はだしのゲン
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『はだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした漫画。同漫画を原作として実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作されている。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。
目次 |
[編集] 概要
作品の内容、表現等について様々な意見があるが、作者の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を表現していながら、エンターテインメントとしても魅せる作品として国内外での評価は高く、映画・ドラマ・アニメ・ミュージカル・絵本・講談化もされている。
自伝的な作品で、作中のエピソードの多くも中沢が実際に体験したことである[1]。母親を火葬した際に骨が残らなかった、という作中にもあるエピソードが、中沢に広島原爆の被爆を題材とした漫画を描かせるきっかけとなった。
発表分の末期の内容は終戦から何年も過ぎており(警察予備隊(後の自衛隊)発足に対する批判の話もある)、被爆漫画でなく戦後漫画となっているが、その時期の話にも原爆の傷痕は登場する。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。2007年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会で、日本政府代表団は、本作の英訳版を加盟国に配布することになった。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させる予定(時事通信、2007年4月29日)。
[編集] 作品史
1972年に『月刊少年ジャンプ』(集英社)の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて『週刊少年ジャンプ』(集英社)1973年25号から連載が始まった。中沢は自分の思いを完全に伝えるため、アシスタントを一切使わずすべて自分で描き上げた。
『週刊少年ジャンプ』は当時既にアンケート至上主義、すなわち読者アンケートの結果を重視しており、アンケート結果が悪い状態が続けば即打ち切りのスタイルを取っていた。「ど根性ガエル」、「トイレット博士」、「包丁人味平」、「侍ジャイアンツ」、「プレイボール」、「アストロ球団」、「マジンガーZ」、「荒野の少年イサム」など、現在でも広く知られる人気作品が連載されている中、「はだしのゲン」は掲載順が2桁となることも多いなど、決して看板作品とは言えないながらも一定の人気は保っており、当時の編集長でアンケート至上主義を打ち立てた張本人でもある長野規の全面的なバックアップもあり、1年以上も連載を継続した。しかし、オイルショックの紙不足によって『ジャンプ』の全体のページ数が減らされたことと(その結果、連載後期はたびたび休載を余儀なくされる)、長野の栄転により、1974年39号にて連載終了。なお、巻頭カラーは第1話のみで、アンケートで選ばれた上位10人が読み切り掲載権を獲得する74年度のジャンプ愛読者賞では20人中13位と選に漏れた。
一定の人気がある作品でありながら、沖縄返還後の米軍問題で揺れる当時の社会状況を受けて集英社が単行本の発刊を躊躇したが、朝日新聞の平和問題担当記者や漫画評論家の石子順などの働きかけを受け、1975年、汐文社より全4巻の単行本が刊行される。当時「漫画は低俗なもの」とされていたにも関わらず大江健三郎の激賞を浴び(岩波書店「図書」1975年9月号)、また生協の販路にて「良書」として紹介されるなどの高評価を受けた結果、『ジャンプ』の主な読者層である少年のみならず大人の間においても浸透し、たちまちベストセラーとなる。そうして『市民』誌にて続編が連載されることとなる。
『市民』誌は支持基盤が磐石ではなく、1976年8月号を持って休刊。その後、日本共産党系の論壇誌である『文化評論』に連載の場を移す。日本共産党はそれまで核均衡理論に基づいて中国やソ連の核を認める立場を取っていたが、当時の日本共産党は中・ソと対立し、日本社会党などと協力して核の全面的な禁止を訴える論調をとっており、「はだしのゲン」の連載はその格好の宣伝材料となった。しかし1979年頃から社会党は公明党や民社党などとの連立政権を模索しだし、共産党を排除する意向を示す。同時に総評も共産党排除の意向を示し、原水禁(社会党・総評系)・原水協(共産党系)による原水爆禁止運動統一の動きが混乱する中、押し付け型の原水禁運動を展開する政党と原水禁運動の当事者たちとの対立が表面化してきたこともあり、原水禁運動の当事者たちと論を同じくする「ゲン」は打ち切りとなる。
