アトランタ・ブレーブス
アトランタ・ブレーブスの最新ニュースをまとめて検索!
| アトランタ・ブレーブス Atlanta Braves |
|
| 創設: 1871年 | |
| 所属リーグ | |
| 歴代チーム名 | |
|
|
|
|
| 歴代本拠地 | |
|
|
| 収容人員: 50,091人 | |
|
|
| 永久欠番 | |
| 3, 21, 31, 35, 41, 42, 44 | |
| 獲得タイトル(獲得年) | |
| ワールドシリーズ優勝 (3回) | 1914 • 1957 • 1995 |
| リーグ優勝 (17回) | 1877 • 1878 • 1883 • 1891 1892 • 1893 • 1897 • 1898 1914 • 1948 • 1957 • 1958 1991 • 1992 • 1995 • 1996 1999 |
| 地区優勝 (16回) | 1969 • 1982 • 1991 • 1992 1993 • 1995 • 1996 • 1997 1998 • 1999 • 2000 • 2001 2002 • 2003 • 2004 • 2005 |
| ワイルドカード | なし |
| 球団組織 | |
| オーナー: ジョン・マローン | |
| GM: フランク・レン | |
| 監督: ボビー・コックス | |
アトランタ・ブレーブス(Atlanta Braves、略称:ATL)は、アメリカMLB、ナショナルリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はジョージア州アトランタにあるターナー・フィールド。1871年にボストン・レッドストッキングスという名で創設された、メジャー最古の球団。
日本語では「ブレーブズ」と表記されるべきだが、阪神タイガースや阪急ブレーブスと同様に、ブレーブスと清音で表記されることが多い。(なお、長音記号について「ブレイブズ」と書かないのは、「ベイスボール」と書かないのと同様。)
目次 |
[編集] 概要
シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
1871年にボストン・レッドストッキングスとして創立され、1876年のナショナルリーグ創設に参加したメジャー最古の球団である。創設当時加入した8チームのうち、現在でも残っているのはレッドストッキングス(現ブレーブス)とシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)のみ。1898年までに8度のリーグ優勝を遂げた。1912年、ボストン・ブレーブスにチーム名を変更。1914年にはワールドシリーズ初制覇を果たした。
その後、長い低迷期を経て、1948年に34年ぶりのリーグ優勝を果たす。1953年にミルウォーキーに移転すると、1957年にはハンク・アーロンを擁し、2度目のワールドチャンピオンに輝いた。
1966年にアトランタに移転し、再び長い低迷期に入るものの1991年に復活。ボビー・コックス監督のもと、グレッグ・マダックス、トム・グラビン、ジョン・スモルツの先発三本柱を中心に黄金時代を築く。1991年から2005年まで、実に14年連続(ストでシーズンが打ち切りとなった1994年を除く)の地区優勝を遂げる。しかしポストシーズンには弱く、同地区のフロリダ・マーリンズがこの間に1997年、2003年といずれもワイルドカードで出場し共にワールドシリーズ優勝に輝いたのとは対照的にリーグ優勝は1995年・1996年・1999年の3回、ワールドシリーズ優勝は1995年の1回のみであった。
ターナー・フィールドの項でも触れているが、かつては、ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS)がオーナー企業だった。1996年、TBSはアメリカ国内の巨大メディアグループであるタイム・ワーナーに買収された。地元ジョージア州を中心としたアメリカ南東部で高い人気を誇るとともに、TBSを中心とした主催試合の全国放送が多く(その代わり、TBSはブレーブス球団に対する放映権料とは別にMLBに対していわゆる「スーパーステーション税」を支払っていた)一般での認知度が高い、メジャーリーグで最も人気のある球団の1つである。ただし、TBSが2008年シーズンからMLBのレギュラーシーズン全国放送を行うため(メジャーリーグベースボール#テレビ放映権の項参照)、ブレーブス戦の放送はTBSが運営するアトランタの地上波局WPCH-TVに移行する。
