アンリ・ジロー
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| アンリ・オノレ・ジロー Henri Honoré Giraud |
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| 1879年1月18日 -1949年3月13日(満70歳没) | |
カサブランカ会談にて。
左から1番目がジロー(1943年) |
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| 生誕地 | パリ県 |
| 死没地 | コート=ドール県 ディジョン |
| 所属政体 | |
| 所属組織 | 自由フランス軍 |
| 軍歴 | 1900 - 1945 |
| 最終階級 | 陸軍大将 |
| 指揮 | 北アフリカ軍司令官 第9軍団司令官 第7軍団司令官 |
| 戦闘/作戦 | 第一次世界大戦 第二次世界大戦 |
| 除隊後 | 政治家 |
アンリ・オノレ・ジロー(Henri Honoré Giraud、1879年1月18日 – 1949年3月13日)は、フランスの陸軍軍人。最終階級は大将。パリ出身。
[編集] 略歴
第一次世界大戦では北アフリカで従軍。1914年8月、ギーズの戦いで重傷を負いドイツ軍に捕らえられた。2か月後に逃亡し、オランダを経由でフランスに帰国。その後、コンスタンティノープルで従軍。1933年、リフの反乱軍の鎮圧のためモロッコで従軍。アブド・エル・クリムを捕らえ、レジオンドヌール勲章を与えられた。その後、メスの司令官に就いた。
第二次世界大戦では、シャルル・ド・ゴールの電撃作戦に対立。1939年、第7軍司令官。1940年5月10日、第9軍司令官としてオランダに進軍、攻勢正面の右翼を担当。19日、ドイツ軍に捕らえられ、捕虜収容所として使われていたドレスデン郊外のケーニッヒシュタイン城(en:Königstein Fortress)に収容された。収容中に逃亡の準備としてドイツ語を学んだり、周辺の地図を記憶するなどした。
1942年4月17日、要塞の陰で髭を剃りチロル帽を被って変装し逃亡。ヴィシーフランスに逃れた。11月8日、連合国軍のトーチ作戦に協力するため仏領アフリカに上陸し、現地のヴィシーフランス軍と交渉したが失敗。しかし、11月10日、フランス軍総司令フランソワ・ダルラン大将が連合軍の停戦の要求に応じ、11日までにヴィシー・フランス軍との戦闘は終結した。アメリカとイギリスの後押しで一時ダルラン大将が北アフリカ総督に就任したが、ダルラン大将がフランス人学生に暗殺され、アンリ・ジローが地位を引き継いだ。
1943年1月、司令官としてドゴールと共にカサブランカ会談に参加。その後、国民解放委員会の議長に就任。10月4日、コルシカ島をドイツから解放するなどしたが、11月に議長の地位を失った。
1944年8月28日に、アルジェリアで暗殺未遂に遭うが回避。4月までフランス総司令官をつとめる。
戦後は、フランス憲法制定議会議員に選ばれ、第四共和制の憲法制定に携わるなどした。 ディジョンにて死去。70歳。
なお、1943年5月27日の全国抵抗評議会ではジャン・ムーランによって自由フランス首班として、その政治的優位を確認されている。
1944年~1948年、軍事参議会の副議長の職にあった。
[編集] 著書
- Mes Evasions
- Un seul but, la victoire: Alger 1942-1944
[編集] 関連項目
最終更新 2009年10月13日 (火) 18:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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