その後、日教組の機関紙『教育評論』で連載を続行する。この結果、1980年代の子供達の間に教育現場を通して「ゲン」が広く浸透することとなる。1985年に「第一部完」をもって連載終了。
なお、中央公論新社(読売新聞グループ)発行の文庫版(全7巻)では、『週刊少年ジャンプ』掲載分を第一部、以降のシリーズを第二部に区分している。汐文社では愛蔵版を10巻まで発行している。愛蔵版では区別はされていないが、第1巻 - 第4巻が第一部、第5巻 - 第10巻までが第二部である。これらの違いは以下の通り。
- 第一部は掲載当時の扉絵を掲載せずコミックスで話を一つにをつなげていたため同じシーンが繰り返されている。またジャンプコミックスではお約束の単行本のサブタイトルも第一部にはある。
- 第二部は第一部から年月が経っているため作風が変わり、コマが今までより小さくなっており、描き下ろしであるために同じシーンの繰り返しがない。
第10巻の最終ページには「第一部完」と書かれており、東京を舞台とした「第二部」も予定されていた。出版の予定も決まり2回分の下書きも完成させていたが白内障のため目が悪くなり、2009年9月16日「細かいコマが書けなくなった」と執筆を正式に断念した。[2]
[編集] 連載誌
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
この記事は、下記のページに内容を分割しています。このテーマに関する情報については、それぞれのページをご参照ください。
[編集] あらすじ
物語は、広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)に住む国民学校2年生の主人公・中岡元(なかおか げん “以下、ゲン”)が1945年8月6日に下された原爆で父・大吉(だいきち)、姉・英子(えいこ)、弟・進次(しんじ)の3人を亡くしながらも、たくましく生きる姿を描く。
[編集] 原爆投下前後
舞台は1945年、終戦間近の広島市。ゲンの父で下駄の絵付け職人大吉は、反戦思想の持ち主。こうしたことから、中岡家の家族は町内会長の鮫島や近所から「非国民」扱いされ、様々な嫌がらせを受けた。ゲンの長兄の浩二(こうじ)が「非国民」の冷たい視線をはね返すために海軍の予科練に志願し、ゲンの次兄の昭(あきら)は、広島市郊外の山間部に疎開に行っていた為、浩二と昭は、原爆の難を逃れている。ちなみに英子は昭より年上だったが、体が弱かったため疎開できなかった。
原爆投下時、大吉・英子・進次(元の弟)は家の下敷きになり、そのまま家に火がついて3人は生きたまま焼け死ぬ。ゲンの母・君江(きみえ)はこの様子を見、ショックで女児を出産。名前は、友達がたくさんできることを願って「友子(ともこ)」と名づけられた。その後、ゲンは原爆症で毛髪が抜け落ち、自分も放射線障害で死ぬのではないかと恐怖する。坊主頭になったゲンは、焼け野原になった広島市内の道端で拾った消防団の帽子で頭を隠し、友子のための米を調達すべく奔走した。
ゲン達は江波在住で君江の友人のキヨの家に身を寄せ新たな生活を始める。しかしそこでは、キヨの姑や子供達からの迫害に甘んじる。江波で、ゲンは原爆で死んだ弟・進次に瓜二つの原爆孤児・近藤隆太(こんどう りゅうた)と出会う。隆太は原爆孤児の仲間と共に、農家から食糧を盗み飢えをしのいでいた。隆太と初めて会ったゲンは、進次が生きていたのではないかと錯覚する。2回目に会った時に、食糧を盗もうとしていた隆太が百姓に追い回されていたところをゲンが助け、ゲンと君江が隆太を弟代わりに育てる事になった。それ以降隆太はゲンや君江を自分の兄や母のように慕い続ける。
ゲンは江波でサンドイッチマンさながらに仕事を探していたところ、身なりの良い男(政二の兄)に仕事をやるからついて来いと、連れて行かれた家で原爆の熱光で全身大やけどを負った画家志望生の吉田政二(よしだ せいじ)と出会う。政二の両手は原爆による火傷で不自由になり、血を吐き血便を流し、大量のウジが全身を覆う惨状。仕事とは、政二の看病役であった。被曝する前は仲つむまじかった政二の兄家族は「ピカドンの毒がうつる」という噂を信じ隔離し、ろくに面倒も見ていなかったので、政二はやさぐれてしまっていたが、ゲンの叱咤に心を開き、口で筆をくわえて絵を描くようになる。ゲンは政二から絵画を教えてもらう約束をするが、ついに断末魔が訪れ間も無く政二は死に至る。すっかり死んだと思われていたが、通夜の後、蘇生し棺桶からはいずり出て「おかゆが食べたい」と兄家族に迫る。しかし、政二の兄家族は死人が甦ったと恐れおののき何も出来ず、箒で突き飛ばすなどし、逃げるばかりであった。夢で虫の知らせを察知したゲンは、政二の家に駆けつけたが、正にその時、政二は死んでいた。 被曝した政二を受け入れられず、都合良く世間体ばかり取り繕う家族にゲンの怒りは頂点に達する。 火葬はゲンと隆太の二人で明るく行い、天国へ見送った。
