労働党 (イギリス)
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労働党
Labour Party |
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|---|---|
現党首ゴードン・ブラウン (2007 -)
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| 党首 | ゴードン・ブラウン |
| 副党首 | ハリエット・ハーマン (幹事長も兼任) |
| 成立年月日 | 1900年2月27日 |
| 本部所在地 | ロンドン |
| 庶民院(下院)議席数 |
356 / 646 (55%)
(2005年5月) |
| 貴族院(上院)議席数 |
217 / 732 (30%)
(2009年2月2日現在) |
| 政治的思想・立場 | 中道左派 民主社会主義 社会民主主義 第三の道 |
| 公式サイト | The Labour |
| シンボル | 赤 |
| 国際組織 | 社会主義インターナショナル ヨーロッパ社会党 |
労働党(ろうどうとう、英: Labour Party)は、イギリスの政党。
イギリスにおいて保守党と二大政党を形成している。社会主義インターナショナル加盟。
目次 |
[編集] 政策
社会民主主義政党として労働者の生活の向上を唱え、失業保険の充実、社会保障制度の整備などに努めてきた。労働党が行った福祉政策の方向性を指して、ゆりかごから墓場までと言う言葉が作られた。又アトリー内閣では石炭や鉄道、通信などの重要基幹産業の国営化を行った。ただしフェビアン協会の影響力などもあり党内でマルクス主義の影響力は弱く、キリスト教社会主義や社会改良主義の影響が強かった(英国社会主義)。また組織としては労働組合の組合員が事実上、自動的に労働党員となるなど、組合の影響力が非常に大きかった。
しかし、こうした福祉政策の充実と基幹産業の国営化は、植民地独立による「大英帝国」の没落とともに国家財政を逼迫させ、経済の悪化をもたらした。こうした状況を英国病と言った。優遇された労組の度重なるストライキにより社会が麻痺状態に陥った不満の冬(1978年~1979年)が、イギリス国民の労働党不信を決定づけ、労働党は18年にわたり政権から遠ざかることとなった。1980年代から1990年代中頃までの保守党政権、とくにマーガレット・サッチャー内閣にとってはこの英国病の克服は重要な課題であった。
サッチャー・保守党政権の下で新自由主義に基づく構造改革が進み、経済が回復する中、従来の福祉国家路線に拘り、労働組合に依存する労働党は一般有権者の支持を得られず、党勢の低迷が続いた。そこで、1994年に党首となったトニー・ブレアは既存の福祉政策でもサッチャリズムでもない、自由主義経済と福祉政策の両立を謳った「第三の道」路線を提唱し、労働組合の影響力を大幅に減らした「New Labour(新しい労働党)」をアピールした。これにより、保守党政権によって拡大した所得の格差に不満を持った人々や、長期政権に飽きていた有権者の支持を集めて、1997年の総選挙で大勝。以後、「福祉のニューディール」やスコットランド議会の再開などの地方分権が進められている。この「第三の道」路線はヨーロッパの他の社会民主主義政党にも大きな影響を与えた。
一方、対テロ戦争でのアメリカ追随の姿勢には、閣僚の中からも批判の声があがり、支持率が低下。保守党が若手のデービッド・キャメロンを党首に選出して変化をアピールしたことなどから、統一地方選で労働党は敗北し、ついには保守党に支持率で10%もの差をつけられるまでに陥った。このため、2006年9月には2007年秋までにブレアが首相・党首を辞任する意向であると発表された。
2007年5月、ブレアは正式に退陣を発表し、6月の臨時党大会で財務大臣のゴードン・ブラウンが後継党首に選出された。6月27日にブレアは首相を辞任、ブラウンが新首相に就任した。なお、ブラウンが党首になった時点での世論調査では労働党の支持率が回復し、保守党を上回っている。
しかし、2008、2009年の統一地方選挙では野党保守党に相次いで大敗するなど最近は党勢が低迷している。
[編集] 歴代党首
太字は首相経験者。ただし、首相在任期間と党首在任期間は異なる。†は前党首の死亡による臨時代理。
[編集] 歴代副党首
| 画像 | 就任 | 退任 | ||
|---|---|---|---|---|
| 1 | ジョン・ロバート・クラインス (en:John Robert Clynes) |
1922年 | 1932年 | |
| 2 | ウィリアム・グラハム William Graham (2人体制) |
1931年 | 1932年 | |
| 3 | クレメント・アトリー | ![]() |
1932年 | 1935年 |
| 4 | アーサー・グリーンウッド en:Arthur Greenwood |
