とんねるずの生でダラダラいかせて!!
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| とんねるずの生でダラダラいかせて!! | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送時間 | 水曜日 21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1991年10月16日 - 2001年3月14日 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ |
| 演出 | 伊藤輝夫ほか |
| 監修 | 秋元康 |
| プロデューサー | 棚次隆(CP、前期)ほか |
| 出演者 | とんねるず(石橋貴明、木梨憲武) 福沢ジャストミート朗(福澤朗) 勝俣州和 そのまんま東 デビット伊東 定岡正二 ほか |
| 音声 | ステレオ放送 |
『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(とんねるずのなまでダラダラいかせて!!)は、1991年10月16日から2001年3月14日まで日本テレビ系列で毎週水曜21:00 - 21:54に放送されていたバラエティ番組である。司会はとんねるず。とんねるずの冠番組。略称・通称は「とんねるずの生ダラ!!」もしくは「生ダラ」。日本のテレビ放送史上、音声情報である出演者等の発話内容をテロップ(活字)によって視覚的に再現・再認識させることで視聴者への訴え掛けを強めるという手法を初めて意識的かつ本格的に導入した番組で、これ以降のバラエティ番組やお笑い番組の制作に多大な影響を与えた。
目次 |
[編集] 番組概要
低視聴率で打ち切られた「水曜グランドロマン」に代わって、この番組は放送開始までタイトルが明かされず、「とんねるずの番組」又は「とんねるず新番組」と表記をしていたが、第1回放送開始の3分後にタイトルが発表された。タイトルに「生で-」と謳っているとおり、当初は生放送だった。しかし、徐々に録画放送の回が増え、完全に生放送でなくなった。生放送でなくなった理由は、番組内容が変化したこと(後述)や、初期の頃にレギュラーだった「ねずみっ子クラブ」のメンバーのスケジュールが合わなかった(学業との両立に差し支えが出た)ためと思われる。
番組開始当初は、とんねるずとスタジオに呼んだ高校生らがバトルトークを繰り広げる番組であったが、裏番組のフジテレビ「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」やテレビ朝日の「さすらい刑事旅情編」に食われ視聴率が思わしくなく、各種バラエティ企画中心の内容に変化していった。1992年以降、1996年まではスタジオ内での企画とロケ企画を交えて放送するスタイルを取り、その頃から視聴率も上昇し、「やまかつ」の後番組であるフジテレビの「SOUND ARENA」とTBSで放送されていた「水曜ロードショー」を相次いで打ち切りに追いやり、テレビ朝日の刑事ドラマである「はぐれ刑事純情派」「はみだし刑事情熱系」と人気を二分するようになり、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」「マジカル頭脳パワー!!」「世界まる見え!テレビ特捜部」「嗚呼!バラ色の珍生!!」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」「ぐるぐるナインティナイン」などとともに1990年代の日テレの黄金時代を築き、1995年からの視聴率4冠王の一翼を担った。
1997年からロケ企画の比率が高くなり、1998年以降はオールロケ番組となった。1998年、平日朝の「ズームイン!!朝!」に専念するために番組を降板した進行役の福澤朗アナの勇退の際に、「さようなら福澤アナ」企画として、スタジオから総集編を放送した。それ以降においてもロケ企画以外の内容や生放送が時々行われており、一例として2000年5月3日の生放送では、その日行われた巨人戦の模様を定岡正二に解説させるという企画などが行われていた。