[編集] 戦後
終戦後、昭と浩二が広島に戻ってきて、中岡家は隆太を含めて6人で暮らすようになった。しかし、キヨの姑に家を追い出され、一時防空壕跡の洞穴で生活し、その後は、家族で建てたバラックに移り住んだ。ゲンと隆太は食料調達の奔走中、謎の復員兵と出会い、進駐軍駐屯地から死ぬ覚悟でミルクを盗んでくるが、実は復員兵はヤクザで、ミルクは闇市で叩き売りされてしまう。騙された事に気がつき怒った元と隆太はヤクザの男2人に食ってかかるもゲンは逆に2人に激しい暴行を受け、隆太はゲンを助けようと、以前に陸軍の武装解除で集積場にて廃棄処理前にくすねた拳銃で2人を殺害した。警察に捕まりそうになった隆太は別のヤクザに助けられ、ヤクザの子分(鉄砲玉)として仕立て上げられる事になる。ヤクザの道に入る決意をした隆太は、迷惑をかけないよう元たちの前から姿を消した。
栄養失調に苦しんでいた友子は、ゲンの友人の雨森頑吉(あまもり がんきち、通称・クソ森)の住む集落で暮らす、原爆で孫を失った男とその仲間達に連れ去られた。男たちは友子を「お姫さま」と慕い、孤独な自分たちの心の支えとしていた。ゲンは友子を奪い返そうと男たちと押し問答となる。その時、友子の原爆症が併発し、病院で診てもらうが、手遅れと宣告される。ゲンは治療費の10万円を稼ごうと、雨森と共に近所の原爆症で亡くなった人々の家を訪ねて、お経を唱えるアルバイトを始める。しかし目標の金額には達しなかった。そんな中、原爆投下前に中岡家の近所に住んでいた朝鮮人の朴(ぼく)が、被災後以来、偶然に再会し、戦中、中岡家から受けた恩義(大吉が朴を差別しなかった)から躊躇せず10万円と缶のミルクを渡した。朴が持っていた大金とミルクは闇市で得た物だった。家に帰ったゲンは、昭から友子の死を告げられる。ゲンは死を受け入れることができず、友子にミルクを飲ませようとする。しかしミルクは友子の口元からあふれ出し、友子の死を認めざるを得なくなる。友子の火葬の際、ゲンは死んだ友子のために、お経を唱えて友子を天国へ送り出した。友子の死後、丸ハゲだったゲンの頭にも毛が生えはじめ(友子の看病に躍起で頭髪が生え始めていた事に気が付いていなかった)、家の焼け跡に植えた麦も芽を出しはじめ、改めて父の言葉を思い出し、妹の死という失望の淵から生きる希望へ繋がって行く。
[編集] 第二部
その後、ゲンは別れた隆太と再会する。ヤクザの岡内組の鉄砲玉として働いていた隆太には、かつての仲間だったムスビ、ドングリと、勝子(かつこ)が一緒にいた。ヤクザの幹部を夢見ていた隆太だったが、ドングリの死をきっかけにヤクザの世界から足抜けし、絶縁をした。その頃知り合った老人、平山松吉と共に新しい生活を始め、松吉は孤児たちの父親代わりになる。
そんな折、君江の体も原爆症に蝕まれる。浩二は君江を助ける為、福岡県の炭鉱に出稼ぎに行ったが、浩二は働いて得た金で酒びたりとなり、仕送りが全く出来ていなかった。入院させようにも金がなく、どこの病院も断られてしまう。状況打開のため隆太はヤクザの賭場荒らしをして大金を手に入れ、君江は入院することができた。しかし胴元である打山組の組長は激怒、隆太を殺すべく広島市内に包囲網を敷く。逃げ道がないと知ったゲンは君江と共に警察へ行くよう説得して隆太は自首した。
1948年、原爆投下直後に米を貰いに行った際に出会った、英子そっくりの女性・大原夏江(おおはら なつえ)に再会する。夏江は何度も死を考えていたが、ゲンの発奮により、勝子と洋裁店を開くという夢を持つようになる。そんな折、松吉が原爆症で死の床に倒れ、感化院から脱走してきた隆太に看取られながらこの世を去る。隆太は共に脱獄したノロの自分を感化院に入れさせた叔父へ対する復讐に協力し、叔父に奪われた財産を取り返す事に成功する。 ゲンたちは松吉の遺作『夏のおわり』を配っている所を米兵に連行され、基地で日系アメリカ人少尉に取り調べられ、ここでゲンは初めてアメリカ人に原爆投下の怒りをぶつけたが、少尉は真珠湾攻撃の事を持ち出し正当化するだけであった。 一方、君江は退院したが、胃癌で、家族には4ヶ月の命と宣告されていた。ゲンは、君江の思い出の場所、京都へ旅行させるため、肥え汲みをして金を稼ぐ。京都旅行ができる金額に達した頃、浩二が九州から帰ってくるが、無為に日々を過ごしていた浩二は家に入りづらく、ゲンは自分が稼いだ金を浩二が稼いだものということにして、京都旅行に出発する。しかし容態が急変し、君江は元たちに看取られながら死亡した。火葬の際、君江の遺骨はほとんど残らなかった。ゲンは隆太と、勝子とムスビ達が暮らす家に住む事になる。
