アポロ13号

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曖昧さ回避 この項目では、アポロ計画のアポロ13号について記述しています。映画の『アポロ13』については「アポロ13」をご覧ください。
Apollo 13
徽章
Apollo 13 insignia
計画の詳細
計画名: アポロ13号
宇宙船名: 司令船: オディッセイ(Odyssey)
月着陸船: アクエリアス(Aquarius)
乗員: 3名
発射日時: 1970年4月11日
19:13:00 UTC
帰還日時: 1970年4月17日
18:07:41 UTC
飛行時間: 5日22時間54分41秒
重量: 司令船 28,945 kg;
着陸船 15,235 kg
乗員画像
Apollo 13 crew portrait (L-R: Lovell, Swigert, and Haise)
アポロ13号の乗員たち
(左からラヴェル、スワイガート、ヘイズ)

アポロ13号アメリカ合衆国アポロ計画において、3度目に行なわれる予定だった有人月飛行計画である。

1970年4月11日、米中部時間13時13分、ジェームズ・A・ラヴェル船長、ジョン・L・スワイガート司令船操縦士、フレッド・W・ヘイズ月着陸船操縦士を乗せたサターンV 型ロケットは、ケネディ宇宙センター第39複合発射施設から発射された。二日後、電線短絡火花が散ったことにより機械船酸素タンクが爆発し、飛行士たちは深刻な電力の不足に見舞われることになった。

司令船には独自のバッテリーと酸素が搭載されているが、それらは大気圏再突入の際に必要になるもので、使用することはできない。そのため彼らは着陸船を救命ボートとして使用し、電力を限界まで抑え、飲料水の摂取を極力控えることによって無事地球に生還した。この危機への対応の鮮やかさにより、13号は「成功した失敗」と称されている。

目次

[編集] 搭乗員

※ ( )内は、この飛行も含めた宇宙飛行回数

[編集] 主搭乗員

  • ジェームズ・A・ラヴェルJr.(James A. Lovell, Jr.):船長(4)
  • ジョン・L・スワイガート(John L. Swigert):司令船操縦士(1)
  • フレッド・W・ヘイズJr.(Fred W. Haise, Jr.):月着陸船操縦士(1)

※ 当初、司令船の操縦士にはケン・マッティングリー(Ken Mattingly)が予定されていたが、予備着陸船操縦士のチャールズ・デューク(Charles Duke)から風疹をうつされたため、スワイガートと交替になった。尚、マッティングリーとデュークは後にアポロ16号にともに搭乗している。

[編集] 予備搭乗員

  • ジョン・W・ヤング(John W. Young):船長
  • ジョン・L・スワイガート(John L. Swigert):司令船操縦士、マッティングリーと交替で実際に飛行
  • チャールズ・M・デュークJr.(Charles M. Duke Jr.):月着陸船操縦士

[編集] 地上支援飛行士

  • ヴァンス・D・ブランド(Vance D. Brand)
  • ジャック・R・ルースマ(Jack R. Lousma)
  • ジョセフ・P・カーウィン(Joseph P. Kerwin)

[編集] 飛行主任

  • ジーン・クランツ(Gene Kranz):白班
  • ミルト・ウィンドラー(Milt Windler):茶班
  • グリン・ルーネイ(Glynn Lunney):黒班
  • ゲリー・グリフィン(Gerry Griffin):金班

[編集] 基礎数値

[編集] 事故発生地点

  • 1970年4月13日 03:07:53(UTC)、地球から321,860km上空

[編集] 月面への再接近

[編集] 計画の焦点

アポロ13号の着陸地点は、直径80kmのフラ・マウロクレーターを持つフラ・マウロ高地が予定されていた。ここは過去に巨大な隕石が衝突したとき、地下の溶岩が噴出したことによって形成されたと考えられる小丘で、地質学的(正確に言えば月質学的)に見てきわめて興味深いサンプルを採集できると期待されたため、候補として選ばれたのである。フラ・マウロへの着陸は、次のアポロ14号で実現された。

