アラブ首長国連邦

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アラブ首長国連邦
الإمارات العربية المتحدة
アラブ首長国連邦の国旗
国旗 (国章)
国の標語 : なし
国歌 : アラブ首長国連邦国歌
アラブ首長国連邦の位置
公用語 アラビア語
首都 アブダビ
最大の都市 ドバイ
政府
大統領 シャイフ・ハリーファ
首相 シャイフ・ムハンマド
面積
総計 82,880km²113位
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年 4,599,000人(137位
人口密度 54人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 9,553億[1]UAEディルハム
GDPMER
合計(2008年 2,601億[1]ドル(36位
GDPPPP
合計(2008年 1,849億[1]ドル(54位
1人当り 38,830[1]ドル
独立
イギリスから 1971年12月2日
通貨 UAEディルハムAED
時間帯 UTC +4(DST: 不明)
ccTLD AE
国際電話番号 971

アラブ首長国連邦(アラブしゅちょうこくれんぽう)は、西アジア中東アラビア半島ペルシア湾(アラビア語圏ではアラビア湾と呼ぶ)に面した地域に位置する7つの首長国からなる連邦国家である。首都はアブダビカタールオマーンサウジアラビアと隣接する。

目次

[編集] 国名

正式名称はアラビア語で、الإمارات العربية المتحدة (ラテン文字転写 : Al-Imārāt al-‘Arabīya al-Muttahida; アル=イマーラート・アル=アラビーヤ・アル=ムッタヒダ)。略称は إمارات (イマーラート)で、これはアラビア語で「首長国」を意味する、「イマーラ」という単語の複数形である。

公式の英語表記は、United Arab Emirates。略称は、UAE

日本語の表記は、アラブ首長国連邦。日本語名称をアラブ首長国連合としている場合が見受けられるが、外務省ではアラブ首長国連邦としている。 また、サッカーなどスポーツ競技内では英字略であるUAEを使用することが多い。

[編集] 歴史

7世紀イスラム帝国の支配を受けイスラム教が広がる。その後オスマン帝国の支配を受ける。16世紀ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見し、ポルトガルが来航、オスマン帝国との戦いに勝利し、その後150年間、ペルシア湾沿いの海岸地区を支配する。その他の地域はオスマン帝国の直接統治を経験する。現在のアラブ首長国連邦の基礎となる首長国は17世紀から18世紀頃にアラビア半島南部から移住してきたアラブの部族によってそれぞれ形成され、18世紀から19世紀にかけてはこの地域の人々は海上勢力としてペルシア湾を航行するヨーロッパ勢力と対立し、「アラブ海賊」として恐れられた。イギリスインドへの航路を守るために1891年に海賊退治に乗り出し、1820年に、イギリスはこの地域の海上勢力(ペルシア湾に面する首長国)と休戦協定を結び、休戦海岸 (Trucial Coast) と呼ばれるようになる。1835年までイギリスは航海防衛を続け、1835年、イギリスと首長国は「永続的な航海上の休戦」に関する条約を結んだ。その結果、イギリスによる入植が進むことになった。その後、1892年までに全ての首長国がイギリスの保護下に置かれた。

1968年のイギリスのスエズ以東撤退宣言以来、連邦結成の機運が高まる。1971年イギリスの撤退に伴い、アブダビ(アラビア語ではアブザビの方が発音に近い)、ドバイシャールジャアジュマーンウンム・アル=カイワインフジャイラの各首長国が集合して連邦を建国。翌1972年ラアス・アル=ハイマが加入して現在の7首長国による連邦の体制を確立した。

[編集] 政治

[編集] 内政

アラブ首長国連邦は、7つの首長国により構成される連邦国家である。各首長国は世襲の首長による絶対君主制に基づき統治されている。現行の連邦憲法1971年発布の期限付き暫定憲法が、1996年に恒久化されたものである。

連邦の最高意思決定機関は連邦最高評議会(FSC、Federal Supreme Committee)で、連邦を構成する7首長国の首長で構成される。議決にはアブダビ、ドバイを含む5首長国の賛成が必要になる。

憲法規定によると、国家元首である大統領、および首相を兼任する副大統領はFSCにより選出されることとなっているが、実際には大統領はアブダビ首長のナヒヤーン家、副大統領はドバイ首長のマクトゥーム家が世襲により継ぐのが慣例化している。

閣僚評議会(内閣相当)評議員は、大統領が任命する。

議会一院制連邦国民評議会で、定数は40。議員は連邦を構成する各首長国首長が任命する。

一般国民には国政に関する選挙権が無いのが特徴だったが、2005年12月1日、連邦国民評議会の定数の半数に対する国民の参政権が認められた。しかし、その参政権の幅は極めて限定的なもので、有権者は各首長が選出した計2千人程度に留まる見通しである。政党は禁止されている。

連邦の最高司法機関は連邦最高裁判所である。

連邦予算は八割がアブダビ、一割がドバイ、残りの一割は連邦政府の税収によってまかなわれており、残りの5首長国の負担額はゼロである。事実上、アブダビが北部5首長国を支援する形になっていると言える。また各首長国は、独自の予算も組んでいる。

[編集] 外交

外交は湾岸協力会議諸国などの近隣諸国との関係を重視する保守穏健路線で、特に隣接するサウジアラビアとの関係を重視している。イランと、アラビア湾の3つの島を巡って領有権を争っている。

