アレックス・ロドリゲス
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| ニューヨーク・ヤンキース #13 | |
|---|---|
アレックス・ロドリゲス(2007年)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1975年7月27日(34歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =190.5cm 225 lb =約101.9kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 三塁手、遊撃手 |
| プロ入り | 1993年 ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 1994年7月8日 |
| 年俸 | $33,000,000[2](2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
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この表について
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アレックス・ロドリゲス(Alexander Emmanuel "Alex" Rodriguez, 1975年7月27日 - )は、MLBニューヨーク・ヤンキース所属の野球選手(三塁手、遊撃手)。背番号は13。アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン区出身。ニックネームはA-Rod。
走攻守に傑出した才能を誇り、メジャーリーグ最高の三塁手と言われている。
目次 |
[編集] 経歴
1975年7月27日、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる。父親はビクター、母親はローデスで両親は靴屋を営んでいた。兄妹にジョセフとスージーがいる。4歳のときに家族はドミニカ共和国のサントドミンゴに移住。父親はそこでドミニカ共和国のマイナーリーグでキャッチャーをしており、息子のアレックスを度々試合に招いた。父親はそこで薬局を営むが、最終的にはフロリダのマイアミに落ち着く。8歳のときに両親は離婚。母親が女手一つで2つの仕事を掛け持ちし、アレックスを育てた。この頃から野球をやる傍ら、メジャーリーグに興味を持ち始める。お気に入りの選手はデール・マーフィーとキース・ヘルナンデス、それにカル・リプケン・ジュニアだった。彼がメジャーリーグデビューからしばらく付けていた背番号3はデール・マーフィーの背番号に、ポジションのショートはカル・リプケン・ジュニアにちなむ。
高校時代はバスケット・ボールではレギュラー、アメリカン・フットボールではクォーターバックとして多くの大学からスカウトの目に留まり、本業の野球では100試合に出場して打率.422、本塁打6、52得点、42盗塁を記録し、1993年オール・アメリカンに選ばれるなど、卓越した運動神経を見せた。
[編集] マリナーズ時代
1993年マイアミ大学への入学書へサインをしていたがシアトル・マリナーズにドラフト1位(全米1位)指名され契約。翌年の1994年7月8日に1900年以降のメジャーリーグの遊撃手としては史上3人目の18歳でメジャーリーグキャリアをスタートさせる。打撃、走塁、守備すべてにおいてトップクラスの成績を収めており、メジャーリーグ史上屈指のオールラウンドプレーヤーといわれる。シアトル在籍時には、メジャーリーグでもトップクラスのスラッガーでありながら守備負担の大きいショートストップを守るという新しいスタイルを確立した。
1996年、36本塁打、123打点そして、21歳と史上3番目の若さで首位打者、球団記録となる打率.358、141得点、215安打、54二塁打を記録し[3]、めきめきとその頭角を現していった。1997年、打率.300、23本塁打、84打点を記録した。同年6月5日のタイガース戦でサイクル安打を達成した。1998年には、打率3割、打点100以上に加えて、メジャー史上3人目の40本塁打40盗塁を達成(またこれは、遊撃手として史上3人目のシーズン40本塁打)し、メジャー屈指の、5ツールプレイヤーに成長した。
1999年は故障のため30試合以上欠場したが42本塁打を記録した。2000年打率.316、41本塁打、132打点そして初めて100四球を記録した。
[編集] レンジャーズ時代