13号は、実はすでに発射直後から不具合を発生させていた。まず第二段ロケットS-II の中央エンジンが、予定より2分早く燃焼を停止させてしまった。しかしながらこの時は周囲の4基のエンジンが自動的に燃焼時間を延長し、軌道を修正したため大事には至らなかった。後の分析によると故障の原因は共振によるもので、エンジンの振動は68G、16Hzという危険な水準にまで達していた。エンジンを支えるフレームは76mmも歪み、第二段を空中分解させかねないほどのものであったが、この振動によってセンサーが圧力を過度に低く表示したため、コンピューターが自動的にエンジンを停止させたのである。

これより小さな振動は13号以前の飛行でも起こっていたが(またそれは、ジェミニ計画初期の無人飛行の段階から発生しており、ロケットに固有の現象であると考えられていたが)、13号ではターボポンプの中で空洞現象が発生したことにより、振動が拡大されたのであった。このため後の飛行では、13号の時点ではまだ開発途上であった振動抑制装置が取りつけられることになった。同時に圧力振動を減少させるため、液体酸素の供給ラインの中にヘリウムガスの貯蔵タンクを設置し、故障が発生した際に中央エンジンを自動的に停止させる装置を設け、またすべてのエンジンの燃料バルブを簡素化するなどの改善が図られた。

[編集] 事故発生

損傷した13号の機械船(帰還直前、切り離した直後に撮影)

地球から321,860km離れたとき、機械船の2基ある酸素タンクのうちの一つがとつぜん爆発した。飛行士が第2タンクの攪拌機のスイッチを入れたとき、内部の電線が短絡し、テフロン製の皮膜が発火したのである。圧力はあっという間に限界値の7MPaを超え、瞬間的に爆発した。もっともこれはずっと後になってから事故調査委員会の分析によって明らかになったことで、飛行士たちはこの時点では、隕石が衝突したのだと思っていた。

この爆発により、1番タンクも損傷した。計器板の残量表示はゆっくりと下がりつつあり、数時間後には機械船の酸素は完全に空になってしまうと考えられた。管制センターは飛行士がメーターの表示を読み上げるのを中断させ、内容物を維持することを最優先にさせた。

もし機械船の酸素がなくなってしまったら、司令船に搭載されている分を使わざるを得なくなる。しかしそれは機械船を切り離したあと、大気圏再突入の際に必要になるもので、約十時間分しか用意されていない。そのため管制センターは、司令船の機能を完全に停止させ、月着陸船に避難するよう飛行士たちに指示した。この手順は地上での訓練では何度も行なわれていたが、まさかそれを実行する時が来るとは誰も思っていなかった。またもしこの時、アポロ8号の時のように着陸船が存在していなければ、飛行士たちは確実に命を落としていたところであった。

この事故により月面着陸は不可能になり、3人の宇宙飛行士を速やかに地球に帰還させなければならなくなった。月面着陸ミッションを中止する場合、宇宙船全体を反転させ、機械船のエンジンを噴射して減速・逆方向に再加速して引き返す「直接中止」、月の裏側を回って自動的に地球に帰還することができる自由帰還軌道を利用する「月周回中止」等の方法があった。直接中止には機械船のエンジンが完全な状態で使用できることが必要であるが、13号の場合は爆発により機械船のエンジンが損傷を受けている可能性が大きく、この方法による帰還は不可能と判断された。一方の月周回中止については、13号は当初はこの軌道に乗って月を目指していたが、フラ・マウロへ向かうため打ち上げの翌日に機械船のエンジンを噴射して自由帰還軌道から離脱しており、そのまま放置すると月の裏側を回って地球の方向には戻るが、地球を大きく外れてしまう長大な楕円軌道に乗っていた。そのため、事故発生からおよそ5時間半が経過した時点で、宇宙船を自由帰還軌道に戻すために月着陸船の降下用エンジンを噴射する軌道修正が実行された。その後、再度の軌道修正と帰還までの所要時間を短縮させるための両方の目的で、月面に最接近したあと2時間後に着陸船の降下用エンジンを噴射して宇宙船を加速するPC+2噴射が実行された。

