アルファロメオ・アルフェッタ

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アルファロメオ・アルフェッタ
アルフェッタ2000
2000GTV(北米仕様車)
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドア セダン
3ドア クーペ
エンジン 直列4気筒DOHC
変速機 5速MT / 3速AT
駆動方式 FR
サスペンション 前:独立 ダブルウィッシュボーン トーションバー 後:ド・ディオン・アクスル コイル
全長 4280mm(1972年4ドア)
全幅 1620mm
全高 1430mm
ホイールベース 2510mm
車両重量 1060kg
先代 アルファロメオ・1750
後継 アルファロメオ・90
アルファロメオ・GTV
-このスペック表は試行運用中です-

アルファロメオ・アルフェッタ (Alfa Romeo Alfetta)は、イタリア自動車製造会社のアルファ・ロメオ社が1972年から84年まで製造販売していた小型乗用車。

目次

[編集] 概要

1960年代の主力車種、ジュリア系の拡大発展型であった1750系の後継車、1970年代に向けた新設計の中型車シリーズとして1972年に発表された。(1750系は2000ccエンジンが与えられ、2000ベルリーナ/2000GTVとして、アルファロメオのトップモデルとして1977年まで継続生産された。)

車名は1950年代初頭に活躍したグランプリカー・ティーポ159の愛称から命名されたもので、その名にふさわしく、変速機とクラッチを後輪デファレンシャル直前に配置し、バネ下重量が軽くキャンパー変化が無いことから、1930年代以来レーシングカーや高性能車に好んで採用されてきたド・ディオンアクスルの後輪サスペンションを組み合わせた、野心的なシャシー設計を特徴とした。その設計の甲斐あって50:50の理想的な前後重量配分、シャープなハンドリング、良好な乗り心地を実現し、当時のスポーティサルーンの模範的な存在となった。その反面、アルフェッタは当時のイタリア車に付きものの雑な工作や不十分な錆対策、更にはギアボックスからシフトレバーまで長いロッドでつなぐための不快なシフトフィーリング、エンジンと等速で回転するプロペラシャフトの振動など設計上からの固有の欠点に悩まされ続け、傑出した基本設計にもかかわらず、1970年代後半から80年代半ばに至るアルファロメオの不振の一因にもなった。技術レベルの低い排気ガス対策を施された北米向け、1976年以降の日本向け輸出車には、動力性能と操縦性の大幅な低下というおまけも付いていた。

[編集] モデルの変遷

[編集] ベルリーナ

1972年5月、4ドア・ベルリーナが登場。当初は1750と共通の1779cc124馬力一種類であった。第一次石油危機後の不況を反映し、1975年初めには廉価版「アルフェッタ1.6」が追加された。1.6は丸型2灯式ヘッドライトを持ち、前方からは容易に識別できた。1976年には角型2灯式ヘッドライトとより高級志向の内外装を持つ「アルフェッタ2000」が登場、1979年には第二次石油危機に対応して「2000ターボディーゼル」も追加され、1983年には「2.4ターボディーゼル」に発展した。1.6と1.8は1983年まで、2.0とターボディーゼルは1984年まで生産され、基本的に同一設計でボディパネルを一新したアルファロメオ・90に後を譲った。Wikipedia英語版によると、4ドアの累計生産台数は448,417台とされる。

[編集] GT

1974年には3ドアのGTシリーズが追加された。ボディデザインはジョルジェット・ジウジアーロで、広いグラスエリアと大人4人が快適に乗車できる居住性を特色とした。ダッシュボードはタコメーターだけがドライバー正面、他の計器類はセンターに配置されるという、当時では異色のレイアウトを持っていた。やはり当初は1779ccエンジンモデルのみであったが、1976年に1.6と2.0GTVが追加された。1979年には1962cc150馬力のターボチャージャー付エンジンを搭載した「2000ターボデルタ」が400台生産された。1980年にはアルファ6で初登場した2492cc150馬力のV6エンジンを搭載した「アルフェッタGTV 2.5」が登場、このエンジンは傑作として世評が高く、1980年代のアルファロメオのイメージ回復の先駆けとなった。1983年以降はGTシリーズからアルフェッタの名称が外れ、単に「アルファロメオGTV」と呼ばれるようになり、4ドアの消滅後も1987年まで継続生産された。同じくWikipedia英語版によると、累計生産台数は137,543台とされる。

[編集] 日本市場でのアルフェッタ

アルフェッタは1973年から当時のディーラー伊藤忠オートによって輸入開始された。GTも1975年に導入開始となった。伊藤忠オートの方針によりほぼ全てが右ハンドル仕様であった。DOHCエンジンによる高い動力性能と傑出した操縦性は日本市場でも歓迎され、特に当時のカーグラフィック編集長で高名な自動車評論家であった小林彰太郎が1975年にベルリーナを購入したことによって、当時のマニア層に広く受け入れられた。しかし、排気ガス対策が厳しくなった1977年以降は北米輸出仕様の2000ccに切り替えられ、大幅な性能低下、大型バンパー装着と米国市場向けサスペンションセッティングによる操縦性悪化により、一気に不人気車になってしまう。女性ドライバーを意識してオートマチックモデルを追加投入するなどの努力も空しく、1983年に伊藤忠オートは1960年代以来のアルファロメオ販売から撤退、後を継いだ日英自動車が、少数限定枠を利用して本国仕様のGTVやGTV2.5V6の限定輸入を継続した。

[編集] 参考文献

最終更新 2009年6月19日 (金) 11:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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