アラジンブルーフレームヒーター
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アラジンブルーフレームヒーターとは、英国のアラジン社が開発した芯を用いた開放式石油ストーブである。
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[編集] 概要
1930年代初め、アラジン社は燃焼効率の高い青炎式灯油ランプの特許を取得し、販売を開始していた。これをより大規模な石油暖房器具に応用して登場したものがI.R.ヒーターとして発売された。後にマイナーチェンジの後、現在のブルーフレームヒーターの商標に変更される。
本体外装が燃焼筒となる対流式石油ストーブの雛形とも言える構造をとった。
高い信頼性と熱効率から、イギリス国内のみならず世界中に輸出・販売された。その後70年以上に渡って、基本的な構成を変えずに生産されている。ただし販売国における国産化やローカライズ、法体系の変化に伴う変更が行われて、外観も相応に変化している。特に日本においては1970年代前後に耐震安全性の強化の為矢継ぎ早のモデルチェンジが行われており、日本において宣伝されるような「70年間基本的な設計を変えることがなく生産されている」には若干の誇張がある。
[編集] 日本における変遷
日本では1957年にヤナセが輸入代理店として国内販売を開始、当時日本ではまだ暖房は薪炭が主流で、一部の上流家庭において口コミで拡がったのみに過ぎなかった。しかし、1961年に暮らしの手帖社による国内流通の石油ストーブ性能評価で最優秀と評価されると、一躍脚光を浴び、急速に普及した。
[編集] シリーズ15
- 1957年にヤナセによって輸入・販売が開始された、日本における最初の形式。発売当初の商標名は「I.R.ヒーター」であった。
- 1960年に現在の「アラジン ブルーフレーム ヒーター」に商標が変更された。
- 当時国産の石油ストーブはようやく出現し始めたばかりであり、まだまだ工業的には後進だったこともあってI.R.ヒーター程の完成度を持つものはなかった。しかしながら地震国であることもあって普及黎明を迎えると転倒時の燃料防漏など、主に安全面での改良が日進月歩ですすめられていた。
[編集] シリーズ16
- 1967年輸入・販売開始。
- この頃、日本の国産石油ストーブは転倒時の燃料防漏対策として二重タンクを採用した。この転倒防止対策は地震国以外にも求められる物であった為、アラジンも構造の抜本的改良を求められることを承知で採用に踏み切った。この為従前のシリーズに対して、タンク及び燃焼筒の設計が変更されている。
- 使用する芯もアラジン15から、アラジン16LPに変更された。この芯は以降もブルーフレームヒーターの標準として、現在の生産型にまで継承されている。
- 1970年、小規模なマイナーチェンジを実施。外枠とクリップの形状が変更された。
[編集] シリーズ25
- 1971年輸入・販売開始。
- 日本国内においては、JIS改定に伴い、石油ストーブの耐震安全装置の装着が義務付けられたことから開発された。スプリングによって落し蓋が下がり消火する転倒自動消火装置を搭載したが、これは地震を感知して作動する、近年の日本の暖房機器に標準的に装備されている類のものではなかった。
- 翌年にJIS改定によって地震感知式の耐震安全装置が義務付けられた為、わずか1年で生産終了となった。
[編集] シリーズ32
- 1972年輸入・販売開始。
- 同年、JIS改定によって地震感知によって作動する耐震安全装置の装着が義務付けられたことから開発された。吊り下げスナッファーによって落し蓋が下がり自動消火する形態だった。
- ここまでのシリーズは全てアラジン社が全て設計・製造を行っていた。しかし、日本においては年々耐震安全が強化されたが、日本に比して地震の少ない英国ではろくに検証データを得ることが出来ず、耐震安全装置に関しては国内メーカーに一日の長がある状況になった。日本向けの耐震安全装備をアラジン社が開発することは限界に近づいていた。
[編集] シリーズ37 P.K.D.