規格の違う司令船の空気濾過装置を着陸船に挿入するために、急遽手作りで製作された「メールボックス」。着陸船の予備のLiOHは船外に搭載されていて、船外活動する際に飛行士が取りに行く。
着陸船アクエリアス。地球に帰還する直前まで、救命ボートとして使用された
大気圏に再突入し、崩壊する機械船と着陸船

着陸船は、本来は2人の人間が宇宙に2日間滞在するように設計されており、3人の人間が4日間も生存できるようには作られてはいなかった。ただ酸素については、それほど心配する必要はなかった。着陸船は飛行士が月面で活動する際、一旦内部を真空にしたり、戻ったあと再び船内を予圧したりする行程があるため、酸素は十分な量を搭載していたからである。問題は電力であった。司令船と機械船の電力源が燃料電池だったのに対し、着陸船は酸化銀電池を使用していた。燃料電池は、副産物として水が生成される。この水は飲料水として利用されるだけではなく、機器の冷却にも用いられる。酸化銀電池では水が得られないため、大気圏再突入の直前まで電池の出力は最低限度にまで抑えられ、飛行士たちも水を飲むことは極力控えなければならなくなった。

もう一つの問題は、水酸化リチウム(LiOH)であった。宇宙船内で人間が生存するために必要な物質は、酸素だけではない。飛行士たちが呼吸をするたびに、船内には二酸化炭素(CO2)が放出される。それを除去するためのフィルターに使用されている水酸化リチウムの量は、着陸船内に搭載されている分だけでは、帰還まではとてももたないのである。予備のボトルは船外の格納庫に置いてあり、通常は月面活動をする際に飛行士が取りに行くのだが、今回は船外活動をするだけの電力の余裕がない。ただし、司令船には十分な予備がある。しかしながらここで問題になってくるのは、司令船の濾過装置は、着陸船とは規格が全く異なっているということであった。

司令船のフィルターは四角形になっており、そのままでは着陸船の円形のものに装着することはできない。そのため地上の管制官たちは、船内にある余ったボール紙やビニール袋をガムテープで貼り合わせてカートリッジを製作する方法を考案し、その作り方を口頭で飛行士たちに伝えた。こうして完成させた間に合わせのフィルターを、飛行士たちは「メールボックス」と呼んだ。

また電力を最低限度にまで落としたために、船内の温度は極端に低くなってしまった。このため空気中の水分が凝結し、計器板の上に無数の結露が発生した。この水滴は、後で司令船を再起動する際に回路を短絡させる原因となるのではないかと懸念されたが、アポロ1号の火災事故の後、司令船には安全対策が徹底的に施されていたため、問題となることはなかった。

帰還の直前、後の分析のために写真を撮るべく、まず最初に機械船を切り離した。飛行士たちが驚いたのは、酸素タンクと水素タンクを覆っている第3区画のカバーが、機械船の全長にわたってそっくりなくなっていたことであった。

着陸船アクエリアスを切り離した後、司令船オディッセイは無事太平洋に着水した。他の二人は健康状態には問題はなかったが、ヘイズ飛行士は水分の補給が不足していたために尿路感染症にかかってしまっていた。管制センターは宇宙船の軌道に影響を与えないために船外に尿を投棄しないよう指示していたのだが、飛行士たちはそれを誤解して、地球に帰還するまで放尿することを我慢していた。

月面着陸という目的は達成できなかったものの、爆発が発生したのが月に向かう途中のことで、着陸船の物資が手つかずの状態だったのは不幸中の幸いであった。もし着陸船を切り離した後に爆発が起こっていたら、飛行士たちが助かる見込みはまずなかった。

