アルバート・プホルス

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アルバート・プホルス
Albert Pujols
セントルイス・カージナルス #5
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
アメリカ合衆国[1]
出身地 ドミニカ共和国 サントドミンゴ
生年月日 1980年1月16日(29歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5cm
230 lb =約104.3kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 一塁手
プロ入り 1999年 MLBドラフト13巡目(全体402位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場 2001年4月2日 ロッキーズ
年俸 14,427,326ドル(2009年)[2]
経歴(括弧内は在籍年)
  • セントルイス・カージナルス(2001年 - )
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国 ドミニカ共和国
WBC 2006年

アルバート・プホルス(Albert Pujols, 1980年1月16日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の野球選手。本名はホセ・アルベルト・プホルス(José Alberto Pujols)。一塁手、右投右打。MLBセントルイス・カージナルスに所属している。

MLBにおける最高の打者の一人。2001年のデビュー以降、2009年現在まで打率.300・30本塁打・100打点を9年連続で継続中である。打撃3部門で毎年のように高水準の成績を残し、「三冠王に最も近い男」と言われる。

日本語メディアにおいては表記が定まっておらず、「プホルス」「プーホルス」「プーホールズ」など様々な呼ばれ方をするが、米国では Poo-holes (プーホウルズ)と発音される。

目次

[編集] 経歴

[編集] アマチュア時代

1980年1月16日にドミニカ共和国の首都サントドミンゴで、12人兄弟の末っ子として誕生。5歳のときにはバットを握り、その後も兄や姉がプホルスのコーチをするなど、幼少期から野球に親しむ[3]。16歳のとき、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに家族で移住。1998年にフォート・オーセージ高校を卒業し、メープルウッズ・コミュニティーカレッジに奨学生として進学した。

1999年6月2日にカージナルスからドラフト13巡目(全体402位)で指名を受ける。しかし入団交渉でカージナルスが提示した契約金の額10,000ドルを不服としたプホルスは、その後の大学での試合で活躍し、提示額を60,000ドルまで引き上げさせた[3]。こうして8月17日に入団契約を交わしてプロ入りした。

[編集] 鮮烈デビュー

1982年の復刻ユニフォームを着て打席に立つ(2005年)

プロ1年目の2000年マイナーリーグA級ピオリアで開幕を迎え、AAA級メンフィスまで一気に昇格。3クラス合計で打率.314・19本塁打・96打点という成績を残し、球団のマイナー最優秀選手として表彰された[4]。翌2001年のスプリングトレーニングでプホルスを観たマーク・マグワイアが才能を見出し、トニー・ラルーサ監督に「彼をロースター入りさせた方がいい」と進言[5]。ウォルト・ジョケッティGM(当時)は、この年もプホルスをAAA級メンフィスに置いて経験を積ませる方針だったが、その後のオープン戦でも好成績を残したため、開幕メジャー入りさせることにした[3]

プホルスは開幕戦に6番・左翼で出場しメジャーデビューを果たす[6]。その後、三塁のレギュラーと目されていたボビー・ボニーヤが故障したため三塁にも入り、さらに右翼・一塁と様々なポジションに就きながらも、1試合に欠場したのみで、打率.329・37本塁打・130打点という新人離れした成績を挙げた。シーズン終了後にはナ・リーグ新人王を満票で受賞し(史上9人目)[7]MVP投票でも4位に入った。三塁手部門でシルバースラッガー賞も受賞しているが、三塁手として先発出場したのは約50試合で、一塁手・左翼手・右翼手としてもそれぞれ約35試合ずつ先発出場している。

2002年は主に左翼で出場し、打率.314・34本塁打・127打点を記録。MVP投票ではバリー・ボンズに次ぐ2位となる。2003年には打率.359・212安打を記録し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者・最多安打を獲得した。95長打・51二塁打でもリーグ1位となったほか、本塁打は自己最多の43本を放ち、1922年のロジャース・ホーンスビー以来となる球団史上2人目の40本塁打・200安打を達成した[8]。MVP投票ではまたもボンズに次ぐ2位だったが、この活躍を受けて球団は翌2004年のシーズン開幕前に、7年1億ドルの契約を結んでいる[9]

その2004年からは本格的に一塁手へ転向。打撃では史上12人・15回しか達成していないシーズン100長打にあと1本まで迫り、46本塁打(リーグ2位)・123打点(同3位)を記録した。またチームメイトのスコット・ローレンジム・エドモンズもシーズン30本塁打を達成し、"MV3" と呼ばれる球団史上屈指の強力打線を形成した[10]

