イェール大学

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イェール大学
大学設置/創立 1701年
学校種別 私立
設置者 The President and Fellows of Yale College
本部所在地 米国コネチカット州ニューヘイブン市
学部 教養学部
研究科 教養大学院
医学大学院
経営大学院
法科大学院
神学大学院
芸術大学院
音楽大学院
看護大学院
演劇大学院
建築大学院
林学・環境大学院
ウェブサイト イェール大学公式サイト
  

イェール大学英語: Yale University)は、米国コネチカット州ニューヘイブン市に本部を置くアメリカ合衆国私立大学である。1701年に設置された。

江戸時代に日本語では初めヱール大學と記されたことから、一般にエール大学とも表記される。

目次

[編集] 概要

アメリカの大学としては、ハーバード大学ウィリアム・アンド・メアリー大学に次いで3番目に古い。モットーは"Lux et Veritas"(ラテン語「光と真実」) である。アメリカで最初に設立されたハーヴァード大学では単にVeritas(「真実」)であったが、ハーヴァードの世俗化を批判して創設されたイェールではこれにLux(「光」)を付け加えた。***イェール大学ビデオ***

アメリカ東部の名門大学群アイビー・リーグに所属する8大学のうちの1校である。US NEWS RANKINGS(学部課程のランキング)では毎年ハーヴァード大学、プリンストン大学と共に3位以内に入り、米国を代表する名門大学として不動の地位を保っている。これら3校はBIG3と呼ばれ、また頭文字を創立年順に並べてHYPと略記されることもある(西海岸の名門スタンフォード大学を加えたBIG4、HYPSという略称も用いられることがある)。2006年度には、イェールの学部課程の合格率は一桁台で全米で最も低かった。イェール大学は米国内だけでなく、世界でも最高の名声を得ている大学の一つである。イギリスのタイムズ紙が発行しているThe Times Higher Education Supplementの「世界の大学ランキング」では2位となった(2007および2008年度)。自然科学分野でも多くの専攻で全米ランキング及び世界ランキングの最上位を占めるのは言うまでもないが、人文科学、社会科学分野での評価がとりわけ高い。大学院レベルでは、特にロー・スクール(法科大学院)が全米最難関として知られる。

アイビー・リーグのアメリカン・フットボール最終戦は、伝統的にハーヴァード対イェールであり、The Gameと呼ばれている。教育・研究・卒業生の活躍においても両校のライバル関係が語られることがある。2004年大統領選の主要候補6名の内、4名がイェール出身であるなど、近年の政治家の輩出においては全米で最も脚光を浴びている。ヒラリー・クリントン上院議員もイェール・ロー・スクール出身である。ハーヴァードが「学問研究の中枢」として語られるのに対し、イェールは「国家権力の中枢」として語られることが多い(映画「グッド・シェパード」等を参照)。これまで5人の大統領を輩出。その迷信がかった象徴として、アルフォンソ・タフトらにより結成された秘密結社スカル・アンド・ボーンズ」が頻繁に引き合いに出される。イェールには格式の高いものからそうでないものまで多くの秘密結社が存在する。キャンパスに点在する窓のない建物の多くはそうした秘密結社のものである。

学生数は学部、大学院合わせて約11,000人(ハーヴァードは約19,000人。これらの数字は、2006年8月のニューズウィーク誌のランキングが掲載しているものに拠る)。特に理数系分野の研究においてはハーヴァードの方が規模が大きい。

[編集] 沿革

ニューイングランドの植民地で最初に創設されたハーヴァード大学が堕落してしまった(つまり、「リベラル」になってしまった)と考えてハーヴァード当局に反旗を翻した会衆派の人々により創設された(ちなみに、後にイェールも堕落してしまったと考えた人たちがプリンストン大学を創立する。プリンストン大学総長は初代から第3代までイェール出身である)。現在に至っても、「リベラル」であるとされるハーヴァード大学と比較して保守色が強いと考えられている(ただし、アメリカ全体の中では中西部などと比較してリベラルであると言える)。当初の名称はThe Collegiate School(単に「大学」くらいの意。中国語ウェブサイトは「大学学院」と訳している)であったが、東インド会社総督だった篤志家エライヒュー・イェール (Elihu Yale) に因み、1887年に現在の名称へと変更された。その後、20世紀初頭にシェフィールド科学学校を併合した。