とんねるずらは、特番の『スーパークイズスペシャル』には1回も出場していない(ただし、1993年秋から1994年秋まで敗者復活戦の出題VTRに登場していた)。
[編集] 番組の終焉とその後
番組の終焉はTBSの「ウンナンのホントのトコロ」が「未来日記」コーナーで人気を博したことから始まった。さらに2001年1月にテレビ東京が2時間ドラマ「女と愛とミステリー」をスタートさせて高視聴率を稼ぎだしたことから、「生ダラ」の視聴率低下に歯止めがかからなくなり、2001年3月14日の2時間スペシャルをもって番組は終了した。最終回はエンディングで「10年間のご愛顧ありがとうございました。また来週!?」といったテロップが出た。
当番組終了から半年後に同局で木梨憲武が出演した特別ドラマ「夏休みのサンタさん」及び石橋貴明主演のドラマ『レッツ・ゴー!永田町』が放送されたのを最後に2002年以降、とんねるずは単独出演を含めて日本テレビの番組には出演していなかった(但し、2005年11月4日に金曜ロードショー枠で石橋出演の映画「メジャーリーグ3」が放送された事がある)が、2006年4月からは木梨司会の『未来創造堂』がスタートし、5年ぶりの日テレ番組出演となった。コンビとしては、2008年11月7日の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」に矢島美容室として、7年ぶりに日本テレビの番組に出演した。
[編集] 名物コーナー
[編集] 初期
- 大疑問に答える
- 番組最初期にあったバトルトークの総称。番組1回につき3~4つの「疑問」を番組側が提示してトークを進行していた。テーマに合わせてゲストを呼ぶこともあった。
- 麻原彰晃の青春人生相談
- 麻原彰晃が若者の悩みを解決するというコーナー。しかしほとんどが風変わりな風貌をしている麻原への対しての興味本位な質問だった。
- セクシー小学生ゴングショー
- 各回のグランプリを集めたねずみっ子クラブには、現在の仲根かすみや伊藤かなが所属していた。姉妹企画として「ダンディ小学生ゴングショー」もあった。
- 心霊写真ゴングショー
- 視聴者から心霊写真を募集し、織田無道が鑑定。最もインパクトのあった写真を優勝とした。
- このほかいろいろなジャンルのゴングショーがあり、優勝者には10万円と白いウッドベース(前期)→白い和太鼓(後期)が贈られた。このコーナーの元ネタはTVジョッキーの人気企画「奇人変人」で、こちらは優勝すると白いギターが贈呈されていた。
- 大喜利
- レギュラーとゲスト数名によるコーナー。面白くないネタを出した人にはペナルティとしてパイ投げをくらっていたが、中にはお題の例が石橋の機嫌を損ねる内容だったために進行役の福澤がパイ投げをくらったケースも度々あった。
[編集] 全盛期
- 生ダラKART GRAND PRIX
- 番組中期の中心コーナーと言っても過言ではない、カートレースの真剣勝負シリーズ。幼少時代からカートをやっていたアイルトン・セナや、ナイジェル・マンセル、ジャン・アレジ、鈴木亜久里、中嶋悟といったF1ドライバーも出演した事がある。近藤真彦、岩城滉一、舘ひろし、三原じゅん子などの大物タレントと対戦し、三原じゅん子がスピンしたカーブが、ヒット曲にちなんで「セクシーナイトコーナー」と名付けられた。ちなみに、このコーナーのオープニングは、フジテレビ系の「F1グランプリ中継」のオープニングCGを真似た実写映像を作り、模倣したテロップを使用し、テーマ曲も「TRUTH」(T-SQUARE)を使用していた。また、石橋貴明は尊敬するアイルトン・セナに引っ掛けて、「アイルトン・タカ」というドライバー名で出場していた。当初ゲストだった定岡正二(アイルトン・サダ)はこのコーナーで石橋のライバル的役回り(チーム対抗戦の時には石橋のチームメイト)を演じるようになり、コーナーのレギュラーとして人気を博すこととなる。鈴木はカート大会で敗れ、丸坊主となった事も。レースは主に新東京サーキットで行われた。
