もんじゅ

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座標: 北緯35度44分24秒 東経135度59分16秒 / 北緯35.74度 東経135.98778度 / 35.74; 135.98778

高速増殖炉「もんじゅ」

もんじゅは、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の研究用の原子力発電所で、高速増殖炉の原型炉である。敦賀半島北端部西岸に位置する。

1991年から試運転を開始したが、1995年ナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止した。運転再開のための本体工事が2007年に完了し、現在、プラント確認試験を行っている。

目次

[編集] 所在地

もんじゅは敦賀市(緑色の部分)北西部の敦賀半島に位置する

所在地:福井県敦賀市白木2-1

[編集] 名称

「もんじゅ」の名は仏教文殊菩薩に由来し、同じ若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺本尊から来ているといわれる。

[編集] 歴史[1][2]

  • 1967年10月2日 動燃設立。
  • 1968年9月26日 高速増殖炉の実験炉「常陽」の後継として、原型炉の予備設計開始。
  • 1970年4月 建設候補地に、福井県敦賀市白木を選定。立地自治体の敦賀市の了承、福井県の内諾。地質等調査開始。
  • 1975年9月17日 原子力委員会によるチェックアンドレビュー開始。
  • 1976年2月20日 福井県及び敦賀市と安全協定を締結。
  • 1978年 環境審査開始。
  • 1980年 安全審査開始。
  • 1980年4月1日 原子炉産業4社(東芝、日立GEニュークリア・エナジー、富士電機システムズ三菱重工業)が出資して高速炉エンジニアリング株式会社(略称:FBEC)を資本金3億円で設立。
  • 1983年1月25日 建設準備工事に着手。
  • 1985年 正式着工。福井選出の自民党議員である熊谷太三郎が経営する熊谷組が建設を担当した。
  • 1990年7月20日 動燃アトムプラザ開館。
  • 1991年3月22日 ナトリウム現地受入れ(国内輸送)開始。
  • 1991年5月18日 機器据付け完了式典、試運転開始。
  • 1992年12月 性能試験開始。
  • 1994年4月5日午前10時01分 原子炉が初臨界達成。
  • 1995年8月29日 初発電達成。
  • 1995年12月8日 ナトリウム漏洩事故発生。
  • 1998年10月1日 動燃解組。核燃料サイクル開発機構発足。
  • 2005年3月3日 ナトリウム漏洩対策の準備工事を開始。
  • 2005年9月1日 ナトリウム漏洩対策の本体工事着手。
  • 2005年10月1日 (独)日本原子力研究開発機構発足。
  • 2007年5月23日 本体工事終了。
  • 2007年8月31日 運転再開に向けて、プラント確認試験の開始。
  • 2008年5月15日 高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送(1回目)
  • 2008年7月18日 高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送(2回目)

[編集] 仕様

  • 原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
  • 熱出力:71万4千kW(714MW)
  • 電気出力:28万kW(280MW)
  • 燃料の種類:MOX燃料
  • 燃料交換間隔:約6ヶ月
  • 燃料交換方式:単回転固定アーム方式
  • 熱効率:39%
  • 冷却材:金属ナトリウム
  • 原子炉入口冷却材温度:397
  • 原子炉出口冷却材温度:529
  • 燃料集合体:198本
  • 燃料増殖比:約120%(1.2)
  • 制御棒本数:19本
  • 原子炉格納容器:鋼製格納容器
  • 建設費: 約5,900億円(当初予算)事故後、動いていないが、掛かった総予算としては約1兆6000億円である。

[編集] 訴訟

[編集] 最高裁判決

もんじゅの原子炉設置許可について周辺住民32人が国(経済産業相)に許可処分の無効確認を求めた行政訴訟(1985年提訴)が争われてきたが、2005年5月30日に最高裁は「国の安全審査に見過ごせない過誤や欠落があったとは言えず、設置許可は違法ではない」との判決を下し、国の勝訴が確定した。