2000年にはFA権を取得。紆余曲折の末、テキサス・レンジャーズが10年総額2億5,200万ドルという空前の条件で獲得する。これは当時のスポーツ界で最高の年俸でもあった。既にA-Rodはメジャーでも屈指のプレイヤーに数えられ、かつ最高の将来性を持つ存在であったが、この超長期契約とあまりの高額ぶりは、野球界を超えて大きな話題を呼んだ(なお代理人は辣腕で知られるスコット・ボラスである)。古巣マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドでの試合では、大ブーイングとともに札束の玩具をばらまかれるといった手荒い歓迎がしばらく続いた。この高年俸と大きな期待から来る重圧が、ドーピングへとつながっていった(後述)。
レンジャーズの3年間に残した成績は文句のつけようのないもので、2001年、リーグ1位の52本塁打、133得点、そして393塁打、2002年はメジャー1位の57本塁打、142打点そして389塁打。2003年、リーグ1位の本塁打、長打率を記録し、同年4月、27歳149日で史上最年少で300本塁打[4]を達成し、史上2人目の最下位チームからのMVP獲得するなどA-Rod個人は活躍を見せたもののチームは3年連続の地区最下位となり、その高額年俸がチーム再建の足かせとなってしまった。また、自身も勝てるチームへの移籍を望んでいたため、2004年2月15日にレンジャーズが1億7,900万ドルのうち6,700万ドルの年俸を負担することを条件にヤンキースへトレードされた(交換相手はアルフォンソ・ソリアーノ二塁手など)。
[編集] ヤンキース時代
シアトル、テキサスではショートストップを守っていたが、ヤンキースにおいてはキャプテンでスーパースターであるデレク・ジーターの守備位置であったため、サードへコンバートされた。ヤンキースの背番号3はベーブ・ルースの永久欠番であったため、13番を選択。ヤンキース初年となった2004年こそ成績が落ち込んだものの、2005年6月、メジャーリーグ史上初めて20代で通算400号を達成し4度目のホームラン王とともに2度目のMVPを獲得。2006年は7年ぶりに年間塁打数が300を切るなど不調で、自己ワーストとなる24失策を記録するなど攻守ともに精彩を欠いたが、通算450本塁打を達成。
2007年は、開幕15試合で12本塁打(30打点)に到達。これは、ア・リーグ最速記録である。8月4日、メジャー史上最年少(32歳8日、それまでの記録はジミー・フォックスの32歳338日)、出場試合数では史上3番目の早さ(1855戦目、最速記録はマーク・マグワイアの1639戦目)でメジャー史上22人目の通算500本塁打を達成した。結局シーズンを通して好不調の波はあったものの、3度目の50本塁打以上、自己ベストの156打点を記録し、二冠王に輝いた。2007年10月28日、ヤンキースとの残り3年の契約オプションを行使しない事を表明し、正式にフリーエージェントとなったが、10年総額2億7,500万ドル(約309億円)、出来高払いを含めると3億ドル(約330億円)で残留。
2008年途中、右太ももを痛めて20試合以上欠場したが、11年連続35本塁打以上を記録。通算550本塁打も達成した。また、9月3日のタンパベイ・レイズ戦で、ロドリゲスがレフトポール際に放った打球にメジャーリーグ史上初めてビデオ判定が適用された(判定は本塁打)。年末には2009年に行われるWBCにはドミニカ代表として出場すると表明した。
2009年2月7日に2003年の薬物検査でステロイドの陽性反応を示したと報じられ[5]、2月9日にそのことを認めた[6](詳細は後述)。その後、WBCドミニカ代表の合宿に合流したが、直後に右臀部の故障が判明。WBC出場を取りやめ、緊急手術を受けた。リハビリを経て、5月8日のボルティモア・オリオールズ戦で復帰した。その復帰戦の第1打席で初球本塁打を放ち、現地のYESネットワークの実況は「A fairy tale swing」(おとぎ話のようなスイング)と表現した。10月4日、レギュラーシーズン最終戦となる対タンパベイ・レイズ戦で6回無死1、2塁から逆転3ランを放つと、この回2度目の打席で満塁本塁打を放ち、1イニング7打点のア・リーグ新記録を達成した。この日の2本塁打、7打点でちょうど30本塁打、100打点に到達し、12年連続の「30本、100打点」は大リーグタイ記録で、通算13度目は大リーグ新記録となった。
[編集] 薬物問題
