アメリカグランプリ

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アメリカグランプリ(アメリカGP, United States Grand Prix)は、アメリカ合衆国1959年から1980年1984年から1991年2000年から2007年まで行われたF1のレースのひとつ。

その他、米国内で開催された、アメリカグランプリ以外のF1選手権レースも本項目で記述する。

目次

[編集] 1991年以前のアメリカグランプリ

1950年のF1世界選手権開始時からインディ500が選手権に組み込まれてはいたが、グランプリの名は冠されず、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリングで1959年に開催されたレースが名実共に揃ったアメリカGPの始まりである。

1960年にはカリフォルニア州リバーサイドにて開催されたあと、翌1961年から1980年までワトキンズグレンで行われた。当地では徐々にF1が浸透し、米国で商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年からは年に2回、1982年には実に年3回も開催されるようになった。

しかし、サーキットは仮設のものばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(現在のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州フェニックス市街地サーキットで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。

なお、1976年から1983年においては「アメリカGP」は開催されていないが、米国内各地で継続してF1は開催されている。詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照のこと。

[編集] 2000年以降のアメリカグランプリ

2003年アメリカグランプリ
コースレイアウト

F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においては、過去いくつかのサーキットにおいて開催するも、ナスカーインディカーなどのカテゴリーに比べて、マイナーな存在であり、定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、デイトナ500やインディ500の行われている、アメリカモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイにて多くの観客を集めることが考えられた。

開催にあたっては、F1マシンはオーバルトラックを走ることを想定されていないことから、F1専用のロードコースがインフィールド内に作られた。こうして、2000年シーズンよりF1カレンダーに、9年ぶりにアメリカGPが復活することとなった。

2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。

2004年のレースでは、B・A・Rホンダ佐藤琢磨が、1990年日本GP鈴木亜久里以来日本人として14年ぶりの表彰台(3位)を獲得した。

詳細は「2005年アメリカグランプリ」を参照

2005年のレースは、ミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイアするという異常事態に発展した。きっかけは、フリー走行中に起きたラルフ・シューマッハクラッシュであった。原因調査の末、インディアナポリス最大の特徴であるオーバル部分を走行する際、想定しなかった負荷がタイヤに掛かる事が判明。ミシュラン側はオーバル通過のスピードを抑えるためのシケイン増設案をFIA側は速度監視によるオーバル部分の通過を互いに提案したが両者の話がおり合わずミシュラン系チームの自主リタイヤにいたった。

残り6台となったレースはミハエル・シューマッハが制したが、これはシューマッハ、フェラーリブリヂストンタイヤにとって、このシーズン唯一の勝利となった。そして、入賞する機会すら少なかったジョーダンミナルディの両チームが3位から6位を獲得した。思わぬ形で表彰台に上ったジョーダンのティアゴ・モンテイロは、早々と表彰台を後にしたフェラーリの2人を尻目に、1人壇上でシャンパンファイトを繰り広げた。

この事件はミシュランとFIAの間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。なお、2009年以降については今後も協議していくと同時に表明されたが、続々と新たな開催国が増加していく中、復活の見通しは立っていない。

[編集] アメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レース

米国内で実施されながら、複数回の開催のためにアメリカグランプリ以外の名前で行われたレースがある。1982年は米国内で実に3回ものグランプリが開催された。また、インディ500もF1選手権に組み込まれていた。