一方、もんじゅの建設・運転の差止を求めた民事訴訟も争われてきたが、2003年に原告自らが訴訟を取り下げた。

[編集] もんじゅ反対派の主張

[編集] 主張の概要

もんじゅは、高速増殖炉の原型炉であるが、冷却材に通常の原子力発電所で使われる水の代わりに金属ナトリウムを使い、発電タービンはやはり水蒸気作動となるため、2つの熱伝達部分をもっている。炉心の金属ナトリウムからタービン系統の水部分へは薄い蒸気発生器の壁を通じて熱伝達を行う。蒸気発生器の壁は薄いため、ピンホールが発生する可能性を完全には否定できないが、このために爆発するリスクがある。また、これら金属ナトリウムは融点は低いがそれ以下の室温になると固形化するため、ナトリウム管にはニクロム線を巻き付けることで保温している。これらは複雑なプラントであり、効率が低い。

日本が将来、核武装する為のものではないのかという疑念がある。普通の原子力発電のプルトニウム燃料はプルトニウム240などプルトニウム239以外の同位体の割合が高いために原子爆弾の材料とするのは難しいが、高速増殖炉のブランケット部にはプルトニウム239の比率が非常に高い「兵器級プルトニウム」が生産される。これまでに、239Pu同位体純度97.5%のプルトニウムを62kg生産している[3] 。このブランケット燃料は、茨城県東海村に建設中のリサイクル機器試験施設再処理して、プルトニウムを抽出する予定である。

  • プルトニウムを増殖させて主たる核燃料として使用する核燃料サイクルの一部であるため、高い建設費にも関わらず建設された。
  • 発電時には二酸化炭素を発生させないが、核燃料サイクルを全体では輸送などで二酸化炭素が発生する他、電力も消費される。したがって二酸化炭素が余剰に発生する。
  • もんじゅにおいては、1次系金属ナトリウムと熱交換した2次系金属ナトリウムが、蒸気発生器において3次系のと熱交換を行う。2次系と3次系を隔てているのは、熱伝達のための薄い熱交換器なので、ピンホール発生の可能性がある。ピンホールが発生すると、爆発して大事故になる可能性がある。実際、イギリスで事故が起きている。[4]

[編集] 反対派の主張に対する批判

  • 原子炉が核爆発を起こすことはないにもかかわらず、反対派の主張には原子炉が核爆発を起こすと解釈されかねない内容のものがあり不適切という主張がある。また研究段階にある高速増殖炉の経済性を実用炉と比較することについては異論がある。
  • 核燃料サイクルを動かすために消費される電力のために二酸化炭素が余剰に発生するかどうかは、その電力の由来が何であるかに依存する。その電力がすべて原子力発電によるものならば二酸化炭素の余剰発生はない。
  • 反対派の主張は核燃料サイクル自体を批判するに足るものではない。[要出典]