[編集] 5年間で3度のMVP

2005年はプホルスの後を打つ4番打者のローレンが故障で離脱し、ラリー・ウォーカーレジー・サンダースがその代わりを務めることに。しかし彼らは4番打者として力不足であったため、プホルスが勝負を避けられるケースが増え、結果としてプホルスの四球は自己最多の97を記録した[11]。踵を痛め1試合欠場しただけで[12]、打撃3部門では打率.330・41本塁打・117打点を記録。プホルスのデビュー年以来4年連続でMVPを受賞していたボンズがこの年は故障でシーズンを棒に振っていたこともあり、プホルスは本塁打王アンドリュー・ジョーンズや首位打者のデレク・リーを抑え、初のMVPを受賞した。

2006年には、MLBレギュラーシーズン開幕前の3月に開催された国際大会・第1回ワールド・ベースボール・クラシックドミニカ共和国代表の一員として出場。その後開幕したシーズンでは序盤から例を見ない勢いで本塁打・打点を量産し、5月終了時点で打率.315・25本塁打・65打点という成績を残す。これは年間75本塁打・200打点のペースで、ボンズのシーズン本塁打記録73をプホルスが上回るのではとの声も上がった。ステロイド疑惑と無縁のプホルスの本塁打量産は好意的に受け入れられていた[13]。しかしその後、シーズン開幕前から抱えていた腰痛が悪化。6月4日に故障者リスト入りし22日まで休養したため、記録更新はお預けとなった。しかしこのシーズンは打率.331・本塁打49・打点137という成績を残し、本塁打と打点は自己最高を記録した。また、カージナルスがワールドシリーズに勝利したため、プホルス自身初の世界一を経験した。

三塁へ向かう(2008年)

2007年はシーズン序盤の打撃不振やシーズン終盤の左ふくらはぎ痛がたたり、打率.327・32本塁打・103打点といずれも自身の平均を下回る成績となった。2008年は、一時戦列を離れたこともあったものの、リーグ2位となる打率.357に加え、37本塁打・116打点を記録。カージナルスは地区4位に終わったが、プホルスは本塁打・打点の二冠王のライアン・ハワードを抑え、2005年以来2度目のMVPを受賞している[14]

2009年はオフに右肘を手術していたため不安の残るスタートであったが、その影響を感じさせず序盤から本塁打を量産。6月を終了した時点で打率.332、30本塁打、77打点を記録しており(6月終了時点で30本塁打を記録したのはMLB史上10人目の快挙)[15]三冠王獲得が期待された。後半はややペースダウンしたことや、ハンリー・ラミレスプリンス・フィルダー、ライアン・ハワードらに猛追されたため一冠に終わるが、自身初となる本塁打王を獲得。本塁打以外にも得点(124)、出塁率(.443)、長打率(.658)、塁打数(374)、敬遠数(44、歴代5位)と数多くの項目でトップに立った。デビュー以来続けている打率.300・30本塁打・100打点も9年連続まで伸ばし、この安定した活躍を受けSporting Newsから2000年代を代表する選手として"MLB Athlete of the Decade"に選出された[16]。シーズン終了後には2年連続、通算3度目となるMVPも獲得。1位票を全て集める満票での受賞で、これは2002年のバリー・ボンズ以来7年ぶり、歴代15人目の快挙だった。また通算3度の受賞はボンズに次いで歴代2位タイとなった[17]

[編集] 特徴

[編集] 打撃

足を大きく広げたスタンスで60パーセントの体重を軸足に残し、バットを上下に動かす独特のフォームが特徴。そのスイングは「理想の体現」とも表現され、2006年5月22日付のスポーツ・イラストレイテッド誌では "A swing of beauty" と紹介された[18]。スイング・スピードは飛び抜けて速く、通常の打者よりも球の見極め時間が長い。ただ本人はそのスピードのせいで引っ張る打撃中心となることを嫌っているため、右投手に対して32 1/2オンス(約921.4グラム)のバットを使うのに対し、見極め時間が長くなる左投手に対しては33オンス(約935.5グラム)と重めのバットを選んで故意にスイングスピードを下げている[18]。そのため、反対方向への強い打球も目立つ。現在は主にマルッチ社のロックメープルバットを使用している。

選球眼が非常にいいことやバットコントロールに優れることから、四球数が多い一方で三振数は少ない。2006年から4年連続で BB/SO (四球数/三振数)の値が両リーグ1位である。また、2006年は49本塁打に対し三振数が50であったが、40本塁打以上で三振数が本塁打数を下回った打者は、当時の直近50年間でも2004年のバリー・ボンズのみで、プホルスはこれにあと一歩まで迫った。