2007年2月12日、タイム・ワーナーと同じくアメリカの巨大メディア企業であるリバティメディアとの間で、リバティメディアが保有するタイム・ワーナー株式とブレーブスを交換することで交渉が成立、同年5月16日に、オーナー会議でチーム譲渡が満場一致で承認された。評価額は4億5,000万ドル(約545億円)。
地元意識の強い国民性のため、「北のニューヨーク・ヤンキース、南のアトランタ・ブレーブス」とライバル視され語られることも多いが、「アメリカンリーグではヤンキース、ナショナルリーグではブレーブス」と両方を贔屓にするファンも数多くいる。
古き良きアメリカ南部の親しみやすさに都会的な洗練されたイメージを上手く掛け合わせたようなチームイメージで、商業的にも成功していたが近年では地区優勝はするが、ポストシーズンは勝てず、観客動員が減少傾向にありオーナー側の意向もあって年俸総額の圧縮に迫られている。
[編集] 球団の歴史
[編集] 球団創設
全米初のプロ野球チームであったシンシナティ・レッドストッキングスは、選手への報酬が負担となって1870年に解体されるが、当時の監督ハリー・ライトら数人の選手は、スポーツに理解のあったボストンの実業家アイバース・ホイットニー・アダムスの誘いでボストンに赴くことになる。1871年1月、アダムスの出資の元でボストンを本拠地としたボストン・レッドストッキングスが創設され、2か月後に創立された全米初のプロ野球リーグであるナショナル・アソシエーションに加盟した。初年度は3位に終わったが、翌1872年から1875年まで4連覇を果たした。なお、同リーグに加盟したチームは9チームあり、その中には現在も残るレッドストッキングス(現在のブレーブス)の他にシカゴ・ホワイトストッキングス(現在のシカゴ・カブス)もあった。
その後、1876年にナショナル・アソシエーションが解散され、新たにナショナル・リーグが創立されると、同リーグに加盟した。なお、同リーグには新たに創設し直されたシンシナティ・レッドストッキングスも加盟していたため、ボストン・レッドキャップスと呼ばれることもあった。初年度は4位だったが、翌1877年にはリーグ初優勝、翌1878年にもリーグ連覇を果たした。1883年にはボストン・ビーンイーターズと名前を替え、同年には3度目のリーグ優勝をしている。1890年、フランク・セレーが監督に就任し、1891年から1893年にかけてリーグ3連覇、1897年、1898年にリーグ2連覇を果たすなど、20世紀にはいるまでに8度のリーグ優勝を誇った。なお、ビーンイーターズは1871年から1914年まで、サウス・エンド・グラウンズを本拠地球場としていたが、3代に渡って球場が建て直されている。1894年5月15日には、子供の火遊びを端に発した大火災が発生、球場を含め多くの建物が全焼し、仮本拠地球場でのプレーを余儀なくされた。
1901年にアメリカン・リーグが創立されると、新たにボストンを本拠地とするボストン・アメリカンズ(現在のボストン・レッドソックス)が創設された。そしてアメリカンズから好待遇を約束されたため、ビーンイーターズの主力選手の大半がアメリカンズに移籍してしまう。チームを支えた選手の大半がいなくなったことで、ビーンイーターズは一気に低迷。1913年までに5度の100敗シーズン、1909年から1912年まで4年連続最下位を記録してしまう。その間にチーム名も替わり続け、1907年にボストン・ドゥーブス、1911年には1年限りでボストン・ラスラーズ、1912年からやっと現在に繋がるボストン・ブレーブスに定着することとなった。
[編集] ミラクル・ブレーブス
転機となったのは1913年、名将として知られていたジョージ・スターリングが監督に就任してからである。1913年に5位に浮上したブレーブスだが、翌1914年は開幕当初に4勝18敗と散々な成績で下位に低迷していた。7月4日の段階で26勝40敗となり、首位であるニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)との差は15ゲームと大きく開いていた(当時ジャイアンツは名将ジョン・マグローの下、ブレーブスに変わってナ・リーグで圧倒的強さを誇っていた)。しかし、ブレーブスはここから快進撃をみせる。その後、68勝19敗という驚異的な勝率で勝ち上がり、終わってみれば94勝59敗で、2位ジャイアンツに10.5ゲーム差という大差をつけてリーグ優勝を果たしたのだった。そして、初出場となったワールドシリーズでは、フィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)と対戦。アスレチックスは前年のワールドシリーズを制覇しており、アスレチックス有利という下馬評だったが、ワールドシリーズ初の4連勝でこれを下し、初のワールドチャンピオンに輝いた。この年のブレーブスの躍進は「ミラクル・ブレーブス」と呼ばれ、球史に名を残すこととなった。
