つばめ (列車)

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つばめ・リレーつばめ 運行経路図
800系電車「つばめ」(2004年11月23日、新水俣駅)
800系電車つばめ
(2004年11月23日、新水俣駅

つ:新幹線「つばめ
Rつ:特急「リレーつばめ
Rつ


KBHFa
門司港駅 JR九鹿児島本線特急「リレーつばめ
BHF
門司駅
BHF
小倉駅
HST
戸畑駅
BHF
黒崎駅
BHF
折尾駅
BHF
赤間駅
BHF
博多駅
HST
二日市駅
BHF
鳥栖駅
BHF
久留米駅
HST
羽犬塚駅
HST
瀬高駅
BHF
大牟田駅
HST
荒尾駅
HST
長洲駅
HST
玉名駅
HST
上熊本駅
BHF
熊本駅
CPICla CPICre
新八代駅 ↓JR九:九州新幹線つばめ
HST
新水俣駅
HST
出水駅
HST
川内駅
KBHFe
鹿児島中央駅

つばめは、2004年(平成16年)3月以降、九州旅客鉄道(JR九州)が九州新幹線新八代駅新水俣駅川内駅 - 鹿児島中央駅間を運行している新幹線列車愛称

つばめ」の名称はその起源を1930年(昭和5年)10月まで遡り、戦前・戦後を通じ国鉄を代表する特急列車の愛称とされてきた、伝統ある列車名である。この系譜は1975年(昭和50年)3月以降一時途絶していたが、1992年(平成4年)7月JR九州の鹿児島本線で復活した。その後2004年(平成16年)3月に、九州新幹線が愛称を引き継いだのが現在の特急「つばめ」である。

ここでは在来線時代の「燕」または「つばめ」号およびその関連列車についても記載する。

目次

[編集] 本項における併記列車

[編集] 在来線特急「リレーつばめ」

リレーつばめは、2004年(平成16年)3月の九州新幹線暫定開業に合わせて運行が開始された、門司港駅博多駅熊本駅 - 新八代駅間を鹿児島本線経由で運行する在来線特急列車である。全列車新八代駅の新幹線ホームにて、新幹線「つばめ」と対面接続を行っている。運行形態として、「つばめ」と一体的に取り扱っており、列車運用面・料金面でも関連性が強いことから、本稿で一括して記述する。

基本的には、1992年以前の鹿児島本線特急「有明」の鹿児島中央駅(当時は西鹿児島駅)発着列車を改称した「つばめ」の残存区間での運行であるが、熊本駅以北では「有明」に対して一定の速達列車として存在する。なお、列車号数は運行順ではないが、これは下記にあるように「つばめ」との一体化を目指したためである。それゆえ、「つばめ」では各駅停車タイプに接続する列車でも速達列車として運行されるものが数便ある。

[編集] 特急「はと」

はとは、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)6月から1975年(昭和50年)3月まで、「つばめ」とほぼ同区間を運行していた特急列車の愛称である。「つばめ」の姉妹列車的な存在であり関連性が深いことから、本項においては「はと」の愛称を使用した列車も併せて記述する。

[編集] 九州新幹線「つばめ」(現在の運用について)

九州新幹線が暫定的な開業であることもあり、新八代駅では「リレーつばめ」・「つばめ」が同一ホームに発着し、日本では初めて新幹線と在来線が同一ホームで乗り換えを行っている。

  • 下り 「リレーつばめ」→「つばめ」
    • 新八代行き「リレーつばめ」では、行先表示・構内や列車内での案内は「鹿児島中央行き」となっている(ただし、新八代駅到着時に行先表示器は「新八代行き」の表示になっている。また、災害などで新幹線がストップした時などにも、同様の扱いとなる場合がある。)。
    • 「リレーつばめ」が停車する各駅では、「この列車は、新八代駅で新幹線つばめ号鹿児島中央行きに接続しています(停車駅の案内は、在来線停車駅のみ説明する)。」との構内アナウンスがある。
  • 上り 「つばめ」→「リレーつばめ」
    • 新八代行き「つばめ」も、「リレーつばめ」に接続する列車には、「リレーつばめ」の終着駅の行先表示・構内や列車内での案内がなされている(ただし、新八代駅到着時に行先表示器は「新八代行き」の表示になっている。)。
    • 「つばめ」が停車する各駅では、「この列車は、新八代で○○行き特急リレーつばめ○号に接続いたします(停車駅の案内は、新幹線駅→在来線駅両方説明する)。」とのアナウンスがある。

なお、「リレーつばめ」と「つばめ」の特急券は一枚で発行することができ、利用者の利便を図っている。また両列車の指定席特急券を同時に購入した場合は、席番まで同じになる傾向がある。この「つばめ」と「リレーつばめ」の両列車に係る特急券制度についての正確な内容は、九州新幹線に関する乗り継ぎ料金制度も参照。

