イタリア王

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イタリア王(イタリアおう、ラテン語rex Italiae, 伊語Re d'Italia)は、西ローマ帝国が消滅した後にイタリア半島の多くの統治者に与えられた称号である。1870年イタリア王国によるローマ併合により、たとえ他にイタリア王という称号に優先権があったとしても、半島全体を実際に領土にした者にこそふさわしい称号となった。

目次

[編集] イタリア王の一覧

[編集] ゲルマンの王

[編集] オドアケル

476年に西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが廃位されて後、オドアケル(イタリア語でオドアクレ(Odacre))は東ローマ皇帝ゼノンに西ローマ皇帝位を返上したため、ゼノンにより東ローマ帝国の諸侯として「dux Italiae」(イタリア公、イタリア総督)、次いで「rex Italiae」(イタリア王)の称号を与えられた。

[編集] 東ゴートの王

493年には、東ゴートの王テオドリック(伊語ではテオドリーコ)がオドアクレを負かし、新たなイタリア王家を創始した。東ゴートの統治は553年テーヤの死により終わり、イタリアは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の直接支配下に入った。

[編集] ロンゴバルドの王

東ローマ帝国による15年の支配(553年 - 568年)の後、568年アルボイーノ率いるロンゴバルド族が蛮族による王国を建国するためにイタリアに侵入した。

続く2世紀間は東ローマとの間で、ヴェネツィアローマナポリプーリアカラーブリアの先端を除く半島のかなりの領域(特にロンバルディア)における覇権を争った。ロンゴバルドの支配はカルロ・マーニョ(カール大帝)のイタリア侵攻により終焉を迎えた。

[編集] フランクの王

774年、ロンゴバルドが、カルロ・マーニョ率いるフランク人に敗れ、彼等の王であるデジデーリオは退位させられた。カルロ・マーニョは、イタリア王と同等に使用されていた「rex Langobardorum」(ロンゴバルド王)の称号を引き継いだ。王国は実態は独立していたにせよフランク帝国の一部のような形で皇帝オットーネ1世(オットー1世)が称号を取り戻すまで生き残った。全ての皇帝たちは王の称号を利用し、ローマで行われる皇帝としての戴冠式の前に古いロンゴバルドの首都であるパヴィーアで戴冠した。

888年から963年までの間、異なる皇帝戴冠者がいたように、イタリア王位は異なる要求者のものとなった。

[編集] 神聖ローマ帝国統治下の王

963年からイタリア半島は神聖ローマ帝国の支配下となり、歴代皇帝はイタリア王も兼ねた。1806年に帝国はナポレオン・ボナパルト(伊語:ナポレオーネ・ボナパルテ)の軍事的圧力により解体状態となり、8月6日正式に崩壊した。

[編集] ザクセン朝

[編集] ザーリアー朝

[編集] ズップリンゲンブルク家

[編集] ホーエンシュタウフェン朝

[編集] ヴェルフェン家(グエルフィ)

[編集] ホーエンシュタウフェン朝

[編集] 大空位時代

[編集] 諸家

[編集] ハプスブルク家

空位時代 (1740年 - 1741年)

[編集] ヴィッテルスバッハ家

[編集] ハプスブルク=ロートリンゲン家

[編集] ナポレオン時代

1805年5月6日ミラノのドゥオーモにある鉄の王冠を戴冠することにより、ナポレオンはイタリア北部に作り出したイタリア王国の君主となった。翌年、皇帝フランツ2世は正式にイタリアの王位を退位した。

[編集] サヴォイア家

ナポレオンの退位から1861年のイタリア統一までは、公式にはイタリア王は空位であった。リソルジメントにより、サルデーニャ王国サヴォイア王家が全イタリアを統一し、王位に就いた。1946年に国民投票により君主制が廃止され、イタリア共和国となった。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月14日 (月) 22:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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