アラン・ドロン

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アラン・ドロン
Alain Delon
生年月日 1935年11月8日(74歳)
出生地 オー=ド=セーヌ県
ソー
国籍 フランス
主な作品
太陽がいっぱい』(1960年)
生きる歓び』(1961年)
地下室のメロディー』(1963年)
『黒いチューリップ』(1963年)
さらば友よ』(1968年)
『ビッグガン』(1973年)
百一夜』(1994年)
受賞
セザール賞最優秀男優賞(1985年)

アラン・ドロンAlain Delon1935年11月8日 - )はフランスの映画俳優1960年代から1970年代には美男の代名詞的存在だった。

目次

[編集] 来歴

パリ郊外のオー=ド=セーヌ県ソー(Sceaux)で生まれる。幼い頃両親が離婚し、母方に預けられるも再婚した肉屋の義父と合わなかったこと、そして母親が新たに生まれた子供だけ可愛がった為にアランは除け者とされ、それら家庭不和が原因に因り問題児として学校を転々とする。17歳で外人部隊に入隊し第一次インドシナ戦争へ従軍した。21歳で無事除隊後は各地を転々と放浪する。ある夏の日に生活の世話を受けていた女性から『カンヌで映画祭が開催されるから、ぶらぶらしてみたら?あなた程の美貌なら監督の誰かから声が掛かるかもしれないわよ?』さっそく仰せの通りにカンヌを歩いていれば(暑かったので上半身裸で)ハリウッド映画プロデューサーに『君はいい身体をしている・・』とスカウトされるも『私はフランス人なのでまずはフランスで勝負をしたい!』と断り、その後縁あって1956年フランス映画『女が事件にからむ時』(共演ジャン・ポール・ベルモンドでデビュー。

1959年、『恋ひとすじに』で共演した西ドイツの若手スター、ロミー・シュナイダーと同棲し婚約するも1963年に破棄。1960年ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』に主演。ニーノ・ロータの曲と共に大ヒットし世界的にその名を知られる。その後も、同じルネ・クレマン監督の『生きる歓び』『危険がいっぱい』『パリは燃えているか』、ルキノ・ヴィスコンティ監督『若者のすべて』『山猫』、ミケランジェロ・アントニオーニ監督『太陽はひとりぼっち』、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督『フランス式十戒』『悪魔のようなあなた』、ルイ・マル監督編『世にも怪奇な物語』、ジャン=リュック・ゴダール監督『ヌーヴェルヴァーグ』、日本の三船敏郎共演『レッド・サン』、ブリジット・バルドー共演『素晴らしき恋人たち』、チャールズ・ブロンソン共演『さらば友よ』、カトリーヌ・ドヌーヴ共演『リスボン特急』など数多くのフランス映画・イタリア映画アメリカ映画に出演し、自身が出演する作品のプロデュースも手がけるなどして活躍。日本では声優野沢那智の吹き替えが有名。

1963年、ナタリー・バルテルミー(本名はフランシス・カサノヴァで仏伊混血、ナタリードロン)と結婚し1964年、生まれたばかりの息子アント二ードロンと三人でアメリカに滞在。いくつかの映画に出演したり、アカデミー賞のプレゼンターにも立ったが、アメリカでは受け入れられなかった。1966年、フランスへ戻る。映画『サムライ』に出演したことに依り女優を続けたいと願うナタリーと対立しやがて離婚。その後、ミレーユ・ダルクと長い愛人関係にあった。1987年ドイツ人モデル、ナタリー・ヴァン・ブレーメンと出会い、籍は入れず、アヌーシュカとアラン・ファビアンの2子をもうけるが、2002年に別れた。

ドイツ人のモデル歌手ニコとの関係も有名である。ニコは長男クリスティアンを生むが、彼は未だに認知をしていない(クリスティアンはドロンの実母に育てられたうえ、容姿もドロンそっくりである)。