[編集] 使用車両・設定車種

新幹線「つばめ」
新幹線800系電車
  • 開業区間が137kmと比較的短距離であることから、普通車のみで編成されている。座席指定席自由席が設定されており、全座席禁煙となっている。
在来線「リレーつばめ」
リレーつばめ
787系電車
  • グリーン車座席指定席
  • 普通車
    • 座席指定席・自由席が設定されており、このうち67号以外の4号車はボックスシート(4人用×6室)の設定もある。なお、2007年(平成19年)3月18日改正より、全列車全車両が禁煙車になった。

[編集] 列車編成

[編集] 新幹線「つばめ」<800系>

記号凡例
指=普通車座席指定席 自=普通車自由席 ※グリーン席の設定はなし。
編成(全車禁煙) 備考
←鹿児島中央 川内・新水俣・新八代→
1 2 3 4 5 6
下記に挙げる列車以外の4号車は指定席になる場合がある
31号、100号の3号車は自由席
101・103号の2・3号車は自由席
200番台の列車は全車自由席

[編集] 在来線特急「リレーつばめ」<787系>

記号凡例
G=グリーン車座席指定席 C=グリーン車4人個室(座席指定席) DX=DXグリーン席(座席指定席) 指=普通車座席指定席 自=普通車自由席 B=普通車ボックスシート(4人用×6室)(指定席)
列車名 編成(全車禁煙) 備考
使用編成 ←新八代 熊本・博多→
下記を除く全列車 BM1 - 8・10・11・13・14編成
1 2 3 4 5 6 7
DX G C B指
65号の3号車は自由席
3・5・21号
30・32・36号
BM1 - 8・10・11・13・14編成(1 - 7号車)
BM101 - 111編成(8 - 11号車)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
DX G C B指 G
熊本駅 - 新八代駅間は1 - 7号車のみで運転
30号の3号車は自由席
67号 BM101 - 111編成
1 2 3 4 5 6 7 8
G G
2編成連結
  • 7両編成で運行する列車の一部は、繁忙期に熊本以北を11両編成で運転する場合がある。その場合9号車は指定席となる。
  • 列車の運行状況によっては5・9・10号車は指定席となる場合がある。
  • 上り列車の久留米駅 → 博多駅間、1・3号の門司港駅 → 博多駅間では、2号車を除く普通車指定席の空席を自由席として開放する。ただし、指定券を持つ客が優先となる。

[編集] 運転区間・停車駅

運行区間
  • 新幹線「つばめ」
    新八代駅・新水俣駅・川内駅 - 鹿児島中央駅
  • 在来線「リレーつばめ」
    門司港駅・博多駅・熊本駅 - 新八代駅
「つばめ」・「リレーつばめ」停車駅
列車名 在来線エル特急 リレーつばめ 新幹線 つばめ 備考
号数 運行本数/駅 門司港駅 門司駅 小倉駅 戸畑駅 黒崎駅 折尾駅 赤間駅 博多駅 二日市駅 鳥栖駅 久留米駅 羽犬塚駅 瀬高駅 大牟田駅 荒尾駅 長洲駅 玉名駅 上熊本駅 熊本駅 新八代駅 新水俣駅 出水駅 川内駅 鹿児島中央駅
1-23号 下り1本/上り1本 下り1本は門司港始発
下り11本/上り9本 下り1本は門司港始発
31-70号 下り2本/上り4本              
下り15本/上り14本               下り1本/上り1本は二日市停車
上り2本               上り1本は荒尾・二日市停車
上り1本は長洲停車
下り2本/上り1本              
100-103号 下り2本/上り1本                                    
200-204号 下り2本/上り3本                                             下り1本/上り1本は新水俣発着
  • ●:全列車停車。
  • ○:一部列車停車。
  • -:通過。


[編集] 列車番号

「つばめ」の列車番号については、他の新幹線列車と同様に、速達列車に1から始まる番号を付し、各駅停車タイプを速達列車が設定し終わった後の30番台から始まる番号を付加する。早朝・深夜に運行される熊本発着の「リレーつばめ」に連絡する列車については100番台とし、川内発着の列車を200番台としている。また、全列車末尾に九州新幹線を意味する「F」を符番する。

「リレーつばめ」についても冒頭の説明にあるとおり、下り始発列車を1号、上り始発列車を2号とするナンバリングを採用せず、新幹線列車と同じ符番をなされている。ただし、列車番号については、在来線列車であることから全列車末尾に「電車」を示す「M」が符されている。また、100号台の「リレーつばめ」の列車番号は30番台から始まる番号からの続き番号(例:「リレーつばめ101号」の列車番号は「71M」)となっている。これは、「特急列車の列車番号は百の位を0」とする国鉄時代からの規則による。なお、2004年の開業当初から2005年9月30日までは80番台を用いていた。