- セナとの対決の際に石橋は「俺が勝ったら鈴鹿で優勝した時のヘルメットくれよな」とセナに約束を取り付ける。結果は、セナがコースを横切ってショートカットしたためにセナの反則負けとなり、約束通り鈴鹿戦のヘルメットを貰うこととなった。しかし、それから間もない1994年にセナは事故死。実際に石橋が前年の日本GPでセナが優勝したときにかぶっていたヘルメットを受け取ったのは、セナが事故死した直後であった。この後石橋は「セナから遺志を受け継いだ」として約2年間コーナーを続けた。この時の石橋の言動はF1ファンからも好意的な評価を受けた。
- タカ vs サダ 炎の髪切り十番勝負
- カートグランプリの石橋vs定岡の抗争がエスカレートし、「タカーズvsサダーズ」の十番勝負が行われた。カート対決、PK対決、オセロ対決などで両雄が真剣勝負を行った。番組内でのヘタレっぷりから「へなちょこサダ」「負け犬サダ」などと揶揄された定岡だったが、最終勝負の野球対決でサダーズが6勝目を飾り優勝。石橋は他の企画(モデルに挑戦)の都合ですぐには髪を切れなかったが、最終的には坊主頭にされた。サダーズのメンバーは定岡と輪島大士の異色コンビ。輪島大士も「(好きな食べ物は)マグロ?」「(好きな女性のタイプは)金髪?」などの名言を残し(なぜか番組内での彼の発言テロップはすべて勘亭流書体の疑問形になる)、「ワジー」として愛されるキャラクターとなった。
- PK職人木梨憲武のサッカーPK対決と、ノ・リーグ
- 木梨が田口光久と組み、国内外のサッカー選手たちとPK戦で対決するシリーズ。ペレと対戦したこともある。ちなみにペレ戦では事実上勝利していたが、ペレ側からクレームがつき、木梨の負けとなった。ワールドカップ前後には遠征を行った。トーナメント戦を開いたりもした。ここから多くのサッカー企画が生み出された。後に川添孝一、椎名桔平等を加えミニサッカーチーム(当時はフットサルという言葉は浸透せず)「ジーコさんズ」を結成するが、ジーコ本人と対決し敗れチーム名を剥奪され「FCのりの」と改称した。またJリーグの「J」をカタカナの「ノ」に変えたノ・リーグを企画し、各Jリーグチームとフットサル対戦をした。PKで負けたJリーガーが丸坊主にされる事もあった。
- トレジャーハンティング
- 貴チームと憲チームに分かれて壮大に繰り広げられた宝探し対決。最初は当時の日テレ麹町本社を利用したが、後に浅草、横浜、箱根、熱海などを舞台に行われた。特番では舞台をアメリカに移し、ロサンゼルス - ラスベガスで行ったこともある。対決に使われる暗号部分は、パズル雑誌「パクロス」とのタイアップであり、一時期は視聴者へのプレゼントクイズとして、オリジナルの暗号問題が出題されていた。石橋は突然コーヒーで休憩を取ったりトイレにこもるなどしてメンバーから突っ込まれていた。また、先にゴールしたチームが物陰に隠れ、後から来たチームがゴールしたとぬか喜びしているところで登場して騙すのがお約束だった。
- あっくんとみえちゃん
- 当初は「子供はお母さんとの約束を守れるのか」というような趣旨で、男の子の「あっくん」がお母さんが出かけている間におやつのイチゴを食べないように、という約束をしたのだが、結局食べてしまう。その時のあっくんの言い訳の「宇宙人が来て食べちゃった」という発言を受けて、見栄晴が宇宙人「みえちゃん」として登場。あっくんとみえちゃんの不思議な友情が好評だった。その後みえちゃんのライバルとして「おたく星人」(宅八郎)、「ツルピカ星人」(そのまんま東)、みえちゃんの妹(倉沢淳美、高橋真美)などが登場したが、あっくんには不評だった。最終回では、みえちゃんとの別れに涙するあっくんの姿が感動を呼んだ。あっくんのその後については『美術手帖』山下陽光十番勝負! web連動企画「あっくんに会いたい」を参照。
- クイズ年の差なんちて!違うか!→クイズ生ダラ年の差なんちて!