2009年2月7日、スポーツ・イラストレーテッドは2003年の薬物検査で104人の選手が陽性反応を示し、そのうちロドリゲスはステロイドの一種であるテストステロンとプリモボランの陽性反応を示したと報じた[5]。ステロイドの使用はルールブックへの記載こそ無かったものの、1991年以降医者の指示のない限りは使用を禁止することが通達されていた上、アメリカ国内での流通も法律上禁止されていた[7]。当時は匿名と罰則なしを条件に検査が実施されたため、メジャーリーグ機構はこの件について一切コメント出来ないとした[8]。ロドリゲスも当初この件についてはノーコメントを貫いていたが、2月9日にESPNが行った単独インタビューでロドリゲスはテキサス・レンジャーズ時代の2001年から2003年にかけてステロイドを使用していたことを認め、謝罪した。史上最高額の契約に見合う力を証明しなくてはならないという重圧を感じていたという[6](翌年の2004年にはテストの時期を事前に選手会のCOOであるマット・オルザから知らされていたとも言われている[7])。 このESPNとの単独インタビュー後はアメリカ大統領も含め、各方面から様々な意見が出た。[9][10][11][12]。
翌週にヤンキースのスプリングトレーニングで開かれた記者会見ではドミニカで調達した薬物をいとこに勧められて打ったと新たな告白をしたが、後に2001年から2003年の間ドミニカではプリモボランは処方箋の有無に関わらず入手不可能であったと矛盾点が報道された。またかつてトロント空港で大量薬物所持が見つかりメジャー・リーグ出入り禁止を通告された問題のトレーナーを、MVPを獲った2007年のシーズンを通してロドリゲスがアウェイのホテルに帯同していた事実をあるスカウトが明らかにした。トレーナーは薬物を投与した後その痕跡を消すことができるため選手たちからThe Cleanerと通称されており、2006年WBCではドミニカチームのコーチを務め、2009年もWBCドミニカチームに参加し、一月にはロドリゲスをコーチしている写真も明らかにされたが、この事件で今後WBCからも追放されることとなった。このトレーナーの件についてロドリゲスはノーコメントを通している。
同年4月には、新たな暴露本が発売され、高校時代から恒常的にステロイドやヒト成長ホルモンを摂取してきたという疑惑が持ち上がっている。ロドリゲス本人は、この件についてのコメントを拒否している。
[編集] 特筆
[編集] イメージを気にする?
アレックスの人格的特徴として、自らのイメージに固執し過ぎる点がしばしば指摘される。
- 2003年12月にアシュトン・カッチャーが進行役を務めるドッキリ番組『パンクト』で「優勝できないチームに所属する負け犬」と一般人から罵られるシチュエーションのいたずらを仕掛けられたが、放映承諾書のサインを拒み、収録テープも破棄させた。2007年2月には自著の絵本の販売促進活動として出演する予定だった番組の質問に対して事前に制限を加えようとしたが、局のニュース方針に反することから局側が制限の具体的内容を問い合わせたところ、アレックス側は回答をせず、当日になって突然に出演キャンセルを代理人経由で申し入れた。その後よりニュース性の薄い娯楽番組2本に出演したが、そのひとつマーサ・スチュワートが司会を務めるショー番組では和やかな雰囲気で皮肉を言われるという屈辱を受けている[13]。
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシックでは当初ドミニカ代表として参加することを表明しながら参加自体をとりやめ、その後再びアメリカ代表として参加することを大会メンバー発表直前に自身のホームページを通じて明らかにしたため、ホワイトソックス監督のオジー・ギーエンから「最初のドミニカ代表の表明は、ヒスパニックの人々の歓心を得るための偽善行為だ」と非難された(後にギーエンは謝罪した)。その年のスプリングトレーニングでは、記者とのインタビューや会話で意識して粗野な言い回しを使うなど通常とは全く別のイメージを演出し、「本来の彼はなんなのだ、彼に人格の核はあるのか」と番記者たちを唖然とさせた[14]。
- エラーや三振を量産して激しいブーイングを浴びた2006年には、一時的に調子が上向いた8月半ばに「チームに故障者が続出したためこれまで隠してきたが、実は自分も本来なら故障者リスト入りするほどの怪我を押し隠して出場し続けていたんだ。」と公表したが、翌日、具体的にどこをどう故障したのか問われると答えられず「怪我を言い訳にはしたくない」と口をつぐんだ。監督も怪我については知らなかったとコメントしたため、「A-Rodは精神に異常をきたしたのか」との記事まで出た。彼のイメージに拘る性癖はプレイにも影響を及ぼし、ジョー・トーリ監督はしばしば「彼は打席で自分を印象づけようとし過ぎる」と懸念を抱いていた。
しかし2007年のスプリングトレーニングの開始直後、「もう嘘をつくのはやめる」と前置きをして、かつての親友デレク・ジーターとの現在の関係や契約当時スポーツ史上最高額であった高額契約について率直な考えを表明した。2007年4月は、2発の逆転サヨナラホームランを含む14本塁打、打率3割5分5厘、34打点という爆発的なスタートを記録、シーズンを通じて好調を維持したが、またしてもプレーオフでは不調に陥り、批判を浴びた。
[編集] 舌禍を招きやすい?