[編集] 日本での反響

日本での人気は絶大で、欧米人の美男子の代名詞だった。また、女性ファンのみならず、前述の『太陽がいっぱい』『さらば友よ』そして『冒険者たち』『地下室のメロディー』などで多くの日本人男性のファンも獲得。彼のファッションや映画のセリフ、立ち居振舞い、サングラス煙草の吸い方などに憧れたり、真似をする男性達が続出した。

1963年昭和38年)、4月1日から4月10日まで東京・丸ノ内の東京商工会議所ホールで開催された第3回フランス映画祭(後援は在日フランス大使館ほか)のため初来日。日本のファン達の大歓迎をうけた。他にドロンと共に映画祭に参加したのは映画監督のフランソワ・トリュフォーセルジュ・ブールギニョン、女優のマリー・ラフォレ、アレクサンドラ・スチュワルト(Alexandra Stewart)、フランソワーズ・ブリヨン(Françoise Brion)ら。

また、いつの来日か定かではないが女優の香川京子鰐淵晴子(2人とも着物)と一緒に写っているスリーショット写真も現存している(雑誌「平凡」より。カラー写真。3人ともかなり若い)。

1964年昭和39年6月13日にはNHKのテレビ番組『夢であいましょう』にゲスト出演。映像は現存しないが、司会を務めていたデザイナーの中島弘子と番組セット内で撮ったカラー写真が現存する。

1976年太田裕美のヒット曲『赤いハイヒール』(作詞・松本隆)では、少女がボーイフレンドをアラン・ドロンと比べるという描写がある。また、1977年榊原郁恵のヒット曲『アル・パシーノ+(たす)アラン・ドロン<(より)あなた』(作詞・森雪之丞)でも名前が登場している。日本ではCMにも出演しており、ダーバンマツダ・カペラのCMが特に有名(カペラにはCM出演のみならずアランドロン・バージョンすら存在した)。

2008年北京オリンピックフェンシング競技の日本人初のメダリストとなった太田雄貴選手の父・義昭氏は、映画『アラン・ドロンのゾロ』に憧れ、自身も過去に競技を経験[1]。夢は息子に託し、父子二人三脚でメダルをつかんだ。

余談だが日本と違って、本国フランスではジャン=ポール・ベルモンド(ドロンとは友人)の方が評価は高かった[2]

[編集] その他の活動

1970年代より、自身の名をブランド名にした香水のプロデュースに注力、ことに男性用香水SAMOURAISHOGUN47SAMOURAIは日本古来の風土・文化にインスピレーションされたネーミング・ボトルとパッケージのデザイン・調香から日本でも絶大な人気・好評を博している。

1993年スイスで行われた女優オードリー・ヘプバーンの葬儀に参列。それまで交流があったことは一切報じられておらず、また、日本では長年人気投票の外国男優・外国女優部門の1位を獲得してきた人気俳優同士だったため、日本中を驚かせた。彼は「僕は彼女を尊敬していた」と交流を語った。

1998年公開の『ハーフ・ア・チャンス』を最後に映画からの引退を公言した(『SMAP×SMAP』でその理由を「映画でやりたい事は全てやりきったから」と発言) が、復帰してテレビドラマ映画舞台など幅広く俳優活動を継続しており、2007年にはベストセラー小説マディソン郡の橋』の舞台化作品への出演が決まっている。

日本での人気も半世紀近くを迎えた2007年10月8日、『SMAP×SMAP 秋の超豪華 アラン・ドロンも来ちゃいましたスペシャル!!!』(フジテレビ)の『BISTRO SMAP』に登場した。出演した理由を「50年経ったし、そろそろ日本に来てもいいかな、と思って」「(日本には)昼飯を食べるためだけに来た。」とユーモアたっぷりに語り、前日の夜に日本に到着し、撮影日の午後9時に帰途に発つ、という強行スケジュールだった。彼が料理絡みの番組に出たのは日本の料理番組に出演した一度だけで、「招待してくれてうれしい」とのことだった。また、番組内では各出演映画の名場面や上記の44年前の初来日の時の貴重なニュースフィルム(モノクロ)なども紹介された。「前菜はパッパルデッレの冷製パスタ、メインはマルセイユブイヤベース、デザートはチョコレートスフレ」と注文はかなり細かく、試食も「マルセイユの味じゃない」(通訳から冷製パスタだけ伝えられたためスパゲッティーを使ったところ)「パッパルデッレは平麺なんだけど…」と文句も細かったが、「でも美味しい。」と大筋では堪能していたようだ。