2006年は本塁打・打点でリーグ2位。いずれもライアン・ハワード(左)にタイトルを阻まれた

「三冠王に最も近い男」と言われているが、先述のように打撃タイトルにはあまり縁がない。打撃三部門でのタイトル獲得は2003年の首位打者、2009年の本塁打王のみで、2位に終わったことが計7回(首位打者2回・本塁打王2回・打点王3回)、3位に終わったことが計5回(首位打者2回、本塁打王1回、打点王2回)ある。最も2位が多いのは打点の3回で、それぞれランス・バークマン(2002年)、アンドリュー・ジョーンズ(2005年)、ライアン・ハワード(2006年)にタイトルを阻まれている[19]。2004年の本塁打王エイドリアン・ベルトレや2005年の首位打者デレク・リー、2008年に首位打者となったチッパー・ジョーンズと合わせ、毎年のように違うライバルが現れている。

[編集] 守備・走塁

メジャー昇格当初は左翼手三塁手遊撃手右翼手としても出場していたが、ティノ・マルティネスの移籍に伴い、2004年から一塁手に固定された。コンバート時は動きの固さなどが指摘されたが[要出典]、スローイングの改善や投手との連携プレイ習得に励んだ結果、守備力もリーグトップクラスと評価されるようになり[20]、2006年にはゴールドグラブ賞を獲得。2009年には一塁手として185補殺を記録し、ビル・バックナーが持っていたシーズン捕殺記録を更新した[21]。またMLBの専門家が集い、ポジション別で最高のディフェンシブ・プレイヤーを決めるフィールディング・バイブル・アワードでは、この賞が創設されて以来2006~2009年の四年連続で一塁手部門を受賞している[22]

走塁面では、2005年に盗塁を18回試み失敗を2回に抑えるという格段の進歩を見せている。だがその後3年間では16盗塁に対し失敗も11回と、バッテリーの警戒が強くなると成功率が悪化する面が露呈した。ただし2009年は20回中16回を成功させている。

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
2001 STL 161 676 590 112 194 47 4 37 360 130 1 3 1 7 69 6 9 93 21 .329 .403 .610 1.013
2002 157 675 590 118 185 40 2 34 331 127 2 4 0 4 72 13 9 69 20 .314 .394 .561 .955
2003 157 685 591 137 212 51 1 43 394 124 5 1 0 5 79 12 10 65 13 .359 .439 .667 1.106
2004 154 692 592 133 196 51 2 46 389 123 5 5 0 9 84 12 7 52 21 .331 .415 .657 1.072
2005 161 700 591 129 195 38 2 41 360 117 16 2 0 3 97 27 9 65 19 .330 .430 .609 1.039
2006 143 634 535 119 177 33 1 49 359 137 7 2 0 3 92 28 4 50 20 .331 .431 .671 1.102
2007 158 679 565 99 185 38 1 32 321 103 2 6 0 8 99 22 7 58 27 .327 .429 .568 .997
2008 148 641 524 100 187 44 0 37 342 116 7 3 0 8 104 34 5 54 16 .357 .462 .653 1.115
2009 160 700 568 124 186 45 1 47 374 135 16 4 0 8 115 44 9 64 23 .327 .443 .658 1.101
通算:9年 1399 6082 5146 1071 1717 387 14 366 3230 1112 61 30 1 55 811 198 69 570 180 .334 .427 .628 1.055
  • 2009年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 獲得タイトル・表彰

[編集] 人物像

[編集] 慈善活動

敬虔なキリスト教徒として知られ、本人は「社会的規範」になることを目指している[20]。チャリティ活動に熱心で、特にダウン症児とその家族の支援に力を注いでいる。というのも、2000年1月1日に結婚したデイドル夫人は過去に別の男性と結婚していた時期があり、その男性との間にできた娘のイザベラがダウン症児であるためである。デイドルと結婚したときに、彼女の連れ子であるイザベラはプホルスの義娘となった。

2005年、プホルス一家はダウン症児とその家族の生活を支援するための基金を設立した。それらの支援活動が高く評価され、2008年10月25日、ロベルト・クレメンテ賞がプホルスに贈られることがメジャーリーグベースボール機構より発表された[23]

[編集] 年齢詐称・薬物疑惑

プホルスに関しては、デビュー当時から年齢詐称疑惑が報じられている。「米国への移住時に問題なく高校へ入れるようにするため実際より4年(またはそれ以上)若くなるよう詐称した」というもの[24]。本人は「何歳かは自分が一番よく知っているよ」と否定している[20]