浩二は婚約者と広島市内のアパートで暮らすことになり、昭は繊維問屋の商人になるために大阪へ旅立った。瓦礫の中から材料を集めて建てた家も、広島市の復興計画による道路拡張工事の為に、ゲンと隆太の必死の抵抗も空しく取り壊される。中学生になったゲンは、父・大吉の遺志を継ごうと絵付け職人になることを決意、画家の天野の教えを受けながらも看板屋の仕事を手伝うようになった。とは言え看板屋で働き始めたきっかけは、ゲンが納品間近の看板を壊してしまった弁償のためである。一方、隆太は設立されたばかりの広島カープの応援に熱中する。夏江は盲腸で入院した後体調が芳しくなく、手術しても原爆症による白血球の減少で傷口が塞がらなかった。死期を悟った夏江は生きる希望を失っていくが、ゲンに叱責され、隆太らに励まされる。しかし、それも束の間、夏江は直腸ガンと急性心臓マヒで亡くなる。
1953年、中学を卒業したゲンは、女学生の中尾光子(なかお みつこ)に一目惚れをする。しかしながら、光子は弁償のために働いた看板屋の社長、中尾重蔵の娘だった。ゲンは重蔵と犬猿の仲であったため、苦難を乗り越え元は光子との交際を始めるが、光子は原爆による急性白血病で死亡。これにより軍国主義者の重蔵は自分の愚かさを知り、平和主義者へと転向する。
ゲンの仲間の1人、ムスビは、洋裁店を開く為しっかり者として働いていたが、ふとした夜遊びがきっかけで麻薬中毒となってしまう[3]。麻薬中毒となったムスビは麻薬を買うために、申し訳無いと思いつつも皆で貯めたお金に手を出し、挙げ句使い果たしてしまう(当時薬局でも購入できた麻薬を、高値でヤクザから買う必要性があったか?という疑問符は付くが…)。お金が無くなっても麻薬を欲しがるムスビは、麻薬の売人であるバー「マドンナ」のマスターの自宅に侵入して麻薬を探しているところを見つかり、リンチに遭い死亡する。最後の友であるムスビを麻薬中毒にされて殺された事に激怒した隆太はバー「マドンナ」に乗り込み、首謀者であるマスターを射殺し、愛人である女給に重傷を負わせ、麻薬売買の胴元であるヤクザを2人射殺した。そして敵討ちを終えた隆太は自首する事を決意するが勝子により反対され、東京へと向かう貨物トラックで勝子と共に逃亡する。
ムスビの遺骨を自分の家の墓に納めたゲンは、その後、光子の父・重蔵や天野達に見送られ、未来に挑戦するために東京へ旅立つ。
その後作者は、ゲンが画家になるためにフランスに留学する次作を練っていたが、持病の糖尿病による白内障の悪化により、断念した。
[編集] 登場人物
詳細は「はだしのゲンの登場人物」を参照
[編集] 実写映画
『はだしのゲン』が初めて実写映像化された作品である。製作・脚本・監督は3作品とも現代ぷろだくしょんの代表であった山田典吾。原作に添った形で脚本が書かれているが、主要な登場人物を演じる俳優やスタッフが各作品ごとに大幅に入れ替わっており、シリーズ物としては共通性を欠いている。シリアスで真面目なシーンに突然意味不明なギャグやコメディが挿入されたり(ゲンと隆太が、政二の絵のモデルになった際、シェーのポーズを取る。3作目では、オープニングをミュージカル風にする等)、監督の遊び心が感じられる作品になっているが、これが非常に不真面目な表現として取られ、原作のファンや映画評論家から批判された。これに加え、隆太が大場と三次を射殺して逃走する場面の残酷さや犯罪性も問題となり、原爆投下や反戦をテーマとする映画でありながら、文部省選定映画になれなかったという逸話もある。またタモリや赤塚不二夫・公開当時人気があったクシャおじさん等、多くの著名人・話題を集めた人物がカメオ出演している事などでも評判になった。
[編集] はだしのゲン(1976年)
- スタッフ
- 製作:山田典吾
- 監督:山田典吾
- 脚本:山田典吾
- 撮影:安承王文
- 美術:育野重一
- 音楽:渋谷毅
- 出演
- 父・大吉:三國連太郎
- 母・君江:左幸子
- ゲン(元):佐藤健太
- 弟・進次:石松宏和
- 姉・美子(英子):岩原千寿子
- 長兄・浩二:小松陽太郎
- 次兄・昭三(昭):箕島雪弥
- 町内会長(鮫島伝次郎):曾我廼家一二三
- 朴さん:島田順司
- 岸先生:坂本新兵
- 大里先生:大関優子
- 広瀬先生:梅津栄
- 沼田先生:大泉滉
- 堀川(ガラス屋主人):牧伸二
[編集] はだしのゲン 涙の爆発(1977年)
