ものまね王座決定戦

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ものまね王座決定戦』(ものまねおうざけっていせん)は、フジテレビ1973年から2000年までにかけて放送されていたものまねバラエティお笑い特別番組。主に火曜ワイドスペシャル枠で放送された。

姉妹番組である『発表!日本ものまね大賞』と『あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101』についてもこの項目で述べる。

目次

[編集] 歴史

[編集] 『ものまねブーム』まで

1973年、「火曜ワイドスペシャル」として、「第1回オールスターものまね王座決定戦」としてスタート。開始当初から非常に高い視聴率を記録し、スペシャル番組として定着した。後に、笑いに特化した内容の番組が1985年7月2日「第1回爆笑!スターものまね王座決定戦」としてリニューアルする。

番組初期は当時の売れっ子アイドル歌手や演歌歌手らの余興的色彩があったが1987年に後のブームを構築する木村忠寛がプロデューサーに就任。1987年3月放送の「第2回爆笑!スター」から司会にあのねのねから所ジョージ榊原郁恵が就任(1988年4月の「第20回オールスター」から田代まさしも加わる)し、審査員に淡谷のり子を加えてからは、いわゆるものまね四天王を前面に出す番組作りに衣替え。ダチョウ倶楽部ピンクの電話のような、ものまねよりも単なる一発芸やカラオケに終始したネタも頻繁化され、1990年代に『ものまねブーム』を巻きおこした。

1987年 - 1998年までは年に3回(オールスターものまねが秋、爆笑!スターものまねが春と11月頃に放送)この2番組が並行して行われていたが、1997年から11月頃に放送される分はグランドチャンピオン戦になった(これに関しては、トーナメントではなく、グランドチャンピオン獲得者を審査員長が口頭で結果発表を行う)。

1989年に入ると春の改編期に「爆笑!スター」、秋の改編期に「オールスター」を放送するようになり、この年の10月に放送された第21回以降の「オールスター」から3ブロック制に変更され、翌1990年4月にも第7回以降、春の改編期に放送する「爆笑!スター」も3ブロック制に変更された。

[編集] 王座番組の陥落・終焉

しかし、木村プロデューサーと番組の顔であったコロッケの対立が発端になり、コロッケは1992年3月31日放送分の第11回を最後に降板。コロッケを含め、司会者だった研ナオコや常連出演者であった岩本恭生、ものまね女四天王の一員であった篠塚満由美らが、1994年12月に日本テレビでスタートした「ものまねバトル大賞」に移動する事件が起きる。

一方で当時番組のメイン司会者格の榊原郁恵や1980年代後半から長年出演中の松居直美など、なんとか無事にフジテレビに生き残れた出演者も多かったが、上記の事件が大きく響き、ものまねブームは沈静化する。四天王の一員だったビジーフォーが降板し、視聴率も「ものまねバトル」に奪われ番組は衰退化してしまう。1999年以降は1回減らした年2回の編成となり、同時に木村プロデューサーが降板する。番組の司会の顔であった榊原郁恵も2000年4月7日放送で降板、同時に司会者全員の赤い背広や、第1回からの最高100点得点式採点方式もこの回で終了した(末期には視聴者から、審査が不公平等のクレームも多かった)。

2000年10月3日放送の第32回でテコ入れをしてリニューアル(この回は司会に今田耕司東野幸治篠原ともえ。基本的に生バンドであった演奏も事前収録の効果音に変わった。これ以降ネタの伴奏は生バンドによる事前収録となる)するが、視聴率が「王座」最低の13%となり、さらに「ものまねバトル」に敗戦したことを受けて、この回を最後に王座は打ち切られる。

司会陣も所・田代は1990年12月の「第8回爆笑!スター」で降板し、1991年4月の「第9回爆笑!スター」からは研ナオコ(1994年11月の「第16回爆笑!スター」まで)に交代。しばらくすると井上順(1995年4月の「爆笑!スター」から)、松本伊代(1996年4月「第19回爆笑!スター」から)など司会者が目まぐるしく変わることもあった。 司会者の人数も3人から、1996年4月の「第19回爆笑!スター」からは4人に、1998年10月の「第30回オールスター」には5人までに増えた(1998年11月の「グランドチャンピオン大会」と2000年4月の「第25回爆笑!スター」は4人に戻る)。

トーナメント制も、1997年10月の「第29回オールスター」から2000年4月の「第25回爆笑!スター」まで、春・秋の改編期の「爆笑!スター」「オールスター」が4ブロック32組となる。複数名のユニットも作られるようになり、最大で50人を超えたこともあった。