なお、この年のワールドシリーズはレッドソックスの本拠地球場であるフェンウェイ・パークで行われている。これはブレーブス本拠地球場であるサウス・エンド・グラウンズがシリーズを開催するには小さすぎるということがあった。そのため、代替球場として同じボストンにあるフェンウェイ・パークが選ばれている。その後、ブレーブスのワールドシリーズ制覇に気をよくしたオーナーのジェームス・ガフニーによって、ブレーブスにも新球場であるブレーブス・フィールドが建設されることとなった。そのため、新球場が完成する1915年のシーズン途中まで、再びフェンウェイ・フィールドを間借りしている。
[編集] 長期低迷
1914年の躍進の後、ブレーブスは再びリーグ優勝から遠ざかることとなる。1936年までに1915年と1916年、1932年と1933年の4シーズンを除いて、勝率5割を切るシーズンが続いた。レッドソックスがボストンのみならず、全米でも屈指の人気を誇るチームに成長するのとは対照的にブレーブスの人気は次第に下降し、本拠地球場のブレーブス・フィールドでは観客減に悩まされた。1923年からエミル・フックスがオーナーとなり、1928年にはロジャース・ホーンスビーをチームに招いた。ホーンスビーは首位打者を獲得するなど、額面どおりの活躍を見せたが、チームは低迷したままだった。この年のオフにはホーンスビーをカブスに1対5プラス20万ドルという当時としては破格のトレードで放出し、1929年にはフックス自らが監督を務めたが、状況は全く改善されなかった。元判事のこの人物は、アマチュア野球で捕手をやっていた程度の経験しか無かった。選手たちは監督の命令を無視し、コーチのジョニー・エバースの指示を仰いだ。ある時などエバースが「カウント2ボール1ストライクですが、どうしますか?」と聞くと、「ホームランを打つように言え」と返事をした。 1935年にはニューヨーク・ヤンキースを退団したベーブ・ルースを獲得し、通算714号本塁打を記録したが、シーズン途中の6月限りで引退した。なお、この年には、38勝115敗でメジャーワースト3位となる勝率.248を記録するなど、チームはどん底の状態だった。
1935年のシーズン途中でにフックスはオーナーを辞任。1936年にはチーム名を一般公募し、ボストン・ビーズと名前を替え、本拠地球場もナショナル・リーグ・パークに改称された。1937年には久々に勝率5割に復帰するが、1939年からは再び負け越しのシーズンが続いた。5年後の1941年には再びブレーブスに名前を戻すこととなり、球場の名前も従来のブレーブス・フィールドとなった。第二次世界大戦が終わった1946年、名将として名高かったビリー・サウスワースが監督に就任した。この頃にはウォーレン・スパーン、ジョニー・セインという左右のエースが台頭し始めており、この年には81勝72敗でリーグ4位、翌1947年には86勝68敗でリーグ3位になるなど、チームはかすかに上昇の兆しを見せ始める。
[編集] スパーンとセイン
1948年にはスパーンとセインの2人で39勝という大車輪の活躍で、「Spahn and Sain and pray for rain.(スパーンとセインで勝ったら、あとは雨を祈れ)」という名文句が生まれるほどだった。そしてこの年、91勝62敗という成績で、24年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。ワールドシリーズではクリーブランド・インディアンズと対戦し、どちらのチームも久々のワールドシリーズ出場という顔合わせになったが、惜しくも2勝4敗でインディアンズに敗れた。その後はまたしても優勝とは縁がなくなり、久々のリーグ優勝で一時的に増加した観客数も激減する。1952年には観客数が28万人まで減少したところで、ミルウォーキーへの移転が決定し、慣れ親しんだボストンを離れることとなった。
[編集] 2度の移転