また皮肉なことだが、飛行士たちの命は故障によって救われたと言ってもよい。発射からおよそ46時間40分後、第2酸素タンクの残量表示は内部の絶縁体の損傷により、100%を切る値を示していた。故障の原因を探るため、飛行士は爆発の原因となった低温タンク攪拌の操作をしたのだが、この操作は本来の予定では月面着陸の後に行なわれるものであった。

[編集] 事故原因

帰還後、揚陸艦イオージマの甲板に降り立った3名の飛行士

事故原因の分析には予想外に時間がかかったが、製造記録の詳細な追跡により、タンクの爆発はいくつもの要因が重なったことによって発生したことが明らかにされた。

そもそも液体酸素や液体水素のような極低温物質を貯蔵するには、気化によって発生する過大な圧力を避けるための排気系統や、熱的絶縁方法を確立することが重要になってくる。機械船のタンクの性能は極めて高く、極低温の液体酸素や液体水素を何年にもわたって保存することができるのだが、タンク内に内容物がある状態のときには、内部を見ることは構造上不可能であった。

事故に関係した部品および要因は、以下のとおりである。

  • 残量計
  • 残量を正確に計測するための、攪拌用ファン
  • 液体酸素を必要分だけ蒸発させるための加熱器(ヒーター
  • 加熱器を制御するための温度維持装置(サーモスタット
  • 温度計
  • 充填および排出用のバルブとパイプ
  • 元々機械船の酸素タンクのヒーターとサーモスタットの規格は、司令船の28ボルトに合わせて設計されていた。ところが発射台上でタンクの充填と加圧の作業を行なう際には、65ボルトの電源が使用されていた。このため機械船の製作元のノース・アメリカン社は下請け企業のビーチクラフト社に対し、ヒーターを65ボルトの規格に合わせるよう指示し、ビーチクラフトはそれに従ってタンクを改造したのだが、この時(原因は不明だが)サーモスタットだけには何も変更が加えられなかった。
  • また酸素タンクの温度計の表示の上限は38℃で、これ以上は表示されないようになっていた。しかし通常は、27℃にまで達すれば自動的にサーモスタットが作動してヒーターが停止されるため、特に問題になるものではなかった。
  • 今回13号に使用された酸素タンクおよびその付属機器一式を搭載した棚は、本来はアポロ10号で使用されるはずのものだったが、電磁波干渉ノイズ)の問題が発生したために、付属機器ごと取り外され修理されることになった。ところがクレーンでつり上げる際、棚を機体に取りつけている4本のボルトのうちの1本が外されていなかった。このため、2インチ(5cm)ほど持ち上げたところでワイヤーが外れ、棚は元あった場所に落ちてしまった。このときの衝撃により、タンク内の酸素を抜き取る時に使用されるパイプが、本来の取りつけ位置から外れてしまったのである。
  • この事故の後、地上での訓練をする際、タンクに液体酸素が充填された。ところが訓練終了後、先の事故で放出用のパイプが外れてしまったために、中の酸素が抜き取れなくなってしまった。今からタンク一式を取り替えるとなると、計画は大幅に遅れてしまう。そのため担当技術者は、ヒーターで液体酸素を加熱し、気化させて放出することを提案し、ラヴェル船長もこれを承認した。ヒーターのスイッチが入れられ、タンク内の温度が上昇し27℃に達した瞬間、サーモスタットが作動した。ところが回路に流れていた65ボルト電源にて発生した電流が、28ボルト用に設計されていたサーモスタットを一瞬にして溶着させてしまい、この結果ヒーターのスイッチはオンのままになってしまった。
  • 8時間後、液体酸素はすべて気化して抜き取られたが、ヒーターのスイッチはオンのままになっていた。そのため最終的にタンク内の温度は538℃にも達したのだが、温度計は38℃までしか表示されないようになっていたため、異常に気づく者は誰もいなかった。
  • これにより攪拌用ファンの電線を覆うテフロン製の被膜がほぼ焼失し、電線がむき出しになった。
  • タンク内に液体酸素が再充填された時、それはもはや爆弾のような状態になっていた。飛行士が軌道上で低温攪拌の操作をするためにファンのスイッチを入れたとき、むき出しになっていた電線から火花が飛び、燃え残っていたテフロンが発火した。100%純粋な液体酸素の中で発生した炎は、300ポンド(136kg)の液体酸素を一瞬のうちに気化させ、膨張したガスがタンクを吹き飛ばした。
  • この爆発により正常な第1タンクも損傷を負い、使い物にならなくなった。この事故を教訓として、後の飛行では二つのタンクの距離を十分に離し、さらに非常用の電源を別の区画に設置する改良が加えられた。

