インド・パルティア王国

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インド・パルティア王国の版図

インド・パルティア王国は、1世紀頃現代のアフガニスタンパキスタン北インドを含む領域に、パルティア人の指導者ゴンドファルネスによって建設された王国。

目次

[編集] 起源

ローマとの抗争や、紀元前92年ミトラダテス2世の死などによってパルティア王国が弱体化すると、パルティアの大貴族スーレーン氏族(王族から分岐した氏族)はインド・スキタイ人大月氏によって占領されていた東方領土に侵入を開始した。(インド・スキタイの最後の王アゼス2世(en:Azes II)が西暦5年頃に死去するまで彼らは存続した。)

パルティア人は、ガンダーラ地方でクシャーナ朝の王クジュラ・カドフィセスなど多くの地方領主と戦った後、全バクトリア北インドの広大な領域を支配下に治めた。

[編集] パルティア王国からの離脱

西暦20年頃、パルティア人の征服者の1人、ゴンドファルネスは、パルティアからの独立を宣言し、征服した領域にインド・パルティア王国を建設した。

この王国は何とか1世紀ほど存続した。王国はゴンドファルネスの後継者アブダガセスの時代には分解を始めた。北インド地方は75年頃にはクシャーナ朝によって再征服された。

その後、王国の領域はほぼアフガニスタンのみに限定された。最後の王パコレス(en:Pakores 100年 - 135年)の治世には、サカスタンとトゥーラーンを支配するに過ぎなかった。

インド・パルティア人は、パフラヴァ(Pahlavas)としてインド人に知られており、ヤヴァナ(Yavanas)、サカ(Sakas)とともにしばしばインドの文書に登場する。2世紀の中央インドの王国サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)の王ガウタミープトラ・シャータカルニ(Gautamiputra Sātakarni 106年 - 130年)は、自らを「サカ西クシャトラパ)、ヤヴァナ(インド・ギリシア人)、パフラヴァ(インド・パルティア人)を滅する者」と称した。

[編集] 仏教のシルクロード伝播

226年サーサーン朝による支配の後も、パルティア人の孤立した領土が東方に残存した。2世紀から、中央アジアの仏教伝道師は中国の首都洛陽南京で、仏典の翻訳活動によって有名となった。現在知られている限り、最初に仏典を中国語に翻訳したのはパルティア人の伝道師であった。中国ではパルティア人はパルティア(安息国)出身であることを表す「安」姓によって識別された。

  • 安世高:彼はパルティアの王子であった。初めて小乗仏教系の経典を中国語に翻訳した。
  • An Hsuan:パルティアの商人であった彼は181年に中国で僧侶となった。
  • 曇諦 (254年):パルティア人の僧侶。『曇無徳羯麿』を訳した。
  • An Fachiin (281年 - 306年頃):パルティア出身の僧侶。


[編集] インド・パルティア王国の主な君主

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2012年2月25日 (土) 07:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【インド・パルティア王国】変更履歴

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