ウラジオストク

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ウラジオストク
Владивосток

今日のウラジオストク港(2003年、赤十字のマークを付けた船は、ロシア海軍の病院船イルティシュ)
市章
位置
ウラジオストクの位置の位置図
ウラジオストクの位置
座標 : 北緯43度7分 東経131度55分 / 北緯43.117度 東経131.917度 / 43.117; 131.917
歴史
建設 1860年
行政
ロシア ロシア
 連邦管区 極東連邦管区
 行政区画 沿海地方
 市 ウラジオストク
市長 Yevgeny Pushkaryov
地理
面積  
  市域 561.54km2
標高 40m
人口
人口 (2008年現在)
  市域 578,800人
その他
等時帯 ウラジオストク時間UTC+10
夏時間 ウラジオストク夏時間 (UTC+11
郵便番号 690XXX
市外局番 +7 4232
ナンバープレート 25, 125
公式ウェブサイト : http://www.vl.ru/

ウラジオストクロシア語Владивостокヴラヂヴァストークラテン文字表記の例:Vladivostok)は、ロシア極東部に位置する都市で、沿海地方プリモレスク県 (Приморский край) の州都である。

目次

[編集] 概要

[編集] 名称

ロシア語名はヴラジヴォストークで、「ヴォストーク」は「東」を意味し、「ヴラジ-」は「領有・支配する、物件を自由に使う、制御する」を意味する動詞「владеть(ヴラヂェーチ)」から来ている。ヴラジヴォストークは、「東方の支配地」を意味するその名の通り、ロシアの東方政策の拠点となる軍事・商業都市であった。ほかにも「ウラジ-」の名を持つ帝政ロシア時代の都市には、ウラジカフカスコーカサス領有)とウラジカルス(カルス領有)などがある。

日本語では文献により様々な日本語表記が見られるが、代表的なものとしてはウラジヴォストークウラジオストックウラジウォストクヴラジオストクヴラジヴォストークヴラヂヴォストークなどが挙げられる。

明治時代には浦塩斯徳(又は浦潮斯徳)と当て字され、「浦塩(浦潮)/ウラジオ」と略した。気象通報ではかつて「ウラジオ」と略称で呼称されていたが、現在は「ウラジオストク」と呼称されている。

中華民国台湾)では「ナマコの入り江」を意味する中国(清帝国)領時代の名称、海参崴(繁体字:海參崴)(ハイシェンウェイ)と呼ぶ。中華人民共和国ではロシア語の音写である符拉迪沃斯托克と呼ぶことが一般的である。

[編集] 地理

ウラジオストク市は沿海地方南部のピョートル大帝湾の南にある。日本海に突き出したムラヴィヨフ・アムールスキー半島(長さ30km、幅12km、ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーに由来する)南端部の北緯43度7分、東経131度51分に位置し、ロシア海軍の太平洋艦隊の基地が置かれる軍港都市。人口は594,701人(2002年国勢調査)。

ウラジオストクの衛星画像

丘陵上の市街に囲まれるようにして金角湾が半島に切れ込んでおり、天然の良港になっている。街の中心部は金角湾の奥にある。南には東ボスポラス海峡をはさんで軍用地や保養所などのあるルースキー島が浮かぶ。

[編集] 標準時

この地域は、ウラジオストク時間帯標準時を使用している。時差は通常はUTC+10で、夏時間UTC+11である。

[編集] 気候

年平均気温は+4.6℃(1月は-12.6℃、8月は+19.6℃)で、年間降水量は823.9mm(1971-2000年平均)。降雪は、山間部では10月末から、沿岸部では11月末から始り、市内では降雪は少ない。冬は北風が強く、日本海低気圧が通ると風、ときには雪も強まり、天気が荒れる。

[編集] 歴史

1918年、ウラジオストクでパレードを行う各国の干渉軍
シベリア出兵を伝える日本の画報(救露討独遠征軍画報)

[編集] ロシア帝国時代

19世紀までは清国の支配地域で満州の一部であったが、1860年北京条約によって沿海州一帯を清から獲得したロシア帝国沿海州の南部に建設した。日本海を通じての太平洋への玄関口として、また北に位置するロシアが悲願とする不凍港として極東における重要な港町に位置づけられ、ロシア帝国海軍バルト艦隊太平洋戦隊の分遣隊がおかれた。これは、のちに強化されてウラジオストク巡洋艦隊となった。