[編集] 特記事項

アポロ計画を通して設定されていた飛行士のローテーションでは、13号の当初の乗組員は、ジェミニ計画のベテラン飛行士であるゴードン・クーパーを船長にした、以下のメンバーによって構成されていた。

  • ゴードン・クーパー(L. Gordon Cooper, Jr.):船長
  • ドン・F・アイセル(Donn F. Eisele):司令船操縦士
  • エドガー・D・ミッシェル(Edgar D. Mitchell):着陸船操縦士

しかしながらクーパーとアイセルは様々な理由でNASAの上層部から嫌われていた(クーパーは訓練の態度が不真面目であり、またアイセルはすでにアポロ7号で飛行していたし、結婚をめぐって家庭的な問題を抱えていた)ので、担当官のディーク・スレイトンは彼らを予備搭乗員に回した。スレイトンによると、クーパーはよほどの活躍を見せなければ13号に搭乗させるつもりはなかったのだが、結局彼は期待に応えることはできなかったのだという。これらの理由により、スレイトンが最初に提案した搭乗員の候補は、

  • アラン・シェパード(Alan B. Shepard, Jr):船長
  • スチュアート・ルーザ(Stuart A. Roosa):司令船操縦士
  • エドガー・D・ミッシェル(Edgar D. Mitchell):着陸船操縦士

であったが、シェパードは以前に内耳の手術を受けたことがあり、また1961年以来飛行を経験していないために、月飛行を行なうには訓練期間が不足しているとして候補からはじかれた。このため本来は14号の正搭乗員であり、11号の予備搭乗員でもあったラヴェルたちのグループが13号に配属されたのであった。

発射の二日前、予備搭乗員の一人であったチャーリー・デュークが、自分の子供からはしかをうつされた。船長のラヴェルと着陸船操縦士ヘイズは免疫があったが、司令船操縦士のケン・マッティングリーは持っていなかったため、予備搭乗員のジャック・スワイガートと交替になった。マッティングリーは後にアポロ16号スペース・シャトルSTS-4、STS-51-Cで飛行し、海軍少将まで昇進した後、NASAおよび海軍から退役した。13号が危機に陥っている間、彼は管制センターで司令船をいかに最小限の電力で使用するかということを、シミュレーターで検討していた。

13号の飛行記念プレート

また着陸船アクエリアスの脚に貼られていた飛行記念プレートには、マッティングリーの名前が刻まれていたため、飛行士たちはスワイガートの名前が入っているものを手渡されていた。ラヴェル船長の著書「失われた月」(後に『アポロ13』に改題)によると、彼が持っている13号に関する記念品は、このプレートの他には司令船の耐熱板のかけらと、チャールズ・リンドバーグからの手紙であるという。

13号は自由帰還軌道をとったため、月の裏側を回る際、他の月飛行よりもおよそ100kmほど高い軌道を通った。このため、これが現在までのところ人間が地球から最も遠く離れた記録となっている。もっとも地球と月の間の距離の変化は100km以上に及ぶため、13号が本当に他の月飛行よりも地球から遠ざかったとは限らないが、ギネス・ワールド・レコーズはこれを有人宇宙飛行の最高高度到達記録として認定しているので、ラヴェルら三人は正式な記録保持者となっている。