コメントの内容がまるで台本を用意しているかのように優等生的であるという批判を受ける一方で、舌禍事件も多い。
- ケン・グリフィー・ジュニアが1999年オフにマリナーズを去ったときアレックスは「これで我々は長打を打ちながら負けるというチームではなくなった。このチームは観戦していて面白くなるだろう」とコメントした。その言葉通り、翌シーズンはチームをワイルドカードでプレーオフに導くが、皮肉なことにアレックス自身が去ったその翌シーズンの2001年にチームはさらに成績を伸ばしてMLB史上最高の勝率で(162戦116勝)地区優勝を果たした。
- テキサス・レンジャーズと10年で2億5,200万ドルというスポーツ史上最高額契約を結んだ2000年オフの12月に、ESPNラジオのインタビューで今後誰がこの巨額契約記録を破ると思うかと聞かれ、「2億5,200万ドルは自分のように若くしてこれだけの才能があればこそのものであり、破るのは難しいだろう。デレクのような者でも無理だ。自分ほどのパワーも守備力もないからだ。彼は1億8,000万ドルだろう、いや1億5,000万ドルか」とデレク・ジーターの名に言及した。これについてその後ジーターとは電話でわだかまりを解いた。しかし翌年3月にエスクワイア誌に「ヤンキースはジーターが牽引しているわけではない。彼は2番打者という気楽な立場だ。3番や4番を打つ打者とは違う。ヤンキースと勝負するとき、バーニー・ウィリアムズやポール・オニールはマークするけど、誰も「デレクに気をつけろ」とは言わない。彼は警戒されていないのさ」というコメントが掲載されると大勢の記者がスプリング・トレーニング中のジーターのところへ押しかけ、ジーターは「今夜アレックスに話を聞く。君たちには明日答える」と即答を避け、翌日許したと記者たちに答えた。その後アレックスは記者に対してジーターを過度に褒め上げ、ジーターの契約額については10年契約ではなく5年か6年のつもりで言ったのだと釈明し、本心を言っているというよりも自分のイメージ回復に努めているように見えるとの記事も書かれた。2007年のスプリングトレーニングでアレックスは、ジーターとの関係について、今でもチームメートとしては全く問題ないものの、当時ほどの仲ではないと語っている[15][16]。
- 2003年オフにヤンキースへ移籍した直後にESPNのインタビューで、3年前のレンジャーズへの移籍について、「事前に『アレックス、このチームは君と24人の子供たちになるだろう』と教えられていれば自分はレンジャーズには行かなかった」とコメントした。これに対して、レンジャーズの選手たちはチーム内で「The Cooler(士気を削ぐ者)」という渾名をアレックスにつけ、最も親しかったマイケル・ヤングでさえ、アレックスが去ったあとチームケミストリーが劇的に向上したと認めるコメントをした。また2005年のスプリングトレーニングの走塁練習では三塁手ハンク・ブレイロックが、2004年のプレーオフでのアレックスの守備妨害を真似て皮肉った。
[編集] 国籍
生まれ故郷のアメリカ合衆国と、両親の故郷ドミニカ共和国の二重国籍保持者である。「『俺はドミニカ人だ!』と、声を大にして言いたい」と語っており、ドミニカ人であることを誇りに思っている[1]。幼少時にドミニカ共和国のサントドミンゴに3年間滞在した経験があり、メジャーに昇格する前はドミニカ共和国のウィンターリーグにも参加していた。
ワールド・ベースボール・クラシックにはアメリカ合衆国・ドミニカ共和国の双方で出場資格があり、第1回大会にはドミニカ代表として参加すると見られていたが、一旦は「アメリカ、ドミニカのどちらの名も傷つけたくない」として出場辞退を表明。その後、紆余曲折を経て、結局アメリカ代表として出場した。生まれ育った土地であるアメリカにも強い愛着があり、アメリカの一市民であることを優先させたという[17]。
しかし、第2回大会ではドミニカ共和国代表としての出場を表明。再びドミニカ代表のユニフォームを着てプレーすることを、ロドリゲス自身と家族が望んでいると語り、出場を熱望したが[18]、大会直前のドミニカ代表合宿中に右臀部を痛め、本大会でプレーする夢は叶わなかった。
[編集] その他
- 一番の好物は寿司である。
- フロリダの高校時代、当時ロサンゼルス・ドジャースの監督トミー・ラソーダと出会い、卒業したらドジャースに入団したいと云う希望があった。
- 自分の道具にA-Rodと書いていたところから、彼のニックネームとなった[19]。
- 入場時にかける曲はLinkin Park&Jay-Zの『Numb/Encore』。理由はJay-Zが親友のうちの一人であるため。
- 食事はプロテインのシェイクを含めて6回取る。
- 尊敬する現役プレーヤーはロジャー・クレメンス(2006年時点)で、最も仲のいいプレーヤーはテキサス・レンジャーズのマイケル・ヤング[20]。
