形と12系客車の編成による臨時急行「懐かしのだいせん」が下り9日発、上り10日発で運転される。
  • 2004年(平成16年)10月16日 「だいせん」運行廃止。以下の区間に代替となる列車が運行される以外は廃止となった。

[編集] 廃止直前の運転状況

1日1往復。
大阪駅~篠山口間と倉吉駅〜米子駅間では始発・最終列車としての性格も持っていた。特に倉吉駅~米子駅間では快速列車として運行され、急行券なしでも乗車できた。廃止直前には本来の長距離客よりもこのような短距離客のほうが多く、同列車の廃止後は短距離客向けに上述の代替列車が設定された。
2004年10月廃止直前の停車駅
大阪駅 - 尼崎駅 - 宝塚駅 - 三田駅 - 篠山口駅 - 柏原駅 - 福知山駅 - 和田山駅 - 豊岡駅 - 城崎駅 - <竹野駅> - 香住駅 - 浜坂駅 - 鳥取駅 - (浜村駅) - (松崎駅) - 倉吉駅 - 由良駅 - 浦安駅 - 赤碕駅 - (下市駅) - 御来屋駅 - 大山口駅 - 淀江駅 - 伯耆大山駅 - 米子駅
  • ()内の駅には上りのみ停車。
  • <>内の駅には下りのみ運転停車
  • 上下列車は竹野駅で交換を行った。
使用車両
  • キハ65系
    使用車両は、「だいせん」の気動車化以前に「エーデル北近畿」などに使われていた「エーデル」仕様のもの。同車は「だいせん」廃止後に廃車となった。
    通常は2両固定編成の普通車のみで全車禁煙車(デッキに喫煙コーナーあり)、米子方の車両が指定席車で展望車だった。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ なお、「山陰」の命名以前から、俗に京都夜行と呼ばれていた。また、この扱いは「からまつ」・「ながさき」・「南紀」→「はやたま」と同じであったが、定期普通列車としては希な事例でもあった。

最終更新 2009年7月30日 (木) 16:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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