エドワード (ケント公)
エドワード (ケント公)の最新ニュースをまとめて検索!
| エドワード Prince Edward |
|
|---|---|
| Duke of Kent | |
|
|
| 続柄 | ケント公爵ジョージ王子第一男子(ジョージ5世孫) |
| 称号 | ケント公爵息エドワード王子殿下 ケント公爵殿下 |
| 全名 | Edward George Nicholas Patrick Paul |
| 身位 | Prince(王子) |
| 敬称 | His Royal Highness(殿下) |
| 出生 | 1935年10月9日(74歳) ロンドン |
| 配偶者 | キャサリン |
| 子女 | ジョージ ヘレン・テイラー ロード・ニコラス |
| 父親 | ケント公ジョージ |
| 母親 | マリナ |
ケント公爵エドワード王子(Prince Edward, Duke of Kent、洗礼名: エドワード・ジョージ・ニコラス・パトリック・ポール; Edward George Nicholas Patrick Paul、1935年10月9日 - )は、イギリスの王族。第2代ケント公爵(1942年襲爵)、陸軍元帥(1993年任官)。初代ケント公爵ジョージ(ジョージ5世の四男)の長男で、イギリス女王エリザベス2世の従弟。母マリナはギリシャ王家出身で、女王の夫エディンバラ公フィリップの従姉である。現時点では英国王位継承順位24番目にある。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 出生
ケント公ジョージとマリナの長男として、ロンドンで生まれ、1935年11月20日にバッキンガム宮殿内のプライベートチャペルで、カンタベリー大主教であるコズモ・ラングによって洗礼を施される。代父母には、ジョージ5世、メアリー・オブ・テック、プリンス・オブ・ウェールズ、 ヘアウッド伯爵夫人メアリー、コノート公アーサー、アーガイル公爵夫人ルイーズ、ギリシャ王子ニコラオスがいる。
[編集] 教育
| イギリス王室 |
|---|
|
|
少年時代は、バークシャーのラドグローブ・プレパラトリー・スクールを経て、イートン校やスイスのボーディングスクールであるル・ロゼで学んだ。卒業後は、サンドハースト王立陸軍士官学校に進み、在学中にフランス語の通訳としての資格を取得した。
[編集] 襲爵
1942年8月25日に、父ジョージが飛行機事故で急逝したことに伴い、僅か6歳でケント公爵、セント・アンドルーズ伯爵、ダウンパトリック男爵の爵位を継ぐことになった。
王室の公爵として、早くに王族としての公務をこなさなくてはならない様になったケント公は、1952年の伯父ジョージ6世の国葬では棺とともに歩く役割を担い、翌1953年の従姉のエリザベス2世の戴冠式においては、エジンバラ公フィリップとグロスター公ヘンリーに次ぐ順位で祝辞を述べた。
[編集] 軍歴
1955年に士官学校を卒業した後は、ロイヤルスコッチグレイ(第2竜騎兵)連隊の少尉に任官した。以降は香港やキプロスで軍務に就き、1976年に中佐の階級で除隊した。1983年6月11日に少将、1983年6月11日には陸軍元帥となった。
[編集] 公務
少年時代から50年以上もの間、女王の代理としての役割を果たし続け、嘗てのイギリスの植民地であるシエラレオネ、ウガンダ、ガイアナ、ガンビアの独立祝賀式典や、最近ではガーナの独立50周年記念式典に出席した。日本へも度々訪問している。
貿易産業省の貿易及び投資に関するイギリスの特別代表として、国外における見本市や国際会議などに参加する職務にあたっていたが、現在はヨーク公アンドルーにその地位を譲っている。
全英ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブの会長であり、そこで開催されるウィンブルドン選手権の優勝者に優勝盾を授与する人物として知られている。また2001年まではSpecial Representative for International Trade and Investmentの代表も務めていた。また、1967年より、フリーメイソンリーのイングランド・グランド・ロッジのグランドマスター(大親方)を務めている。
1999年、南アフリカ共和国のボーア戦争100周年の式典に出席した。ケント公は、ボーア戦争でイギリスが非戦闘員を強制収容所に収容し、多数の死者を出した行為について、「アフリカ(原住民の)黒人に対し、大変酷い仕打ちをしたことは英国の恥辱」であり、「権利の無視が二度とあってはならない」と謝罪した。
[編集] 家族
1961年に準男爵ウィリアム・ワースリーの娘キャサリンと結婚し、
- ジョージ(1962年 - ) - セント・アンドリューズ伯爵
- ヘレン(1964年 - ) - 美術商ティモシー・テイラーと結婚
- ロード・ニコラス(1970年 - )
の2男1女をもうけた。
長男ジョージはカトリック教徒のイタリア系カナダ人女性シルヴァーナ・トマセッリと結婚し、1701年王位継承法の規定によりイギリス王位継承権を失った。また、ジョージの子供たちもカトリックへの改宗により継承権を失っている。さらに、次男ロード・ニコラスも自身のカトリックへの改宗により継承権を失った。なお、キャサリン夫人も1994年にカトリックに改宗している。
[編集] トリビア
- 父ジョージは、1936年に伯父エドワード8世が退位を表明した際、廷臣達から後継者として名前を挙げられた経験がある事から、エドワード自身も事と次第によっては現在のイギリス国王となっていた可能性があった。
[編集] 称号
- 1935年10月9日 - 1942年8月25日
- ケント公爵息エドワード王子殿下(His Royal Highness Prince Edward of Kent)
- 1942年8月25日 -
- ケント公爵殿下(His Royal Highness The Duke of Kent)
| 先代: ジョージ |
ケント公爵 1942年 - |
次代: — |
| 上位: ローズ・ウィンザー |
イギリス王位継承順位 継承順位第 24 位 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位: アメリア・ウィンザー |
最終更新 2009年11月15日 (日) 00:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【エドワード (ケント公)】変更履歴