- フジテレビ系「クイズ!年の差なんて」のパロディ。オヤジチーム(とんねるずなどレギュラー陣のほとんどはオヤジチーム)とヤングチーム(佐藤アツヒロや細川直美が多く出場)に分かれて対戦。本家同様のチーム別問題(オヤジ用問題とヤング用問題)のほか、当コーナー独自のクイズやゲームもあった。どういうわけか、1000丸の様な巨大風船を破裂させるコーナーが多かった。このコーナー以外にも、「なるほど!ザ・成増」(石橋の実家がある成増をテーマにした「なるほど!ザ・ワールド」のパロディ)や「100万円生ダラハンター」(本家「100万円クイズハンター」の終了間も無い頃の放送で、柳生博も出演)、「クイズ100人に聞きました」(番組オリジナルで、工藤静香のみが答えたベスト5を当てる問題も登場)、「底ぬけ脱線ゲーム」(人間ボウリング等の過激な企画が有名)と、過去の名クイズ・ゲーム番組のパロディ企画も数多く行われた。
- 勝俣州和の芸能界ひとりずつたたきつぶしてやる!
- とある企画の罰ゲームでスカイダイビング対決をした所、勝俣が号泣してしまう醜態を晒した事に端を発した企画。タイトル通り、他の芸能人と海上ターザンジャンプや鯱ロデオ等で勝負を挑んだが、このコーナーで男を上げるどころか毎回泣いてしまい「泣き俣」のレッテルを貼られ、毎週登場しているにもかかわらず「準レギュラー」として不遇の扱いをうける。
- 生ダラドッキリカメラ
- 「元祖どっきりカメラ」のパロディ企画。にしきのあきらが毎回のようにドッキリのターゲットにされていたが、一回だけ、木梨とCDを出していたジョージ山本がターゲットのときもあった。元祖と同じく、決定的シーンでは別角度から撮った映像や「マンボNo.5」のリズムに合わせて早送り・逆回転する映像などが何度もリピートして流れる。木梨が仕掛人軍団のリーダーとなり、オープニングでは元祖どっきりカメラの野呂圭介に扮し(役名は「ノリ圭介」→「木梨野呂武」)、ドッキリ終了後には元祖を真似た「生ダラドッキリカメラ NTV」と書かれたプラカードを提示する役を務めていた。毎回いくつかの小ネタドッキリを行なった後に大掛かりなドッキリを実行するが、大ネタのコンセプトは必ず「落とし穴」であった。にしきののリアクションが好評であり、彼が生ダラ準レギュラーとなるきっかけとなった企画である。しかし、にしきの自身は「このドッキリは消したい過去である」と他番組出演時に語っていた。
- 特に語り草になっているのは、この企画の第2弾である。にしきのを露天風呂を模したセットから巨大滑り台で(もちろん全裸で)落下させ、下で待ち構えている巨大なボウリングのピンを「スターにしきの」が何本倒せるか、題して「これがホントの『スターボウリング』作戦」は、にしきののリアクションはもとより、オチに至るまでのプロセスや、オチの後にもわざわざ志生野温夫に「ナイス・カン!」と絶叫させる凝り様が絶妙で、生ダラの中でも最も笑ったという視聴者も多かった。この露天風呂滑り台は、後に他局の番組であるめちゃ×2イケてるッ!でも中居正広をターゲットにパロディ化されるほどの名企画であった。
- 「祖師ヶ谷ーズ」
- 元々は「タカ vs サダ」などの際に出番のなかった木梨と勝俣が、それぞれ1号、2号に扮し、マスクを被った謎の2人組として飛び入り参加していたものだが、妙な人気を得て、世田谷区祖師ヶ谷の商店街をパレードするなどの独立した企画も生まれた。祖師ヶ谷に店舗があった長崎屋(現在はスーパーオオゼキと100円SHOPダイソーになっている)のテーマ曲に乗りながら登場した。挑発されたり質問されても何も答えずに、「言えよ!」と突っ込まれるのがお約束だった。ちなみに3号としてブラザー・コーンが登場したこともあった。