元々、野球熱は高かったが、メジャー球団がなかったミルウォーキーで、ブレーブスは熱烈な歓迎を受けた。移籍初年度の1953年、新球場であるカウンティ・スタジアムでは、182万人という当時のナ・リーグ史上最多となる観客動員を記録し、その勢いに乗ってチームもリーグ2位に浮上した。折りしも、この年にはエディ・マシューズが本塁打王を獲得し、翌1954年にはボストン時代にスカウトしたハンク・アーロンがメジャーデビューするなど、この2人を中心とした新たなスター選手の台頭も重なることとなった。1954年から4シーズン続けて観客数は200万人を超え、1957年には移転後初のリーグ優勝を果たした。ワールドシリーズではケーシー・ステンゲル率いるヤンキースとの激戦を制し、4勝3敗で43年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。翌1958年にもリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでは再度ヤンキースと対戦したが、今度は3勝4敗で惜しくも敗れることとなった。
1959年はロサンゼルス・ドジャースと同率首位に並び、3試合のプレーオフを行ったが、2連敗でリーグ3連覇を逃してしまった。1960年代に入ると徐々にチームは低迷し、それと共に客足も鈍くなった。その間にはスパーンが13度目の20勝、アーロンが本塁打王や打点王を獲得するなど、選手の活躍は相変わらずだったが、個人の成績とは裏腹にリーグ優勝には届かなかった。1965年には観客数が55万人まで落ち込むと、球場賃貸契約の終了と共に、チームはアトランタへの移転を決定した。
アトランタに移籍した初年度こそ、観客動員は153万人を記録するなど、まずまずの人気を誇った。しかし、チームの下位低迷が続くと、こちらでも徐々に人気は下落した。同年にはNFLのアトランタ・ファルコンズも誕生しており、こちらが絶大な人気を誇っていたのとは対照的だった。1969年、東西地区制となり、ブレーブスは西地区に在籍する。この年にはナックルボールで知られるフィル・ニークロ、44本塁打を記録したアーロンらの活躍で、初の地区優勝を果たした。しかしリーグ優勝決定シリーズでは、「ミラクル・メッツ」と呼ばれ、快進撃を続けていたニューヨーク・メッツにあっさりと3連敗し、リーグ優勝を逃している。
[編集] ハンク・アーロン
1970年代に入ると、チームの成績よりもアーロンの本塁打記録に注目が注がれることとなる。それまでコンスタントに本塁打を積み重ねていたアーロンだったが、1972年にウィリー・メイズの記録である660本を抜くと、俄然注目が集まるようになった。1973年には40本塁打を放ち、ルースの記録まで後一本と迫る713本でシーズンを終えると、記録が持ち越されることとなった翌年のシーズン前には異様なほどの熱気に包まれた。観客減に悩まされていたブレーブス首脳はアーロンが本拠地での記録達成を願い、敵地での開幕戦に出場させないことを検討したほどだった。そして、アーロンは1974年の開幕戦で本塁打を放ち、ルースの記録に並ぶと、同年4月8日に本拠地球場のアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムで新記録となる715号本塁打を放ち、全米が熱狂に包まれることとなった。
アーロンの記録達成後はこれといった話題もなく、チームの低迷と相まって人気はますます落ち込むこととなった。1976年にはターナー・ブロードキャスティング・システムがチームを買収。翌1976年のシーズン途中には、チームの低迷に業を煮やしたオーナーのテッド・ターナーが自ら監督を務め、1試合限りで退任させられる珍事もあった。1980年代に入ると、ニークロやデール・マーフィー、日本プロ野球のヤクルトスワローズにも在籍したボブ・ホーナーといった選手がチームを支えた。1982年にはジョー・トーリ監督の下、久々の地区優勝を果たすが、セントルイス・カージナルスに3連敗し、リーグ優勝はならなかった。その後、上記の選手も次々と退団し、1988年から1990年には3年連続地区最下位に沈むなど、まさに暗黒時代を迎えていた。
[編集] 黄金時代
1990年のシーズン途中、GMを務めていたボビー・コックスがGM兼任監督に就任する。コックスはベテランのマーフィーを放出すると、代わりに新人のデービッド・ジャスティスをレギュラーに定着させ、この年の新人王獲得の活躍を引き出す。1991年、コックスは監督専任となり、カージナルスから獲得したテリー・ペンドルトンが首位打者とMVPを獲得する活躍をみせ、投手陣でもトム・グラビンがサイ・ヤング賞を獲得、ジョン・スモルツ、スティーブ・エイブリーといった若手選手も台頭したことで、メジャー史上初となる前年最下位からの地区優勝を果たした。また、リーグ優勝決定シリーズでもピッツバーグ・パイレーツを下し、ブレーブスとしては33年ぶり、アトランタに移転して初のリーグ優勝を果たした。ワールドシリーズでは、これまた前年最下位だったミネソタ・ツインズと対戦し、史上初の前年最下位チーム同士のワールドシリーズとなった。このシリーズは球史に残る激戦となり、延長戦3試合、サヨナラ試合4試合という戦いの末、3勝4敗でブレーブスが敗れた。