[編集] もんじゅ西村裁判

  • 1995年12月8日に発生したもんじゅのナトリウム漏洩火災事故について、事故現場の様子を撮影したビデオの公開を隠したことが発覚して、管理者である動燃科学技術庁の信用が失墜し情報隠蔽体質がマスコミで大きく取り上げられ、高速増殖炉による核燃料サイクルを推進してきた動燃は存亡の危機を迎えていた。
  • 1996年1月13日午前6時10分、当時ビデオ隠しの特命内部調査員に任命されマスコミの矢面に立たされていた動燃総務部次長西村氏の自殺死体(警察発表)が発見された。この自殺によりマスコミの追求は一気に終息し、動燃とその関係者は事件を収拾させることができた。
  • 西村氏の遺族は、西村氏の死が他殺によるものとして警察に告発した。しかし、十分な捜査もされずに、自殺として処理され、事件は隠蔽されてしまった。また死亡の経緯に掛かる資料のほとんどが遺族から隠されてしまったために、遺族自ら他殺を証明する手段もなくなってしまった。
  • そのため遺族は、「当時の状況の中で、雇用者である動燃が安全配慮義務を怠ったために西村氏が死亡した」として、動燃を相手に損害賠償請求の訴訟を行うことによって、死亡の経緯に掛かる資料を裁判の証拠として入手する努力を続けている。これが「もんじゅ西村裁判」である。
  • その結果、西村氏を警察発表の通りに自殺とするには多くの矛盾や疑問点があることが明らかになってきている。[5]
    • 警察発表では西村氏はホテルの8階からコンクリート床に飛び降りたことになっている。しかし、実際の遺体の損傷は極めて軽微であり、8階からの落下衝撃に相当する傷がない。
    • 死亡搬送された病院で午前6時50分に測定した深部体温が27℃であった。これに基づく死亡推定時刻は前日の22時から午前1時となり、午前0時45分のチェックイン後に3通の遺書を書いて午前5時ごろに飛び降りたとする警察発表と矛盾する。
    • 警察発表では、午前1時30分に動燃からホテルの西村氏宛てに5枚のFAXがあり、西村氏はこれを2時過ぎに受け取ったとされるが、その記録がない。
    • 午前4時ごろ、ホテルマンがホテル周辺を巡回して、死亡現場には異常がなかったことを確認している。
    • 西村氏の生前に最後に会った人物も、自殺死体を発見した人物も動燃職員である。
    • 死体検案書は作成されたが、解剖や写真撮影もないまま、自殺による飛び降りと記述されている。

[編集] ナトリウム漏洩火災事故

1995年、二次冷却系で温度計の設計ミスからナトリウム推定640kg±42kgが漏洩[6]し、火災となった。国際原子力事象評価尺度では最も低いレベル1であるが、対応の遅れや動燃による事故隠しが問題となった。

この事故以来、原子炉は休止状態が続き、稼動できなくなっている。

[編集] 経緯

1995年12月8日、「もんじゅ」では運転開始前の点検のために、出力上昇の試験をしていた。目標の熱出力43%を目指し、出力を徐々に上げていた。

19時47分に、二次冷却系配管室で配管のナトリウム温度計が「温度高」を示した。通常480℃のところ600℃の目盛りを振切っていて、実際何度になっているか判らないほど高温になった。引き続き同じ場所で、火災報知器が2箇所で、更にナトリウム漏洩を知らせる警報も発報した。運転員らが現場に駆けつけたところ、目視で「もやっている程度の煙」[7]を確認。ナトリウム火災の特徴だった。その後も火災警報の範囲は広がり、ついには階を超えて発報を始めた。

20時0分、火災警報機が14箇所発報した時点で、運転員らは異常時運転手順書「2次主冷却系のナトリウム漏洩」に従い原子炉停止を決断し、原子炉の出力を徐々に落とし始めた。原子炉を急激に停止させる「緊急停止」は炉に負担をかけるため、炉を保護する為に緩やかな出力降下を目指した。その後、非常に大きなベル音が連続して鳴動するため、運転操作の妨げになるとしてベルの停止操作を行った。そのため、別の火災報知器がさらに発報していることに気づくのが遅れた。

20時50分頃には運転員が現場で白煙の増加を確認した。21時20分、事故発生から1.5時間後、火災警報器が34箇所発報にも及んだ時点で、事態を重く見た運転員らが手動で原子炉を緊急停止させた。充満した白煙と高温により、防護服を着用しても現場に立ち入ることは困難で、被害状況は全くつかめなかった。しかし、原子炉停止後も火災報知器の発報は続き、最終的には66箇所に及んだ。

22時40分、二次冷却系Cループ配管内のナトリウムの抜き取り操作開始した(9日0時15分終了) 。23時13分、二次冷却系Cループ配管室、蒸気発生器室の換気空調系が停止。翌日午前2時に、事故現場に立ち入り、状況を確認したところ、高融点鋼鉄製の床が浸食され、さらにナトリウムが周囲にスプレー状に散布されている事がわかった(いわゆる「2時ビデオ」の撮影)。なお、漏洩した金属ナトリウムは二次冷却系で、放射能は帯びておらず、原子力発電所国際原子力事象評価尺度としては極めて軽微な被害ということになった。