司令船は発射からおよそ6日後の4月17日18:07:41(UTC)、サモア島南西、西経165度22分、南緯21度38分の太平洋上に着水した。回収空母イオージマ(USS Iwo Jima)からは6.5km離れていた。

迷信深い人々は、13という数字を様々に関連づけようとしている。たとえば発射日の'70年4月11日の数字を全部足すと13になり、13時13分に39番発射台(13の3倍)から発射され、事故が発生したのは4月13日である等々。他にも爆発が起きたのは19時13分であるとか、もし地上で事故が発生していれば損害額は1,300万ドルに達しただろうなどと牽強付会する者もいる。映画「アポロ13」が製作されたとき、ラヴェルはNASAがこの事故以降、宇宙船に13の番号をふらなくなったことを指摘したが、一方でアメリカが近い将来計画している有人月飛行計画は「オリオン13」と呼ばれている。

ラヴェルが月面で着用する予定だった宇宙服には、腕、足、ヘルメット、生命維持装置の部分に赤い線が書かれていた。11号と12号の飛行の後、月面活動の映像を見た関係者たちは、飛行士たちがヘルメットのサンバイザーを降ろしてしまうと、誰が誰なのか全く分からなくなってしまうことに気づいた。そのため急遽対策として、宇宙服に赤い線を入れて個人を区別することにした。なお、この識別方法はその後のアポロ計画やスペース・シャトル、さらに現在の国際宇宙ステーション計画でも継続して採用されている。

13号は月面着陸は達成できなかったものの、関係者が迅速かつ果敢に対応して危機を乗り越えたことにより、「成功した失敗」と呼ばれている。飛行士と地上の管制官たちは、その功績により自由のメダル大統領勲章を受章した。

着陸が実行できなかったことにより、アポロ月面実験装置群(Apollo Lunar Surface Experiments Package)に搭載されていた各種科学実験もできなくなってしまった。たとえばその中の一つに、月面の大気(月には地球の100兆分の1以下という極めて低い気圧ながらも、大気が存在する)を調べる、冷陰極計測実験(Cold Cathode Gauge Experiment)があった。これは12、14、15、16号でも行なわれた冷陰極イオン計測実験と同じものであったが、他の飛行では計測器は月面熱イオン検出器に接続されていたのに対し、13号では計測器自体が独立していたのが特徴であった。実験装置群に搭載されていた他の主な計測装置には、月が内部の熱を宇宙空間に放出する割合を調べることによって月の年齢を探る「熱流量計測装置(Heat Flow Experiment)」、月の地震(月震)を計測する「受動式月震計(Passive Seismic Experiment)」、月面に降り注ぐ宇宙線を計測する「月面荷電粒子計測装置(Charged Particle Lunar Environment Experiment)」などがあった。

[編集] 牽引料

着陸船を製作したグラマン社は、司令船を製造したノース・アメリカン・ロックウェル社に対し、月からの帰路の大部分を着陸船が牽引したことについて総額31万2,421ドル24セントの請求書を発行し、13号が無事に帰還した後、パイロットのサム・グリーンバーグが書いた送り状とともに冗談として送付した。送り状には20%の官公庁向け割引と、もしノース・アメリカンが現金で一括して支払う場合には、さらに2%の割引をする旨が書かれていた。これに対しノース・アメリカンは、「当社の司令船が10、11、12号の飛行で往路に着陸船を牽引した時には、料金の支払いは一切求めなかった」として、グラマン社の請求を丁重に断った。