同様の方式は、東北新幹線はやて」と八戸駅で接続する特急「白鳥」・「スーパー白鳥」・「つがる」でも採用されている。

[編集] 沿革

[編集] 「つばめ」・「はと」の概要

1930年(昭和5年)10月から1943年(昭和18年)10月の間と、1950年(昭和25年)10月から1975年(昭和50年)3月の間、国鉄には「」・「つばめ」の愛称を持つ特急列車が運行されていた。1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業以前は東海道本線の特急であり、長年にわたって国鉄を代表する名門列車とされた。その速度感ある名称から、常に特急列車の愛称として用いられてきたものである。なお同列車の沿革に関しては、東海道本線優等列車沿革山陽本線優等列車沿革の項目も参照のこと。

一方「はと」は、第二次世界大戦末期まで中国大陸満州中国東北部)で運行された列車の愛称であり、戦後は一転して日本国内で「つばめ」の姉妹列車として運行された歴史を持つ。

[編集] 太平洋戦争前の経歴

[編集] 1930 - 1943年 東海道本線"超特急"「燕」

初出は、1930年(昭和5年)10月、東海道本線の東京駅 - 神戸駅間に運転を開始した超特急「」である。

なおこのときの表記は漢字書きであったが、当時の時刻表などでも漢字表記と平仮名表記が混在しており、また最後尾に掲げられたテールマークも平仮名であったため、平仮名で「つばめ」と表記したとしても、誤りとはいえない。

この愛称は、先行して運転されていた「富士」・「」同様に、1929年(昭和4年)に行われた鉄道省特別急行列車の愛称一般公募結果をもとに命名されたものである。なお、このとき「燕」は2位であった。公募について詳しくは、列車愛称の記述を参照されたい。

東京駅 - 大阪駅間を、それ以前の特急「富士」に比して2時間半近く短縮する8時間20分で、東京駅 - 神戸駅間は9時間で走破。その俊足から「超特急」と称された。

当時の長距離列車の例に漏れず、機関車に牽引される客車列車である。二等専用だった「富士」、三等車のみだった「櫻」と異なり、一・二・三等車全てを連結した初めての各等特急でもあった。本来は最後尾に一等展望車を連結する予定であったが、当初は展望車の新規製作が間に合わず、1931年(昭和6年)9月まで一等寝台車座席車扱いとして代用した。列車の設定に当たっては、大阪などで定時運行・石炭節約の功績を挙げていた、山陽鉄道出身の結城弘毅を運転課長として本局に招き、指揮をさせた。

「燕」は最速列車として人気が高く、1931年(昭和6年)12月からは同時間帯に二・三等車で編成された臨時列車「臨時燕」を増発するほど好評を博したが、定期列車と異なり東京駅 - 大阪駅間の運転。1934年12月以降は「不定期燕」と改称し、一時期は一等寝台車も座席車扱いで連結された。

1934年(昭和9年)12月、丹那トンネルの開業で東海道本線が熱海駅経由となった。距離・勾配が大幅に短縮・緩和され、東京駅 - 大阪駅間の所要時間は8時間にまで短縮している。この記録は1956年(昭和31年)11月の東海道本線全線電化までの22年間、破られなかった。

  • 1936年(昭和11年)8月、「燕」に国鉄初の冷房装置搭載の新製食堂車スシ37850形を連結。
    この冷房装置の動力には車軸回転を利用していたが故障も多く、数年間にわたり試行錯誤が続けられた。
  • 1937年(昭和12年)7月、「燕」の姉妹列車として、東京 - 神戸間に「」を設定。ただし、全区間の所要時間は「燕」より20分長かった。
  • 1940年(昭和15年)、食堂車の冷房装置を使用中止[1]
  • 1942年(昭和17年)11月、「不定期燕」廃止。

1943年(昭和18年)2月、「燕」は太平洋戦争の激化により運転区間を東京駅 - 大阪駅間に短縮し、「鷗」は廃止。同年7月、それまでの「特急」を「第一種急行」、「急行」を「第二種急行」と呼ぶようになる。しかし、同年10月、戦争激化に伴い「燕」は廃止となる。