番組のセットに関しては、中央が従来のトーナメント表を表したセットだったが、周りが電飾中心のセットになり、出演者席も中央のトーナメント表の所から両側に座ることになった。また、トーナメント表もコンピュータ処理になり、表示されたが1999年10月 - 2000年4月の回はなかった。審査員席の後ろも1997年10月からは観客に埋められ、1998年4月 - 1999年4月はものまねのターゲットとなった出演者とグラビアアイドルに埋められたが、1999年10月 - 2000年4月の回は周りが花に埋められた。

[編集] 王座打ち切り後

2001年に、それまで1963年より年末年始に行われていた「爆笑ものまね紅白歌合戦スペシャル」に吸収合併。完全リニューアルを行った結果、視聴率の巻き返しに成功。その後「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」に改題してパワーアップを図り、さらに吉本興業のタレントが多く出演するようになる。視聴率でも「ものまねバトル」を再び抜いて安泰となり、現在に至る(「ものまねバトル」は2009年1月4日で打ち切りとなった)。しかし王座時代に比べてテロップの乱発が著しくなっているのも特徴。

一方で、かつての「ものまね王座決定戦」の映像をまとめたビデオソフトが、2008年12月17日DVD BOXとして発売された(ポニーキャニオン 本編540分・3枚組)。DVDではエンディングトークとして、歴代司会者の榊原郁恵、松本伊代、ガタルカナル・タカ、清水國明が近況や当時の思い出などを語っている。また、タイトルコールもこの4人によって行われている。

[編集] 組み合わせ抽選

  • 最初は出場者のマネージャーが組み合わせ抽選を行い、終了後、本人に対戦相手を継げた。
  • 1998年の「グランドチャンピオン大会」と2000年放送回の2回は番組のオープニングに出場者(2人以上のユニットは代表者)が抽選し決定する。
    • 1998年の「グランドチャンピオン大会」では、左から順に「A-1」から「B-8」までのカードが入った封筒をめくり発表したが、2000年放送回の2回はくじ引き形式で発表し即時に対戦相手がわかる様になった。

[編集] ルール・審査方法

トーナメント方式で競うルールである(決勝戦は当初は2人だったが、後に3人になる)。初期は、審査員が5人であり、審査員長が口頭で発表する形式で、例えば「3対2で○○の勝ち」といった審査方法だった。1979年4月10日放送回からは、6人の審査員が1人10点、合計60点満点で勝敗を競う形式に、1980年10月28日放送回から2000年4月7日放送までは、10人の審査員が1人持ち点10点、合計100点満点で勝敗を決める形式だった。審査員席のスイッチは6点 - 10点の5段階である。同点の場合はジャンケンで勝敗を決めていた。

[編集] 第32回(2000年10月3日放送)の審査方法

審査員に大江千里山田邦子石井和義高嶋ちさ子市田ひろみを迎える。トーナメント方式によるルールは従来通りであるが、決勝戦以外(一回戦から準決勝まで)は、1人3ポイントの持点(すなわち、審査員席のスイッチは3段階である)で、例えば、審査員1人2対1で得点を出し、その合計点(<例>8対7)で勝敗を決める。同点・引き分け・ジャンケンは一切ない(現在の「紅白」、「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」の形式)。決勝戦は、審査員が1人ずつ名前(プレート)を出し、支持の多い人がチャンピオンとなる。

この回は、日野美歌セリーヌ・ディオンのものまね)、すだちtoかぼす(ディフェンディングチャンピオン。KinKi Kidsのものまね)、松居直美(小泉今日子のものまね)が決勝進出となった。審査結果発表はまず、一斉に名前の入ったプレートを出すと、大江が日野を挙げ、山田と石井が松居を挙げ、高嶋と市田がすだちtoかぼすを挙げた。この時点で、大江が唯一挙げた日野のチャンピオンがなくなった。大江が改めて、松居かすだちtoかぼすを選んだ結果、松居を挙げて、松居がチャンピオンとなった。

この回の第32回オールスター・決勝戦で行った審査方法は、2008年に放送された「オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル」でも採用される。ただし異なる点として、前者では5人一斉に提示したが、後者では右から順に1人ずつ、司会者がコールをした後にプレートを提示する形だった。

[編集] チャンピオン決定後

決勝戦の審査結果発表でチャンピオンが決定し、くす玉が割れ(割れる場面をアップで写す)、大量の紙吹雪と風船を浴びる優勝者の表情を映し出した。中には、大号泣する優勝者(コロッケ、清水アキラ栗田貫一松本明子森口博子、松居直美、中島マリ、岩本恭生など)も多数いた(松居、松本、森口が決勝戦の結果発表の際は、3人が抱き合いながら大号泣していた)。