- スタッフ
- 出演
[編集] はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい(1980年)
- スタッフ
- 出演
- ゲン(元):原田潤
- 母・君江:丘さとみ
- 隆太:林泰文
- 長兄・浩二:桜木健一
- 父・大吉:鈴木瑞穂
- 野村スミ子:風吹ジュン
- 大場:草野大悟
- 岡内組長:山本麟一
- 朴さん:財津一郎
- 中山少尉:にしきのあきら
- 熊井少尉:小野進也
- 民吉:東野英心
[編集] アニメ映画
本作を原作としたアニメ作品は1983年6月に「はだしのゲン」が、1986年6月に「はだしのゲン2」が公開され、1995年8月5日・6日には原爆投下50年にRCCテレビの昼間のローカル枠で原爆特別番組として「はだしのゲン」・「はだしのゲン2」が放送された(広島県向け)。2000年頃からはCS放送ファミリー劇場やキッズステーションで毎年のように「はだしのゲン」・「はだしのゲン2」が放送されている。製作はゲンプロダクション(アニメーション制作はマッドハウス)。
主人公の中岡元役はオーディションによって選ばれ、当時小学生(中岡元と同じ年齢)であった広島市出身の宮崎一成が演じた。宮崎は「はだしのゲン」では変声前の幼い声を生かして少年期の、「はだしのゲン2」では変声期中の声で思春期の中岡元役を好演し高い評価を得、また本作品への出演をきっかけに声優としての道を歩む事となる。また「はだしのゲン」、「はだしのゲン2」ともにダンディな声に定評がある城達也がナレーションを担当した。
原作者中沢啓治が、漫画や実写映画では描ききれない原爆の実情を表現したいとの意図で一部私財を投じて製作され、一般公開された際には大きな反響を呼んだ作品である。
「はだしのゲン」は汐文社単行本版第1 - 4巻(少年ジャンプ連載分)、「はだしのゲン2」は第5 - 7巻(母の死まで)を映像化しているが、ともに約90分という尺に収める為にエピソード・キャラクターの省略、設定の変更が多くなされている。特に「はだしのゲン2」はアニメオリジナルキャラが登場するなど原作からかなりストーリーが改変されている。また、原作に登場する悪役的な人物が全く出て来ない。
アニメ作品で描かれた原爆投下による表現描写は、1989年に公開された東映映画「黒い雨」(監督今村昌平)の原爆投下の惨状シーンの参考とされた。「はだしのゲン」、「はだしのゲン2」ともに、広島への原爆投下60年忌にあたる2005年8月6日にジェネオンエンタテインメントよりDVD化して発売された。アメリカでもDVDが発売されている。
[編集] スタッフ
- はだしのゲン
- 原作・脚本・製作:中沢啓治
- 監督:真崎守
- 作画監督・キャラクター設計:富沢和雄
- 美術監督:男鹿和雄
- 色彩設計:西表美智代
- 撮影監督:石川欽一
- 編集;尾形治敏
- 音響監督:明田川進
- 音楽:羽田健太郎
- 主題歌:HARRY 「今すぐ愛がほしい」 エンディング:「どこから来てどこへ行くのか」
- プロデューサー:吉元尊則・岩瀬安輝
- 設定:丸山正雄
- はだしのゲン2
- 原作:中沢啓治
- 監督:平田敏夫
- 脚本:高屋敷英夫
- 設定:丸山正雄
- 作画監督・キャラクター設計:さかいあきお
- 美術監督:番野雅好
- 色彩設計:西表美智代
- 撮影監督:石川欽一
- 編集:尾形治敏
- 音響監督:明田川進
- 音楽:羽田健太郎
- プロデューサー:吉元尊則・岩瀬安輝・田辺昭太郎
[編集] キャスト
- アニメオリジナルキャラ。アニメ版の隆太は不良化していないため空いた原作隆太のポジションのキャラとして設定された。
- 勝子(はだしのゲン2):青山貴美
- 松吉(はだしのゲン2):北村弘一
[編集] テレビドラマ
2007年、フジテレビが『千の風になって ドラマスペシャル』の第3弾として企画・制作し、同年8月10日の「金曜プレステージ」と8月11日の「土曜プレミアム」に於いて2夜連続で放映された(テレビ大分では前編は同時ネットで放送されたが、後編は編成の都合上、11日深夜(12日未明)0:55(3時間55分遅れ)から放送された。またテレビ宮崎でも前編は編成の都合上、11日午後13:00 - 14:52に放送し、後編は同時ネットで放送された)。『はだしのゲン』のテレビドラマ化は本作品が初めてである。
原爆投下前の広島市街地を広島県福山市と佐賀県武雄市にオープンセットを作って撮影が行われた。また、茨城県高萩市の工場跡地にオープンセットを建て、原爆投下後に廃墟となった広島市街地を再現した。また、浩二が海軍に出征する時の蒸気機関車のシーンは静岡県の大井川鐵道で行われた。駅舎全景はJR九州鹿児島本線門司港駅を使用。原爆爆発直後の爆風による破壊シーンはCGで表現されている。