[編集] 速度向上の手段

「燕」は到達時間短縮のため、それ以前には例のなかった様々な高速化策を導入した。

  • 機関車の交換省略
1930年(昭和5年)10月、「燕」の運転を開始した当時の東海道本線は、東京駅 - 国府津駅間が電化されており、従来は特急急行列車でも電気機関車蒸気機関車を国府津で交換していた。しかし、「燕」ではその交換時間を切り詰めるため、C51形蒸気機関車による東京駅 - 名古屋駅間通し牽引とした(名古屋駅以西は梅小路機関庫配置のC51形が牽引)。国府津駅 - 名古屋駅間では既に「富士」・「櫻」には強力なC53形が投入されていたが、同形式はクランク配置不良のため起動不能になる場合があり、過密ダイヤの東京近郊区間での遅延を避けるため、在来型で信頼性の高いC51形が選ばれた。1934年(昭和9年)12月の丹那トンネル開通後は、東京駅 - 沼津駅間は電気機関車牽引、沼津以西はC53形蒸気機関車の牽引とし、沼津で機関車を交換するようになった。
  • 給水停車の省略
蒸気機関車はボイラー用水の消費量が多く、適当な区間ごとに停車して水を補給する必要があったが、「燕」はC51形に専用の水槽車(後の水運車ミキ20形)を増結することで、この給水停車もなくした。しかし水槽車は重量がかさみ、高速化や輸送力増強の足かせとなることから、「燕」は1932年(昭和7年)3月以降静岡駅に給水を兼ねて停車するようになった。これに伴い水槽車の連結は中止され、牽引力の余裕を得て三等車1両を増結している。この給水については、鉄道省も相当に苦心を重ねたようで、運行計画の中には「線路沿いに給水タンクをずらりと並べて、各々に線路に向けて放水するパイプを取り付け、通過列車に走行しながら給水する」という奇天烈なものもあった。もちろん、実用化はされていない。鉄道先進国のイギリスでは「フライング・スコッツマン」などで線路の間に水槽(ウォータートラフ)を設けそこから走行中に炭水車から樋を下げて水を汲み上げる機構が実用化されていたが、設備投資やスケジュールの都合上これが不可能であったことからこれらのアイディアを考案せざるを得なかった。
  • 補助機関車の連結・解放迅速化
運転開始当時の東海道本線は現在の御殿場線経由であり、1000分の25勾配を有する急峻な山越え区間があった。このため、下り列車は国府津から、上り列車は沼津から、御殿場駅まで後部補助機関車を連結する必要があった。「燕」はこの連結作業時間をわずか30秒に切り詰め、なおかつ補助機関車の切り離しは、御殿場駅付近通過中に走りながら行った。この補機連結は、1934年(昭和9年)12月、丹那トンネル開通によるルート変更で解消されている。なお当初は走行中に補機を連結する案もあり、実際に試験も行われたが、好成績は収めたものの実用化には至らなかった。
また東海道本線には、大垣駅 - 関ヶ原駅間にも、同様の急勾配である、1000分の25勾配が存在していた。この区間では、下り列車に限り大垣駅から補助機関車を連結する必要があったが、下り「燕」はここでも国府津駅・沼津駅と同様の30秒停車で早業連結し、登坂し終えた柏原駅付近で走行中に切り離した。
ちなみに走行中の補機解放は当時からさほど難しい技術ではなかったと見られ、同区間を走る多くの列車や他の勾配線区でも実施されていた。しかし、他の列車は推進力確保のため、トルクの強い貨物用の9600形またはD50形を補機に使用していたのに対し、「燕」は高速運転の可能なC53形3両[2]が限定運用で担当し、異例のケースとなった。ちなみに、起動不良は本務機のC51形が引き上げれば問題なしとされた。また、D50形を補機に使用した例もあった。
この結果運転開始当初の「燕」は、下りは国府津から名古屋まで、上りは名古屋から沼津までノンストップとなった。
  • 運転中の乗務員交代
ノンストップ区間では、乗務員交代の停車さえも省略された。交替の機関士機関助士は先頭の客車内で待機しており、走行中に水槽車外側の歩み板と炭水車内に改造で設けた通路(屈んで通過できるサイズ)を経由して、前任の機関士・機関助士と交替したという[3]
事故は無かったというが、さすがにこの交替は危険きわまりなく、1932年(昭和7年)3月以降は静岡での給水停車に合わせて乗務員交代も行うようになった。
なお現在では安全上、この様な走行中に車外に出て交替する方法は禁止されている。

[編集] 「燕」を追い抜いた電車

阪急電鉄京都線の前身である(新京阪鉄道→)京阪新京阪線で使用されていた大型大出力電車のデイ100形には、1930年代に山崎駅付近の東海道本線との並行区間で併走する「燕」を追い抜いたという逸話が残る。

その真偽や背景については、新京阪鉄道P-6形電車#「燕」追い抜き伝説の真偽を参照のこと。

[編集] 1932 - 1945年 南満州鉄道急行「はと」

中国における日本の国策会社であった南満州鉄道(満鉄)は1932年(昭和7年)、大連駅 - 長春駅満州国成立に伴い首都となり、同年“新京”に改名)間を運行していた急行列車に「はと」と命名した。

当初は満鉄を代表する優等列車であったが、1934年(昭和9年)11月により高速で高級な設備を備えた特急「あじあ」が登場し、代表列車の座は明け渡した。しかしその後も速度向上は行われ、1939年(昭和14年)11月時点では大連駅 - 新京駅間を10時間20分、表定速度68.4km/hで運行された。

その後の第二次世界大戦下における戦況の悪化により、1943年(昭和18年)2月に「あじあ」が廃止され、「はと」も速度低下する。しかし「はと」は、1945年(昭和20年)8月のソ連軍による満州侵攻時まで運行を継続した。