- 闘牛対決
- スペイン・マラガの闘牛場で、闘牛の真剣勝負を行った。石橋、福澤、にしきのあきら、THE ALFEEの高見沢俊彦らが挑戦した。闘牛に懸賞金をつけた勝負で、石橋は見事に闘牛から懸賞金を奪ったが、マタドールの衣装のお尻のラインが破けていた。とんねるずマネージャーのボブ市川は、この企画で「マラガの海の贈り物」なるキャラに扮し活躍した。福澤やにしきのが赤い軽装・衣装で行ったり、演奏しながら挑戦した高見沢が襲われるなど危険なことも多く、毎回数多くのドラマを作り出した。実際に高見沢俊彦が左手人差し指を骨折するというアクシデントに見舞われ、一時はその年のTHE ALFEEのコンサートツアーの実施が危ぶまれる事態を招いている。
- エアロビクス対決
- 実際のエアロビクス大会に出場するべく、「エアロ奈美恵(諸星和己、福澤、宍戸開。福澤勇退後にデビット伊東が加入)」「チーム踊る肉団子の甘酢かけ(木梨、にしきの、角田信朗)」「極悪非道のダンスユニット・芯(石橋、定岡、長嶋一茂)」の奮闘する様子を放送した。ダンスのBGMは3組とも「サンバ・デ・ジャネイロ」のリミックスを使用し、チーム肉団子はさらににしきのの「空に太陽がある限り」をミックスして使っていた。視聴者にも振付けを覚えてもらう為、音楽に合わせ「起きてしゃがんで見栄切って」といったユニークな振付けナレーションを福澤が付けていた。各チーム健闘したものの、芸能人ゆえの練習日数の少なさはいかんともしがたく、大会での成績は振るわなかった。特に口ばかり達者だった「芯」は、当然の様に最下位の屈辱を味わった。
- 木梨憲武バレエ団
- 木梨、佐藤康恵、佐伯日菜子がバレエを学ぶところに始まり、後に木梨を団長に団員をオーディションで公募し、実際にバレエ公演を行うまでの様子を放送した。エアロビクス、ダンスに懲りた憲武だったが、バレエにはかなり乗り気だった。先生として迎えた大滝愛子や、ニューヨークの男子バレエ団「グランディーバ」など、ユニークな出演者も好評だった。ゲストとして奈美悦子、神田うの、熊川哲也も出演していた。
- 沖縄アクターズスクール入門
- 木梨が勝俣、にしきのあきら、奈美悦子、未唯らとともに訪問・入団し、数週間かけてダンスを学んだ後、最後にトップクラスの子どもたちとともにコンサートを開いた。
- 輪島大士お見合い企画
- 花篭部屋の年寄株を抵当権にいれ、1985年に日本相撲協会を破門されたあげくに離婚した輪島大士のために、石橋が立ち上げた、かつてとんねるずが司会をしていた「ねるとん紅鯨団」の要素を取り入れた、輪島大士の再婚支援企画。この企画で、見事に輪島大士は再婚することができた。
- 生ダラ日本シリーズ
- これはその年日本一になったプロ野球チームに石橋が加わって(タカーズ)、定岡率いるサダーズと真の日本一を賭けて野球対決する。ルールは5回までだが、必ず負けた方は罰ゲーム(顔を地面につけて土下座する、など)をして、泣きの延長戦(7回まで)をする。それでも逆転できなくても大抵はここで終わるのだが、どうしても勝ちたいがためにもう1回本当の本当に最後の泣きの延長戦(9回まで)をすることもあった。
- 入場テーマは石橋がワイルドシング。一方の定岡は、自身の歌(夢をあげたい)だった。
- 名物コーナーのタカ vs サダ 炎の髪切り十番勝負の延長戦みたいなノリで、石橋は事あるごとに定岡を坊主にしようと画策するが、97年は定岡の代わりに長嶋一茂が犠牲になり、98年は当初グラウンド10周のマラソンだったが、石橋が「やっぱ、サダを坊主にしないと気が済まないよ!」と言って負けた定岡が坊主になるはずだったが、斉藤明夫の脅しで、石橋は免除した。
