ウェールズ
ウェールズの最新ニュースをまとめて検索!
- ウェールズ
- Cymru(ウェールズ語)
Wales(英語) -
(国旗) - 国の標語 : “Cymru am Byth”(ウェールズ語)
「ウェールズよ、永遠なれ」 - 国歌 : 我が父祖の土地
(ウェールズ語: Hen Wlad Fy Nhadau) 
-
公用語 英語(共通語)、
ウェールズ語首都 カーディフ 最大の都市 カーディフ 建国 不明 通貨 UKポンド(GBP) 時間帯 UTC 0(DST: +1) ccTLD .uk 国際電話番号 +44 - 1 イギリス構成国中第3位
2 イギリス構成国中第3位
ウェールズ(英語: Wales。ウェールズ語でカムリ、
Cymru, /"k@mrI/)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する「国」(country)のひとつである。ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置し、南にブリストル海峡、東にイングランド、西と北にはアイリッシュ海が存在する。
目次 |
[編集] 歴史
詳細は「ウェールズの歴史」を参照
ウェールズのケルト系住民はローマ帝国の支配を受けたが、アングロ・サクソン民族に征服されたわけではなかった。イギリスのアーサー王伝説はアングロ・サクソンに抵抗したブリトン人の王の物語とされる。中世にはケルト系小部族国家が群立し、やがてグウィネッズ、ポウィス、デヒューバースなどの地方王権が形成された。11世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど、幾度か一時的な政治的統一がなされるが、イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなかった。実態としては、リズラン法典に従うマナー家臣団による統治であり、オックスフォード条項以降のコモンロー支配によって、事実上、ウェールズはイングランド王家に追従した。薔薇戦争やクロムウェルによる独裁の際には、ウェールズはその政争の争奪の舞台になった。この点で、1536年の法律によってウェールズが保護されたことは、イングランドおよびウェールズの歴史を紐解く上で重要な画期になった。
しかし外来者に対しては頑強な抵抗を示し、1066年にイングランドを征服したノルマン朝によるウェールズへの侵略・植民政策は、ウェールズ南東部を除いて恒久的な成功とはならなかった。しかし、1282年ウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗ったグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがエドワード1世に敗れ、イングランドの支配下に置かれた。エドワード1世は長男エドワード(エドワード2世)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えたが、ウェールズ人は決してイングランド人に同化されなかった。このような過程を経てウェールズはイングランド王国に征服されその統治を受けたが、このことが逆にウェールズ人の民族意識を強め、またこの地に殖民した異民族のほとんどがウェールズ人化されたという。なおかつ、ウェールズ人の長弓(ロングボウ)隊はイングランド王の軍勢の強力な戦力として名をはせ、後世のテューダー家に至っては、ウェールズ人のウェールズ大公の血統から出てイングランドの王家に収まり、さらにこの王朝の家臣団ではウェールズ人が重要な地位を占めた。政治的には勢力を失ったが、ウェールズ人としてのアイデンティティは21世紀になった現在でも非常に強いと言われている。
[編集] 政治
ウェールズは13世紀に公国(Principality)を形成したが、ウェールズ公国は同じ世紀の末にイングランドに併合された。以来、次期イングランド王(後にはグレートブリテン王)となるべき最年長の王子(王太子)が、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales、ウェールズ大公)として戴冠するのが慣わしとなっている。
1536年の合同法以来長らく、ウェールズは単一の国「イングランド王国」あるいはイングランド・ウェールズの一部として扱われ、連合王国の中でもスコットランド、北アイルランドとは事情が異なった。イギリスの国旗にウェールズの国旗だけが含まれていないのはそういう事情がある。