また、フィルムデビュー50周年を記念して、2007年11月8日の72歳の誕生日から、2003〜2004年にフランスとドイツ共同制作で製作されたドラマ『アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ』がWOWOWで放送される。12月にはDVDが発売されるとあって、さらに話題を集めている。

大の格闘技好きであり、ドロン自ら格闘技の興行を主催した事もある。また、同じフランス人のK-1トップファイタージェロム・レ・バンナとは友人であり、映画で共演した事もある。

[編集] エピソード

  • ドロンの友人であるK-1トップファイターのジェロム・レ・バンナは2006年9月30日にK-1 WORLD GP開幕戦のメインイベントでチェ・ホンマンと対戦予定だった。しかし、バンナはドロンと共に映画「アステリックス」シリーズの最新作に出演中であり、バンナのマネージャーがバンナ本人の承諾を得る前に「撮影が終わる11月2日までは格闘技の試合はもちろん、スパーリングなどの怪我しやすい練習もしてはいけない」という契約を映画会社と結んでしまった事によって欠場が濃厚となっていた。しかし、バンナは開幕戦の半年以上前からK-1主催者とフジテレビに映画撮影のため、開幕戦に出場できない事を伝えていたにも関わらず、フジテレビから「出場しなければ契約を解除する」という理不尽な通告をされ、K-1ファイター人生の危機に陥っていた。そこでドロンが「君は戦うために生まれてきた男だ。そんな契約は気にせず、日本で試合をしてきなさい。後の事はこっちで何とかするから」と言ってバンナを撮影地のスペインから送り出した事により、何とか開幕戦当日の試合開始6時間前に来日を果たした。そしてホンマン戦で勝利した後、リング上でマイクを握ったバンナは「快く送り出してくれたアラン・ドロンに感謝します」とコメントした(しかし、通訳者はこの言葉は省略した)
  • 東京オリンピックのメインスタジアムの落成式に呼ばれたことがある。
  • カンヌ映画祭香取慎吾携帯電話の写メールでツーショットを撮った。『SMAP×SMAP』で香取がいつもの仮装の代わりにこの画像を引き伸ばしてパネルにしたのを見たアランは「写真写りが悪いね。カメラ変えたら?」と発言。この発言はある程度予想済みだったようで、それを受けたのか香取はカメラマンにデジタルカメラを持たせて他のメンバーを尻目に再びツーショットを撮影した。
  • SMAP×SMAP』で、もうすぐ72歳になるのに若いことに対して若さの秘訣を聞かれたところ、「女性だ」と即答した。また、「カッコイイ男性は?」と聞かれた時は「三船敏郎」と答えた後、「でも、カッコイイ男性より美しい女性ですよ」と答えた。ちなみに、好きになる女性のタイプは「容姿とかではなく心にくるかどうかで、人種や国籍は関係ない」という趣旨の発言をしている。
  • SMAP×SMAP』で木村拓哉稲垣吾郎に対し、「(俳優をしている、という点については)君達と私は似ているが、私は料理が出来ない。私に出来るのは、俳優と子作りだけだ。あと、悪戯も」と言った。その後、料理対決に勝った香取慎吾草彅剛にプレゼントを渡す際、アラン・ドロンモデルの時計を腕から外して腕の日焼け跡を見せ「一つしかない」ように思わせて香取にあげた後、おもむろにポケットをまさぐって同じ時計を草彅にあげる、という悪戯をした。
  • チョコレート好き。好きなチョコレート菓子はスフレ