なお、初期のチャンピオンへの賞品はハワイ旅行だったが、第10回以降からは賞金100万円となり、後に200万円にアップしたが、2000年10月3日放送の第32回は再び100万円になった(賞金目録小切手をモデルにしたものだった)。ダチョウ倶楽部がチャンピオンになった回では、賞金を3等分できないとの理由で更に100万円を追加、都合賞金300万円となったこともある。そして、ゴールデントロフィーと花束が贈呈される。

また番組の収録が長時間に渡るため、収録終了後は近くの居酒屋などで飲み会が開催される。このお代は優勝者の賞金から支払われ、残金が優勝者の物になるのが通例であった。この模様はドキュメントで放送された。

[編集] チャンピオン達成者

太字は複数回のチャンピオン達成者。

初代チャンピオンである。
2000年10月3日放送の第32回で、ものまね王座決定戦としては最後のチャンピオン。
清水アキラと共に最多優勝回数を記録。
ラッツ&スター名義で出場した回を除く。
ジャンケンでの敗退が多く、初めてのチャンピオンはグランドチャンピオン大会で達成。ものまね四天王で優勝が最も遅かった。
  • 原田ゆかり
単独・橋本志穂とのペアとで各1回ずつ優勝している。
  • 篠塚満由美
  • 岩本恭生
  • 松本明子(2回)
  • 森口博子
  • 布施辰徳(2回)
1992年の第24回で初出場初優勝の記録を作る。
実力があるのにもかかわらず、万年1回戦落ちであった。しかし1994年の第15回で初の1回戦突破を果たし、そのまま初優勝。
優勝3回は、松居と共に女性としては最多。
原田ゆかりとペア出場の時に記録。この時の司会に、夫のガダルカナル・タカがいた。

[編集] 補足

テーマソングは「ザッツ・エンタテイメント」で、オープニングとエンディングおよび提供場面時に同曲が流れた。収録時間が長時間に及ぶことで有名で清水アキラ等出演者が「放送は2時間で収録は12時間、歌っているのは真夜中で終わった頃には日が昇る。」と替え歌するなどよくネタにしていた。

番組のバンドマスターを務めていた三原綱木が面白いネタが出ると、指揮そっちのけで肩を強張らせて笑いながら、タクトを振るのも毎回恒例であった。司会の研ナオコも清水アキラやコロッケなどのネタになると大爆笑し、ステージの片隅で座り込みながら爆笑し、演目終了後、所と田代に抱えられながらステージの中央に出てくるのも恒例であった。

番組の構成の傾向としてはものまね四天王は例外として木村のプロデューサー就任後は 歌唱力に審査のポイントが偏重しており最初から受け狙いありきの芸人には非常に厳しいものになっていた。 松村邦洋の点数がネタの出来に対し低すぎると明石家さんま明石家マンション物語で 指摘したことがある。

[編集] 主な司会者

  • 榊原郁恵(1987年 - 2000年)
1985年頃から審査員を担当した後、歴代司会者の中でもっとも長く司会を担当していた(13年)。現在の「ものまね紅白」では審査員として出演していた。
さんまと研は出場者としての経験もあり、二人でコンビを組んで出場したこともある。
研は、1995年からは日本テレビものまね番組の司会となる。
みのはあのねのねとは異なり、曲フォローと得点を公表する位置だった。
  • 所ジョージ(1987年 - 1990年)
  • 田代まさし(1988年 - 1990年)
  • 井上順(1980年代、1995年 - 1998年)
  • 東ちづる(1996年)
  • (1996年 - 1997年)
  • 松本伊代(1996年 - 2000年)
松本の夫であるタレントのヒロミは皮肉なことに、ライバル局の日本テレビのものまね番組の司会を担当した。

[編集] 主な審査員

[編集] 主な代表的な出演者

ものまね四天王
  • コロッケ(日本テレビのものまね番組へ移動)
  • 栗田貫一
  • 清水アキラ
  • ビジーフォー
ものまね女四天王
  • 松本明子
  • 森口博子
  • しのざき美知(初期)
  • 斉藤ルミ子(中期 - 末期)
  • 篠塚満由美(日本テレビのものまね番組へ移動)
ものまねお笑い四天王
その他の常連出場者