物語は浩二の帰還までのストーリーをベースに、エピソードの大幅な整理をしつつ原作の流れにほぼ忠実に展開されたが、時間の都合により次兄の昭や隆太軍団などの一部登場人物の省略や、中岡英子の描写など中沢の自叙伝からの一部引用が行われた。原爆投下時の惨状は原作者からアニメ映画版のように凄惨な表現にして欲しい旨の希望があったが、全国放送でのゴールデンタイムでの放送のため、全年齢の視聴者が鑑賞出来るように配慮され、目を背けない程度の描写に留める形で製作された。
また冒頭とラストには現代の広島平和記念公園を舞台に老年の中岡元が登場し、本作品では老齢になった中岡元が、自らの過去を回想する形で物語が進行していく様に表現がなされている。(老年期の中岡元が登場するのは原作・映画・アニメを含めて本作品が最初)
視聴率は関東地域で前半18.2%、後半20.5%を記録した。2008年1月25日にDVDが発売された。
[編集] キャスト
- 警察署長:矢島健一
- ウメ:中島ひろ子
- 浜田警察官:市川勇
- 佐伯司令官:升毅
- 田中校長:鶴田忍
- 沼田先生:大河内浩
- 菊代:さくら
- 医師:小林すすむ
- 豪邸の主人:ト字たかお
- 特高刑事:田中要次
- 林辰夫:山下タクロー
- 林竹子:松浦寿來
- 吉田政二:成宮寛貴(友情出演)
- 林清子:りょう
- 倉田伸介:村田雄浩
- 矢部医師:平田満
- 吉田英造:佐藤B作
- 吉田花子(英造の妻):深浦加奈子
- 林セツ:左時枝
- 耕作:杉本哲太
- 朴永甫:勝村政信※原作と異なり、朝鮮語読みの「パク」と変更され、『永甫』という名前が付けられた。
- 鮫島伝次郎(町内会長):小野武彦
- 中岡元(現代)/ナレーション:山本學
[編集] 主題歌
[編集] スタッフ
- 原作:中沢啓治
- 脚本:君塚良一
- 音楽:佐藤直紀
- 編成:立松嗣章
- 協力プロデューサー:高井一郎(フジテレビ)
- プロデューサー:増本淳(フジテレビ)・小椋久雄(共同テレビ)
- 演出:西浦正記(FCC)・村上正典(共同テレビ)
- 特殊メイクコーディネイト:原口智生
- 造型コーディネイト:若狭新一
- ロケ協力:広島フィルムコミッション、佐賀県フィルムコミッション、いばらきフィルムコミッション、香川フィルムコミッション、武雄市、みろくの里、常総市、高萩市、石岡市、三豊市、丸亀市観光協会、AP&PP高萩事業所、テレビ新広島、サガテレビほか
- 技術協力:ビデオスタッフ、バスク
- 美術協力:フジアール
- 照明協力:東新、AND FILM STUDIO
- スタジオ:渋谷ビデオスタジオ、日活撮影所、府中多摩スタジオ
- 制作協力:共同テレビ
- 制作:フジテレビドラマ制作センター
[編集] 視聴率
| 放送日 | 放送時間 | 視聴率 | |
|---|---|---|---|
| 前編 | 2007年8月10日 | 21:00 - 22:52(JST) | 18.2% |
| 後編 | 2007年8月11日 | 21:00 - 23:10(JST) | 20.5% |
| 平均視聴率19.3% 視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ | |||
[編集] 作品に対する評価
- 「概要」に記した経緯の通り、1980年代から多くの図書館に置かれた漫画であり、少年少女に幅広く読まれている。小学校や中学校の図書室にもよく置いてあり、今日では原爆の重要な参考書としての側面を持つ稀有な作品ととらえられている。また、実際に起こった「原爆投下」という現実、戦争下における人々の心の動きや戦争の悲惨さを、作者の目というフィルターを通してはいるが生々しく描き(作者によれば、これでも原爆による被害の表現は少年誌向けに抑えてあるという)、現代の子供達が知り得る事が難しいが、語り継がねばならない歴史の事実に触れることが出来る貴重な作品でもある。また、戦争漫画としてだけでなく、戦中戦後の風俗・社会情勢をよく捉えており、高く評価されている[4]。
- 時代考証については誤って表現されている箇所(原爆製造・実験時にアインシュタインが立ち会っているシーン[5]・原子爆弾『リトルボーイ』が落下傘を取り付けられて投下されるシーン[6]等)がしばしば見られる。なお、時代考証や表現の間違いに付いては作者も一部認めている。
- 政治的(左翼的)とも取れる作品のスタンスについて、呉智英は「稚拙な政治的言葉しか持ちえなくとも、それでも運命に抗う人々の軌跡」だとしている[7]。
