アラン・ケイ

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アラン・ケイ(2005年)

アラン・ケイAlan Kay, 1940年5月17日 - )はアメリカ合衆国計算機科学者、教育者、ジャズ演奏家。通称「パソコンの父」。主にオブジェクト指向プログラミングユーザインタフェース設計に関する初期の功績で知られている。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で計算機科学の非常勤教授、京都大学客員教授マサチューセッツ工科大学の非常勤教授、Viewpoints Research Institute の経営者。

まだ大型のメインフレームしか存在しなかった時代に、個人の活動を支援する「パーソナルコンピュータ」という概念を提唱した。つまり1960年代当時、高価で大きく、複数人で“共有”するのが当たり前だったコンピュータに“個人向け”という利用状況を想定し、それに相応しいコンピュータ環境がどうあるべきかを考えた人。自らがそう名付けた「ダイナブック構想」の提唱者。「コンピュータ・リテラシー」という言葉も彼が造った。

目次

[編集] パロアルト研究所時代まで

マサチューセッツ州スプリングフィールド生まれ。コロラド大学数学分子生物学の学士号を取得。ユタ大学で修士号と博士号を取得している。1960年代、ユタ大学でアイバン・サザランドと共に Sketchpad を含む先駆的グラフィックスアプリケーションを開発した。

同じころ、彼はプロのジャズギタリストとしても活動している。ジャン・ピアジェの業績と構成主義シーモア・パパートLOGO言語についても学んだ。これらから強い影響を受けている。

1970年、ケイはゼロックス社のパロアルト研究所の設立に参加した。パロアルト研究所には1970年代を通じて在籍し、「ダイナブック」を当時利用可能な技術で具現化した、暫定的ハードウエアである「Alto」と、エンドユーザーが自在にプログラミング可能でそれを全方面からサポートする機能を有する暫定的環境「Smalltalk」の開発において指導的立場をとった。このSmalltalk環境の動作するAlto(暫定Dynabook)を見学する機会を得たスティーブ・ジョブズが、そのアイデアを大いに取り入れてLisa、続くMacintoshを開発した、というのは有名な話である。

ケイとパロアルト研究所の同僚は、オブジェクト指向プログラミングというアイデアの生みの親でもある(すでに言語機能としての「クラス」と「オブジェクト」を備えたノルウェーオルヨハン・ダールクリステン・ニガードSimula 67があったが、これらの言語機能と自らのアイデアである「メッセージング」と組み合わせて「オブジェクト指向」と称したのはアラン・ケイが最初。なお「オブジェクト指向」は後にビャーン・ストラウストラップにより「カプセル化継承ポリモーフィズム」として再定義される)。彼の提唱した「ダイナブック構想」は、持ち運び可能な小型パーソナルコンピュータの原型であり、ウィンドウグラフィカルユーザインターフェース(GUI)のさきがけとも言われている。

[編集] その後の経歴

パロアルト研究所で10年すごした後、ケイは3年間アタリの主任科学者を務めた。

1984年から、ケイはアップルコンピュータ社のフェローとなった(1997年にスティーブ・ジョブズが研究部門Apple Technology Groupを解散するまで)。その後、Walt Disney Imagineering にフェローとして迎えられた(ディズニーがフェロー制をやめるまで)。ケイは Applied Minds(Walt Disney Imagineering の退職者が設立した会社)で働いた後、ヒューレット・パッカードにシニアフェローとして迎えられたが、2005年6月20日に Advanced Software Research Team が解散になると同時に退職した。現在は、非営利団体 Viewpoints Research Instituteを主宰。

[編集] Squeak と Croquet の開発

1995年12月、アップルコンピュータに所属していたケイは、多数の協力者と共に Squeakオープンソースプロジェクトとして立ち上げ、その後も継続して関わっている。Squeakは、Smalltalkを拡張し、当時非公開で限られた人間しか参加できなかった「ダイナブックプロジェクト」が、広く世界に人材を求める“開かれた”プロジェクトとして再開されたものだと考えることもできる。Squeak、および、その上に実現された非開発者向けビジュアルスクリプティング環境「Squeak eToys (SqueakToys)」、次世代3D-GUIを模索する仮想コンピュータ環境「Croquet」の開発指導にあたる。

[編集] OLPC

2005年11月に開催された世界情報社会サミットで、MITはアラン・ケイも開発に関与した新たなOLPCを発表した(発表時は100ドルノートPCとして有名になった)。

[編集] 受賞歴

[編集] アラン・ケイやダイナブックにまつわる誤解

史上初の本格的GUIを備えたとして知られるAltoだが、じつはAlto OSと呼べるもの自体はCUIベースでGUIはない。GUI環境の歴史に関する文でAltoが引き合いに出された場合、それは当時のSmalltalk環境を意味することが多い。言及者がSmalltalkを単なるプログラミング言語として狭く捉えていたり、その誕生の歴史的経緯(コンセプトとしての「ダイナブック」、暫定環境としての「Smalltalk」、暫定ハードとしての「Alto」の相互関係)を知らずに書いた記述が世に氾濫しているため、こうした誤った認識が定着してしまった。

アラン・ケイはプログラミングもするが、主だってはアイデアパーソンである。Altoの製作にはチャック・サッカーという天才エンジニアの、Smalltalk開発にはダン・インガルス、アデル・ゴールドバーグを筆頭とした天才プログラマらの関与が不可欠であり、アラン・ケイがすべてを(短期間で)実現したかのような記述は原則として誤り。短期間であることがことさらに強調されることが多いのは、Alto初号機の製作期間が仲間うちの“賭け”の対象となっていて実際それが約3ヶ月強で成し遂げられたこと、あるいはアラン・ケイの「オブジェクトへのメッセージ送信」というアイデアをダン・インガルスがわずか数日で実装してみせたこと(これがSmalltalkのプロトタイプとなった。ちなみに、このとき使われたのはBASIC)を混同しているものと思われる。

[編集] 名言集

最も有名な言葉
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」, 1971年, パロアルト研究所の研究内容の将来予測を再三に渡って求めるゼロックス本社に対する回答(経営陣と開発陣の軋轢や見解の相違を端的に表している).[1]
それについて本人が別の機会に補足した言葉
「未来はただそこにあるのではない。未来は我々が決めるものであり、宇宙の既知の法則に違反しない範囲で望んだ方向に向かわせることができる」, 1984年, [2]
コンピュータ革命について
「わくわくするようなことが進行中だが、コンピュータ革命はまだ始まっていない。不完全なアイデアに基づいた貧弱な実装によるできの悪いデファクトスタンダードによって素朴な顧客から大量の金を巻き上げている連中に惑わされないように」[3]
1980年代終盤の香港での記者会見での言葉
「テクノロジーというのはあなたが生まれたときに存在しなかった全てのものだ」
C++について
「オブジェクト指向(Object-Oriented)という言葉は私が作った。そのとき、C++ を想定していなかったことは確かだ」[4]
LISPについて
「これまでに設計された最も偉大なプログラミング言語」
ソフトウェアハードウェアについて
「People who are really serious about software should make their own hardware.」

「ソフトウェアに対して本当に真剣な人は、独自のハードウェアを作るべきだ。」

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月17日 (火) 20:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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