日露戦争時には、ウラジオストク巡洋艦隊は通商破壊に活躍し、黄海海戦ののち旅順艦隊の残存艦はウラジオストク巡洋艦隊に合流した。1905年までに中国満州ハルビンを経由してモスクワとウラジオストクを繋ぐシベリア鉄道(一部、東清鉄道)が建設された。1912年日本とウラジオストク航路に接続する国際列車新橋駅(1914年からは東京駅)~金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行される(ボート・トレイン)。

[編集] ソ連時代

ロシア革命後、ウラジオストクには、日本イギリスアメリカの干渉軍が進駐した(シベリア出兵)。1920年 - 1922年の間、極東共和国の支配下にあり、各地から白系ロシア人が押し寄せたため、市の人口は、9万7千人から41万人までに増加した。1922年10月25日、最後の干渉軍部隊が撤収し、ウラジオストクは赤軍の支配下に入った。市の人口は、10万8千人にまで減少した。

1935年、ウラジオストクを本部とするソ連海軍太平洋艦隊が創設された。ソビエト連邦時代の1938年には沿海州を改組した沿海地方の州都となるとともに軍港として重視され、1958年からソ連の崩壊する1991年までごく一部を除いて外国人の居住と、ソ連国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だった。その間、東のナホトカが外国貿易港の機能を代行していた。

[編集] ロシア連邦時代

ソ連崩壊後は、閉鎖都市指定が解除された。民間旅客航空会社のウラジオストク航空が誕生し、日本の新潟空港富山空港関西国際空港北九州空港との間に定期便が、成田国際空港との間に定期チャーター便が就航している。

[編集] 2012年APEC開催

2012年11月にルースキー島でAPEC首脳会議の開催が決まっている。2012年のAPEC首脳会議(ロシア語/英語)

[編集] 産業

主な産業は造船業漁業軍港関連産業である。金角湾で街が二分されており交通が不便なため、湾を跨ぐ橋の建設が計画されている。またルースキー島での先端技術基地・リゾート開発構想も浮かんでおり、東ボスポラス海峡への架橋も計画されている。

[編集] 交通

鉄道
ウラジオストク駅シベリア鉄道の東方の始発駅である。長距離列車の行き先は中華人民共和国のハルビンハバロフスク、はるばる首都モスクワ、そしてウクライナハルキウなどである。
東清鉄道がウラジオストクと中華人民共和国の黒竜江省ハルビンを結ぶ。
航空
市中心部から北に50kmほどのところ(アルチョム市 Артём)に位置するウラジオストク空港で、ロシア国内主要都市と日本、韓国(ソウル)、中華人民共和国(北京)、ベトナム(ホーチミン)、タイ(バンコク)と接続している。
  • 空港までは、市街中心部の北のはずれにあるロシア通り(ул.Русская)にあるフタラヤ・レーチカ(Вторая Речка)の市外バスターミナル(Автовокзал)から約50分(#101または#105、55ルーブル、06:30~18:20、約一時間に一本運行)。
船舶
軍港で有名なウラジオストク港は商港としても重要であり、各地への航路が開かれている。
日本への定期旅客船としては富山県高岡市伏木港韓国東海経由で鳥取県境港の間にフェリーが月に2回~5回運航されている。
市内公共交通
路面電車トロリーバスバスが多数運行されているほか、金角湾を望む丘には観光施設ではなく、市民の足としてのケーブルカーが敷設されている。シベリア鉄道もウラジオストク市内は区間ローカル列車が運転され、市内交通の一翼を担っているが、本数は多くない。

[編集] 文化

ロシアを代表するロックバンドムミー・トローリがデビューした街としても知られる。市内にはバンドの博物館も存在する。

黒澤明監督の映画デルス・ウザーラ」(1975年公開)や、チョナン・カン(草彅剛)主演の映画「ホテルビーナス」(2004年公開)、チャン・ドンゴン主演の映画「タイフーン」(2006年公開)の撮影が行われた地である。

[編集] 姉妹都市

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月21日 (土) 06:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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