1997年ウェールズ議会設置に関する住民投票が行われ、議会設置が決定した。1999年には、第1回議員選挙が行われた。定数は60名。限定的ではあるが、立法権も持つ。
[編集] 行政区画
ウェールズの地方行政は1996年4月1日以降、22の単一行政体(ユニタリー)に分かれており、その内訳は9州(county)、3市(city)*、10州区(county borough)† となる。行政体間の関係は対等であり、上下の関係はない。
括弧内はウェールズ語
- メルスィル・ティッドヴィル (Merthyr Tudful) †
- カエルフィリー (Caerffili) †
- ブレイナイ・グエント (Blaenau Gwent) †
- トルヴァエン (Tor-faen) †
- モンマスシャー (Sir Fynwy=シール・ファンウイー)
- ニューポート (Casnewydd=カースネウイズ) *
- カーディフ (Caerdydd=カエルディーズ) *
- ベール・オブ・グラモーガン (Bro Morgannwg=ブロー・モルガンウッグ) †
- ブリジェンド (Pen-y-bont ar Ogwr=ペン・アー・ボント・アル・オグル) †
- ロンザ・カノン・ターヴ (Rhondda Cynon Tâf) †
- ニース・ポート・タルボット (Castell-nedd Port Talbot=カステッシュッネーズ・ポルト・タルボット) †
- スウォンジ (Abertawe=アベルタウェ) *
- カーマーゼンシャー (Sir Gaerfyrddin=シール・カエルファルズィン)
- ケレディギョン (Sir Ceredigion=シール・ケレディギョン)
- ポーイス (Powys=ポウィス)
- レクサム (Wrecsam=ウレクサム) †
- フリントシャー (Sir y Fflint=シール・アー・フリント)
- デンビーシャー (Sir Ddinbych=シール・ズィンビッヒ)
- コンウィ (Conwy) †
- グウィネズ (Gwynedd)
- アングルシー (Ynys Môn=アニス・モーン)
- ペンブルックシャー (Sir Benfro=シール・ベンヴロ)
[編集] 経済
ウェールズは18世紀に工業が発達し、埋蔵されていた石炭、銅、鉄、銀、鉛、金、粘板岩を産出した。19世紀後半から鉱業と金属工学はウェールズの経済において主要なものになり、ウェールズの南部と東北の工業地域の景観と社会は変化した。かつてウェールズ地方南部は、世界最大の石炭の輸出地域で20世紀前半の最盛期には、600以上の炭鉱で約20万人が働いていた。その後、石炭から石油への「エネルギー革命」で石炭産業は衰退し、南部を中心に立地した各種重工業がウェールズ経済を支えた。
1970年代にウェールズは伝統的な重工業から軽工業あるいはサービス業へと大きく転換することになった。外国企業の誘致に成功したが、新しい産業の多くは本質的に分工場としての役割であり、流れ作業で熟練を必要としないものであった。ウェールズは人口などの経済的な絶対量は低く、またカーディフはイギリスの他の都市リーズ、マンチェスター、ブリストルや小国の首都であるダブリン、コペンハーゲン、ヘルシンキなどよりも小さく、ウェールズには大都市と呼べる街が無い。にもかかわらず金融や研究開発の分野を発展させ、付加価値の高い雇用を生み出した。
イギリスのほかの地域と比べて、ウェールズの人口当たりの経済的な成果は低い。2002年ではイギリス平均の80%、EU25カ国平均の90%であった。ただし、生活に必要なコストが地域によって異なることに注意が必要である。イギリスの地域と実際の生活水準の差は大きくない。
2002年のウェールズのGDPは260億ポンド(480億ドル)、一人当たり12,651ポンド(19,546ドル)である。2006年の時点で失業率は5.7%で、イギリス全体の平均より高いがEUの平均よりは低い値である。
ウェールズの大部分の土壌は貧しく耕作には適さないため、農業の中心は伝統的に牧畜である。独特な文化と同様にウェールズの景観は多くの観光客を惹きつけている。観光は田園地域の経済において特に重要な位置づけであり、3箇所が国立公園として保護されている。
[編集] 経済史
18世紀半ばまでウェールズの経済発展は山岳地帯を中心とする地形的要因、まばらな人口、通信手段か乏しい事もあり抑制されていた。[1] 最も先進的だった地域は小さな沿岸部の港でブリストルやリバプールと定期的な交流があった。
18世紀半ばから産業開発が進みウェールズの豊富な地下資源が活用され産業革命を支えた。1900年代初頭の爆発的な成長は1920年代には経済的に困難に直面して、相変わらず古い重工業に依存していたが、イギリスのより豊かになる軽工業分野が成長した。 1970年代ウェールズは伝統的な重工業を軽工業とサービス産業に転換した。