[編集] 太平洋戦争後の展開

[編集] 1950 - 1960年 東海道本線特急「つばめ」・「はと」

青大将塗色のEF58形
「つばめ」に使用されたマイテ39形

戦後、1950年(昭和25年)1月に、東京駅 - 大阪駅間特急「へいわ」(1949年(昭和24年)9月登場、戦後初の国鉄特急)を平仮名表記の「つばめ」に改称した。愛称は戦時中の廃止から6年ぶりの登場で、戦前同様の機関車牽引特急である。

同1950年(昭和25年)6月、その姉妹列車として特急「はと」が登場する。

当初「つばめ」・「はと」は東京駅 - 大阪駅間に9時間を要していたが、同年10月のダイヤ改正時に戦前の「燕」と同じ8時間運転となった。

「つばめ」・「はと」ともに一等展望車を連結(マイテ39形またはマイテ49形と、マイテ58形)、リクライニングシート付の特別二等車を多数連ね、当時の日本を代表する列車となった。車内サービスに『つばめガール』・『はとガール』と呼ばれる女性乗務員を配したのも新機軸であった。

運用に際しては、上下列車とも編成の最後尾に展望車を配する必要や、また三等車スハ44形の2人がけ座席が一方向き固定式であることから、東京駅・大阪駅(西明石駅)の双方で、三角線回しと呼ばれた特殊な大回り回送を行って、全編成を方向転換させるという手間をかけた[4]。主な牽引機はC62形C59形蒸気機関車EF58形電気機関車が使用された。

なお、大垣駅 - 関ヶ原駅間には、1944年(昭和19年)10月に新垂井駅経由で緩勾配の下り迂回線が完成しており、戦後の下り「つばめ」・「はと」はこちらを経由することで、補機を連結せずに済ませている。

1956年(昭和31年)11月の東海道本線全線電化時には、東京駅 - 大阪駅間を7時間30分にスピードアップした。これを機に、「つばめ」・「はと」の客車電気機関車EF58形は、従来標準色であったぶどう色(焦茶色)からエメラルドグリーンに塗り替え、イメージチェンジした。これらの編成は、その塗色から「青大将」と呼ばれて親しまれた[5]

[編集] 1960 - 1964年 東海道本線電車特急「つばめ」・「はと」

1958年(昭和33年)11月より、国鉄初の特急形電車である151系電車を用いて特急「こだま」号の運行が開始されると、速度・設備水準において、旧型の客車を用い、機関車牽引であった「つばめ」・「はと」の見劣りが目立つようになった。

そこで1960年(昭和35年)6月より、「つばめ」は車両を151系電車に置き換えて2往復(1往復は神戸駅発着)に増発され、同時にスピードアップして東京駅 - 大阪駅間所要6時間30分となった。従前の一等展望車は廃されたが、代わりに二等特別席車「パーラーカー」を連結した。なおこの時「はと」は「つばめ」に吸収される形で一時消滅するが、翌1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正時、東京 - 大阪間の電車特急として再登場している。このとき、「つばめ」は2往復とも大阪駅発着となった。

1962年(昭和37年)6月の山陽本線広島電化に伴い、「つばめ」1往復は広島駅まで延長となり、東京駅 - 広島駅間の長駆900km弱を通し運転した。これは実質的には、前年の1961年(昭和36年)10月ダイヤ改正で新設されていた大阪駅 - 広島駅間気動車特急「へいわ」を立て替える形で設定されたものである[6]

この途上、山陽本線瀬野駅 - 八本松駅間には「瀬野八」とよばれる急勾配が存在し、広島駅発の上り列車についてはここを登坂する必要があった。だが、延長運転に先立って「つばめ」用の151系電車を瀬野八の区間で試験走行させてみると、過負荷により途中で各電動車の主電動機が異常過熱してしまい[7]してしまい、自力では登坂不能であった。本来平坦な東海道線仕様の車両であり、パワー不足だったのである。

やむなく営業運転では、本来自走できる電車列車でありながら、補助機関車を後部に連結して押し上げるという措置を採らざるを得なかった[8]補機には旅客列車用電気機関車であるEF61形が充当され、広島駅から八本松駅まで後押しを行った。

[編集] 1964 - 1975年 山陽本線・鹿児島本線電車特急「つばめ」・「はと」

1964年(昭和39年)10月の東海道新幹線開業後、「つばめ」・「はと」は新大阪駅 - 博多駅間に運転区間を変更、新幹線と接続し、「つばめ」・「はと」・「かもめ」の各列車による九州直通の昼行特急群を形成した。そのため、三列車は総括して「三羽がらす」とも呼ばれた。当初は東海道線用の直流電化区間用の151系電車をそのまま使用し、交流電化区間である九州島内にはEF30形関門トンネルの区間のみ)とED73形電気機関車牽引で乗り入れた。また、瀬野八での補機連結も続けられた。機関車牽引区間での車内電源は電源車サヤ420形を間に挟んで確保していた。このサヤ420形は421系パンタグラフ電動車モハ420形3両を早期落成させて電源車としたものである。

