アストラッド・ジルベルト
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| アストラッド・ジルベルト | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生 | 1940年3月29日 |
| 出身地 | |
| ジャンル | ボサノバ ジャズ ポピュラー音楽 |
| 活動期間 | 1964年 - 現在 |
| レーベル | Verve Universal |
| 共同作業者 | ジョアン・ジルベルト スタン・ゲッツ アントニオ・カルロス・ジョビン |
| 公式サイト | astrudgilberto.com |
アストラッド・ジルベルト (Bp:Astrud Gilberto、ブラポル語読みはアストルーヂ、1940年3月29日 - )は、ブラジル出身の、ボサノヴァ・ジャズ、ポピュラー音楽の歌手。
目次 |
[編集] 来歴
アストラッドは、バイーア州に、アストラッド・ワイナート(Astrud Winert)として、ブラジル人の母とドイツ人の父親の間に生まれ、リオ・デ・ジャネイロで育った。
アストラッドは1959年にジョアン・ジルベルトと結婚した。彼らは1963年にアメリカ合衆国に移住し、アルバム『ゲッツ/ジルベルト(Getz/Gilberto)』でジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビンと共演した。そのときまで彼女はプロの歌手として歌ったことはなかったが、彼女の歌声にプロデューサーのクリード・テイラーが目をつけ、彼女が英語で歌う「イパネマの娘」がレコーディングされ、これがアメリカを中心に大ヒットする。しかし、ジョアンとアストラッドは1960年代の半ばに離婚する。
「イパネマの娘」の大成功により、彼女は一躍ジャズスターとなり、その後すぐにソロ・デビューする。彼女はブラジルのボサノヴァと、アメリカのジャズ・スタンダードの架け橋的な役割を果たす。1970年代には、彼女自身が作曲した曲もレコーディングするようになる。
彼女はボサノヴァの代表的な歌手という、海外における一定の評価もある一面、ブラジル国内ではほとんど実績を残していない。このことから同国内における評価はあまり高くない。サンバ歌手で有名なベッチ・カルヴァーリョなどもその点を指摘したコメントを残している。
動物虐待や動物実験には批判的な姿勢を持っており、自らも反対運動に参画している。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- 「Getz Au-Go-Go」(Verve、1964年)共演:スタン・ゲッツ
- 「The Astrud Gilberto Album」(Verve、1965年)
- 「The Shadow of Your Smile」(Verve、1965年)
- 「Look to the Rainbow」(Verve、1966年)
- 「A Certain Smile, a Certain Sadness」(Verve、1967年)共演:ワルター・ワンダレイ
- 「Beach Samba」(Verve、1967年)
- 「Windy」(Verve、1968年)
- 「I Haven't Got Anything Better to Do」(Verve、1969年)
- 「September 17, 1969」(Verve、1969年)
- 「Gilberto Golden Japanese Album」(Verve、1969年)
- 「Astrud Gilberto Now」(Perception、1972年)
- 「That Girl from Ipanema」(Audio Fidelity、1977年)
- 「Live in New York」(Pony Canyon、1996年)
- 「Temperance」(Pony Canyon、1997年)
- 「Jungle」(Magya、2002年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- astrudgilberto.com - 公式ウェブサイト
最終更新 2009年9月23日 (水) 08:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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