エドアルド・キヨッソーネ
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エドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone , 1833年 - 1898年4月11日)はイタリアの版画家・画家で、明治時代に来日しお雇い外国人となった。
[編集] 概要
キヨッソーネはイタリアのアレンツァーノ(ジェノヴァ県)に生まれ、美術学校で銅版画の彫刻技術を学んだ。彼の写実力には定評があり、1867年開催のパリ万国博覧会に出品した銅版画が銀賞を受賞している。その後紙幣造りに興味を持ちイタリア王国国立銀行に就職し同国の紙幣を製造していたドイツのフランクフルトにあったドンドルフ・ナウマン社に1868年に出向した。当時ドンドルフ・ナウマン社は日本の明治政府が発注した政府紙幣(明治通宝)を製造しており、彼も製造に関わっていた。
キヨッソーネが来日したのは1875年(明治8年)のことであったが、当時彼はイギリスの印刷会社に勤めていた。招聘に応じたのは大隈重信が破格の条件(月額454円71銭8厘)を提示したこともあったが当時写真製版技術の発達が進んでいたこともあり、銅版画の技術を生かせる活躍の場を求めたこともある。
来日後、大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)を指導。印紙や政府証券の彫刻をはじめとする日本の紙幣・切手印刷の基礎を築いたほか、美術教育にも尽力した。特に日本で製造された近代的紙幣の初期の彫刻は彼の手がけた作品である。また、1888年には宮内省の依頼で明治天皇の御真影を製作し、同省から破格の慰労金2500円を授与された。また元勲の銅版画も残した。似ていない作品も少なくないが、例えば西郷隆盛画像については西郷本人と面識がないうえに、西郷の写真も残っていなかったため、西郷従道と大山巌をモデルに合成したものであるという。また藤原鎌足や神功皇后の肖像も彼が描いたものであった。また日本の欧米諸国の技術水準で製造された最初の普通切手シリーズの小判切手は彼がデザインしたものであった。
雇用期間が終了した1891年(明治24年)には退職金3000円と年額1200円の終身年金を政府から与えられた。これらの莫大な収入の殆どは、日本の美術品や工芸品を購入するのに当てたほか、寄付したという。彼の収集品は、ジェノヴァ市のキオッソーネ東洋美術館に収蔵されている。彼は最期まで日本に留まり、1898年に東京・麹町の自宅で逝去、青山霊園に葬られた。独身を通したため(内縁関係にあった日本人女性がいたといわれる)、遺言で遺産の3000円を残された召使が分配したという。
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キヨッソーネ作の最も有名な肖像画である明治天皇のコンテ画(明治21年1月) |
[編集] 切手
母国のイタリアでは1988年に和服姿の彼の肖像を描いた切手が発行されたほか、1994年11月18日には日本も彼の肖像(洋装)を描いた切手を発行したが、いずれも小判切手も描かれていた。
[編集] 参考文献
- 『お雇い外国人キヨッソーネ研究』 明治美術学会/印刷局朝陽会編
- (中央公論美術出版 1999年)
- 『肖像のなかの権力 近代日本のグラフィズムを読む』 柏木博
- (講談社学術文庫 2000年 平凡社 1987年)
- 『日本紙幣収集事典』 原点社 2005年 67~69頁
最終更新 2009年10月24日 (土) 01:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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