1935年 | 1945年 | |
| 5 | ハーバート・モリソン en:Herbert Morrison |
1945年 | 1955年 | |
| 6 | ジム・グリフィス en:Jim Griffiths |
1955年 | 1959年 | |
| 7 | アニュエリン・ベヴァン en:Aneurin Bevan |
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1959年 | 1960年6月6日 (在任中死亡) |
| 8 | ジョージ・ブラウン George Brown |
1960年 | 1970年6月18日 (落選) |
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| 9 | ロイ・ジェンキンス | 1970年6月19日 | 1972年4月7日 | |
| 10 | エドワード・ショート Edward Short |
1972年4月 | 1976年 | |
| 11 | マイケル・フット | 1976年 | 1980年11月10日 (党首に選出) |
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| 12 | デニス・ヒーリー Denis Healey |
1980年11月4日 | 1983年6月11日 | |
| 13 | ロイ・ハタズリー Roy Hattersley |
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1983年6月11日 | 1992年4月11日 |
| 14 | マーガレット・ベケット | ![]() |
1992年4月11日 | 1994年5月12日 (臨時党首に就任) |
| 15 | ジョン・プレスコット | ![]() |
1994年7月21日 | 2007年6月24日 |
| 16 | ハリエット・ハーマン | ![]() |
2007年6月24日 | 現職 |
[編集] 党内の派閥
詳細は「イギリス労働党の派閥」を参照
[編集] 年表
| 年 | 月日 | できごと |
|---|---|---|
| 1881年 | 社会民主同盟(SDF)が設立される (社会民主同盟はマルクス主義政党で後に労働代表委員会に参加するも、労働党には不参加) |
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| 1884年 | 1月4日 | シドニー・ウェッブ、ベアトリス・ウェッブ夫妻によって前身となるフェビアン協会が設立 フェビアン協会にはジョージ・バーナード・ショーやH・G・ウェルズが参加していた |
| 1896年 | 独立労働党が設立 | |
| 1900年 | 社会民主同盟、フェビアン協会、独立労働党の3団体と65の労働組合が参加して労働代表委員会を結成。ラムゼイ・マクドナルドを議長に選出 | |
| 1906年 | 労働代表委員会を議会政党に組織変更し労働党と改称。ケア・ハーディを議長に選出 | |
| 2月8日 | 同年の総選挙で29議席獲得 | |
| 1914年 | マクドナルドを含む多くの党員が第1次世界大戦に反対。戦争反対を唱えないアーサー・ヘンダーソンが議長職をひきつぐ | |
| 1916年 | デビッド・ロイド・ジョージによる挙国一致内閣で政権参加 | |
| 1918年 | シドニー・ウェッブの協力のもと、「社会主義綱領」制作。同4条で「生産手段の国有」を宣言 | |
| 1924年 | 自由党と連立しラムゼイ・マクドナルド政権誕生 | |
| 1929年 | 総選挙で第一党に。労働党単独政権成立(第2次マクドナルド内閣) | |
| 1931年 | 世界恐慌に対する対応でマクドナルドが党と対立。一部議員が離党し、マクドナルド派、保守党、自由党との国民政府が成立 以降1935年までマクドナルドが国民政府首相。以降、首相がスタンリー・ボールドウィン、ネヴィル・チェンバレンと保守党党首に交代した後も国民政府派は政権に参加。 |
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| 1940年 | 保守党党首・首相ウィンストン・チャーチルの下で挙国一致体制に参加。 | |
| 1945年 | 総選挙で保守党に対し、393議席を獲得し圧勝。労働党単独で初めて過半数の議席を占有。クレメント・アトリーが首相となり初の安定単独政権 | |
| 1946年 | リチャード・クロスマンを中心に党内左派グループ「キープ・レフト」結成。 | |
| 1951年 | 4月 | 予算案において、軍事費捻出のためにゲイツケル蔵相が義歯と眼鏡の有料化を打ち出したのに対し、元保健相アニュエリン・ベヴァンが反対して閣僚を辞任。ハロルド・ウィルソンもこれに従い辞任 |