- 昭和天皇の戦争責任を追及し、憎悪の対象としている点は特徴的である(昭和天皇の戦争責任)が、戦前からの世界情勢について語られる部分は皆無に等しく、やや盲目で抽象的な批判が多い。「原爆投下で天皇たちが自分も殺されるとふるえあがって降参した」というゲンの理解は明らかに事実に反する。
- 単行本の出版にも紆余曲折があり、当初の連載元である集英社からは、長い間単行本化されなかった。「週刊誌は1週間で店頭から消えるが、単行本化すれば後まで残る」として、後々の抗議を恐れたためという(『はだしのゲン自伝』作者の記述より)。『ジャンプ』連載にもかかわらず、ジャンプコミックス版がないのはそのためである(ただし1977年、一部が集英社文庫に収録された。また、2005年、コンビニ向けの「ジャンプリミックス」シリーズで単行本化された)。単行本は1975年、汐文社より発売された。他に市民社、翠楊社、ほるぷ出版、中央公論社(中央公論新社)版もある。2009年現在、汐文社版、中央公論新社版、集英社ジャンプリミックス版が発売中である。さらに中公版を元にした電子書籍版もある。ただし集英社版は『ジャンプ』連載時の内容のみで、汐文社版以外は一部の差別用語とされる単語を削除している。
- 全国各地の小学校・中学校では、夏休みの登校日などに平和学習教育時間が設けられているところもあるが、アニメ版「ゲン」はその時に鑑賞する原爆アニメの定番となっていた。特に、平和教育の盛んな広島市では、他機関からのフィルムのレンタルによる上映を含めると実に多くの小中学校でゲンが上映されていた。しかし、原爆投下時の熱線や爆風で老人や乳児を含む市民が犠牲となる描写が余りにも残虐であった為、トラウマになったという者も多く(そもそも児童にグロテスクな表現を見せる事が教育上良いものかと『R指定』も懸念されており、児童が「平和教育」自体に拒否感を持つに至った事例も報告されている)、そのためこのアニメを学校で強制的に鑑賞させる事に否定的な意見を持つ人も多い[8]。現在では描写がよりソフトな「トビウオのぼうやはびょうきです」などの方が好まれる傾向にある[9]。
- 中沢啓治本人は「はだしのゲンのアニメ映画を見たことでトラウマを植え付け、それによって原爆に対して嫌悪感を持ってくれればいい」という旨を語っている[10]ほか、自伝でも「泣き叫んだ子供達、ありがとう 君たちは原爆の本当の真実を知ってくれたのだ!」と語っており、原爆によるショックを受けることが原爆の悲惨さ、真実を知ることになるというスタンスである。
[編集] 翻訳
本作品が表現するテーマ性から世界各国でも高い評価を受けており、初期からボランティアの手によって多くの言語に翻訳されている。一説によれば、1977年から大学生のグループによって翻訳された英語版(英題:Barefoot Gen)は、全編が英訳された初の日本漫画である[11][12]。2005年現在、少なくとも英語版、フランス語版、ドイツ語版、イタリア語版、朝鮮語版、ロシア語版、スペイン語版、インドネシア語版、タイ語版、エスペラント版、ノルウェー語版が既に刊行されている。
一方、金沢市の浅妻南海江は外国人女性が日本語版を読み涙したのを見て、外国人にも理解できるならと翻訳を思い立ち、後に加わったら8人と共にボランティアで1995年からロシア語[12]、2000年から英語への翻訳を行い2004年に全巻の翻訳を完了し、2004年9月に第1巻が発行され2007年4月までに第4巻まで、2008年4月-2009年4月までに第8巻までが発行されている。英語版はページの開きが逆であり齣(コマ)の左右並び替え、台詞を横書き化、吹き出しの大きさ変更などを経て、第9巻、第10巻は2009年10月に発行される。これら全10巻を中沢はバラク・オバマ大統領に贈呈すること考えており「大統領の核兵器をなくそうとの意思が伝わってくる。これを読んで、争いのない地球にしてほしい」と期待感を表明した[13][14]。 中岡は常に「真珠湾を忘れるな」と原爆投下を正当化するアメリカに対して戦争と核兵器の恐ろしさを知ってほしいと述べていた。
しかし、アングラ文化、もしくは啓蒙書としての受容が主で、一般のManga読者にはあまり読まれていない。たとえば、韓国では日本の加害責任や天皇の戦争責任を問う漫画として、「ゲン」のイデオロギー的な面が強調されてKBSなどのマスメディアで取り上げられたが、一般の読者は少なく、韓国での出版部数は各巻4000冊程度であった[15]。
[編集] 出版
本作は複数の出版社から刊行されているが、現在入手可能なものを一例として挙げる。
- 中沢啓治『はだしのゲン』(全10巻)(汐文社,ISBN 4811304004)