[編集] 医療
公共の医療機関としてNHS Wales(National Health Service Wales)Wales (Welsh: GIG Cymru)がある。1946年のNational Health Service Act 1946によって設立された。90000人のスタッフを擁し、ウェールズ最大の雇用主である。
[編集] 交通
[編集] 航空
カーディフ国際空港はウェールズで唯一の大規模な空港であり、カーディフの市街の中心から南東12マイルのベール・オブ・グラモーガンに位置する。イギリス国内およびヨーロッパのいくつかの都市を結んでいる。
[編集] 鉄道
ウェールズの鉄道はカーディフ中央駅をネットワークの中心として、国中に広がっている。ウェールズ議会が鉄道網の監督をしている。旅客鉄道会社としてはウェールズ全域を運行するアリーヴァ・トレインズ・ウェールズの他、ヴァージン・トレインズが北部からロンドンへ、ファースト・グレート・ウェスタン(ブリストル・ロンドン方面)、クロスカントリー・トレインズ(旧セントラル・トレインズの(カーディフ-バーミンガム-ノッティンガム)が南部に乗り入れている。
[編集] 道路
ウェールズの南部ではM4高速道路が海岸沿いにカーディフ、ニューポート、スウォンジなどの都市を繋ぎ、イングランドのロンドンまで続いている。M4高速道路のセヴァーン橋から終点までのウェールズ側の部分はウェールズ議会(Welsh Assembly Government)の管轄である。同様に北部ではA55道路がホーリーヘッド、バンガー、コンウィなどを結んで海岸沿いにイングランドのチェスターへと通じている。同じくホーリーヘッドからは古くアイルランドとロンドンを結ぶ街道として作られたA5道路がバンガーから山間部を抜け、イングランドのシュルーズベリーなどを経てロンドンへと向かっている。ウェールズの南北を結ぶ主要な道路としてはカーディフとスランディドノを繋ぐA470道路がある。
[編集] 教育
詳細は「イギリスの教育」を参照
[編集] 文化
ウェールズはケルト文化の伝統を残している。その一つであるといわれる赤い竜は、ウェールズのシンボルとなり、ウェールズの国旗(イギリスの国旗には含まれていない)にもなっている。スポーツなどでは、その国民性、民族性を示す「ドラゴン=ハート(精神)の国」として知られている。
[編集] 言語
現在のウェールズでは、ウェールズ語は英語と並んで公用語とされる。道路標識や公文書は、2カ国語で表記されている。例えば、イングランドから鉄道または自動車でウェールズに入ると、国境付近に設置された看板には、2か国語で『Welcome to Wales』『Croeso i Gymru』(クロイソ イ ガムリ)と書いてある。
南部ではあまり話されないが、中北部では日常的に話される地域が多い。ただし、方言の差異が大きく、北に行くほど古い由緒正しい形を残している傾向がある。特にウェールズ最高峰であるスノードン (Snowdon) 付近のグウィネズ(Gwynedd)地方でウェールズ語の話者が多い。この地域では、子供達が英語を習うのは小学校に入学してからのことであり、それまでは一般に、家族や近隣の友達とウェールズ語で会話している。
2001年現在、ウェールズ人全体の20.5%がウェールズ語を話すことができる。ウェールズにおいて、ウェールズ語を話す人口の割合は20世紀以降著しく減少しているが、人口増加により、ウェールズ語を話す人の絶対数は減少傾向が止まり、微増になっている。その主な理由は、小中学校でウェールズ語教育が実施されていることと、ウェールズ語によるTVプログラム(BBC WalesやHTV〔現ITV Wales〕、S4Cによる)が放送されていることによる[2]。 北部と西部ではウェールズ語は第一言語として話され英語は第2言語である。ウェールズの人口の21.7%がウェールズ語の読みまたは書きができ(2001年時点)、16%だけが支障をきたすが会話、読み書きできる。
[編集] スポーツ
詳細は「ウェールズのスポーツ」を参照
ウェールズで最も人気のあるスポーツはサッカーとラグビーである。イギリスを構成する4つの国はFIFAワールドカップ、ラグビー・ワールドカップ、コモンウェルスゲームズのような世界大会には各自の代表が参加している。しかし、オリンピックにはイギリスとして参加している。北部ではサッカーの方が好まれるが、ウェールズにおいてラグビーは国としてのアイデンティティーの一部である。ラグビーはウェールズラグビー協会、サッカーは世界で3番目に古いウェールズサッカー協会が管轄している。