創立当初は、ボストンニューヨークの中間の海沿いの土地、コネティカット州オールド・セイブルック にあったが、1716年に約40kmほどニューヨーク寄りのニューヘイブンに移り今日に至る。同市はニューヨークから北東へ110kmほどに位置している。同市が面している海は、実際にはロングアイランド島との海峡であり、大西洋には直接面していない。大学は町の中心部にあり、この町の住民にとって最大の職場となっている。

専門大学院の中で最も新しい経営大学院 (SOM) は、1976年設立。マネージメント・スクールとしては後発であり、ウォートン・スクールハーヴァード・ビジネス・スクール (HBS) に代表されるそれまでのビジネス・スクールでは見られなかった官・民共に通用する指導者を養成するという構想を掲げてスタートした(この構想は、その後他の多くのビジネス・スクールにも取り上げられることになる)。1998年まで学位の名称はMBAではなく、Master of Public & Private Management(MPPM)であり、民間では経営コンサルティングか投資銀行、それ以外では公共機関または非営利機関が主要な対象となっていた。現在でも、公共・非営利の分野での評価は高いが、そうした分野では給与水準が低いため、卒業後の初任給が重要な評価対象となるMBAグローバル・ランキングでは10位程度に留まることが多い(Financial Times 2007年MBA Global Ranking 参照)。卒業生が、民間に就職後一定の実績をあげて公共の分野に転職し、社会貢献を目指すのも同校の特徴である。公式ウェブサイトによれば、TOEFLの平均点はPBTで657点(677点満点)である。

女子が初めて学部に受け入れられるようになったのはようやく1969年になってからであることからも示唆されるように、イェール大学はマイノリティーの受け入れに比較的積極的ではないと言われている(女性の人口は無論男性のそれとほぼ等しいので数的なマイノリティーではないが、社会的地位等を考慮して社会的なマイノリティーであると理解されることがある)。アフリカ系ヒスパニック等の学生の受け入れにも非常に積極的であるとは言えず、アフリカ系アメリカ人の人権団体に批判されたりもしている。教授陣も白人男性が支配的であり、特にテニュアを取得しているマイノリティー出身の教授の割合は10年前から変化していないと指摘されている。

[編集] 構成

学部レヴェルのイェール・カレッジ、人文理工系大学院 (Graduate School of Arts and Sciences) 、専門大学院(設立年順に、医学、神学、法学、芸術、音楽、林学・環境学、看護、演劇、建築、経営)から構成される。

大学の蔵書数は、1100万冊を超え、大学図書館としては世界第2位(1位はハーヴァード大学)。蔵書の約半数は、ゴシック様式の巨大なスターリング記念図書館(地上7階建てで各階が2層に分かれている)に収められている。

現在のイェール大学の建物には世界大恐慌の最中に建設されたものが多い。最大のものはペイン・ウィットニー・ジムと呼ばれるスポーツ施設であり地上7階建てである。この建物が教会のような外観を有しているのは、寄付をした婦人が教会の建設を希望していたためである。充分な数の教会を所有していたイェール大学側はスポーツ施設の建設を希望したため、大伽藍のような外観のジムが建設されることとなった。

幕末に来航したペリー黒船に当大学関係者が随行して以来、東アジア研究が盛んであり、とりわけ朝河貫一が築いた日本研究は、現在も続いている。

[編集] 卒業生・出身者

[編集] 政治家・政府関係者

[編集] 学術界(社会科学)

[編集] 学術界(自然科学)

[編集] 学術界(人文科学・その他)

[編集] 文学・ジャーナリズム関連

[編集] 芸術・音楽・芸能関連

[編集] 実業界・産業技術

[編集] スポーツ界

[編集] 日本出身者

その他にもノーベル賞受賞者、上院議員、連邦最高裁判所判事、実業家、大学教授等を含め著名人多数。

[編集] その他関係者(イェール大学から学位を取得している者を除く)

  • その他にも多くの著名な学者・知識人が現在在籍中、あるいは過去に在籍した。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年10月29日 (木) 23:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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