- 1973年生産・販売開始。
- アラジン社は技術提携を結んでいた日本の石油暖房機器メーカーであるフジカ(現在、印刷業を行っている株式会社フジカとは別の法人)に耐震自動消火装置の設計・製造を担当し、加えて本体も部品単位での輸入として日本国内で最終組み立てを行うこととされた。
- これに伴い、アラジン、フジカ、それとこれまで輸入代理店を担当していたヤナセの協同出資により、日本アラジン社が設立された。
- 日本の技術を取り入れて開発されたシリーズ37 P.K.D.では、耐震安全装置のほかにも、日本の家屋事情を考慮していなかった従前のシリーズに対して、下受け皿が追加される(欧米では住宅内でも土足なのでそれほど問題ではなかったが、畳敷きの日本では脚が畳を傷つけてしまったり、灯油がこぼれて染み込んだりすると深刻だった)等、国産メーカーが積極的に採用していた装備が取り入れられた。この為輸入機より好評となった。
- 1974年にマイナーチェンジ。燃焼部分に関わらない一部の部品が日本国内製となった。この頃から日本の冶金技術が高度化し、イギリスを上回るようになったといわれている。外観では下受け皿が円形から正方形に変更された。
[編集] シリーズJ38
- 1975年生産・販売開始。
- 同年のJIS改定で、芯下げ式の耐震自動消火装置の内蔵が義務付けられた。アラジン ブルーフレーム ヒーターの従前のシリーズでは、内蔵ではなくあくまで英国の設計に耐震安全装置を“追加”する構造だったが、これでは日本のJIS規格に適合しなくなってしまった。また、真鍮製の部品を半田で溶接した構造なども、JIS規格で認められなくなった。
- 一方、同時期のイギリスでは労使闘争が激化し、これにインフレ激化が加わって経済的、技術的な停滞が見られるようになり、アラジン社は日本のJIS改定に追従する体力を失っていた。
- この為英国アラジン社は設計の基本部分と芯を提供し、ディック家庭機器株式会社がそれを元に日本向けに設計しなおし、部品から製造する形態となった。この為本シリーズより形式の前に日本ローカルを示す「J」がつくようになった。なおディック家庭機器は日本アラジン社が社名を変更したもので、経営には米国アラジン社製の魔法瓶の輸入代理店を勤めていた大日本インキが参加し、出資率60%の筆頭株主となっていた。
- 耐震安全装置は芯降下と従来の遮蔽式を併設している。
- 1976年にマイナーチェンジ。芯の繰り出し機構を設け、ユーザーの省力化と芯の交換サイクル延長が図られた。ただし芯そのものは引続き16LPが採用された。ここより1年間の無償修理補償がつくようになった。
[編集] シリーズJ39(old)
- 1978年生産・販売開始。
- J38をベースに、さらに洗練したモデル。輸入品由来の部品が芯を除いて一掃され、すべてJIS規格で製造される完全国産品となった。芯も16LP芯がそのまま国産化された。耐震安全装置は他の国産メーカーと同様の芯下げ式のみになった。
- J38までは細部の装備品から、スタンダードとデラックスに分かれていたが、性能的には同等の上、日本においては安全上の配慮からも好ましくないことからJ39ではグレードが廃止され、カラー(ホワイトとグリーン)のみのバリエーションとなった。
- この時点で日本の芯を用いた石油ストーブは一応の完成された形態を見た事と、1980年代後半以降日本における石油暖房機器の主流が石油ファンヒーターに移った事から、アラジン ブルーフレーム ヒーターもこれまでの矢継ぎ早のモデルチェンジは行われなくなった。これによりJ39(old)は1993年までの15年間、現在も生産されているBF39(New)も含めると既に20年以上のロングセラーモデルとなった。
- 一方、石油暖房機器の主流がファンヒーターに移った事でディック家庭機器の経営は芳しくなくなり、後に大日本インキが経営から撤退してアラジン家庭機器に社名変更するものの、最終的にはアラジンブランドの権利を日本エー・アイ・シーに譲り渡して倒産した。
- 日本エー・アイ・シー移管後のブルーフレームヒーターは普及よりもその存続を一義としており、この為価格設定は国産のファンヒーターの2倍近い4万円台とされた(ただし近年の日本におけるメーカー小売希望価格の“お約束”で、実際には通販やホームセンターなどで2万~3万円で販売されている)。
[編集] アラジン ファンブルー(シリーズJ351)
- 1979年生産・販売開始。