1965年(昭和40年)10月、「つばめ」は名古屋駅 - 熊本駅間の特急に変更。「つばめ」史上で最長距離を走ることになった。同時に「つばめ」・「はと」の車両は交直両用型481系に置き換えられる。この結果、交流電化区間に乗り入れられるようになると同時に、瀬野八での補機連結も不要になり、自力走行による全区間直通運転が可能となった。役目を終えたサヤ420形は当初の予定どおりモハ420-21 - 23となった。

1968年(昭和43年)10月以降は、「つばめ」・「はと」に寝台電車581系・583系も用いられるようになる。この頃から「つばめ」・「はと」は共に「特別な列車」から「大衆列車」に性格を変化させ、増発も図られた。

1972年(昭和47年)3月、山陽新幹線岡山駅開業により、「つばめ」は運転区間を岡山駅 - 博多駅・熊本駅間、「はと」は岡山駅 - 下関駅間とする。半年後の同年10月、「つばめ」・「はと」は「しおじ」と共にエル特急に指定される。

1973年(昭和48年)10月、「つばめ」は運転区間を西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)まで延長。

山陽新幹線博多駅開業に伴う1975年(昭和50年)3月10日のダイヤ改正で、「つばめ」・「はと」は列車・名称とも廃止された。国鉄における「つばめ」の歴史は、ここで幕を下ろすこととなった。

[編集] JR九州特急として復活・新幹線へ

[編集] 1992 - 2004年 鹿児島本線電車特急「つばめ」・「ドリームつばめ」

783系「つばめ」
787系「つばめ」

「つばめ」の名は1975年(昭和50年)以降、「この名称に釣り合うだけの格式のある列車がない」という理由から、定期運転される列車の愛称には用いられることのないままに推移した。その間、復活運転と称し、東海道線等で臨時列車として運行された例が幾度かある。詳細はつばめ (列車)#復活運転を参照されたい。

国鉄民営化後の1990年代に至り、JR九州が「つばめ」の名称を再び起用した。同社はこれに先立ち、他のJR各社からわざわざ事前の了承を得るという手続きを踏んでいる。「つばめ」という愛称の重みを物語る逸話である。なお「はと」の名は、定期列車では現在に至るまで復活していない。

  • 1992年(平成4年)7月15日787系電車落成と共に、西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)発着の特急「有明」を「つばめ」に改称し、787系を投入した。
    • 787系電車の開発にあたっては、「つばめ」にふさわしい格式を与えることが目標とされた。1970年代以降在来線では新規形式の食堂車が途絶していたが、本系列では久方ぶりの食堂車形式として半室ビュフェ車サハシ787形が登場した。また、往年の「つばめガール」を彷彿とさせる女性乗務員「つばめレディ」が搭乗し、グリーン車へのシートサービスも行われた。
    • この時点での運転区間は門司港駅・博多駅・熊本駅 - 西鹿児島駅間で、本数は博多駅発着が11往復、門司港駅発着が2往復、熊本駅発着が1往復であった。787系は博多駅発着列車のうち5往復、門司港駅発着列車のうち1往復及び熊本駅発着列車に投入。残りは783系電車を充当した。
  • 1993年(平成5年)3月18日、783系を用いる門司港駅発着列車を博多発着に短縮。また、それまで門司港駅 - 西鹿児島駅間を運行していた夜行急行「かいもん」を787系を用いた特急「ドリームつばめ」に格上げ。「ドリームつばめ」は博多駅発着とした。
  • 1994年(平成6年)7月1日、787系の充当を博多駅発着列車のうち10往復及び門司港駅発着列車に拡大。783系は博多駅発着列車のうち2往復及び熊本駅発着列車の計3往復に縮小する。
  • 1995年(平成7年)4月20日、門司港駅発着列車のうち上りの博多以北及び熊本駅発着列車を廃止。同時に博多駅 - 門司港駅間のホームライナー的列車として「つばめ102号」を設定。また、「ドリームつばめ」は783系での運転とする。
  • 1996年(平成8年)3月16日、「ドリームつばめ」も含め、全列車787系での運転となる。
  • 1997年(平成9年)3月22日、1往復増発し、14往復運転に戻る。
  • 1999年(平成11年)3月13日、それまで9両または7両編成での運転だったのを7両または6両編成に短縮。「つばめ」の編成減で捻出された中間車は一部先頭車への改造または先頭車の新造を行った上で「有明」に充当された。
  • 2000年(平成12年)3月11日、「つばめ102号」は「きらめき」として分離。
  • 2002年(平成14年)7月15日、新幹線リレー「つばめ」運転開始。これは2004年の九州新幹線一部開業に伴い「つばめ」が博多 - 新八代間の運転に短縮されることから、ビュフェの座席車化を中心とした工事が行われたものである。ビュフェは2003年(平成15年)2月7日の「つばめ19号」が最後の営業になった。3月までにビュフェの改造は終了。同時に車両のリニューアルを行い、全列車7両編成とする。