- サダーズのメンバーは定岡兄弟(兄・正二&弟・徹久。石橋に2人揃ってバカ兄弟と呼ばれていた。)と、対戦する球団のOB(長嶋一茂・ギャオス内藤・角盈男(97年)・遠藤一彦・斉藤明夫・シピン・平松政次(98年))や、定岡の友人である西本聖・バースやデストラーデなど、豪華メンバーであるが、サダースの名コンビのワジーは1度も出演しなかった。デストラーデが実にひょうきんな所を見せ、98年には定岡と一緒に土下座をするなど、妙な存在感を示していた。
- フランス横断生ダラウルトラクイズ
- 「アメリカ横断ウルトラクイズ」のパロディ。本家「ウルトラクイズ」が事実上終了した1993年秋頃に行っていた。本家と同様の形式(ジャンケン、機内ペーパークイズ、バラマキクイズなど)を用いてフランスで行われた、石橋と定岡のクイズ対決。司会は、本家でも務めた福澤(ただしフランス国内。成田空港のジャンケンは河村亮アナ)。クイズに負けた方は、その都度罰ゲームが課された。最終的には定岡が勝利。石橋はエッフェル塔を階段で昇り、最終的な罰ゲームとして、スペインで行う闘牛対決ロケ(上記参照)までの間、定岡の付き人をさせられた。
- 輪島功一のダンゴ屋バスツアー
- 国分寺市にある輪島功一が経営するダンゴ店にバスで赴こうという企画。バスには石橋、木梨、にしきの、輪島大士、そのまんま東、定岡、勝俣が乗りダンゴ屋に向かい、車内はトークやカラオケなどで盛り上がったが、錦野は気分が悪くなり嘔吐してしまい、嘔吐物の臭いがバス車内に充満し出演者・スタッフが車内でまるで地獄絵図のようなパニックになってしまった。ダンゴ屋到着後勝俣がダンゴをまずいと言ったり、バスにダンゴを盗み帰ったりしていた。この企画は総集編で「もう一度みたいランキング」では「スターのゲロ」として上位にランクされるほど人気がある企画となった。
[編集] 末期
- 女子アナ予備校
- アナウンサー志望の女子大生を集めて、木梨がアナウンサーレッスンをするというコンセプトで作ったコーナー。講師に久保晴生(元日テレアナウンスカレッジ校長・フリーアナウンサー久保純子の父)などを招いて取り組んでいた。このコーナーには、当時日テレアナウンスカレッジに在籍していた前田真理子(当時学習院大学在学中、現・テレビ東京アナウンサー)も出演していた。
- 負けず嫌い王決定戦
- おなじくとんねるずが出演する「とんねるずのみなさんのおかげです」→「おかげでした」の人気コーナー「食わず嫌い王決定戦」のパロディ。芸人2人にゲテモノ料理を差し出し、先に食べた方が勝ちという企画。
- 寿司を賭け対決!マージャン「寿司ジャン」
- 番組末期にかなりよく行われていたコーナーでレギュラーのとんねるずとゲスト2人が高級寿司を賭けて対決。ポンジャンやドンジャラにルールが似ていて、寿司ネタやビールなどの絵が描かれた牌を最初に3枚ずつ3種類集めた人が上がり、揃えたネタを食べる事が出来る。後にこのゲームは市販化された。
- パチンコ対決
- 番組最末期はこのコーナー一本だった。石橋率いる梁山泊軍団と木梨率いる尿蛋白(後にマンション久保田率いるチーム久保田に改名。野猿メンバーであったホッシーなども参加)のパチンコ対決。また梁山泊所属のパチプロや、久保田らによるパチンコ講座も行われていた。本格的に女優転向する前の柴咲コウも出演した。
[編集] エピソード