- 現シアトル・マリナーズのイチローと一緒にNBA観戦に行ったり[21]、アメリカで発売されたイチローの本に推薦文を寄せる[22]など親交が深い。
- 2006年開幕前のスポーツ・イラストレイテッド紙による、470人の選手が投票した「過大評価されている選手」調査では、A-Rodが6%の票を集めて3位に選ばれた。監督のジョー・トーリはこれに対して「驚かない」とコメントした。
[編集] プレースタイル
[編集] 打撃
現在のメジャーリーグにおいて1、2を争う長距離打者である。レフトからライトまで全方向に本塁打を打てる。内野フライのような急角度で上昇した打球が、勢いを失わずにそのままスタンドインするような弾道は彼独特のもの。[23]
[編集] 守備・走塁
恵まれた大柄な体格に鋭敏な反射神経を誇り、守備範囲は広い。メジャー屈指の強肩としても知られ、また三塁線側からかなり離れて守るのが特徴の一つである。以前は遊撃手であったが、三塁手に転向してからは未だ三塁手でゴールドグラブに選出されたことが無い。ファールフライ捕球やバント処理など、三塁手特有の細かいプレーの際にミスがまま見られる。
走力も平均以上だが、中軸を打つ機会が多くなってからは以前のように盗塁を試みる機会が少ない。それでも盗塁成功率は高く、年齢が30代に差し掛かってもなお、年間で20程度の盗塁を記録し、必要なときに効果的な走塁をみせる。相手内野手の膝を削るような激しいゲッツー崩しなども果敢に行う。また、ヘッドスライディングを多用する。
[編集] 獲得タイトル・記録
- アメリカンリーグMVP 3回:2003年、2005年、2007年
- 首位打者 1回:1996年(.358)
- 本塁打王 5回:2001年(52)、2002年(57)、2003年(47)、2005年(48)、2007年(54)
- 打点王 2回:2002年(142)、2007年(156)
- シルバースラッガー賞 10回:1996年、1998年 - 2003年(遊撃手部門)、2005年、2007年、2008年(三塁手部門)
- ハンク・アーロン賞 4回:2001年 - 2003年、2007年
- 最多得点:5回
- ゴールドグラブ賞 2回:2002年、2003年
- MLBオールスターゲーム選出 12回:1996年 - 1998年、2000年 - 2008年
[編集] メジャーリーグ記録
- 遊撃手の年間得点数 141:1996年
- 遊撃手の年間長打数 91:1996年
- 遊撃手の年間長打率 .631:1996年
- 遊撃手の年間塁打数 393:2001年
- 遊撃手の年間本塁打数 57:2002年
- 4月の月間本塁打数(タイ記録) 14:2007年
- 年間12本塁打到達試合数(タイ記録) 15:2007年
- 年間13及び14本塁打到達試合数 18:2007年
- ニューヨーク州出身選手の本塁打数 553:1994年 - 2008年
- 最年少通算400本塁打 29歳316日
- 最年少通算500本塁打 32歳8日
- 三塁手の年間本塁打数 52※:2007年
- 年間50本塁打選手の盗塁数(タイ記録) 24:2007年
※年間54本塁打のうち2本はDH出場。
[編集] アメリカンリーグ記録
- 右打者の連続2年間の本塁打数 109:2001年 - 2002年
- 年間10本塁打到達試合数 14:2007年
[編集] ニューヨーク・ヤンキース記録
- 右打者の年間本塁打数 54:2007年
- 右打者のホーム試合年間本塁打数 26:2005年、 2007年
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994 | SEA | 17 | 59 | 54 | 4 | 11 | 0 | 0 | 0 | 11 | 2 | 3 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 20 | 0 | .204 | .241 | .204 | .445 |
| 1995 | 48 | 149 | 142 | 15 | 33 | 6 | 2 | 5 | 58 | 19 | 4 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 42 | 0 | .232 | .264 | .408 | .672 | |
| 1996 | 146 | 677 | 601 | 141 | 215 | 54 | 1 | 36 | 379 | 123 | 15 | 4 | 6 | 7 | 59 | 1 | 4 | 104 | 15 | .358 | .414 | .631 | 1.045 | |
| 1997 | 141 | 638 | 587 | 100 | 176 | 40 | 3 | 23 | 291 | 84 | 29 | 6 | 4 | 1 | 41 | 1 | 5 | 99 | 14 | .300 | .350 | .496 | .846 | |
