アール・デコ

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アール・デコ:Art Déco)とは、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。原義は装飾美術。

アール・デコ建築のクライスラービル
Maurice Ascalon (1913 - 2003)

アール・デコは幾何学形態などいくつかの装飾的特性を持ってはいるが、かならずしも一様でないため様式的な統一はない。

目次

[編集] 概要

アール・デコは1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いた。博覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)、略称をアール・デコ博といい、この略称にちなんで一般に「アール・デコ」と呼ばれるようになった。また「1925年様式」と呼ばれることもある。

キュビズムバウハウスのスタイル、古代エジプト美術の装飾模様、東洋美術など古今東西からの様々な引用や混合が指摘されている。世紀末のアール・ヌーヴォーは植物などを思わせる曲線を多用した有機的なデザインであったが、自動車・飛行機や各種の工業製品、近代的都市生活といったものが生まれた時代への移り変わりに伴い、世界中の都市で同時代に流行し、大衆に消費された装飾でもある。アール・デコの影響を受けた分野は多岐にわたり、広まった。

アール・デコは、装飾ではなく規格化された形態を重視する機能的モダニズムの論理に合わないことから、流行が去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられた。従来の美術史、デザイン史では全く評価されることもなかったが、1966年、パリで開催された「25年代展」以降、モダンデザイン批判やポスト・モダニズムの流れの中で再評価が進められてきた。

[編集] 建築

アール・デコ建築としては、1930年頃はニューヨーク摩天楼クライスラービルエンパイアステートビルロックフェラーセンターなど)が有名で一世を風靡した。しかし大恐慌によりアメリカ経済が力を失ってゆくと同時に流行は去った。

日本でも昭和時代初期の一時期、アール・デコ様式が流行した。当時国際都市であった上海の近代建築にもアール・デコの影響が見られる(サッスーンハウス、フランスクラブなど)。

インテリア家具にもアール・デコが用いられた。チャールズ・レニー・マッキントッシュウィーン分離派フランク・ロイド・ライトのデザインもアール・デコの流れに位置づけられることがある。

マイアミのアールデコ建築群をマイアミ・デコと呼ぶことがある。

[編集] インダストリアル・デザイン

[編集] 美術

[編集] ポスター絵画

(注)コラン、ルーポ、カルリュ、カッサンドルをあわせてアール・デコ期のポスターの(ダルタニアンを含めた)「三銃士」と呼ぶことがある(「アール・デコのポスター展」展覧会カタログ13ページより)。

[編集] 工芸

ティファニーのランプ

ガラス金属陶芸陶磁器などの工芸作品。ティファニーステンドグラスなど)。他、昭和初期に精工舎が金属・ウランガラス・プラスチックを使用し製作した置時計など。

  • ジャン・ピュイフォルカ(Jean Puiforcat;1897-1945)

[編集] 宝飾ガラス工芸

[編集] ファッション

ファッションの分野でも広がりを見せた。それまで女性服はコルセットを着用し、ウエストと曲線美を強調するデザインであったが、この時代にはコルセット無しの活動的なデザインの服が作られ始めた。ドレスの多くはウエストの無いストンとした直線的なシルエットを持つ。

[編集] 日本

旧・朝香宮

もともとアール・デコには日本の美術から影響を受けた側面があり、日本人の関わりも興味深い。

朝香宮はパリのアール・デコ博で本場の装飾芸術にふれ、フランスのデザイナーを起用して邸宅を建設した。日本に現存する代表的なアールデコ建築である。
1933年(昭和8年)設計・施工清水組
  • 東京都台東区日本堤の「廿世紀浴場」(銭湯)も「アールデコ風」とされることが多い(ただし、廿世紀浴場がアールデコ系と言うのがふさわしいかどうかについては、異論もある)。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月30日 (日) 19:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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