- 放送第1回目のオープニング映像は全裸(ただし、股間の部分にはモザイク柄の前貼りを貼っていた)の木梨と石橋が後背位で互いの尻を突き合うシーンが挿入されたり、石橋と木梨の顔を卵子に見立て、精子のようなものがそれに向かって泳いでいくシーンなどで構成されたエキセントリックなものであった。無論放送後には抗議が殺到し、次の週からは前述の尻を突き合うシーンを「回転する2人の大きな顔や、『鳩の休日』で使われていたNTVのロゴで隠す」という処置が施された。
- 狂乱の気孔師・川上
- 番組初期に準レギュラー的な形で登場。登場の度にVO5のスプレーを髪に掛ける仕草で番組内の人気をさらい、対には脱出マジックに挑戦したこともあった。
- 福澤朗
- レギュラーでありながらスタジオ内の企画の進行役でもあった彼はロケ企画でもリポーターとしてかってでていた。特に相手のコメントを求めるごとにクドイほど「3、2、1、キュー!」のフレーズを連発した。
- 芸術家・木梨
- ゲームキャラクター
- カプコンから発売されたゲーム『マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター』では、木梨が(木梨憲太郎として)キャラクターデザインと声優を担当した新キャラクター「憲磨呂」(ノリマロ)が登場した。(デザインは『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントキャラクター、ノリ男に近い)発端は「生ダラ」からだったが、「憲磨呂」の登場に関してはゲームファンの間では賛否両論であった。また、日本国外版では削除されている。憲麻呂が倒された際の「いつもこうだよ!!」の決め台詞は闘牛対決の企画での福澤の名言から引用されている。
- 開業は番組がきっかけ
- デビット伊東がラーメン店を開くことになったきっかけも、この番組の企画からである。現在店は軌道に乗り、店舗も着々と増えている。
- 再び脚光を浴びる人々
- にしきのあきら、定岡正二、輪島大士など、かつて一世を風靡したものの、近年目にする機会が減っていた芸能人や元スポーツ選手などが、再びテレビ界で脚光を浴びるきっかけを作った。
- 番組企画がきっかけのCD化
- 工藤静香と石橋貴明のユニット「Little Kiss」の楽曲「A.S.A.P.」(秋元康プロデュース)、山本譲二と木梨のユニット「憲三郎&ジョージ山本」の楽曲「浪漫-Roman-」(北島三郎プロデュース)、石橋・定岡・デビット伊東のバンド「ANDY's」(当初は「生殺」)の楽曲「Freedom」(佐野元春プロデュース)など、この番組の企画から発売されたCDも数多い。「憲三郎&ジョージ山本」はNHK紅白歌合戦にも出場した。結成当初の衣装は、憲三郎が白の羽織袴、山本が白のスーツで真面目にキメていたが、次第に両者ともラメ入りになるなど華美になっていった(憲三郎は金歯まで入れていた)。晴れの舞台である紅白では豪華路線を変え、憲三郎が北島三郎の姿でものまねで歌い視聴者を笑わせた(台本には無く、憲三郎は出番10分前に思いつき、急遽メイクルームに走ったと言う)。
- 恐ろしき罰ゲーム…その1
- 罰ゲームとして、石橋と定岡が石原軍団の事務所に行き車の清掃等さまざまな雑用を行った後、渡哲也の肩を叩き、「綺麗になったろ、テツ」と言わなければならないというものがあった。これは事前に渡に大袈裟にキレる芝居をしてもらうように対戦相手であった舘ひろしに仕組まれており(渡は芝居前に「キレることができない」という本音を漏らしていた)、何も知らない石橋は渡の予想外のキレ具合に完全に怯え、定岡にすがりつきながら「シャレになってないよサダさん」と半泣きになっていた。
- 恐ろしき罰ゲーム…その2