| 1998 | 161 | 748 | 686 | 123 | 213 | 35 | 5 | 49 | 384 | 124 | 46 | 13 | 3 | 4 | 45 | 0 | 10 | 121 | 12 | .352 | .431 | .560 | .920 | |
| 1999 | 129 | 572 | 502 | 110 | 143 | 25 | 0 | 42 | 294 | 111 | 21 | 7 | 1 | 8 | 56 | 2 | 5 | 109 | 12 | .315 | .387 | .586 | .943 | |
| 2000 | 148 | 672 | 554 | 134 | 175 | 34 | 2 | 41 | 336 | 132 | 15 | 4 | 0 | 11 | 100 | 5 | 7 | 121 | 10 | .316 | .420 | .606 | 1.026 | |
| 2001 | TEX | 162 | 732 | 632 | 133 | 201 | 34 | 1 | 54 | 393 | 135 | 18 | 3 | 0 | 9 | 75 | 6 | 16 | 131 | 17 | .318 | .399 | .622 | 1.021 |
| 2002 | 162 | 725 | 624 | 125 | 187 | 27 | 2 | 57 | 389 | 142 | 9 | 4 | 0 | 4 | 87 | 12 | 10 | 122 | 14 | .300 | .392 | .623 | 1.015 | |
| 2003 | 161 | 715 | 607 | 124 | 181 | 30 | 6 | 47 | 364 | 118 | 17 | 3 | 0 | 6 | 87 | 10 | 15 | 126 | 16 | .298 | .396 | .600 | .996 | |
| 2004 | NYY | 155 | 698 | 601 | 112 | 172 | 24 | 2 | 36 | 308 | 106 | 28 | 4 | 0 | 7 | 80 | 6 | 10 | 131 | 18 | .316 | .395 | .512 | .887 |
| 2005 | 162 | 715 | 605 | 124 | 194 | 29 | 1 | 48 | 369 | 130 | 21 | 6 | 0 | 3 | 91 | 8 | 16 | 139 | 8 | .321 | .421 | .610 | 1.031 | |
| 2006 | 154 | 674 | 572 | 113 | 166 | 26 | 1 | 35 | 299 | 121 | 15 | 4 | 0 | 4 | 90 | 8 | 8 | 139 | 22 | .290 | .392 | .523 | .915 | |
| 2007 | 158 | 708 | 583 | 143 | 183 | 31 | 0 | 54 | 376 | 156 | 24 | 4 | 0 | 9 | 95 | 11 | 21 | 120 | 15 | .314 | .422 | .645 | 1.067 | |
| 2008 | 138 | 594 | 510 | 104 | 154 | 33 | 0 | 35 | 292 | 103 | 18 | 3 | 0 | 5 | 65 | 9 | 14 | 117 | 16 | .302 | .392 | .573 | .965 | |
| 2009 | 124 | 535 | 444 | 78 | 127 | 17 | 1 | 30 | 236 | 100 | 14 | 2 | 0 | 3 | 80 | 7 | 8 | 97 | 13 | .286 | .402 | .532 | .933 | |
| 通算:16年 | 2166 | 9611 | 8304 | 1683 | 2531 | 445 | 27 | 583 | 4779 | 1706 | 297 | 69 | 16 | 82 | 1060 | 86 | 149 | 1738 | 202 | .305 | .390 | .576 | .965 | |
- 2009年完全シーズン終了時点
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 脚注
- ^ い ろ A-Rod: 'I want to say it out loud: I am Dominican' ESPN(英語)(2005/07/14)
- ^ http://sportsline.com/mlb/salaries/top50
- ^ http://www.baseball-reference.com/teams/SEA/leaders_bat.shtml