| 10月25日 | 総選挙で敗北。政権を失う | |
| 1955年 | 12月14日 | ヒュー・ゲイツケルが党首に就任。労働党内で穏健派が優勢に。後の政権奪回への布石となる。 |
| 1959年 | ゲイツケル党首、国有化を定めた党規約第4条の改正を試みるも、失敗。 | |
| 1963年 | 1月18日 | 党首ヒュー・ゲイツケルが急死。副党首ジョージ・ブラウンが臨時党首に |
| 2月14日 | 新党首にハロルド・ウィルソンを選出 | |
| 1964年 | 10月16日 | 総選挙に勝利し政権を奪回。第1次ウィルソン内閣成立 |
| 1970年 | 6月19日 | 総選挙に敗北。労働党下野 |
| 1973年 | 10月 | 党大会において、社会主義的な「1973年綱領」を採択 |
| 1974年 | 2月28日 | 総選挙において最大議席301を獲得(保守党297・自由党14) |
| 3月 | 保守党・自由党の連立交渉が決裂。第2次ウィルソン内閣成立 | |
| 10月10日 | 総選挙に勝利。319議席を獲得 | |
| 1976年 | ウィルソンの辞任を受けた党首選挙でキャラハンが党首に就任。同時に、キャラハン政権成立 | |
| 1979年 | 5月3日 | 総選挙でマーガレット・サッチャー率いる保守党に敗北。労働党下野 |
| 1980年 | 11月4日 | 党首選挙においてマイケル・フットが新党首に選出。デニス・ヒーリーが副党首に |
| 1981年 | 党内の対立から右派のロイ・ジェンキンス、シャーリー・ウィリアムズ、デイヴィッド・オーウェン、ウィリアム・ロジャーズら「4人組」が離党し、社会民主党を結成(同党はのちに自由党と合流、現在の自由民主党となる) | |
| 1983年 | 6月11日 | 一方的核軍縮の断行・欧州共同体からの脱退などを掲げて戦った総選挙で大敗。獲得議席数209は戦後最低。 |
| 11月 | 党首選挙においてニール・キノックを新党首に選出。副党首にロイ・ハタズリーが就任 | |
| 1987年 | 6月11日 | 総選挙でサッチャー率いる保守党に敗北(保守:375 労働229) |
| 1992年 | 4月9日 | 総選挙でメージャー保守党に敗北(保守:336 労働:271)。2連敗を喫す |
| 7月18日 | 総選挙敗北をうけ、キノック党首が辞任。党内選挙において新党首にジョン・スミス、副党首にマーガレット・ベケットを選出 | |
| 1993年 | 10月 | 党首選出・議員候補者の決定・大会での採決方法に関する規約を改正(ブロック投票制の廃止) |
| 1994年 | 5月12日 | 党首ジョン・スミスが急死。マーガレット・ベケット副党首が臨時党首に就任 |
| 7月21日 | 党首選挙の結果、トニー・ブレアが新党首に就任。副党首選でジョン・プレスコットが選出 | |
| 1995年 | 4月 | 臨時党大会において、生産手段の党綱領第4条(国有化条項)が改正される |
| 5月 | 地方選挙で労働党が圧勝 | |
| 10月 | 労働党大会開催。ブレア指導部が進める政策見直し案を圧倒的多数で承認 | |
| 1997年 | 5月1日 | 総選挙で418議席を獲得し、圧勝。第1次ブレア政権成立 |
| 2001年 | 6月7日 | 総選挙で議席数をほぼ維持(412議席)。第2次ブレア政権発足 |
| 2005年 | 5月5日 | イラク戦争への反発などから総選挙で大幅に議席数を減らすが、過半数を維持(356議席)。第3次ブレア政権。労働党政権としては最長の政権となる |
| 2006年 | 4月26日 | 閣僚のスキャンダル・不祥事が同時に発覚。国民の労働党離れが加速(労働党のブラック・ウェンズデー) |
| 5月4日 | 地方統一選挙で大敗。 | |
| 5月5日 | 地方統一選での敗北を受け、内閣改造を実行。第3次トニー・ブレア改造内閣発足 | |
| 2007年 | 6月28日 | トニー・ブレア辞任を受けた党首選挙でゴードン・ブラウンが新党首に選出。ブラウン政権発足。副党首選挙でハリエット・ハーマンが選出 |
| 2008年 | 10月3日 | 内閣改造を実施。ゴードン・ブラウン改造内閣発足 |
| 2009年 | 6月5日 | 地方統一選での敗北と、大臣数名の辞任劇を受け、内閣改造を再び実行。ゴードン・ブラウン再改造内閣発足 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- The Labour(公式サイト)
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最終更新 2009年12月5日 (土) 02:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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