また、デビュー当初からのハイレベルな成績や筋骨隆々の体格、さらにドミニカ共和国出身の選手に薬物使用が多いことなどから、プホルスについてもしばしば薬物使用が噂になる。2009年になってアレックス・ロドリゲスマニー・ラミレスといった強打者の薬物使用が発覚したこともあり、プホルスを疑う者も少なからず存在する[25]。しかしプホルス本人はステロイド使用の疑いに対して不快感を露にしており、「昨年は6回検査を受けた。それで不十分だと言うならば毎日だって検査を受ける。もし検査で陽性反応が出た場合、これまで稼いだ年俸の全てを球団に返上する」とまで発言して、ステロイドに対して極めて厳格な姿勢をとっている[26]

[編集] 脚注

  1. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols officially becomes U.S. citizen / Slugger flies to Florida for camp shortly after swearing in," stlcardinals.com, February 8, 2007. 2009年9月22日閲覧。
  2. ^ "St. Louis Cardinals Salaries - 2009," ESPN.com. 2009年9月22日閲覧。
  3. ^ 加藤和彦 「アルバート・プホルス[カージナルス]/強靭なキッド。」 『月刊メジャー・リーグ』2002年3月号、ベースボール・マガジン社、2002年、雑誌08625-3、22-25頁。
  4. ^ "2000 Career Highlights," stlcardinals.com. 2009年9月22日閲覧。
  5. ^ 「30 CLUB MONTHLY REPORT 各球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス OBのマグワイアが始球式に登場 ローレンがハイペースでHR量産」 『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、64頁。
  6. ^ "April 2, 2001 St. Louis Cardinals at Colorado Rockies Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2008年1月29日閲覧。
  7. ^ "2001 Career Highlights," stlcardinals.com. 2008年1月29日閲覧。
  8. ^ "2003 Career Highlights," stlcardinals.com. 2008年1月29日閲覧。
  9. ^ ESPN.com news services, "Contract reportedly for seven years," ESPN.com, February 19, 2004. 2008年1月29日閲覧。
  10. ^ The Birdhouse staff, "St. Louis Cardinals #5 All-Time Team: 2004," Scout.com, January 25, 2008. 2008年10月7日閲覧。
  11. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、304頁。ISBN 978-4-331-51146-6
  12. ^ 水次祥子 「報われた雌状の4年間 MVP アルバート・プホルス[カージナルス]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-1、22-25頁。
  13. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、318頁。ISBN 978-4-331-51213-5
  14. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Crowning achievement: Pujols NL MVP / Cards star becomes first Dominican player to win two such awards," MLB.com, November 17, 2008. 2008年11月18日閲覧。
  15. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols launches long ball No. 30," MLB.com, July 1, 2009. 2009年7月2日閲覧。
  16. ^ "Sporting News' MLB Athlete of the Decade: Albert Pujols, 1B, Cardinals," Sporting News, September 24, 2009. 2009年9月25日閲覧。
  17. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Third time is charming for MVP Pujols," MLB.com, November 24, 2009. 2009年11月25日閲覧。
  18. ^ Daniel G. Habib, "A Swing of Beauty," SI.com, May 22, 2006. 2008年1月29日閲覧。
  19. ^ このうち、2005年のジョーンズと2006年のハワードは本塁打王も獲得している。一方のプホルスは2005年が3位、2006年が2位だった。
  20. ^ 出野哲也 「アルバート・プーホルス[カージナルス] 21世紀のロールモデル」 『月刊スラッガー』2006年8月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-8、8-13頁。
  21. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols sets first baseman assist mark," MLB.com, October 4, 2009. 2009年10月5日閲覧。
  22. ^ "Fielding Bible Awards Winners," 2009年11月6日閲覧。
  23. ^ Mark Newman / MLB.com, "Pujols wins Clemente Award / Cardinals first baseman honored for play, off-field efforts," MLB.com, October 25, 2008. 2008年10月25日閲覧。
  24. ^ 菊地靖 「WBC・中南米の深い謎」 『Number Web』、2006年3月15日。2007年4月15日閲覧。
  25. ^ 出野哲也 「緊急レポート「M・ラミレス薬物規定違反で50試合出場停止の波紋」」 『月刊スラッガー』2009年7月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-7、59-61頁。
  26. ^ Bob Nightengale, USA TODAY, "Cardinals slugger Albert Pujols is batting cleanup for baseball," USATODAY.com, July 13, 2009. 2009年7月14日閲覧。

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年11月25日 (水) 13:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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