- Barefoot Gen(vol.1-49 Last Gasp[16])(ISBN 0867194502 : ISBN 0867194510 : ISBN 0867194529)第4巻は現在絶版
- 中沢啓治『はだしのゲン』(全7巻,愛蔵版全3巻)(中央公論新社・中公文庫,1998年 - ,ISBN 4-12-203156-7他)
[編集] 参考文献
- 『「はだしのゲン」がいた風景―マンガ・戦争・記憶』梓出版社、2006年
[編集] 脚注
- ^ しかし、作中のエピソードには実際の体験と差異があるものもある。例えば原爆投下直後の父や姉、弟の死を中沢自身は直接には見ていない(後に実際に立ち会った母から聞かされている)ことや母の死に中沢は立ち会っていなかった(作中の戦後すぐの死去ではなく、終戦から20年後のことであり、中沢は当時東京にいた)ことなどである。
- ^ 2009年9月15日 読売新聞[1]
- ^ 1951年まで麻薬を取り締まる法律は無く、所持や使用は違法では無かった。薬局でも堂々と販売されていたため、中毒者も多かった。
- ^ 土俗的な描写の巧さについて、呉智英は中公文庫版第7巻の解説において、「作者の中沢啓治が自ら体験したか、間近で見聞きしたのだろう」と推測している。
- ^ これは誤って表現されたと考えるよりも、作者による意図的な描写(アインシュタインと原子爆弾とは深い関係があることを読者に気付いて、知ってもらうため)であるともとることができる。実際にはアインシュタイン自身は科学者のレオ・シラードの勧めによって原子力エネルギーの軍事利用の可能性に触れたアメリカ大統領宛ての手紙に科学者として署名したことは事実ではあるが、原爆の開発製造には一切関与してはおらず、原爆開発の実質的責任者はロバート・オッペンハイマーであった。作者自身はこの描写について、単純な間違いなのか、あるいは悪戯なのか、単に科学者のステレオタイプとしてアインシュタインのイメージを借用したのかは公表していない。アメリカ合衆国での翻訳出版では、誤解を招かない様出版社側が配慮したのかジョージ・ルーカス風の男に修正されている。
- ^ 原爆投下直前、原爆の威力を計測する為に落下傘に取り付けたラジオゾンデを投下しており、それを確認した被爆者が「原爆は落下傘に付けられて投下された」と誤認する証言が多く、原爆の被害を伝えた第一報でも「落下傘つき」という見出しで記事になっている(参照朝日新聞1945年8月8日付)。現在では、原爆(リトルボーイ)は落下傘を取り付けずに直接投下された事が資料等で判明している。状況から見て、作者がB29を視認した頃に投下されたラジオゾンデ付きの落下傘を原爆と誤認したのは当然あり得る誤解である。アニメ版『はだしのゲン』でもこの誤認シーンが使用されている。原爆詩人で有名な峠三吉も誤認に基づく詩を書いている。2007年8月に放送されたTVドラマ版の投下シーンでは史実に従い直接投下する描写になっている。なお、戦後の核実験では実際にパラシュートをつけて投下された例も存在する(史上最大の核爆弾『ツァーリ・ボンバ』参照)。
- ^ 中公文庫版第7巻の解説
- ^ 『「はだしのゲン」が居た風景』第六章p.196
- ^ 教育現場における「ゲン」の受容に関しては『「はだしのゲン」が居た風景』第五章に詳しい。
- ^ 「はだしのゲン」を図書館から取り戻せ!!著者・中沢啓治インタビュー - クイックジャパンVol.12に掲載されたインタビューにて語っている
- ^ The Comics Journal,#256(October 2003) p.51
- ^ い ろ "プロジェクト・ゲンの沿革、1976年". プロジェクト・ゲン. 2009-07-26 閲覧。
- ^ 読売新聞2009年7月26日13S版38面
- ^ "クローズアップ現代、マンガ家たちの“戦争”". NHK (2009-08-06). 2009-08-09 閲覧。
- ^ 『「はだしのゲン」が居た風景』第7章
- ^ Last Gasp Books - Keiji Nakazawa
[編集] 外部リンク
- はだしのゲン専門書店・はだゲンBookStore
- フジテレビ「千の風になってドラマスペシャル はだしのゲン」
- 1995 GEN PRODUCTION 熱狂的なファンによるサイト。悪ふざけに寛容な中沢啓治本人の許可を得ている。
- プロジェクト・ゲン各言語版への翻訳出版グループ
最終更新 2009年11月11日 (水) 14:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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