アスタウンディング
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アスタウンディング(Astounding Stories、直訳すると「驚くべき物語」)とは、1930年にアメリカ合衆国で創刊されたサイエンス・フィクション雑誌。1930年代末にはその分野のリーダーとなり、最新のサイエンス・フィクションが生み出される場として認識されることが多かった。その後何回か雑誌名が変更され、1938年には Astounding Science-Fiction、1960年には Analog Science Fact & Fictionとなった。現在の誌名はアナログ(Analog Science Fiction and Fact)である。
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[編集] クレイトンの アスタウンディング (1930年 - 1933年)
アスタウンディング(Astounding Stories of Super-Science)は、Publisher's Fiscal Corporation (後の Clayton Magazines)が創刊した。創刊号は1930年1月で、編集長はハリー・ベイツ。このときのアスタウンディングはどう見てもパルプ雑誌であり、厚くて質の悪い紙に印刷された不気味な装丁で、単純な宇宙冒険ものが掲載されていた。一年後には誌名が Astounding Stories になる。クレイトンは1933年初めに廃業状態となり、1933年3月号が最後となった。
[編集] トレメイン時代 (1933年 - 1937年)
アスタウンディングはストリート&スミス社が買い取り、出版業界で13年のキャリアを持つF・オーリン・トレメインを編集長として1933年10月から新たに発行を始めた。トレメインは使い古された冒険ものよりも「異なった発想」(thought variant)と呼ばれる独創性と自由な発想を重視する方針をとった。また、ストリート&スミス社は伝統も販売力もある会社であり、原稿料も高かったため質の高い作品が集まり、1年でSF界をリードする立場になった。[1]その他、アスタウンディングは小説雑誌としては初めてノンフィクションを大きく扱った。それはチャールズ・フォート(超常現象研究家)の『見よ!』(Lo!)で、1934年の4月号から11月号まで連載された(1931年に単行本として出版されていたもの)。
1935年以降もジャック・ウィリアムスン、マレイ・ラインスター、レイモンド・Z・ガランなどの常連作家が質の高い作品を提供していたが、一方でトレメインが多忙であるため質の低い作品も掲載されていた。1937年にトレメインは出世によりアスタウンディングの編集を離れる。[2]
[編集] 全盛期 (1937年 - 1949年)
1937年10月号から、アスタウンディングはジョン・W・キャンベルが舵を取ることになった。キャンベルが編集長として腕を振るった1930年代末から1940年代はアスタウンディングの黄金時代と呼ばれ、それは「SFの黄金時代」とも同義であった。というのも、この時期にアスタウンディングに掲載された小説が単行本化された割合は、明らかに同時期の他の雑誌やアスタウンディングの他の時代よりも高かったのである。
1938年3月、キャンベルは誌名を Astounding Science-Fiction に変更した。彼は Science(科学)と Fiction(小説)の両方に同等の重点を置くことを重視していた。キャンベルはガジェットやアクションだけでは満足せず、作家たちに科学技術によって未来がどう変貌するかを真剣に考えることを要求した。そして、重要なことは、その変化が人類という種に与える影響である。この編集方針により、アスタウンディングは名実共にSF界のリーダーとなるのである。
1940年代のキャンベルの最も重要な業績は、若く無名の才能を数多く育てたことであろう。彼は送られてきた原稿を掲載しない場合でも、多量のアドバイスと激励を与えた。キャンベルが発掘した作家のなかには、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、A・E・ヴァン・ヴォークトがいる。
[編集] 転換期 (1950年 - 1959年)
キャンベルは1950年代もずっとアスタウンディングの編集に携わったが、雑誌のスタイルと評判はこの期間にやや変わった。その原因の一部はアスタウンディングが最良のSFを発表する唯一の媒体ではなくなったことである。サム・マーウィン・ジュニアが編集する『スリリング・ワンダー』は1940年代後半から質を向上させ、レイ・ブラッドベリをはじめ多くの作家が作品を寄せ、戦後生まれの『F&SF』や『ギャラクシー』といった競合誌が成長していった。それと共に、ペーパーバックで書き下ろし作品として発表される小説が増えていった。
第二の原因はキャンベルがサイオニクスや反重力といった疑似科学的なものに傾倒していったことにある。しかし、これは質が落ちたというよりも扱う内容の変化であり、真面目に理性的にそれらの話題を扱っていた。L・ロン・ハバードはダイアネティックスに関する論文を1950年5月号のアスタウンディングに発表し、読者の不評を買った[3]が、それは1952年のサイエントロジーに発展していった。
歴史的に重要な小説や記事は1950年代でもアスタウンディングに多く掲載されている。しばしばベストSF短編と言われるトム・ゴドウィンの「冷たい方程式」は1954年8月号に掲載された。この小説はかつてないほどの反響を巻き起こした。
[編集] アナログ(Analog)誌の誕生 (1960年 - 1971年)
キャンベルはアスタウンディング(驚くべき、仰天、etc.)という誌名が内容と比較して「キワモノ的」あるいは「子供っぽい」と感じるようになった。そこで1946年から表紙の Astounding という文字を小さくして、"SCIENCE FICTION"という文字を大きくした。しかし、それでも満足できず、1960年には雑誌名を「アナログ Analog」に変更したのである。表紙のロゴはAがまず描かれ、stoundingが徐々にフェードアウトしていき、代わりにnalogが浮き出てくるように約1年をかけて変化していった。書誌学者は誌名を ASF と略記することが多いが、これはどちらにも当てはまるようになっている。"and" という単語は時々擬似数学記号ともいうべきものに置き換えられた(水平右向きの矢印が逆U字型のものを貫いている形)。この記号はキャンベルが作ったもので「~に相似である (analogous to)」という意味だという。
[編集] ベン・ボーヴァのアナログ (1972年 - 1978年)
1971年のキャンベルの急死により、1972年1月号からベン・ボーヴァが編集長に就任した。1978年11月号までを担当した。彼は1973年から1978年まで5年間に渡ってヒューゴー賞最優秀編集者賞を獲得している(1973年に創設された賞)。
[編集] アナログ の現在
ボーヴァの後をスタンレー・シュミットが引き継ぎ、現在もシュミットが編集長を続けている。シュミットは1980年から2005年まで26回連続でヒューゴー賞最優秀編集者賞にノミネートされ続けているが、獲得したことはない。これもちょっとした記録である。
資金難という雑誌出版業界の経済状況のため、アナログ誌は無名の作家の作品を掲載し、それがきっかけで作家が育ったことがよくある。例えば、1970年代のオースン・スコット・カードの『エンダーのゲーム』や、1980年代のハリイ・タートルダヴの初期の作品などである。
アナログ誌は毎年、年間のベスト小説、記事、イラストを読者投票で決めている。この賞を受賞した作家がヒューゴー賞を受賞することが多い。
[編集] 歴代編集長
- ハリー・ベイツ, 1930年1月 - 1933年3月
- F・オーリン・トレメイン, 1933年10月 - 1937年10月
- ジョン・W・キャンベル, 1937年10月 - 1971年12月(同年死去)
- ベン・ボーヴァ, 1972年1月 - 1978年11月
- スタンレー・シュミット, 1978年12月から
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- マイク・アシュリー『SF雑誌の歴史』牧眞司訳 東京創元社 2004年
- アーサー・C・クラーク『楽園の日々 アーサー・C・クラークの回想』 山高昭訳 ハヤカワ文庫 ISBN 978-4-15-011669-9
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年9月2日 (水) 16:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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