[編集] 発表!日本ものまね大賞

番組に応募した素人の出演者が物真似を披露する『発表!日本ものまね大賞』も年一回程度放送された。司会者や審査員、生バンドスタイルもそのままであったが、司会者は赤い背広を着用せず、その代わりに金と銀の背広を着用した。

チャンピオン(この時もくす玉と紙吹雪と風船と紙テープがあった)は、プロの本選であるものまね王座決定戦に出場できる。栗田貫一、松村邦洋、中島マリ、布施辰徳、ジェニーいとうらがこの番組からデビューし、本選の常連となった。素人時代のコージー冨田はこの番組での優勝を機に本格的にプロ転向し、後に日本テレビ『ものまねバトル』でブレイク。素人時代の千秋(当時・藤本千秋)も出演したことがある(ネタは浅田美代子の「赤い風船」や山本リンダなど)。

出場者の中にはオンエアでカットされる人もおり、司会者もひくような出場者もいて、ものまねの発表中「弱ったな…」「バカヤロー」「金縛りになる○○(司会者)」とテロップを残していた。

名物素人として、以下が上げられる。

  • カメちゃん(亀田さん)
  • 眼鏡をかけた太った女性。誰がどう見ても全く似てない桜田淳子の真似を披露した。歌う時(主に「夏にご用心」)は体を少し低くして、左右に横歩きをする。全然似ていないのに、本人は至って真面目に堂々と披露するので、爆笑の嵐が起こった。司会者は「桜田淳子」「続きまして、桜田淳子」「次、桜田淳子」と言って桜田の真似を何回も催促し、本人もそれに答えて繰り返し同じ真似を披露した。終始一貫してこの桜田の真似しかしないのだが、爆笑の連続だった。
  • 駄洒落の名人:青木裕一
    本人は「人間ジュークボックス」と称していた。魚の名前等の一覧表を示し、審査員や司会者に、表に書かれた言葉を適当に選んで貰う。そして様々な歌の歌詞に、その言葉の駄洒落を当てはめて歌う。これを繰り返す。つまり駄洒落替え歌を歌うのである。特に司会のあのねのねは、毎回盛んに「クロッコダイルのおべんとばこに」のネタを振っていた。
    歌声や振りは誰の物真似でもなく、ただ普通に歌う。純粋に駄洒落替え歌を披露するだけで、全然物真似ではない。ゆえにネタ自体は、物真似番組である本番組の趣旨に完全に反する。しかし、余りの面白さと圧倒的な馬鹿馬鹿しさで爆笑の嵐が毎回起き、高く評価されて数多くの回に出場した。2001年以降は、『ものまね紅白歌合戦』にも出場した。ここでは、様々な映画の題名を想い付くままに審査員に言ってもらい、即興で駄洒落替え歌を歌った。
  • 佐藤文則(のちに、レイパー佐藤としてプロ転向)
    打ち上げ花火や「ゴジラが世界にやってきた」を始めとする声帯模写の技術は一級品だったが、「大人のサザエさん」、「大人のドラえもん」、「ロボコップの思春期編」など、あまりにお下劣系ものまねを連発したため、その印象が強い人物。ターミネーターミッション・インポッシブルなどの映画ネタも持つ。
  • 松本哲也(当時東京ディズニーランド職員)
    ディズニーランドのものまねで話題に。 カリブの海賊の船頭さん、エレクトリカルパレードなど。ほかには、柴田理恵ピーターの顔まねを披露。登場の度に「俵山栄子さんといとこです。」などのエピソードを披露していた。

[編集] あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101

あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101』とは『ものまね王座』のリクエストスペシャルで1991年3月5日 - 1997年3月4日まで毎年3月第1火曜日の『火曜ワイドスペシャル』にて放送された。本番組ではハガキでのリクエストやリクエストした方への逆電が行われた。

[編集] 放送日

  • 第1回 - 1991年3月5日
  • 第2回 - 1992年3月3日
  • 第3回 - 1993年3月2日
  • 第4回 - 1994年3月1日
  • 第5回 - 1994年12月13日(この回は異例の年末に放送)
  • 第6回 - 1996年2月20日(この回も3月ではなく、2月中旬に放送)
  • 最終回 - 1997年3月4日

[編集] 主な司会者

  • あのねのね(第1回 - 最終回)
  • 榊原郁恵(第1回 - 第5回、最終回)
  • 所ジョージ(第1回)
  • 研ナオコ(第2回 - 第5回)
  • 井上順(第6回 - 最終回)
  • 東ちづる(第6回)
  • 松本伊代(同上)
  • 翔(最終回)