翌1992年も地区優勝を果たし、再びパイレーツとの対戦となったリーグ優勝決定シリーズでも、激戦の末にこれを下した。しかし、トロント・ブルージェイズとの対戦となったワールドシリーズでは2勝4敗で敗れ、またしてもワールドシリーズ制覇はならなかった。1993年にはカブスからグレッグ・マダックスを獲得し、以後グラビン、スモルツと共にメジャー史上に残る先発三本柱を形成することとなった。マダックスは三本柱のリーダー格として、1992年から4年連続でサイ・ヤング賞を獲得している。この年には実質四本柱といえ、マダックスが20勝、グラビンが22勝、スモルツが15勝で、これに加えエイブリーが18勝を挙げた。また、打線もジャスティスが40本・120打点、ロン・ガントが36本・117打点、フレッド・マグリフが37本・101打点と強打を発揮し、まさに投打共に最強といえる布陣だった。シーズンではサンフランシスコ・ジャイアンツとの一騎打ちとなり、シーズン最終戦で地区優勝を決めた。
1994年、2地区制から3地区制となり、ブレーブスは東地区所属となった。しかし、この年はストライキの影響でシーズンが中断され、2位でシーズンを終えている。翌1995年は先発三本柱がフル稼働し、新人でもチッパー・ジョーンズが台頭したことで、2位のメッツに21ゲーム差をつける大差で地区優勝を果たした。リーグ優勝決定シリーズでは、コロラド・ロッキーズを3勝1敗で下すと、ワールドシリーズでは、こちらも圧倒的な強さで優勝したインディアンスを4勝2敗で破り、1957年以来となるワールドチャンピオンに輝いた。1996年は先発三本柱の中でもスモルツの活躍が大きく、24勝8敗・276奪三振でサイ・ヤング賞を獲得している。引き続きリーグ優勝も果たしたが、ワールドシリーズではヤンキースに2勝4敗で敗れている。
1997年には新球場のターナー・フィールドが開場。チームも当然のように地区優勝を果たすが、ワイルドカードを獲得したフロリダ・マーリンズに破れ、リーグ優勝はならなかった。そして翌1998年もリーグ優勝決定シリーズでサンディエゴ・パドレスに破れてしまう。2年連続でリーグ優勝を逃し、雪辱に燃える1999年にはワイルドカードを獲得したメッツを下し、3年ぶりのリーグ優勝を果たすものの、再びヤンキースとの対戦となったワールドシリーズでは手も足も出ず4連敗で敗れてしまった。
[編集] 新世紀
その後、2005年までに14年連続(1994年を除く)で地区優勝を遂げるが、2000年以降は6年連続でリーグ優勝を逃してしまった。2002年からスモルツがクローザーに転向(2005年から再び先発に復帰。2009年よりボストン・レッドソックスに移籍)、2003年にはグラビンがメッツに移籍(2008年にブレーブスに復帰)、2004年にはマダックスがカブスに移籍するなど、先発三本柱も過去のものとなった。2006年には地区3位となり、史上最長のポストシーズン進出記録は14年連続で途切れた。2007年もプレーオフまで後一歩と迫ったものの、去年同様に地区3位でシーズンを終えた。2008年にはチームは生え抜きのスター選手であるアンドリュー・ジョーンズをロサンゼルス・ドジャースに放出。チームの刷新を図るも、結果は72勝90敗と大きく負け越し、地区4位に終わった。この年にはチッパー・ジョーンズがシーズン中盤まで4割を超える高打率をマークし、シーズン4割超えの期待がかかったが、その後の故障の影響もあり最終的に打率.364と首位打者を獲得するに留まった。シーズンオフには川上憲伸、デレク・ロウ、ハビアー・バスケス、ギャレット・アンダーソンらを獲得している。
[編集] 主な選手
[編集] 現役選手
[編集] 殿堂入り選手
- ハンク・アーロン (Hank Aaron)
- アール・アベリル (Earl Averill)
- デイブ・バンクロフト (Dave Bancroft)
- ダン・ブローザース (Dan Brouthers)
- オーランド・セペダ (Orlando Cepeda)
- ジョン・クラークソン (John Clarkson)
- ジミー・コリンズ (Jimmy Collins)
- ヒュー・ダフィー (Hugh Duffy)
- ジョニー・エバース (Johnny Evers)
- バーレイ・グライムス (Burleigh Grimes)