[編集] 代表作

  • 女が事件にからむ時 Quand la femme s'en mêle (1956)
  • 黙って抱いて Sois belle et tais-toi (1957)
  • 恋ひとすじに Christine(1958)
  • お嬢さん、お手やわらかに! Faibles Femmes (1959)
  • 学生たちの道 Le Chemin des écoliers (1959)
  • 太陽がいっぱい Plein soleil(1960) - キネマ旬報ベストテン第3位
  • 若者のすべて Rocco e i suoi fratelli(1960)
  • 生きる歓び Che gioia vivere (1961)
  • 素晴らしき恋人たち Amours célèbres (1961)
  • 太陽はひとりぼっち L'Eclisse(1962)- キネマ旬報ベストテン第5位
  • フランス式十戒 Le Diable et les dix commandements (1962)
  • 地下室のメロディー Mélodie en sous-sol(1962)
  • 山猫 Il Gattopardo (1963)
  • 黒いチューリップ La Tulipe noire (1964)
  • 危険がいっぱい Les Félins (1964)
  • 黄色いロールス・ロイス The Yellow Rolls-Royce (1964)
  • 名誉と栄光のためでなく Lost Command (1966)
  • パリは燃えているか Paris brûle-t-il? (1966) - キネマ旬報ベストテン第6位
  • 冒険者たち Les Aventuriers(1967)
  • サムライ Le Samouraï (1968)
  • 悪魔のようなあなた Diaboliquement vôtre (1967)
  • 世にも怪奇な物語 Histoires Extraordinaires (1968)
  • さらば友よ Adieu l'ami (1968)
  • あの胸にもういちど The Girl on a Motorcycle (1968)
  • 太陽が知っているLa Piscine (1968)
  • シシリアン Le Clan des Siciliens (1969)
  • ボルサリーノ Borsalino (1970)
  • 仁義 Le Cercle Rouge (1970)
  • もういちど愛して Doucement les Basses(1971)
  • レッド・サン Soleil Rouge(1971)
  • 高校教師 La Prima notte di quiete(1972)
  • 暗殺者のメロディ The Assassination of Trotsky (1972)
  • リスボン特急 Un flic (1972)
  • ショック療法 Traitement de choc (1972)
  • スコルピオ Scorpio (1973)
  • 燃えつきた納屋 Les Granges brulées (1973)
  • 暗黒街のふたり Deux hommes dans la ville (1973)
  • 個人生活 La Race des 'seigneurs' (1974)
  • 愛人関係 Les Seins de glace (1974)
  • ボルサリーノ2 Borsalino & Co. (1974)
  • アラン・ドロンのゾロ Zorro(1975)
  • フリック・ストーリー Flic Story (1975)
  • ル・ジタン Le Gitan (1975)
  • パリの灯は遠く Monsieur Klein (1976)
  • ブーメランのように Comme un boomerang (1976)
  • プレステージ L'Homme pressé (1977)
  • 友よ静かに死ね Le Gang (1977)
  • チェイサー Mort d'un pourri(1977)
  • エアポート'80 The Concorde ... Airport '79 (1979)
  • テヘラン 43 Tegeran-43(1981)
  • 危険なささやき Pour la peau d'un flic (1981) 監督・脚本も
  • スワンの恋 Un amour de Swann(1984)
  • ヌーヴェルヴァーグ Nouvelle Vague (1990)
  • カサノヴァ最後の恋 Le Retour de Casanova(1992)
  • 百一夜 Les Cent et une nuits de Simon Cinéma (1995)
  • ハーフ・ア・チャンス Une chance sur deux (1998)

[編集] 吹き替え

[編集] DVD作品

[編集] 出典

  1. ^ スポーツ報知 2008年8月14日6時3分配信、同日閲覧。
  2. ^ 石井満 (2005), シックスティーズ・グラフィティ: 新時代の幕を開けた1960〜1962年, 文芸社, p. 212, ISBN 9784286001005 

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月24日 (火) 08:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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