アルハンゲリスク

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アルハンゲリスク
Архангельск

夜のアルハンゲリスク
市章
位置
ロシア内のアルハンゲリスク州の位置の位置図
ロシア内のアルハンゲリスク州の位置
座標 : 北緯64度32分 東経40度32分 / 北緯64.533度 東経40.533度 / 64.533; 40.533
歴史
建設 1584年
行政
ロシア ロシア
 連邦管区 北西連邦管区
 行政区画 アルハンゲリスク州
 市 アルハンゲリスク
市長 Viktor Pavlenko
地理
面積  
  市域 294.42km2
標高 5m
人口
人口 (2008年現在)
  市域 348,740人
その他
等時帯 モスクワ時間UTC+3
夏時間 モスクワ夏時間UTC+4
郵便番号 163000-163071
市外局番 +7 8182
ナンバープレート 29
公式ウェブサイト : http://www.arhcity.ru/

アルハンゲリスクАрхангельск /arˈxanɡʲɪlʲsk/ アルハーンギェリスク;Arkhangel'sk)は、ロシア北西部の都市。白海に注ぐ北ドヴィナ川の河口近くに位置する。アルハンゲリスク州の州都。人口は343,000人(2004年)。17世紀末にピョートル大帝(ピョートル1世)によって海軍軍事基地として開発された。アルハンゲリスクとは「大天使の町」の意味で、戦う大天使(アルハンゲリ)「ミカエル」の名にちなんで命名されたものである。

目次

[編集] 歴史

この地域は古くからヴァイキングに知られており、12世紀にはノヴゴロド人が北ドヴィナ川の入り江に大天使ミカエル修道院を建立した。ノヴゴロドからの入植者はポモールと呼ばれ、白海から北極海を通じた交易に関与した。1478年にはノヴゴロド公国を滅ぼしたモスクワ大公国に編入された。当時、この地域の商業の中心地は現在のアルハンゲリスクより少し上流の町ホルモゴルイであった。

1555年イヴァン4世(雷帝)がイギリス商人たち(モスクワ会社)に特権を与えると、北ドヴィナ川河口に毎年船が送られるようになった。続いてオランダ商人たちも白海での活動を始め、1584年、イヴァン4世はここに町を建設した。はじめはノヴォ・ホルモゴルイ(新ホルモゴルイの意)と呼ばれたが、1613年に近在の修道院にちなみアルハンゲリスクと改められる。バルト海の通航がハンザ同盟とそれに代わるバルト帝国によって支配されていた時代、アルハンゲリスクは、冬期の5ヶ月間は凍結して使用できなくなるものの、ロシアの唯一の海港であり、オランダやイギリス(ムスコヴィ会社)の商人との白海経由の海上交易で栄えた。

1693年、海軍の重要性を認識したピョートル1世によってアルハンゲリスクに造船所が建設される。その後、スウェーデンとの戦争に勝利し、1703年フィンランド湾に臨むペテルブルクが開かれたことで、アルハンゲリスクの重要性は低下した。

18世紀に入り、バルト海の重要性が高まるにつれてアルハンゲリスクは衰退したが、19世紀末にモスクワ鉄道で結ばれたことで、主要な輸出品である木材の輸出港として再び活気を取り戻した。1918年から1920年にかけて、町はボルシェヴィキに抵抗する反革命政府、白軍の拠点となり、1918年8月には、共産革命の崩壊を図ったイギリスやアメリカが一時占領した。

第二次世界大戦中には連合国側の補給中継基地として機能し、多大な軍需援助物資がアルハンゲリスクを通して独ソ戦線へと運ばれていった。(独ソ戦「東部戦線の立場と援助」の項参照)

第二次世界大戦後、アルハンゲリスク州の広大な土地は核実験の場所として使用され、またアルハンゲリスクの南には大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射場(プレセツク宇宙基地を参照)が建設された。外港であるセヴェロドヴィンスクロシア原子力潜水艦製造計画の中心地である。

上記のような軍事上の機密の理由などから、1980年代の共産主義崩壊にいたるまでアルハンゲリスクは閉鎖都市で、外国からの旅行者はもとより一般市民の立ち入りも禁止された。

[編集] 経済

現在、アルハンゲリスクは砕氷船の発達で一年を通して使用できるようになり、重要な港湾都市である。木材加工や漁業が主要な産業。

[編集] その他

18世紀のロシアの科学者ミハイル・ロモノーソフは付近の小村の出身である。

[編集] 友好都市

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

座標: 北緯64度32分 東経40度32分 / 北緯64.533度 東経40.533度 / 64.533; 40.533


最終更新 2009年12月3日 (木) 05:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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