アルブレヒト1世 (ブランデンブルク辺境伯)

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アルブレヒト1世像(ベルリン

アルブレヒト熊公Albrecht der Bär, 1100年頃 – 1170年11月18日 シュテンダール?)は、ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト1世、在位:1157年 - 1170年)。バレンシュテット伯アルブレヒトともいう[1]。アスカーニエン家出身の人物で、ドイツの東方進出に寄与し、1157年にブランデンブルク辺境領を創設し、初代ブランデンブルク辺境伯に封ぜられた。アルブレヒトの功により、ノルトマルクも事実上ブランデンブルク辺境領として神聖ローマ帝国の版図となった。

[編集] 略歴と称号

アルブレヒト(アデルベルトゥス)・フォン・バレンシュテット、すなわちアルブレヒト1世は、オットー裕福伯とエイリーケ・ビルンク・フォン・ザクセンとの間の一人息子。歴史上、「アルブレヒト熊公」と呼ばれるこの人物の出生地は明らかでない。添え名の「熊」の具体的な説明はなされていないのである。

アルブレヒトは、70歳まで生きた、当時としては異例に長命の人物であった。しばしば逝去の地はシュテンダールとされるが、これも証明されてはいない。アルブレヒトの墓が、ハルツ山地の麓にあり現在は城になっている、当時のバレンシュテット伯家の修道院にあることは確実視されている。アルブレヒトは、1125年あるいは1126年に、クヴェートリンブルクの女子修道院長ベアトリクスの姉(あるいは妹)に当たるゾフィアと、結婚した。彼女は、ヴィンツェンブルク伯家の出身ではないかという説があるが、これは単なる仮説に過ぎない。この夫妻の間には3人の娘と7人の息子が生まれた。この中には、1170年にブランデンブルク辺境伯を受け継ぐオットー1世が含まれる。

10人の子供には以下の人物が含まれる。

アルブレヒト自身は、以下の称号を得ている。

  • バレンシュテット伯(1123年 – 1170年)
  • ラウジッツ侯ならびに辺境伯(1123年 – 1131年)
  • ザクセン公(1138年 – 1142年)
  • ヴァイマール=オーラミュンデ伯(1134年頃 – 1170年)
  • ノルトマルク辺境伯(1134年 – 1157年)
  • ブランデンブルク辺境伯(1157年 – 1170年)

[編集] 脚注

  1. ^ ザクセン公時代のこの人物をドイツ語では専ら「アルブレヒト熊公」と称し、「ザクセン公アルブレヒト1世」とは呼ばない。この呼び名(Albrecht I., Herzog von Sachsen)は、通常、彼の孫にあたる同名の人物を指す。


先代:
ハインリヒ2世
ザクセン公
1138年 - 1142年
次代:
ハインリヒ3世
先代:
ブランデンブルク辺境伯
1157年 - 1170年
次代:
オットー1世

最終更新 2009年1月21日 (水) 11:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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