[編集] 航空機の乗客を奪った在来線特急

なお、この時期には高速バス桜島号」(西日本鉄道(西鉄)南国交通鹿児島交通林田産業交通(当時)JR九州バス(当時はJR九州直営))と競合しており、高速バスは当初から運行便数と低廉な料金で鉄道に対抗していた。

鉄道側も運行便数の充実などで「桜島号」に対抗していたが、この結果、福岡 - 鹿児島間の航空機の利用者が鉄道や高速バスに転移し、航空機は利用者減少のため減便や機材縮小を余儀なくされた(後にエアーニッポンは撤退)。これは鹿児島空港が鹿児島市内の中心部から相当の距離があるためにそのことがアドバンテージになったとされている。

1992年5月号のJTB時刻表によると、鉄道は「有明」14往復・最速3時間58分・通常期の普通車指定席で片道7,710円・往復割引11,940円、高速バスは昼行15往復・所要4時間20分・片道5,300円・往復割引9,000円、航空機は2社で10往復・所要40分・ジェット特別料金込みの通常期の運賃で片道12,550円・往復割引22,760円であった。新幹線以外の鉄道や高速バスでも、条件によっては航空機に対しても競争力を持つという実例でもある。

高速バス「桜島号」も九州新幹線部分開通後は所要時間で不利になってきたことから、2007年から夜行便以外はノンストップ便を取りやめるようになった。但し博多 - 熊本間は依然として高速バス「ひのくに号」(西鉄、九州産交バス)との競合が激しい。詳細は「有明」号の項を参照されたい。

同様の現象は、上越新幹線関越自動車道で結ばれている東京 - 新潟間でもみられる。

[編集] 2004年以降 九州新幹線「つばめ」・在来線電車特急「リレーつばめ」

九州新幹線用の800系車両にあしらわれたつばめマーク
  • 2003年(平成15年)、九州新幹線開業に先立ち、列車名を公募により「つばめ」に決定。
    • 得票数では「はやと」が第1位で「つばめ」は第5位あった[9][10]が、「はやと」は採用されなかった。これは、「はやと」が九州というより鹿児島県のイメージが強いこと、東北新幹線の「はやて」と紛らわしいからとされる。なお、「はやと」の名前は九州新幹線開業と同時に設定された肥薩線吉松発着の特急「はやとの風」に用いられた。
  • 2004年(平成16年)3月13日九州新幹線一部開業に伴うダイヤ改正により、「つばめ」の愛称を九州新幹線に移行。旧「つばめ」は「リレーつばめ」に改称の上、新八代で新幹線「つばめ」と接続する列車として存続させた。
    • 本数は博多駅発着列車が下り26本・上り30本、熊本駅発着列車が下り2本・上り1本、門司港・小倉始発列車が1本ずつとした。ただし、博多発着列車のうち5往復を熊本発着「有明」の臨時延長扱いとしていた。この臨時延長扱いは、熊本発着で運転されたことが一度もないまま、翌2005年には解消された。
    • 「ドリームつばめ」については熊本以南を廃止の上「有明31号」・「有明2号」(当時。2007年現在下りは「29号」)に編入。下り列車については残存区間でほぼダイヤを踏襲した。
  • 2005年(平成17年)10月1日、「リレーつばめ」の一部列車で「DXグリーン席」(3席)を設定する。
    • 「DXグリーン」はグリーン車の運転席側に設けられていた「トップキャビン」(6席)を改造したものである。およそ1年かけて、全車両への改造工事が行われた。
  • 2007年(平成19年)3月18日健康増進法第25条により、全車両禁煙となった。また「リレーつばめ1号」が門司港始発に変更され、「リレーつばめ67号」が「有明」用4両編成の2編成連結で運行されるようになった。
  • 2007年3月19日、九州新幹線「つばめ」の累計利用客数が2007年3月18日に1000万人を突破したと発表。2004年3月13日の開業以来1101日目で達成した。当日には「つばめ」乗客全員に同列車のイラストの入った記念ミニタオルがプレゼントされた。

[編集] エピソード

[編集] 旧国鉄のシンボルマーク

国鉄バスのシンボルマークとして使用された「つばめマーク」
JRバスのシンボルマークとして使用されている「つばめマーク」

プロ野球球団東京ヤクルトスワローズの愛称名スワローズ(swallows)は、1950年代の国鉄特急である「つばめ」に由来する。これは同球団の前身が、国鉄の外郭団体である財団法人鉄道協力会を中核として、財団法人鉄道弘済会日本通運、日本交通公社などの企業により設立された「国鉄野球株式会社」の運営する「国鉄スワローズ」だったことによる。後、産経新聞に譲渡されてから鉄腕アトムに因んでチーム名を「アトムズ」と改称しているが、ヤクルト本社へ再度譲渡されてからしばらく経って虫プロダクションの倒産によりアトムのキャラクター使用を取りやめ、元の「スワローズ」へ戻している。