[編集] 事故後の対応

事故後の会見はもんじゅのプレスセンターで行い、動燃は事故当時撮影した1分少々のビデオを公開した。しかし数日後、これが編集されたビデオであることが発覚し、マスコミに指摘を受けた動燃は編集前のビデオ[8][9][10]を渋々公開した。不適切な対応はこれに留まらず、さらに数日後、動燃側から更に事故発生直後の現場のビデオがあるとの発表があった。編集前のビデオを公開した記者会見に出席した当時の動燃総務部次長は会見の翌日(1996年1月13日)自殺し、この自殺の原因が虚偽の発表を強いられたためとする親族による訴訟の過程で動燃の隠蔽体質が指摘された[11]

[編集] 原因

事故後一ヶ月経った1996年1月8日未明に、前夜から行われていた漏洩箇所のX線撮影により、ナトリウム漏洩の明確な原因が明らかになった[6]

それまで最も有力だったのは、ナトリウムの温度を測定する熱電対温度計の収めてある「さや(ウェル)」と配管の接合部の破損であった。「さや」は、ナトリウムの流れる配管の中に棒状に突出しており、直径3.2mmの温度計を保護する役割を果たしていた。この「さや」は大変丈夫に作られており、ナトリウムの流速程度の機械的負荷で折損するとは考えにくかったため、破損箇所があるとするなら接合箇所だろうと考えられていた。

しかし、X線写真によれば問題の「さや」の先端は途中のくびれ部分から完全に折損しており、中の温度計は45°ほど折れ曲がった状態で管内にむき出しになっていた。日本原子力研究所が調べたところ、ナトリウムの継続的な流れにより「さや」に振動が発生。徐々に機械的強度が衰え、折損に至ったことがわかった。この温度計は、東芝が受注、石川島播磨重工業[要出典]が製作したもの。

さらに、火災報知器が広範囲で発報した理由として、ファン付き換気ダクトによって白煙の拡大を招いたことが明らかになった。直径60cmのナトリウム管路の下方に、直径90cmの換気ダクトがある。事故当時、換気ダクトのファンは作動したままになっていた。原子炉停止後ナトリウムの抜き取り作業が進み、ナトリウムの液位が下がった事でようやく自動停止した。

管路周辺にスプレー状にナトリウムが散布されていた事も予測できぬ事態であった。高速増殖炉では金属ナトリウムは加圧されていないため、スプレー状に散布されるほどは勢いよく噴出しない。しかも、問題の配管は全て保温材で覆われており、仮に管内が多少加圧されていても、スプレー状の飛散には至らないはずである。調査の結果、換気ダクトのファンに付着したナトリウムが遠心力で周囲に飛散していたことがわかった。

事故発生直後、運転員らはゆるやかな出力降下による原子炉停止を行っていたが、これは運転マニュアルに違反した対応だった。運転マニュアルには、火災警報が発報した場合は直ちに原子炉を「緊急停止」するように記載されていた。

[編集] 今後

2005年2月6日西川一誠・福井県知事は、それまで留保していた「もんじゅ」の改造工事を了承した。これにより、「もんじゅ」の再稼動にひとつ道が開かれた形になる。西川知事は、「これをもって運転再開を了承するものではない」としているが、反対派からは、当然の如く激しい非難が噴出している。

2005年9月27日フランスは日本に対し、もんじゅの共同利用を提案した。

2009年4月22日、運転再開を目指している「もんじゅ」でナトリウム漏れ検出器の取り付けミスなどのトラブルを多発していることに関して日本原子力研究開発機構は、経済産業省原子力安全・保安院小委員会に報告書を提出した。