[編集] 計画の徽章

13号の徽章には、ローマ数字で「XIII」と記された計画番号と、三頭の天馬がアポロの戦闘馬車となって宇宙を駆ける姿が描かれている。またラヴェルが海軍軍人であったことから、海軍兵学校の校訓「Ex scientia tridens(知識から、海の力を)」を借用して、「Ex luna, scientia(月から、知識を)」という標語が書かれている。アポロ計画全体の中で、徽章に飛行士の名前が書かれていないのは11号とこの13号だけであったが、元々搭乗する予定だったマッティングリー飛行士が発射の二日前に病気で交替になったため、これはむしろ幸運だった。デザインをしたのは画家のルーメン・ウィンターで、自身が以前に描いたニューヨークのホテルの壁画を元にしてこの図案にした。この壁画は、後に「アポロ13」でラヴェルの役を演じた俳優のトム・ハンクスが購入し、現在はラヴェルの息子が経営するシカゴのレストランに飾られている。

[編集] 記念品

帰還後、司令船内の機械類は事故調査のためにすべて取り外された。代わりに水中脱出訓練で使用されたBP-1102Aという機体の計器類が搭載され、パリの航空宇宙博物館に展示された。その後はケンタッキー州ルイスビルの国立歴史科学博物館に移され、2000年にはオリジナルの計器類がセットし直されて、現在はカンザス州ハッチンソンの博物館に展示されている。

着陸船は1970年4月17日、大気圏に再突入して消滅した。その際、月面実験装置群の動力である小型原子力発電装置が太平洋に落下するよう制御された。燃料のプルトニウムは大気圏で燃え尽きることなく、ニュージーランド北東のトンガ海溝の底に沈み、今後2,000年間は放射線を発し続けると見られている。

[編集] 文化

13号にまつわるエピソードは1998年に、アポロ計画を描いた「地球から月へ(From the Earth to the Moon)」という一連のテレビシリーズの中で、「番組を中断して(We Interrupt This Program)」という題名でドラマ化された。内容は計画を細部にわたって忠実に再現しようとしたもので、きわめてドキュメンタリー・タッチのものである。

ジム・ラヴェルとジェフリー・クルーガーの共著「失われた月」は、1995年に「アポロ13」というタイトルで映画化された。監督はロン・ハワードで、ラヴェル船長はトム・ハンクス、ヘイズ飛行士はビル・パックストン、スワイガート飛行士はケヴィン・ベーコン、飛行主任ジーン・クランツはエド・ハリス、ラヴェル婦人はキャスリーン・キンラン、マッティングリー飛行士はゲリー・シニスが演じた。またラヴェル夫妻本人もカメオ出演している。

ジーン・クランツを初めとする何人かの主要人物たちは、この映画は事実を忠実に再現しているが、映画的に演出された箇所もところどころ見られるとコメントしている。技術的な誤りも指摘されていて、たとえば事故の瞬間の「ヒューストン、何か問題が発生したようだ(Houston, we've had a problem.)」というラヴェルの報告が、「ヒューストン、問題が発生した(Houston, we have a problem.)」になっているところなどである。全米映画ランキングなどでは当初は批判的な意見が多かったが、後にはアカデミー賞の最優秀作品賞、助演男優賞(ハリス)、助演女優賞(キンラン)にノミネートされ、最優秀編集賞と最優秀録音賞を獲得した。この映画は、アポロ計画やアメリカの宇宙開発の歴史に関する一般の興味を喚起したと言ってよい。

1974年に公開された「ヒューストン、問題が発生した(Houston, We've Got a Problem)」という映画は完全なフィクションで、事故は地上の職員が原因で引き起こされ、計画のスケジュールは完全に崩壊し飛行士たちの生命はさらなる危険にさらされ、ただニュースの記事とナレーターの重々しい声のみが事実を伝えている、というものであった。

1983年には「発射10秒前、秒読み続行:宇宙世代の歌」という題名のカセットテープに録音された歌集がオフ・セントール・プロダクションから発売され、その中に「アポロ13号のバラード」という曲が収録されていた。

[編集] 関連項目

アポロ13(映画)

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年11月11日 (水) 15:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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