[編集] スタッフ

歴代プロデューサー
  1. 井上信悟 … 1985年 - 1987年
  2. 木村忠寛 … 1987年 - 1999年 ものまね四天王ブームやその後のタレント流出を起こした。しかし、時代に合わせたかったらしく、1997年から司会者とものまね者がものまね前後のトーク時にはしゃべる際にテロップを入れるようにし、(「HEY!HEY!HEY!」と同じ文字)出演者の名前スーパーもそれまでの文字だけから、文字後ろに派手な背景がある現代風へ変えた。セットも現在のお台場社屋へ移転した1997年春より、それまで登場待ち出演者がセット後ろの見えるところに座っていたものを楽屋で待ってもらうようにし、普通のセットに変えた。
  3. 水口昌彦 … 1999年 - 2000年 事実上の最後の「王座」では、赤い背広を廃止し、司会者・採点方法を一新、後に紅白へ変えた。

[編集] ハプニング等

タイトルコール
  • 所ジョージが司会の時、オープニングのタイトルコールを間違え、オープニングを止めたことがある。また、「ご本人と一緒スペシャル」で榊原郁恵は「ご主人と」と言ってしまいオープニングを止めたこともあった。
木村プロデューサー
  • 木村プロデューサー時代、松村邦洋が木村に因縁を付けられ殴られることがあった。松村自身も木村のものまねができて、ネタ前のインタビューで木村との出来事を話したことがあった。後に木村の「上(スタジオの副調整室)にあがって来い!」という言葉が、吹き出しの形でテロップ挿入された。当時まだ若手だった松村及びその他若手出演者には、木村にそうとう恐れられていた。
  • 「発表!日本ものまね大賞」の常連出演者・松本哲也がネタを発表した後、吹き矢がネームプレートに当たって割れ、カンペに「松本上に来い!殺す!by木村」と書かれてあった。
  • こうして良くも悪くも木村の独裁体制で番組作りが行われていた事が、コロッケらとの確執を招いてしまい、結果的に番組自体の寿命を縮めてしまった。
鈴木その子乱入
  • 末期のダチョウ倶楽部のネタで、肥後が顔を真っ白に塗り鈴木その子のモノマネをし、かなり辛辣で批判的な歌詞のペッパー警部の替え歌を歌っていたが、その途中で本人が登場する。一般的な「ご本人登場」は事前に本人を交えた綿密なリハーサルをしている為、本番で登場時にものまねをしていた芸人が驚くのは「お約束」の演出であるが、この時は本当に出演者には一切知らされていないドッキリであった。しかしネタ終了後のインタビューでも、肥後は鈴木本人に対して批判的な芸風を崩さず一貫した。
審査員でのハプニング
  • あるときの収録中に淡谷のり子が椅子から落ちるハプニングがあり、出演者やスタッフ・観客が騒然となった。
間違えた!
  • ある回にたけし軍団が出場した時、採点時に司会の榊原郁恵がうっかり「ダチョウ倶楽部の点数は...」と言ってしまい、大爆笑となった。そのダチョウ倶楽部はウルトラマンの物まねをやった時、ある審査員に「ダッチョ倶楽部」と言われてしまい、ここでも大爆笑となった。
  • 1998年4月2日放送では、1回戦Bブロック・第4試合 松村邦洋達川光男のまね)とつぶやきシローT.M.Revolutionのまねで)の対戦では、両者のネタ紹介の後、ネタを披露してないのに、榊原郁恵が「松村さんの点数を…」と言ってしまい、お互い驚きスタジオは大爆笑の渦となった。
音程外し
  • 1984年10月9日放送では、明石家さんまが堺正章のまねで「さらば恋人」で1回目では出だしをつまずき、出演者陣全員大コケした。2回目では出だしはうまくいったが、2小節目でつまずき、大爆笑となった。そのため、さんまは同局「オレたちひょうきん族」において「ひょうきん懺悔室」に送り込まれ、大量の水をあびた。
編成でのハプニング
  • 2000年春の「爆笑!スター…」の放送が金曜日となったため、「金曜エンタテイメント」が22時からスタートとなった。理由としては、ネット28局が相当している火曜日・木曜日がナイター中継に当てられたためでもある。
二重出演
  • 2000年夏の「発表!日本ものまね大賞」で審査員に榊原郁恵が出演していたが、榊原は同時間帯の「いきなり!黄金伝説」(テレビ朝日)にも出演しており、事実上の二重出演をしてしまったことがある。

[編集] 関連番組

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月7日 (土) 15:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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