湾岸諸国の中では比較的欧米に寛容で、湾岸戦争時は米軍に基地使用を認め、イラク戦争でもその駐留を許可した。

[編集] 軍事

アラブ首長国連邦軍は陸軍、海軍、空軍の三軍を有する。このほかに沿岸警備隊がある。湾岸戦争の際はクウェート奪還に戦力を提供した。

[編集] 地方行政区分

アラブ首長国連邦の各首長国。黄色の部分がアブダビで、突出して面積が広い。茶色の部分はドバイである

詳細は「アラブ首長国連邦の首長国」を参照

アラブ首長国連邦は以下の7首長国から構成されている。各首長国の国名はそれぞれの首都となる都市の名前に由来しており、最大の国であるアブダビ首長国の首都のアブダビが、連邦全体の首都として機能している。ただ近年は、外国資本の流入によるドバイの急激な発展によって、政治のアブダビ、経済のドバイと言われるようになってきている。

[編集] 連邦を構成する7首長国

[編集] 地理

アラブ首長国連邦の地図

アラビア半島の南東部にあり、アラビア湾オマーン湾に面している。国土の大部分は、平坦な砂漠地帯であり、一部に砂丘も見られる。東部に僅かに山岳地帯がある。ホルムズ海峡(海峡に臨むムサンダム半島はオマーン領)に近いということで、地政学上、原油輸送の戦略的立地にある。 国民のほとんどは沿海地方に住む。また七首長国のうち、フジャイラを除く六国は西海岸(アラビア湾岸)に、フジャイラは東海岸(オマーン湾側)に位置する。 砂漠気候(BW)のため、年間通じて雨はほとんど降らないが、冬季に時折雷を伴って激しく降る事がある。アラビア湾に面し海岸線が長いことから気温の日較差は小さい。11~3月は冬季で、平均気温も20度前後と大変過ごしやすく、観光シーズンとなっている。6~9月の夏季には気温が50度近くまで上昇し、雨が降らないにもかかわらず、海岸に近いため湿度が80%前後と非常に高くなる。ドバイの平均気温は23.4℃(1月)、42.3℃(7月)で、年降水量は60mm。

[編集] 経済

詳細は「アラブ首長国連邦の経済」を参照

GDPの約40%が石油と天然ガスで占められ、日本がその最大の輸出先である。原油確認埋蔵量は世界5位の約980億バレル。天然ガスの確認埋蔵量は6兆600億m³で、世界の3.5%を占める。一人当たりの国民所得は世界のトップクラスである。アルミや繊維の輸出も好調である。なお近年は、産業の多角化を進め、石油などの天然資源の掘削に対する経済依存度を低め、東南アジアにおける香港シンガポールのような中東における金融流通観光の一大拠点となることを目標にしている。 1981年にドバイに設立されたジュベル・アリ・フリーゾーンには、外国企業への優遇制度があり、近年、進出が急増して、物流拠点となっている。

また、近年は観光客を呼び寄せるためのリゾート施設の開発に力を入れており、世界一高いホテルであるブルジュ・アル・アラブの建設や、「パーム・アイランド」と呼ばれる人工島群など、近年急速に開発が進んでおり、中東からだけでなく世界中から観光客を引き寄せることに成功している。

[編集] アラブ首長国連邦の企業

[編集] 交通

ドバイやアブダビ、シャールジャなどが古くから中東における交通の要衝として発達しており、この3都市は第二次世界大戦後の航空網の発達に併せてその地位を高いものとしている。また、近代的な高速道路がこれらの都市間を結んでいるほか、海運も盛んに行われている。ドバイでは2009年9月に日本企業による地下鉄(無人運転)が開通。

[編集] 空港

[編集] 国民

住民は、在来のアラブ人からなるアラブ首長国連邦の国民は全体の19%を占めるに過ぎない。その他は外国籍の住民であり、他のアラブ諸国から来た人々や、イラン人、南アジア系50%(インド人140万人、パキスタン人、バングラデシュ人、スリランカ人)、東南アジア系(フィリピン人)、欧米系、東アジア系の人々などがいる。これらの外国籍の多くは、石油収入によって豊かなアラブ首長国連邦に出稼ぎとしてやってきた人々である。しかし、長期在住者でも国籍取得は大変難しく、失業者は強制送還するなど、外国人へは非常に厳しい管理体制がなされている。

言語はアラビア語が公用語である。ただし、外国人が多いため、英語や南アジア系の言葉なども広く使われている。

人口の推移[2] 1975年 1980年 1985年 1990年 2008年
アブダビ 212,000 454,000 670,000 889,000 896,751
ドバイ 183,000 276,000 419,000 559,000 1,770,533
シャールジャ 79,000 159,000 269,000 377,000 845,617
ラアス・アル=ハイマ 44,000 75,000 116,000 159,000 171,903
アジュマーン 17,000 36,000 64,000 92,000 372,923
フジャイラ 16,000 32,000 54,000 76,000 107,940
ウンム・アル=カイワイン 7,000 13,000 29,000 46,000 69,936
合計 558,000 1,045,000 1,621,000 2,198,000 4,599,000

[編集] 文化

ジュメイラ・モスク

[編集] 宗教

宗教はイスラム教が国教であるが、外国人を中心にキリスト教ヒンドゥー教なども信仰されている。

[編集] スポーツ

詳細は「アラブ首長国連邦のスポーツ」を参照

[編集] 脚注

  1. ^ IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 『魅惑のドバイ』 〔ISBN 4-326-93312-7〕 - 田畠富子

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光
その他

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最終更新 2009年11月21日 (土) 17:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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