アルバニア王国 (近代)

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アルバニア王国
Mbretnija Shqiptare
1928年 - 1946年
国旗 国章
国旗 国章
国歌 : 旗への賛歌
公用語 アルバニア語
首都 ティラナ
国王
1928年 - 1939年 ゾグ1世
1939年 - 1943年 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
変遷
成立 1928年9月1日
イタリアによる侵攻 1939年4月7日
ドイツによる侵攻 1943年9月9日
臨時政府成立 1944年11月28日
人民共和国成立 1946年
通貨 銀フラン
アルバニア・レク

アルバニア王国(アルバニアおうこく、アルバニア語: Mbretnija Shqiptare)は1928年アルバニア共和国大統領であるアフメト・ベイ・ゾグが国王に即位して誕生したバルカン半島の国家。

[編集] 歴史

1928年、アルバニアは元大統領のゾグーを国王に戴く立憲君主国となった。当時のアルバニアは氏族社会であり、国内情勢は不安定であった。ゾグーは氏族の武装解除や法律整備を推し進め、アルバニアの近代化を図った。

1939年ファシスト党率いるイタリア王国がアルバニアへ侵攻。イタリア軍が進駐し、ゾクーは王妃と共に国外脱出した。同年、アルバニアはイタリアとの同君連合となり、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がアルバニア王に即位する。実質的には、ムッソリーニの娘婿で外務大臣ガレアッツォ・チャーノが、国王代理の総督に就任して統治した。また、チャーノの下で親伊派の傀儡政権が置かれ、国政を担当した。1940年にはイタリアのギリシャ侵攻の煽りを受け、南部地域が激戦地となり、多くの犠牲者を出した。1941年の枢軸軍のユーゴスラヴィア占領によりコソヴォ及び西マケドニア、ギリシャ南部まで領土が拡大し、大アルバニアを形成した。

1943年にイタリアが連合国に降伏すると、今度はドイツ軍の占領下に置かれ、ドイツ軍政の下、親独傀儡政府が置かれた。一部のアルバニアとコソヴォのナショナリスト達は、ナチスの武装親衛隊に入隊するなど、対独協力を行い、セルビア人やユダヤ人に対する虐殺行為に手を染めた。しかし、すべてのアルバニア人が対独協力を行なったわけでなく、住民が積極的にレジスタンス活動やユダヤ住民の保護に協力している。

1944年11月、パルチザン赤軍によって国土が解放されると、ソビエト連邦の支援の下、アルバニア共産党を中心とした臨時政府が樹立される。ゾグは戦後も帰国することができず、亡命先で1961年に死去する。

1946年、王政廃止と同時にアルバニア人民共和国が成立し、エンヴェル・ホッジャを最高指導者とする共産主義政権が成立した。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月25日 (日) 07:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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