  • アメリカ東グランプリ
1961年よりワトキンズグレンで「アメリカグランプリ」が開催されていたが、1976年にロングビーチもF1レースを開催することになり、アメリカでは2戦が行われることになった。ロングビーチは「アメリカ西グランプリ」と呼ばれ、ワトキンズグレンはこの年から「アメリカ東グランプリ」と呼ばれるようになった。
1980年限りでワトキンズグレンのレースは終了したが、1982年からはデトロイトで「アメリカ東グランプリ」が開催された。1983年限りでロングビーチの「アメリカ西グランプリ」は終了したが、1984年にはダラスがF1を開催し、このレースが「アメリカグランプリ」と呼ばれ、デトロイトのレースは「アメリカ東グランプリ」の名を維持した。1985年にはアメリカでの開催が1レースとなり、デトロイトのレースは「アメリカグランプリ」と呼ばれるようになった。以後、アメリカでのF1レースは「アメリカグランプリ」の名で開催されている(2008年シーズン終了時)。
  • アメリカ西グランプリ
1976年から1983年までロングビーチ市街地コースを使用して開催された。カリフォルニア州ロングビーチ市街をサーキットとして使用した。1周3.251kmを初め多彩なレイアウトがある。
  • ラスベガスグランプリ
1981年と1982年にラスベガス市街地コースを使用して開催された。ラスベガスホテルシーザーズ・パレスの巨大駐車場コンクリートウォールを設置、1周3.650kmのコースを急造して開催された。1981年はウィリアムズアラン・ジョーンズが、1982年はティレルミケーレ・アルボレートがそれぞれ勝利したが、2年で打ち切りとなった。
1950年からインディ500がF1世界選手権に組み込まれた。選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーも少数だった。1960年をもってF1世界選手権から除外された。

[編集] 過去のレース結果

(インディ500は除く)

[編集] アメリカGP

決勝日 ラウンド サーキット ポールポジション 優勝 ファステストラップ
1959 12月12日 9 セブリング スターリング・モス ブルース・マクラーレン モーリス・トランティニアン
1960 11月20日 10 リバーサイド スターリング・モス スターリング・モス ジャック・ブラバム
1961 10月8日 8 ワトキンズ・グレン ジャック・ブラバム イネス・アイルランド ジャック・ブラバム
1962 10月7日 8 ワトキンズ・グレン ジム・クラーク ジム・クラーク ジム・クラーク
1963 10月6日 8 ワトキンズ・グレン グラハム・ヒル グラハム・ヒル ジム・クラーク
1964 10月4日 9 ワトキンズ・グレン ジム・クラーク グラハム・ヒル ジム・クラーク
1965 10月3日 9 ワトキンズ・グレン グラハム・ヒル グラハム・ヒル グラハム・ヒル
1966 10月2日 8 ワトキンズ・グレン ジャック・ブラバム ジム・クラーク ジョン・サーティース
1967 10月1日 10 ワトキンズ・グレン グラハム・ヒル ジム・クラーク グラハム・ヒル
1968 10月6日 11 ワトキンズ・グレン マリオ・アンドレッティ ジャッキー・スチュワート ジャッキー・スチュワート
1969 10月5日 10 ワトキンズ・グレン ヨッヘン・リント ヨッヘン・リント ヨッヘン・リント
1970 10月4日 12 ワトキンズ・グレン ジャッキー・イクス エマーソン・フィッティパルディ ジャッキー・イクス
1971 10月3日 11 ワトキンズ・グレン ジャッキー・スチュワート フランソワ・セベール ジャッキー・イクス
1972 10月8日 12 ワトキンズ・グレン ジャッキー・スチュワート ジャッキー・スチュワート ジャッキー・スチュワート
1973 10月7日 15 ワトキンズ・グレン ロニー・ピーターソン ロニー・ピーターソン ジェームス・ハント
1974 10月6日 15 ワトキンズ・グレン カルロス・ロイテマン カルロス・ロイテマン カルロス・パーチェ
1975 10月5日 14 ワトキンズ・グレン ニキ・ラウダ ニキ・ラウダ エマーソン・フィッティパルディ
1984 7月8日 9 ダラス ナイジェル・マンセル ケケ・ロズベルグ ニキ・ラウダ
1985 6月23日 6 デトロイト アイルトン・セナ ケケ・ロズベルグ アイルトン・セナ
1986 6月22日 7 デトロイト アイルトン・セナ アイルトン・セナ ネルソン・ピケ
1987 6月21日 6 デトロイト ナイジェル・マンセル アイルトン・セナ ネルソン・ピケ
1988 6月19日 6 デトロイト アイルトン・セナ アイルトン・セナ アラン・プロスト
1989 6月4日 5 フェニックス アイルトン・セナ アラン・プロスト アイルトン・セナ
1990 3月11日 1 フェニックス ゲルハルト・ベルガー アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー
1991 3月10日 1 フェニックス アイルトン・セナ アイルトン・セナ ジャン・アレジ
2000 9月24日 15 インディアナポリス ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ デビッド・クルサード
2001 9月30日 16 インディアナポリス ミハエル・シューマッハ ミカ・ハッキネン ファン・パブロ・モントーヤ
2002 9月29日 16 インディアナポリス ミハエル・シューマッハ ルーベンス・バリチェロ ルーベンス・バリチェロ
2003 9月28日 15 インディアナポリス キミ・ライコネン ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ
2004 6月20日 9 インディアナポリス ルーベンス・バリチェロ ミハエル・シューマッハ ルーベンス・バリチェロ
2005 6月19日 9 インディアナポリス ヤルノ・トゥルーリ ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ
2006 7月2日 10 インディアナポリス ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ
2007 6月17日 7 インディアナポリス ルイス・ハミルトン ルイス・ハミルトン キミ・ライコネン