- ビリー・ハミルトン (Billy Hamilton)
- ビリー・ハーマン (Billy Herman)
- ロジャース・ホーンスビー (Rogers Hornsby)
- ジョー・ケリー (Joe Kelley)
- キング・ケリー (King Kelly)
- アーニー・ロンバルディ (Ernie Lombardi)
- アル・ロペス (Al Lopez)
- ラビット・マランヴィル (Rabbit Maranville)
- ルーブ・マーカード (Rube Marquard)
- エディ・マシューズ (Eddie Mathews)
- トミー・マッカーシー (Tommy McCarthy)
- ビル・マケシュニー (Bill McKechnie)
- ジョー・メドウィック (Joe Medwick)
- キッド・ニコルス (Kid Nichols)
- フィル・ニークロ (Phil Niekro)
- ジム・オルーク (Jim O'Rourke)
- ゲイロード・ペリー (Gaylord Perry)
- チャールズ・ラドボーン (Charles Radbourn)
- ベーブ・ルース (Babe Ruth)
- レッド・ショーエンディーンスト (Red Schoendienst)
- アル・シモンズ (Al Simmons)
- ジョージ・シスラー (George Sisler)
- イーノス・スローター (Enos Slaughter)
- ウォーレン・スパーン (Warren Spahn)
- ケーシー・ステンゲル (Casey Stengel)
- ブルース・スーター (Bruce Sutter)
- エド・ウォルシュ (Ed Walsh)
- ロイド・ウェイナー (Lloyd Waner)
- ポール・ウェイナー (Paul Waner)
- ホイト・ウィルヘルム (Hoyt Wilhelm)
- ビック・ウィリス (Vic Willis)
- ジョージ・ライト (George Wright)
- ハリー・ライト (Harry Wright)
- サイ・ヤング (Cy Young)
[編集] 永久欠番
- 3 デール・マーフィー (Dale Murphy)
- 21 ウォーレン・スパーン (Warren Spahn)
- 31 グレッグ・マダックス (Greg Maddux)
- 35 フィル・ニークロ (Phil Niekro)
- 41 エディ・マシューズ (Eddie Mathews)
- 42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson)
- 44 ハンク・アーロン (Hank Aaron)
[編集] 傘下マイナーチーム
| クラス | チーム | 参加リーグ |
|---|---|---|
| AAA | リッチモンド・ブレーブス(Richmond Braves) | インターナショナルリーグ(International League) |
| AA | ミシシッピ・ブレーブス(Mississippi Braves) | サザンリーグ(Southern League) |
| A+ | マートルビーチ・ペリカンズ(Myrtle Beach Pelicans) | カロライナリーグ(Carolina League) |
| A | ローマ・ブレーブス(Rome Braves) | サウス・アトランティックリーグ(South Atlantic League) |
| Rookie+ | ダンビル・ブレーブス(Danville Braves) | アパラチアンリーグ(Appalachian League) |
| Rookie | ガルフ・コーストリーグ・ブレーブス(Gulf Coast League Braves) | ガルフ・コーストリーグ(Gulf Coast League) |
[編集] 外部リンク
- アトランタ・ブレーブス公式ウェブサイト
- チームの通算成績と情報 MLB, or ESPN, or Baseball-Reference , or The Baseball Cube
|
|||||||||||||||||
| ワールドシリーズチャンピオン ロースター | ||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||
最終更新 2009年10月29日 (木) 06:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【アトランタ・ブレーブス】変更履歴