ラグビーウェールズ代表として参加する大会として、シックス・ネイションズとラグビー・ワールドカップがある。クラブチームはアイルランドとスコットランドのチームと併せて行うリーグ戦のケルティックリーグと、EDFエナジーカップ、ヨーロッパのハイネケンカップの試合がある。
ウェールズにはスヌーカーの世界クラスのプレイヤー、テリー・グリフィス、マーク・ウィリアムズ、マシュー・スティーブンスがいる。スヌーカーのアマチュア選手のレベルも高い。また、でこぼこしている地形がラリー走行に向いており、世界ラリー選手権の最終戦の開催地でもある。アイスホッケーのカーディフ・デビルズはかつてイギリス全体で活躍した。ボクシングではスーパーミドル級のWBA/WBC/WBO世界チャンピオン、ジョー・カルザゲはウェールズとイタリアのハーフである。エンゾ・マカリネリはクルーザー級のWBO/WBU世界チャンピオンである。
F1では二人のドライバーを輩出している。一人は1967年のイギリスグランプリで1位のジム・クラークに4周遅れの9位に入ったアラン・リーズ。もう一人は1974年から1977年の間に3位に2度、ポールポジションを1度獲得したトム・プライスである。世界ラリー選手権では、1996年のドライバーズチャンピオンであるコリン・マクレーのコ・ドライバーを勤めたニッキー・グリストと、2003年のドライバーズチャンピオンであるペター・ソルベルグのコ・ドライバーを勤めたフィル・ミルズがいる。
[編集] 音楽
ウェールズは「歌の国」といわれ、特にハープ奏者や男声聖歌隊そしてトム・ジョーンズ、シャルロット・チャーチ、メリー・ホプキン、キャサリン・ジェンキンス、アレッド・ジョーンズ、ボニー・タイラー、ダフィーなどのソロミュージシャンが有名である。
バンドではマニック・ストリート・プリーチャーズ、ステレオフォニックス、フィーダー、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ロストプロフェッツ、フューネラル・フォー・ア・フレンド、ゴーキーズ・サイゴティック・マンキ等が有名である。
ウェールズにはナショナル・アイステズボッドという音楽と詩の祭典がある。これは1年に1度、毎年異なる街が持ち回りで開催している。スランゴスレンで行われるスランゴスレン国際芸術祭はアイステズボッドに倣ったものであるが、世界中のミュージシャンが参加している。
[編集] 自然
森林や湖、丘陵、海岸などの豊かな自然が残っている。面積の約20パーセントが国立公園に指定されている。
[編集] 著名人
「:Category:ウェールズの人物」も参照
- デビッド・ロイド・ジョージ - 第一次世界大戦中のイギリス首相。
- ティモシー・ダルトン - 4代目ジェームズ・ボンド役
- デスモンド・リュウェリン - 007シリーズのQ役
- トーマス・エドワード・ロレンス - 「アラビアのロレンス」として知られる軍人
- C・W・ニコル - 作家
- キャサリン・ゼタ=ジョーンズ - 女優
- キャサリン・ジェンキンス - メゾソプラノ歌手
- ライアン・ギグス - サッカー選手、マンチェスター・ユナイテッドFC所属
- トム・ジョーンズ - 歌手
- マニック・ストリート・プリーチャーズ - ロックバンド
- ロストプロフェッツ - ロックバンド
- リチャード・バートン - 俳優
- アンソニー・ホプキンス - 俳優
- ジョー・カルザゲ - プロボクサー。世界チャンピオン。
- エンゾ・マカリネリ - プロボクサー。世界チャンピオン。
- シルヴィア・スレイ - 画家。後にアメリカに帰化
- イアン・ラッシュ - 元サッカー選手。
- フィル・ミルズ - WRCドライバーペター・ソルベルグのコ・ドライバー。
[編集] 脚注
- ^ Falkus, M. and Gillingham, J., eds (1987) Historical Atlas of Britain. London: Kingfisher.
- ^ A Bilingual Wales, Accessed 27 April 2008
[編集] 外部リンク
- 公式
- ウェールズ政府 (英語)
- 英国政府観光庁 - ウェールズ (日本語)
- その他
|
||||||||
|
|||||
最終更新 2009年10月25日 (日) 11:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ウェールズ】変更履歴