- ^ http://champions.finito-web.com/MLB/Player/QRST/A_Rodriguez.html
- ^ い ろ "Sources tell SI Alex Rodriguez tested positive for steroids in 2003". Sports Illustrated. 2009年2月10日 閲覧。
- ^ い ろ "A-Rod admits, regrets use of PEDs". ESPN.com. 2009年2月10日 閲覧。
- ^ い ろ "Facing Up to Some Truth Is a Start for Rodriguez". New York TImes. 2009年2月10日 閲覧。
- ^ "MLB Statement regarding Sports Illustrated News Story". MLB.com. 2009年2月10日 閲覧。
- ^ "President Obama tags out A-Rod". New York Daily News. 2009年2月9日 閲覧。
- ^ "In a steroid age, history may be kinder to A-Rod than you think". Sports Illustrated. 2009年2月11日 閲覧。
- ^ "A-Rod admission". Businessworld. 2009年2月10日 閲覧。
- ^ "For First Time, A-Rod Got It Right". Fox Sports. 2009年2月9日 閲覧。
- ^ http://www.newsday.com/sports/baseball/yankees/ny-spbest075083904feb07,0,6474362.column?coll=ny-yankees-print
- ^ http://sports.espn.go.com/espn/eticket/story?page=arod
- ^ http://www.nytimes.com/2007/02/20/sports/baseball/20yanks.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=all
- ^ http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20070219&content_id=1807513&vkey=spt2007news&fext=.jsp&c_id=nyy&partnered=rss_nyy
- ^ Papi: A-Rod wants to play for D.R. MLB.com(英語)(2008/12/05)
- ^ A-Rod commits to Dominican team MLB.com(英語)(2008/12/06)
- ^ http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19960222&slug=2315371
- ^ http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/news/article.jsp?ymd=20050908&content_id=1202299&vkey=news_nyy&fext=.jsp&c_id=nyy
- ^ http://web.archive.org/web/20040407023136/number.goo.ne.jp/from_number/574/special_features/spe2/index.html
- ^ http://www.amazon.co.jp/Ichiros-Art-Playing-Baseball-All-Star/dp/0312358318/ref=sr_1_18/250-5379772-7454644?ie=UTF8&s=english-books&qid=1176873332&sr=1-18
- ^ http://web.archive.org/web/20040212223550/number.goo.ne.jp/from_number/574/special_features/spe2/page3.html
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- AROD.com(英語)
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最終更新 2009年11月29日 (日) 20:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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