ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”)とは、文芸評論家の江藤淳が著書『閉された言語空間』(文藝春秋・1989年)に於いて第二次世界大戦大東亜戦争)後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領政策として行われた宣伝として提示したもの。“WGIP”の略称も江藤による。

江藤はこれを「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」とし、その計画の嚆矢である太平洋戰爭史と云う宣伝文書は、「日本の軍国主義者と国民とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。」と分析。[1]

また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。そのとき、日本における伝統秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦の為に傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるに違いない」とも指摘している[1]

目次

[編集] 概要

昭和20年(1945年)10月2日、GHQは一般命令第四号に於いて「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と勧告した[1]

米軍検閲官が開封した私信には次のような言葉で埋め尽されていた。

  • 「突然のことなので驚いております。政府がいくら最悪の事態になったといっても、聖戦完遂を誓った以上は犬死はしたくありません。敵は人道主義、国際主義などと唱えていますが、日本人に対してしたあの所行はどうでしょうか。数知れぬ戦争犠牲者のことを思ってほしいと思います。憎しみを感じないわけにはいきません」(8月16日付)
  • 「大東亜戦争がみじめな結末を迎えたのは御承知の通りです。通学の途中にも、他の場所でも、あの憎い米兵の姿を見かけなければならなくなりました。今日の午後には、米兵が何人か学校の近くの床屋にはいっていました。米兵は学校にもやって来て、教室を見まわって行きました。何ていやな奴等でしょう!ぼくたち子供ですら、怒りを感じます。戦死した兵隊さんがこの光景を見たら、どんな気持がするでしょうか」(9月29日付)

江藤は、「ここで注目すべきは、当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実である。「憎しみ」を感ずべき相手は政府や軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者ではならないと考えていた」と指摘した[1]

江藤は“WGIP”について「「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。」としている[1]

“WGIP”とされる政策を主に担当したのはGHQの民間情報教育局(CIE)で、“WGIP”の内容はすべてCIEの機能に含まれている[2][3]。当初はCIEに“War Guilt & Anti-Millitarist”(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた)[4][5]、あるいは“War Guilt & Criminal”[6]という名称の下部組織(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。

“WGIP”は「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などのような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の関係にある。後者の例としてはプレスコードが代表的である。江藤は、昭和21年(1946年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」など30項目に及ぶ「検閲指針がまとめられていたことが、米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである」としている[1]


[編集] 実例

  • 1945年12月8日から、「太平洋戦争史」を全国の新聞に掲載させた。[1]
    • 「太平洋戦争史」は新聞連載終了後、中屋健弌訳で翌年高山書院から刊行された(発行日は4月5日と6月10日の2回)。
      • 1945年12月15日 - GHQ、覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ニ関スル件」(いわゆる「神道指令」)[7]によって、公文書で「大東亜戦争」という用語の使用を禁止。
      • 1945年12月31日 - GHQ、覚書「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」[8]によって、修身・国史・地理の授業停止と教科書の回収、教科書の改訂を指令。
        • 1946年1月11日 - 文部省、修身・日本歴史・地理停止に関するGHQ指令について通達[9]
        • 1946年2月12日 - 文部省、修身・国史・地理教科書の回収について通達[9]
        • 1946年4月9日 - 文部省、国史教科書の代用教材として『太平洋戦争史』を購入、利用するよう通達[10][11]
  • 1945年12月9日から、『眞相はかうだ』をラジオで放送させた。
    • 『眞相はかうだ』は番組名を変えながら、1948年1月まで続けられた。[1]
  • 極東国際軍事裁判[1]

[編集] 論評など

産経新聞は次のように論じている。

占領期に連合国軍総司令部(GHQ)が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている。~(中略)~文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。 ~「いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」~ 6年前に自死した江藤の「予言」は、不幸にも現実のものとなろうとしている[12]

高橋史朗は、「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし戦争贖罪意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と論じている[13]。一方で有山輝雄は『閉された言語空間』には「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる。また、占領軍の検閲に様々な悪の根源を押しつける悪玉善玉史観になっている」と批判する[14]。有山は続けて「これは現在の政治状況・思想状況への著者の戦術なのであろう」とも述べている。

鈴木正人・埼玉県議会議員は、「我が国は、さきの大戦による敗北以来、先ほども触れさせていただきましたが、占領軍のある種の国民洗脳教育であり、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけさせるための宣伝計画、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが見事なまでに成功し、日本は当時の戦勝国に二度と刃向かうことのないように、国柄や歴史伝統文化のほとんどを否定する宣伝教育によって徹底したしょく罪意識を持たされてしまった結果、日本国民は国の防衛安全保障について深く考えないようになってしまいました」と定例会で発言している[15]

[編集] 脚注

  1. ^ 江藤淳著『閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋、1989年、ISBN 9784163435206文春文庫、1994年、ISBN 9784167366087
  2. ^ GHQ/USAFPAC(米太平洋陸軍総司令部) 一般命令第183号(1945年9月22日付)「民間情報教育局の設置」
  3. ^ GHQ/SCAP 一般命令第4号(1945年10月2日付)「民間情報教育局の設置」
  4. ^ 児玉三夫訳『日本の教育-連合国軍占領政策資料』(明星大学出版部、1983年、ISBN 9784895490597
  5. ^ NHK放送文化調査研究所放送情報調査部編『GHQ文書による占領期放送史年表(昭和20年8月15日~12月31日)』(1987年)
  6. ^ 有山輝雄著『占領期メディア史研究』(1996年、柏書房、ISBN 9784760113460
  7. ^ 覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ニ関スル件」(1945年12月15日、SCAPIN-448、CIE発出)
  8. ^ 覚書「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」(1945年12月31日、SCAPIN-519、CIE発出)
  9. ^ 学制百年史 資料編 年表(文部科学省)。1975年、文部省編・帝国地方行政学会発行より載録。
  10. ^ 文部省編『終戦教育事務処理提要 第3集』(1949年/復刻版は国書刊行会、1997年、ISBN 9784336039002
  11. ^ 木村泰夫編『埼玉終戦教育資料 公文書集録』(1967年)
  12. ^ 産経新聞(2005年8月5日付)「戦後六十年 歴史の自縛(4)」
  13. ^ 産経新聞(2005年8月4日付)「戦後六十年 歴史の自縛(3)」
  14. ^ 有山輝雄「江藤淳著『閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』 」『史学雑誌』99巻3号(1990年3月)
  15. ^ 青少年防衛講座の推進について

[編集] 参考文献

  • 江藤淳著、閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本 文藝春秋 平成6年1月(文春文庫)

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月11日 (日) 05:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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