アドリアン・アドニス
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| アドリアン・アドニス | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | アドリアン・アドニス キース・フランクス |
| 本名 | キース・フランク |
| ニックネーム | ゴールデン・ボーイ 暴走狼 |
| 身長 | 185cm |
| 体重 | 127kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1953年9月15日 |
| 死亡日 | 1988年7月4日(満34歳没) |
| 出身地 | ニューヨーク州ニューヨークシティ |
| スポーツ歴 | レスリング アメリカンフットボール |
| トレーナー | フレッド・アトキンス |
| デビュー | 1975年 |
アドリアン・アドニス(Adrian Adonis)のリングネーム[1]で知られるキース・フランク(Keith Franke、1953年9月15日 - 1988年7月4日)は、1970年代から1980年代にかけて活躍したアメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州ニューヨークシティ出身。リングネームは、正確には「エイドリアン」と発音する。
目次 |
[編集] 来歴
かつてはアメリカンフットボールの選手として活躍していたが、1975年にジャイアント馬場やタイガー・ジェット・シンの師匠としても知られるフレッド・アトキンスに弟子入りしてプロレス入り。本名をもじったキース・フランクス(Keith Franks)を名乗り、金髪の若手ヒールとして売り出す。
若手時代は「賞金王」「ゴールデン・ボーイ」と呼ばれ、試合のたびに多額な賞金を賭けて戦い「俺を破った奴にはこの賞金をプレゼントしよう」と豪語していた。このスタイルで5年程戦ったが、遂に1回も賞金を取られることはなかった(負けたことはなかった)という。
1977年にはロサンゼルス地区でアメリカス・ヘビー級王座を獲得し、チャボ・ゲレロやザ・ハングマンらと抗争。ロディ・パイパーとのコンビでアメリカス・タッグ王座も奪取し、ミル・マスカラスやアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦して注目を浴びる。
1979年、アドリアン・アドニスの名前でAWAに参戦し、ジェシー・ベンチュラとタッグチーム『イースト・ウエスト・コネクション』(アドニスがニューヨーク=東海岸出身、ベンチュラが自称カリフォルニア=西海岸出身)を結成。このコンビで大ブレイクを果たし、1980年にはバーン・ガニアとマッドドッグ・バションのベテラン・コンビを破りAWA世界タッグ王座を獲得する。
1981年の後半にベンチュラと共にWWF(現・WWE)入り。2人ともヒールとしてフレッド・ブラッシーが共通のマネージャーを務めていたが、AWA時代のようなタッグチームではなく、それぞれシングル・プレイヤーとして売り出された。アドニスはボブ・バックランドのWWEタイトルに挑戦した他、インターコンチネンタル王者のペドロ・モラレスとも抗争した。
1982年にWWF経由で新日本プロレスに初来日し、以降も新日本の常連外国人としてIWGPリーグ戦などで活躍。ニューヨーク・ヤンキースの革ジャンが入場時のコスチュームだったため、日本ではアメリカの暴走族のイメージから暴走狼のニックネームが付けられた。1983年春の来日時は、1シリーズだけだがボブ・オートン・ジュニアとタッグを組む。オートンとのチームは「(初代)マンハッタン・コンビ」と呼ばれ、繰り出した「ハイジャック攻撃」の数々は、後に維新軍団他がコピーして、タッグマッチにおける一大ブームとなる。
しかし、オートンが諸事情でしばらく来日できなくなったため、同年夏以降はディック・マードックが新パートナーとなる。チームリーダーではなくなったものの、傍若無人な暴走ファイトでアントニオ猪木と藤波辰巳の師弟コンビや維新軍団らと激闘を展開した。北部ニューヨーク出身のアドニスと南部テキサス出身のマードック、出身地も個性も対照的な2人のチームは、後にWWFで『ノース・サウス・コネクション』と呼ばれた。
得意技は、ブルドッキング・ヘッドロックと、コーナーポスト最上段からのエルボー・ドロップであるが、最上段へ昇ったところでバランスを崩し落下し、股間をトップロープに引っ掛けるシーンがよく見られた。また、逆体勢でのアトミック・ドロップを開発し、マンハッタン・ドロップと名付けられた。その他に、藤波との対戦では卍固めをよく使用した。
1984年からは全米侵攻を開始したWWFと再契約し、マードックとのノース・サウス・コネクションでWWF世界タッグ王座も獲得したが、その後薬物依存とストレス性過食症で極度の肥満に苦しむようになる。コンビ解散後はジミー・ハートをマネージャーにゲイボーイ・ギミックの『"アドラブル" アドリアン・アドニス』に変身し、LA時代の盟友ロディ・パイパーと抗争。パイパーと仲間割れしたカウボーイ・ボブ・オートンをボディーガードに従え、初代マンハッタン・コンビの再結成も見られたが、アドニスのギミックに合わせオートンもピンク色のテンガロンハットを被るなど、かつての暴走チームの面影は微塵もなかった。当時のWWFにはベンチュラも在籍していたが、既に引退していたためイースト・ウエスト・コネクションが復活することはなかった。
1987年の後半にWWFを退団してリハビリ施設に入所、元のスタイルに復帰して再起を図っていた矢先の1988年7月4日、カナダで交通事故に遭い、34歳で死去。なお、この時の事故では新日本プロレスの常連外国人の仲間入りをしていた双子のタッグチーム、ケリー・ツインズも死去した。
[編集] 得意技
[編集] 獲得タイトル
- NWAアメリカス・ヘビー級王座(ロサンゼルス版):1回
- NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / ブラック・ゴードマン、ロディ・パイパー)
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / ロン・スター)
- AWA世界タッグ王座:1回(w / ジェシー・ベンチュラ)
- WWF世界タッグ王座:1回(w / ディック・マードック)
- SCW世界ヘビー級王座:1回
- SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:1回
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
最終更新 2009年11月20日 (金) 13:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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