エニックスお家騒動

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エニックスお家騒動(エニックスおいえそうどう)は、2001年6月に株式会社エニックス(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)のコミック部門創設者である出版事業部長・保坂嘉弘や同社刊『月刊少年ガンガン』の第2代編集長・飯田義弘を始めとする一部編集部員(主に本誌・姉妹誌での編集長・副編集長経験者)が独立し、株式会社マッグガーデンを設立した際に当時のエニックス主力専属作家の多くを引き抜き、マッグガーデンに移籍させた騒動の通称。同時期に、同社刊『月刊Gファンタジー』編集長・杉野庸介が起こした一賽舎(後にスタジオDNAと合併、現在の一迅社)設立(後述)についてもこれに含まれる場合がある。

目次

[編集] 騒動の経過

2001年6月、保坂はエニックスを退社しマッグガーデンを設立。旗艦雑誌となる『月刊コミックブレイド』創刊の準備に入った。同時期、エニックス系列の雑誌では『月刊少年ガンガン』の「まもって守護月天!」、『月刊ガンガンWING』の「ワールドエンド・フェアリーテイル」、『月刊ステンシル』の「AQUA」他、中途半端な連載打ち切りが相次いだ。特に移籍者の多くが集中していた『月刊ガンガンWING』では連載作品のおよそ8割が連載を打ち切り。また、移籍作品のほとんどが主力作品であったため、雑誌の存続が危ぶまれる事態となった。

『月刊コミックブレイド』の創刊に際しては『月刊少年ガンガン』や『月刊ガンガンWING』等において連載中であった作品の続編掲載を謳う宣伝も存在したため、エニックス側は「マッグガーデンの行為は編集者のコネクションを利用した不当な引き抜き行為である」と主張、2001年10月に『ブレイド』の発行やマッグガーデンと同社が引き抜いた作家の契約差し止めを主な内容とする仮処分東京地方裁判所に申請した。『ブレイド』は翌2002年2月に創刊された。

その後2003年3月に以下の条件で両者間の和解が成立した。

  • エニックスはマッグガーデンの業務に干渉しないこと
  • マッグガーデンの非常勤取締役2名の指名権をエニックスが得ること
  • エニックスはマッグガーデンの発行済み株式の50%を譲り受けること
  • エニックスの雑誌で連載されていた作品に「企画・プロデュース エニックス」と記載すること
  • マッグガーデンが株式上場・店頭登録するまで前記の作品の小売価格の1割をエニックスが得ること

上記の和解条件は、マッグガーデンが2003年9月22日マザーズ市場へ株式上場[1]したことに伴い終了。発行済み株式の半数を取得したエニックスは市場を通じて手持ち株の売却を進め、上位株主から姿を消している。その後、マッグガーデンは2006年より業務提携したProduction I.Gと統合持株会社・IGポートを設立し現在は同社の傘下となり、マザーズから上場廃止になっている。

一方、エニックスとマッグガーデンの係争中と同時期に杉野は峰倉かずや遠藤海成高河ゆんら同誌看板・主力作家陣を連れて独立し、スタジオDNAの支援を受けて一賽舎を設立、同社より『コミックZERO-SUM』を創刊した。しかし、杉野の場合は保坂と異なり独立に際する混乱も無く読者の反発も小さかったとされ、杉野個人の判断と手際の良さが目立ったものと評されている。

[編集] マッグガーデンへ移籍

※お家騒動後に少年ガンガンとブレイドの両方で連載を持った、唯一の漫画家。

[編集] 月刊コミックブレイドへの主な移籍作品

[編集] 一賽舎へ移籍

[編集] コミックZERO-SUMへの主な移籍作品

[編集] 脚注

  1. ^ 2007年に上場廃止。

[編集] 参考文献

  • 「上場申請のための有価証券報告書」株式会社マッグガーデン、2003年

[編集] 関連項目

  • 田口浩司 - スクウェア・エニックス出版事業部長、マッグガーデンとの和解協議を担当

最終更新 2009年10月9日 (金) 09:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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