- 芯を使ったファンヒーターという、日本では非常に珍しい形態。シリーズ351自体は英国を含む複数の国で展開されたが、燃焼部分は各国で生産されているブルーフレームヒーターのものをそのまま組み込んでいて、点火の為に外装を開ける必要があったが、そうすると日本のJ351の場合はブルーフレームのユーザーには見慣れたJ39の燃焼部分がそのまま現れた。
- 当時はまだ国内メーカーもファンヒーターに関しては試行錯誤の時代であり、ファンブルーはそのユニークな構造が話題になったものの、ブルーフレームヒーターほどの地位を確立するには至らなかった。また電子制御技術を採用しておらず、ファンの運転開始はユーザーの判断に拠ったが、それが早すぎると立ち消えを起こすという欠点があった。この為少数の販売にとどまり、まもなくして電子制御による高機能の国産ファンヒーターが登場したためフェードアウトした。
- なお、日本エー・アイ・シーは後2008年になって、アラジンブランドを冠した、他の国産メーカーのそれに比する本格的なファンヒーターの製造・販売に乗り出している。
[編集] シリーズBF39(New)
- 1995年生産・販売開始。
- 同年の製造物責任法(PL法)の施行に伴い、国産メーカーでは常識となっていたが、ブルーフレームヒーターではイメージの維持の観点から採用していなかった格子状のチムニーガードが採用された。この為設計変更はほとんどされていないにもかかわらず外観の印象が大きく変わった。
- 日本エー・アイ・シーに移管されたことにより、形式号の前の「J」が「BF」に変更された。これは日本エー・アイ・シーの製品が海外への輸出や現地生産を前提にしており、それにブルーフレームヒーターも含まれた為である。
- 2004年、日本エー・アイ・シー独自の製品としてブルーフレームヒーター ブラックが追加された。これはブルーフレームヒーターの特徴である青い炎が前周から見えかつ視認しやすいよう、燃焼筒の下部を二重耐熱ガラス張りとしたものである。この時点でついに70年間唯一根本的に変更されなかった燃焼筒にはじめて手がいれられた。ただしブラックのみの展開で、ホワイト及びグリーンは従来どおりの構造のまま生産・販売が続けられている。
[編集] コピー商品問題
ブルーフレームヒーターの輸入が開始された頃、日本でも家電メーカーや、日本船燈(ニッセン。通販で有名なニッセンホールディングスとは別法人)等灯油による灯具メーカー、そしてフジカやトヨトミといった新興の石油熱機器メーカーが、国産石油ストーブの製造・販売を開始した。
ところが、それまで石油熱機器の取り扱い経験のなかった家電メーカーの多くは、自力開発に拠らず、アラジンを含めた国内外の灯具メーカーや石油熱機器メーカーの製品を無断でコピーして販売するという、企業倫理に欠ける行為に走ったのである。これは中小のメーカーばかりではなく、むしろ日立製作所や東芝と言った、戦前からの重電メーカーに多く見られた。
日本においてはこの頃、まだ知的財産権に対する意識があまり高くなく、先行メーカーのコピー商品が出回ることは珍しくなかった。
ブルーフレームヒーターの燃焼部分もよくコピーされた。家電メーカーの対流式ブルーフレームストーブの多くは、シリーズ15のコピー商品だった。芯もアラジン15がそのまま使用可能だった。ヤナセはアラジン社の正規品であることを確認してから購入するよう呼びかけたが、やがて国産メーカー側は耐震安全装備の充実を売り文句に、コピーされたブルーフレームストーブの拡販を推し進めるようになってしまう。
しかし、一方でトヨトミやフジカ、日本船燈といった国内の石油燃焼機器メーカーによって、ブルーフレームヒーターに比する独自の商品が展開されると、家電メーカーのコピー商品は売れなくなってしまった。家電メーカーが宣伝に使った耐震安全装備も、これらのメーカーの方が技術的に先行していた(この為、家電メーカーは今度はこれらのコピー商品に走るのであるが、国内の石油燃焼機器メーカーはすぐさま法的措置に訴えた為、それらもやがて消滅した)。
これらブルーフレームヒーターのコピーに走った家電メーカーは、後に例外なく石油燃焼機器から撤退することになる。
[編集] 関連項目
- ランプ (照明器具)
- ストーブ
- 灯油
- アラジン (バンド) - バンド名の由来になっている。
最終更新 2009年9月12日 (土) 15:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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