ウィルフィン・オビスポ
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| 読売ジャイアンツ #91 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | サンペドロ・デ・マコリス |
| 生年月日 | 1984年9月26日(25歳) |
| 身長 体重 |
185cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2002年 |
| 年俸 | 2,000万円(2010年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ウィルフィン・オビスポ(Wirfin Obispo、1984年9月26日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。チーム内での愛称は「オビちゃん」。
目次 |
[編集] 来歴
2002年1月にボストン・レッドソックスと契約。当時は遊撃手だったが、2004年のシンシナティ・レッズ移籍時に投手に転向。同年にドミニカン・サマーリーグで、球団のマイナー最優秀投手に選出される。
2007年、読売ジャイアンツの春季キャンプにテスト生として参加。育成選手として契約。ドミニカ出身の選手の巨人入団は、2001年のヘクター・アルモンテ以来。イースタン・リーグで巨人史上2位の最速157km/hを記録 (1位はアルモンテの158km) するなど球威に定評はあったが、春季キャンプの紅白試合で2回ボークするなど投球技術と制球力に課題があった。6月29日に支配下選手登録。8月14日に1軍登録され、同日広島戦(広島市民球場)で1軍初登板。シーズン終了後、鈴木誠とともに故郷ドミニカのウィンターリーグに派遣された(エストーラス・オリエントに所属)。
2008年、右肩の違和感から再度育成選手となり、1月25日付で自由契約となる。7月30日に再び支配下選手登録される。1軍登板はなかったが、2軍ではイースタン・リーグ最多の21セーブを挙げる。
2009年、開幕は2軍スタート。マーク・クルーンの故障離脱もあり4月25日に1軍昇格。その後中継ぎで数試合登板後に2軍降格。6月、2軍の先発不足の事情から先発に転向し好投。クルーンの再離脱により6月16日に1軍再昇格。7月2日に来日初先発。広島のコルビー・ルイスと投げ合い6回2/3を1失点で初勝利する。育成選手出身投手による先発での勝利は史上初。また7月22日の対横浜戦で三浦大輔と投げ合い2失点でプロ初完投勝利する。こちらも育成選手出身投手としては史上初。その後、クルーンの1軍復帰により2軍に降格したが、セス・グライシンガーの故障で再度1軍に昇格し9月17日の阪神戦で約2ヶ月ぶりの勝利。この試合の6回表にプロ野球史上13人目、セ・リーグでは6人目となる1イニング4奪三振を記録する。
また、優勝を決めた9月23日の中日戦に先発し7回3失点。中日とのクライマックスシリーズでは第2戦に先発し、5回2/3を2失点、日本ハムとの日本シリーズでは、第3戦に先発し6回3失点でそれぞれ勝利投手となる。育成出身選手によるポストシーズンと日本シリーズでの勝利投手は史上初である。
[編集] プレースタイル
- スリー・クォーター気味のフォームからの、最高球速158km/hを記録する速球、スライダー、チェンジアップ等が武器。また、同僚のディッキー・ゴンザレスと同じくインステップで投げるため右打者からの被打率は左打者からの被打率に比べて低い。
- 元遊撃手で俊足であり、2軍では三塁打を放ったことがある。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | 巨人 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 1.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 |
| 2009 | 14 | 7 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 1 | .857 | 233 | 58.2 | 44 | 7 | 11 | 0 | 4 | 48 | 0 | 0 | 16 | 16 | 2.45 | 0.94 | |
| 通算:2年 | 16 | 7 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 1 | .857 | 238 | 59.2 | 45 | 7 | 12 | 0 | 4 | 49 | 0 | 0 | 16 | 16 | 2.41 | 0.96 | |
- 2009年度シーズン終了時
[編集] 背番号
- 129 (2007年 - 2007年6月28日、2008年 - 2008年7月30日)
- 91 (2007年6月29日 - 同年終了迄、2008年7月31日 - )
[編集] 個人記録
- 投手記録
- 初登板:2007年8月14日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、8回裏に救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:2007年8月18日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(東京ドーム)、9回表に飯原誉士から
- 初先発・初勝利:2009年7月2日、対広島東洋カープ12回戦(東京ドーム)、6 2/3回7安打1失点
- 初完投勝利:2009年7月22日、対横浜ベイスターズ15回戦(長野オリンピックスタジアム)
- 初ホールド:2009年7月17日、対阪神タイガース10回戦(東京ドーム)
- 打撃記録
- 初安打:2009年7月28日、対中日ドラゴンズ13回戦(東京ドーム)、3回裏にチェン・ウェインから中越二塁打
- 初打点:2009年9月23日、対中日ドラゴンズ21回戦(東京ドーム)、4回裏に山井大介から二塁適時内野安打
[編集] エピソード
5歳年下のドミニカ人女性と結婚している。
性格は自由奔放。同僚の野球道具を勝手に拝借することもあり、2008年には門倉健のソックスを履いて練習に参加。2009年には大田泰示の新品の汗取りを勝手に開封して着用した。相手が先輩やコーチであってもイタズラする。2009年、二軍調整中だった高橋由伸が突然、低めの声で「おい」と声を掛けられ、思わず背筋を伸ばして振り返ったところ、高橋は「何だ、オビちゃんか」と苦笑い。
2007年6月に支配下登録された際、北海道帯広市でオビスポ(帯スポ)の略称で親しまれているスポーツ用品店「ビッグバン 帯広スポーツ館」が、オビスポが活躍したらCMのオファーを出すという記事が東京スポーツに掲載された。
2009年4月28日の広島戦で、次の回の登板に備えてベンチ前でキャッチボールしていたところ、3度も暴投して球がフィールド内に進入し、その度に試合が中断。このため、球審にベンチへ下がるよう命じられた。
来日初完投勝利した横浜戦の終了後、嬉しさのあまりグローブとウイニングボールを球場ベンチに置き忘れる。2009年11月、帰国するため成田空港に到着したがパスポートを忘れて出国できなかった。
ズームイン!!サタデーの「プロ野球熱ケツ情報」のコーナーにおいて阿部慎之助から「岩尾 通(いわお とおる)」という日本名をつけられている。理由は阿部曰く「なんかいそうだから」。同コーナーで東京ドームモナカアイスが大好物と発言する。
2009年までスライダーの握りを知らず、手首を捻って無理やり我流で曲げていた。原監督より直接スライダーの正しい投げ方を伝授され、試しに正しい握りで投げたところ、今まで横にしか変化しなかったボールが縦にも大きく変化したため、本人も「本当に自分が投げたのか」驚いたという。尚この変化球は「ハライダー」と名付けられた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube
- MLB.com - ドミニカウィンターリーグにおける情報・登板成績
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最終更新 2009年12月5日 (土) 15:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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