[編集] アメリカ東GP

決勝日 ラウンド サーキット ポールポジション 優勝 ファステストラップ
1976 10月10日 15 ワトキンズ・グレン ジェームス・ハント ジェームス・ハント ジェームス・ハント
1977 10月2日 15 ワトキンズ・グレン ジェームス・ハント ジェームス・ハント ロニー・ピーターソン
1978 10月1日 15 ワトキンズ・グレン マリオ・アンドレッティ カルロス・ロイテマン ジャン・ピエール・ジャリエ
1979 10月7日 15 ワトキンズ・グレン アラン・ジョーンズ ジル・ヴィルヌーヴ ネルソン・ピケ
1980 10月5日 14 ワトキンズ・グレン ブルーノ・ジャコメリ アラン・ジョーンズ アラン・ジョーンズ
1982 6月6日 7 デトロイト アラン・プロスト ジョン・ワトソン アラン・プロスト
1983 6月5日 7 デトロイト ルネ・アルヌー ミケーレ・アルボレート ジョン・ワトソン
1984 6月24日 8 デトロイト ネルソン・ピケ ネルソン・ピケ デレック・ワーウィック

[編集] アメリカ西GP

決勝日 ラウンド サーキット ポールポジション 優勝 ファステストラップ
1976 3月28日 3 ロング・ビーチ クレイ・レガッツォーニ クレイ・レガッツォーニ クレイ・レガッツォーニ
1977 4月3日 4 ロング・ビーチ ニキ・ラウダ マリオ・アンドレッティ ニキ・ラウダ
1978 4月2日 4 ロング・ビーチ カルロス・ロイテマン カルロス・ロイテマン アラン・ジョーンズ
1979 4月8日 4 ロング・ビーチ ジル・ヴィルヌーヴ ジル・ヴィルヌーヴ ジル・ヴィルヌーヴ
1980 3月30日 4 ロング・ビーチ ネルソン・ピケ ネルソン・ピケ ネルソン・ピケ
1981 3月15日 1 ロング・ビーチ リカルド・パトレーゼ アラン・ジョーンズ アラン・ジョーンズ
1982 4月4日 3 ロング・ビーチ アンドレア・デ・チェザリス ニキ・ラウダ ニキ・ラウダ
1983 3月27日 2 ロング・ビーチ パトリック・タンベイ ジョン・ワトソン ニキ・ラウダ

[編集] ラスベガスGP

決勝日 ラウンド サーキット ポールポジション 優勝 ファステストラップ
1981 10月17日 15 ラスベガス カルロス・ロイテマン アラン・ジョーンズ ディディエ・ピローニ
1982 9月25日 16 ラスベガス アラン・プロスト ミケーレ・アルボレート ミケーレ・アルボレート

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月29日 (木) 12:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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