アマラオ

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アマラオ
名前
本名 ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ
愛称 アマ、キング・オブ・トーキョー
ラテン文字 AMARAL
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 1966年10月16日(43歳)
出身地 サンパウロ州
身長 183cm
体重 76kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム FC刈谷
ポジション FW
背番号 28
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1992-2003
2004
2005-2007
2009-
東京ガス/FC東京
湘南ベルマーレ
FCホリコシ/アルテ高崎
FC刈谷
292 (165)
19 (2)
28 (16)
監督歴
2006 アルテ高崎
1. 国内リーグ戦に限る。2009年7月3日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

アマラオAmaral)こと、本名ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ(Wagner Pereira Cardozo, 1966年10月16日-)は、ブラジルサンパウロ州出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW

FC東京などで活躍後、2009年よりJFLFC刈谷でコーチを務め、同年7月に選手兼任コーチとして現役復帰した。

Amaral(アマラオ)という愛称は、1970年代のブラジル代表ディフェンダーだったアマラウに由来する。日本では一般的にアマラと表記されるが、ブラジルポルトガル語の発音はアマラ(厳密にはアマラゥ)が近い。

目次

[編集] 来歴

1987年、サンパウロ州の3部に所属していたコメルシアルとプロ契約。カッピバリアーノ、イトゥアーノと移籍した後、1992年にブラジルの名門パルメイラスレンタル移籍した。

その直後、当時(旧)JFLに所属していた東京ガスフットボールクラブから勧誘を受け来日。1994年には天皇杯上位進出、1998年にはJFLでの優勝に貢献するなど活躍。この年の5月には東京ガスがサッカー部を翌1999年からプロクラブ化し、FC東京となる事も発表され、アマラオも引き続いてFC東京と契約しJ2リーグを戦う事となった。

1999年は一時怪我で戦線離脱したがJ2準優勝に貢献し、自身も来日9年目にしてようやく日本のトップカテゴリー・J1の檜舞台に立つことになった。

2000年のシーズン終盤には、翌年からの横浜F・マリノスへの移籍話が実現しそうになったこともあったが、結局2003年シーズン終了までの4シーズンの間、FC東京でJ1を舞台に戦った。しかしチームが若返りを図る一方で本人は現役続行を希望し、2003年シーズン終了後に退団することとなった。この際、クラブのホームスタジアムがあり、本人も当時居住していた調布市から感謝状が送られ、市役所にてセレモニーが執り行われている。

2004年からJ2の湘南ベルマーレに完全移籍したが、故障がちで目立った活躍をすることなく、2005年にはJFLFCホリコシ(現・アルテ高崎)に完全移籍、同年のJFL後期第9節三菱水島FC戦でJFL史上初の1試合5得点を記録している。2006年8月にはチーム事情もあり、シーズン途中から選手を兼ねながら監督を経験している。2007年は新監督を迎えた為、選手として契約を更新していたが、長年悩まされていた膝のケガの回復状態が思わしくなく、同年4月に現役引退を表明。この際、今後は日本で指導者ライセンスの獲得を目指し、将来はJリーグのクラブで監督を務めたいとコメントしている。

同年5月より、ハロー!プロジェクトのメンバーで構成されているフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」のコーチに就任。また、外国籍プレイヤーとして初のJFAアンバサダーにも任命された。同年6月より2008年12月まで東京中日スポーツ(同紙はFC東京を応援)にコラム「King of Talk」を連載していた。

2008年10月には、アマラオのドキュメンタリー映画「KING OF TOKYO O FILME(キング・オブ・トーキョー・オ・フィウミ)」が公開された。

2009年4月1日、東京ガスFC時代の同僚である浮氣哲郎が監督を務めるJFL・FC刈谷のコーチに就任する事が発表された。同年7月3日、アマラオ自身が選手と同じ視点で指導したいとの考えから、FC刈谷のコーチ兼任での選手登録がされた。これにより2年ぶりに現役復帰したことになり、浮氣監督より年上の選手となった。

[編集] 評価

来日後の長い期間を下位リーグで過ごしたため、一般のサッカーファンには印象が薄いものの、一方で下位リーグ経験のあるクラブのファンからは広く親しまれている。特にFC東京のサポーターからは、キング・オブ・トーキョーの名で愛され、今なお味の素スタジアムでFC東京が試合をする際には、KING AMARAL STUDIUMの巨大な横断幕がゴール裏に掲げられる。

1992年から2003年シーズン終了までに記録された、東京ガス~FC東京における公式戦出場数330は、日本のクラブチームに所属した外国籍選手の「同一クラブにおける出場試合数」としては最多である(ただしクラブのJリーグ加盟が1999年からなので、Jリーグの公式記録としては1998年以前の記録はカウントされていないため"裏記録"となっている)。

[編集] エピソード

  • 日本での生活も15年位と長いため、日本語もかなり流暢である。
  • 来日直後からラモス瑠偉との親交が深い。当初、日本の食事に馴染めずホームシックになりブラジルに帰りたがったアマラオを、東京のディスコや外食に連れて行き元気付けるなど、ブラジル出身の先輩として大きな支えとなった。2008年に行なわれたアマラオ引退試合にも参加した。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1987 コメルシアル
1988 カッパビリアーノ
1989 イトゥアーノ
1990 イトゥアーノ
1991 イトゥアーノ
1992 パルメイラス
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1992 東京ガス 11 旧JFL1部 16 7 - - 16 7
1993 東京ガス 11 旧JFL1部 17 8 - - 17 8
1994 東京ガス 11 旧JFL 30 20 - 3 1 33 21
1995 東京ガス 11 旧JFL 28 16 - 1 0 29 16
1996 東京ガス 11 旧JFL 25 17 - 3 5 28 22
1997 東京ガス 11 旧JFL 25 18 - 0 0 25 18
1998 東京ガス 11 旧JFL 24 15 - 3 2 27 17
1999 FC東京 11 J2 26 15 8 2 3 2 37 19
2000 FC東京 11 J1 22 13 2 0 1 0 25 13
2001 FC東京 11 J1 25 17 2 0 0 0 27 17
2002 FC東京 11 J1 29 15 6 1 0 0 35 16
2003 FC東京 11 J1 25 4 6 3 2 0 33 7
2004 湘南 12 J2 19 2 - 2 0 21 2
2005 ホリコシ 7 JFL 24 15 - 2 3 26 18
2006 高崎 11 JFL 4 1 - 0 0 4 1
2007 高崎 11 JFL 0 0 - - 0 0
2009 刈谷 28 JFL - 1 0
通算 ブラジル
日本 J1 101 49 16 4 3 0 120 53
日本 J2 45 17 8 2 5 2 58 21
日本 JFL 28 16 - 2 3 30 19
日本 旧JFL1部 165 101 - 10 8 175 109
総通算

[編集] 指導歴

先代:
浜口和義
アルテ高崎監督
2006途中-
次代:
ピポ

[編集] 関連項目

[編集] 脚注


[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月9日 (金) 11:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【アマラオ】変更履歴

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