アルバニア王国 (近代)
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アルバニア王国(アルバニアおうこく、アルバニア語: Mbretnija Shqiptare)は1928年、アルバニア共和国の大統領であるアフメト・ベイ・ゾグが国王に即位して誕生したバルカン半島の国家。
[編集] 歴史
1928年、アルバニアは元大統領のゾグーを国王に戴く立憲君主国となった。当時のアルバニアは氏族社会であり、国内情勢は不安定であった。ゾグーは氏族の武装解除や法律整備を推し進め、アルバニアの近代化を図った。
1939年、ファシスト党率いるイタリア王国がアルバニアへ侵攻。イタリア軍が進駐し、ゾクーは王妃と共に国外脱出した。同年、アルバニアはイタリアとの同君連合となり、イタリア国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がアルバニア王に即位する。実質的には、ムッソリーニの娘婿で外務大臣のガレアッツォ・チャーノが、国王代理の総督に就任して統治した。また、チャーノの下で親伊派の傀儡政権が置かれ、国政を担当した。1940年にはイタリアのギリシャ侵攻の煽りを受け、南部地域が激戦地となり、多くの犠牲者を出した。1941年の枢軸軍のユーゴスラヴィア占領によりコソヴォ及び西マケドニア、ギリシャ南部まで領土が拡大し、大アルバニアを形成した。
1943年にイタリアが連合国に降伏すると、今度はドイツ軍の占領下に置かれ、ドイツ軍政の下、親独傀儡政府が置かれた。一部のアルバニアとコソヴォのナショナリスト達は、ナチスの武装親衛隊に入隊するなど、対独協力を行い、セルビア人やユダヤ人に対する虐殺行為に手を染めた。しかし、すべてのアルバニア人が対独協力を行なったわけでなく、住民が積極的にレジスタンス活動やユダヤ住民の保護に協力している。
翌1944年11月、パルチザンと赤軍によって国土が解放されると、ソビエト連邦の支援の下、アルバニア共産党を中心とした臨時政府が樹立される。ゾグは戦後も帰国することができず、亡命先で1961年に死去する。
1946年、王政廃止と同時にアルバニア人民共和国が成立し、エンヴェル・ホッジャを最高指導者とする共産主義政権が成立した。
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最終更新 2009年10月25日 (日) 07:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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