これ以外にも旧国鉄はツバメをシンボルマークのように使用しており、国鉄バスの側面にはツバメが描かれていた。JRバスグループでもこれを踏襲しており、バスの車体にツバメを模したデザインのマークを描いている。

またJR九州では、鉄道車両を飾るワンポイントとしても、一般用から特急用に至るまで「ツバメ」を広く使用している。

[編集] 復活運転

定期列車の「つばめ」以外に、「復活運転」(リバイバルトレイン)と称して旧国鉄等が「つばめ」・「はと」を臨時列車ないしは団体専用列車として運行したことがある。

  • 1981年(昭和56年)7月25日(下り)・7月26日(上り) 臨時列車として旧国鉄が東京 - 大阪間に「つばめ」を14系客車で運行し、食堂車(オシ14形)も連結された。この時は学習院大学の女子大生10名が「つばめガール」として当時の制服を着用して乗務した。
  • 1982年(昭和57年)7月24日(下り)・7月25日(上り) 臨時列車として旧国鉄が東京 - 大阪間に下り「はと」、上り「つばめ」を運行。
  • 2000年(平成12年)8月26日 山陽新幹線の全線開業25周年を記念し、JR西日本が新大阪 - 博多間に485系特急電車による「はと」を下り運行。
  • 2002年(平成14年)5月19日 山陽新幹線の岡山開業30周年を記念し、JR西日本が岡山 - 広島間に「はと」を上り運行。
  • 2004年(平成16年)10月2日(下り)・10月3日(上り) 東海道新幹線開業40周年を記念し、JR東日本品川 - 名古屋間に「つばめ」を運行。
  • 例外的に1987年(昭和62年)3月31日に団体列車「旅立ちJR西日本号」として運行された列車は、展望車「マイテ49形客車」を連結し、客車時代の「つばめ」を模したテールマークを使用した。

[編集] 登場した映画・テレビドラマ・アニメ等

[編集] 脚注

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  1. ^ なお、冷房装置は1942年夏まで使用されていたという説も存在する
  2. ^ C53 81・82・84の3両。81 - 83の3両であったとの説も存在する。これら3両は沼津機関庫に配置された。
  3. ^ 炭水車については鉄道史料第93号 p.57による。通路を設けた炭水車は「コリドーテンダー」と呼ばれ、欧米でも使用例がある。なお、『高田隆雄 写真集 追憶の汽車 電車』(鉄道友の会 編、交友社、1998年)p.22にC51形の運転台側から当該改造を施された炭水車を撮影した写真の掲載があり、石炭庫上に枠を組んで通路上部に手すりを設置してあったことがわかる。
  4. ^ なお、この方向転換は戦前から実施されていたものである。
  5. ^ 「つばめ」・「はと」の初期をのぞいて使用された展望車は、「つばめ」にマイテ39、マイテ49 2、「はと」用にマイテ58。電化直前期の「つばめ」・「はと」の車両については、椎野剛「つばめ」、TY生「はと」(ともに『鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション 5 国鉄客車ダイヤ改正 1950』電気車研究会、2004年)に詳述されているが、マイテ39が二重屋根であったことは当時から問題とされていた。なお両列車の最終日の編成は同139頁に記載。
  6. ^ したがって、引き替えに「へいわ」は廃止されている。
  7. ^ 主電動機はMT46A形(端子電圧375V時1時間定格出力100kW)。なお、当時の「つばめ」は電動車6両と主電動機を搭載しない制御車・付随車5両で編成されており、各車種の需要の問題から電動車比率の引き上げは困難な状況であった。この編成でも平坦線では多少の余力があった(1960年には一部の東海道特急で付随車を1両増結して12両編成としている)が、22.6‰(パーミル)(1000メートルあたり22.6メートルの高低差)の急勾配区間が10kmに渡って連続する「瀬野八」を登坂するには出力が明らかに不足しており、また下り勾配での抑速についても151系は主制御器(CS12形)に発電ブレーキによる抑速ブレーキが非搭載のため、様々な問題を抱えていた。これらの問題は、東海道新幹線開業後、1965年に主電動機(MT54形。端子電圧375V時1時間定格出力120kW)や主制御器(CS15B形。戻しノッチ機構および抑速ブレーキ搭載)を新製交換して181系に改造するまで、151系のウィークポイントの一つであった。
  8. ^ この措置は同様にMT46Aを主電動機とする153系電車を使用する山陽本線急行でも採られている。153系の場合は、編成両端の連結器が自動連結器であった151系と異なり、国鉄電車標準の密着式連結器であったため直接補機を連結できず、電車用密着連結器と機関車用自動連結器をそれぞれ片方の車端部に装着した専用の控車を機関車と電車の間に挿入することを強いられている。
  9. ^ 春を告げるイメージ 九州新幹線は「つばめ」 - 西日本新聞 2003年3月21日朝刊
  10. ^ 交通新聞 2003年3月25日

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月22日 (日) 11:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【つばめ (列車)】変更履歴

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