[編集] MOX燃料の輸送

 もんじゅ高速増殖炉に使用されるMOX燃料は、プルトニウムを含む危険な核燃料である。、茨城県東海村にある日本原子力研究開発機構の東海研究開発センター核燃料サイクル工学研究所から出荷され、常磐自動車道首都高速道路東名高速道路名神高速道路北陸自動車道を経て、福井県敦賀市もんじゅまで、日立物流のトラックで輸送される。警備車両や警察車両が伴走するが、特別な交通規制はなく、一般の乗用車やトラックとともに高速で走行する[12]。輸送容器(MONJU-F型)は、9mからの落下衝撃に耐え、800℃30分の高温に耐えるものであるが、実際の高速道路での事故の衝撃やトンネル火災の温度はそれ以上になることが心配されている[13]

  • 1994年度:5回 :MOX燃料集合体 120体
  • 1993年度:4回 :MOX燃料集合体 85体
  • 1995年度:2回 :MOX燃料集合体 48体[14]
  • 2008年5月15日~16日:MOX燃料集合体 18体[15]
  • 2008年7月17日~18日:MOX燃料集合体 14体[16]
  • 2008年12月16日:MOX燃料集合体 6体[17]

[編集] アナウンサー泣かせ

フジテレビ系列『トリビアの泉』の「トリビアの種」で「アナウンサーが、最も発音しづらい単語は何?」という疑問にたいして、FNN系列のアナウンサーに、2004年と2006年に二度にわたりアンケートと取った結果、「こうそくぞうしょくろもんじゅ(高速増殖炉もんじゅ)」が2004年に堂々の1位ランクインした(2006年には9位)。

[編集] 記念切手

郵政省(現在の日本郵便)は1994年5月24日に『高速増殖原子炉「もんじゅ」臨界記念」と題する記念切手を発行している。

[編集] 関連項目

[編集] 関連文献

  1. ^ 動燃「高速増殖原型炉もんじゅ 設計・建設・試運転の軌跡
  2. ^ 動燃「『もんじゅ』建設のあゆみ
  3. ^ 槌田敦「日本核武装によるアジア核戦争の恐怖」、核開発に反対する物理研究者の会通信、第42号、2006年12月
  4. ^ 『高速増殖炉もんじゅ』―巨大核技術の夢と現実 小林圭二 七つ森書館刊
  5. ^”もんじゅ・西村裁判”にようこそ
  6. ^ 日本原子力研究開発機構高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏れ事故と原因究明のあらまし
  7. ^ 日本原子力研究開発機構「もんじゅ」事故と原因究明の現状
  8. ^ NPJ動画ニュース第3回「動燃が隠そうとしたもんじゅナトリウム漏れ直後のビデオ」。いわゆる「2時ビデオ」8分43秒。
  9. ^ NPJ動画ニュース第5-1回「動燃がカットしたもんじゅナトリウム漏れ事故の映像~いわゆる16時ビデオのオリジナルその1」5分
  10. ^ NPJ動画ニュース第5-2回「動燃がカットしたもんじゅナトリウム漏れ事故の映像~いわゆる16時ビデオのオリジナルその2」10分
  11. ^ 47news.jp. "動燃把握時期も虚偽発表か もんじゅ事故ビデオ隠し". 11 March 2009 閲覧。47news.jp. "うそ会見強要で自殺と提訴 動燃次長の遺族が賠償請求". 11 March 2009 閲覧。wikileaks.org. "The Monju nuclear reactor leak". 11 March 2009 閲覧。
  12. ^ JANJANNEWS 「危険な高速増殖炉「もんじゅ」への核燃料輸送再開 丑三つ時の関東~中部の人口稠密地帯を縦走」(2008年5月22日)
  13. ^ 原水禁もんじゅ核燃料輸送」2008年05月16日
  14. ^ 『動燃30年史』 5.5.3表 「常陽」「ふげん」「もんじゅ」燃料の年度別輸送実績
  15. ^ 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送について」(2008年5月16日)
  16. ^ 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送について」(2008年7月18日)
  17. ^ 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送について」(2008年12月16日)

[編集] リンク

最終更新 2009年11月17日 (火) 23:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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