- 同様に罰ゲームとして、ダンプカーレースで負けた木梨と山本譲二が北島三郎邸に行き、北島にちらし寿司をご馳走し、「うまいだろう、すし太郎」(永谷園のCMでの北島のセリフ)と言わなければならないというものがあった。木梨、山本、勝俣は、北島邸を案内されているとき、北島が電話で席を外した隙に北島の大切にしている高級洋酒を勝手に開封し飲むという大胆な行動を取った。戻ってきた北島にバレないように必死に取り繕っていたが、結局バレた。違う回(紅白の報告)に再び北島邸に行ったときには、酒のある所に入れてもらえなかった。
- その他、人目につくところでの罰ゲームは多くの場合新宿アルタ前(「日本一恥ずかしい場所」と言われていた)の特設ステージで行われ、池山隆寛や広澤克実による野球拳対決などが実行された。品川駅高輪口前での罰ゲームも多く、ここではネプチューンの名倉潤が金粉まみれの姿を披露したり、古田敦也や広澤克実がボディコンの女装姿をしたりなど、今では考えられない人物の罰ゲームも行われた。
- 初期の放送では、素人として松本康太(レギュラー)が出演したことがあった。
[編集] 出演者
[編集] レギュラー
[編集] 進行役
- 福澤朗(当時日本テレビアナウンサー、番組開始~1998年7月)
- 矢島学(日本テレビアナウンサー、1998年7月~9月)
- 鈴木崇司(日本テレビアナウンサー、1998年10月~番組終了)
- 辻よしなり(後期、元テレビ朝日アナウンサー)
- アシスタント
[編集] 準レギュラー
- チチスイ鈴木(初期)
- 織田無道
- にしきのあきら(現:錦野旦)
- 高見沢俊彦
- 北島三郎
- 和田アキ子
- 輪島大士(中期以降)
- 輪島功一(中期以降)
- 保阪尚希(中期以降)
- プリンプリン(中期以降)
- 諸星和己(後期)
- 角田信朗(後期)
- 蝶野正洋(後期)
- 天山広吉(後期)
- アンディ・フグ(後期)
[編集] 主題歌
- 「大人になるな」(初期エンディング、とんねるず(「がむしゃら」に収録)
- 「Ba・Ca」(中期オープニング、とんねるず)
[編集] お決まりの挿入曲
- とんねるずが出演者の誰かと乱闘する時に必ず流れるテーマ。
- マンション久保田率いる尿蛋白軍団(後のチーム久保田)のテーマソング。
- 「The Final Bell(映画ロッキーより)」
- 定岡が石橋と対決した際に、定岡の勝利時に必ず流れるテーマ(定岡のリクエスト曲)。
[編集] スタッフ
- 監修:秋元康
- 構成:吉野晃章、浜田悠、小山薫堂、そーたに、おちまさと、都築浩、小川浩之、兼上頼正、浅野吉郎ほか
- 制作進行:堀田浩司
- ロケ技術:八峯テレビ
- カメラ:元木宏
- 初期オープニングタイトル:根本敬
- 演出:伊藤輝夫(前期)、財津功(前~中期)、小島悟、佐藤俊一郎(中期)、中村博行(末期)
- アシスタントプロデューサー:土屋敏男(1991年10月~1992年9月)
- プロデューサー:大井“マリー・アントワネット”紀子(前期)、大澤雅彦(中期)、糸井聖一(末期)
- チーフプロデューサー:棚次隆(前期)、佐野讓顯(中期)、大澤雅彦(末期)
- 製作著作:日本テレビ
[編集] 関連番組
[編集] 番組の変遷
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最終更新 2009年10月31日 (土) 13:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【とんねるずの生でダラダラいかせて!!】変更履歴


