エメリヤーエンコ・ヒョードル
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| エメリヤーエンコ・ヒョードル | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 本名 | フョードル・ウラジーミロヴィチ・エメリヤーニェンコ (露: Фёдор Владимирович Емельяненко) (英: Fedor Vladimirovich Emelianenko) |
| 通称 | ロシアン・ラストエンペラー[1] The Last Emperor[2] 60億分の1の男[1] 人類最強の男[3] 氷の皇帝[4] |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1976年9月28日(33歳) |
| 出身地 | ルハンシク州ルビージュネ |
| 所属 | リングス・ロシア →ロシアン・トップチーム →レッドデビル・スポーツクラブ |
| 身長 | 183cm[2] |
| 体重 | 106kg[2] |
| 階級 | ヘビー級 |
| スタイル | 柔道、サンボ |
| テーマ曲 | 「ロシア連邦国歌」 →「Enae Volare Mezzo」(Era) →「Oy , To Ne Vecher (露:Ой то не вечер)」[† 1] |
エメリヤーエンコ・ヒョードル[† 2](露: Фёдор Емельяненко、英: Fedor Emelianenko、男性、1976年9月28日[2] - )は、ロシア[† 3]の総合格闘家、サンボ選手、元柔道家。レッドデビル・スポーツクラブ所属。現PRIDEヘビー級王者、現WAMMA世界ヘビー級王者。
実弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダー[† 4]も総合格闘家である。
目次 |
[編集] 概要
柔道の国際大会で活躍したのち総合格闘技に転向、2000年にリングスの大会で日本に渡り、ヘビー級と無差別級の王座に就く。2002年のリングス休止以降はPRIDEに出場し、2003年にアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下しヘビー級王座を獲得した。2004年にはヘビー級グランプリに優勝、翌2005年にはミルコ・クロコップを下し王座を防衛した。2007年のPRIDE消滅後も日本国外の大会を渡り歩き、2008年にはAfflictionで元UFCヘビー級王者ティム・シルビアを破りWAMMA世界ヘビー級王者となっている。2009年にはアンドレイ・アルロフスキーに勝ち、WAMMA王座の防衛に成功。現在はStrikeforceと契約を交わしている。またプロ格闘家として活動する傍らコンバットサンボの大会にも出場し、世界選手権で4度の優勝を果たしている。
日本だけでなくアメリカなどのメディアからも「総合格闘技界全体で最強」と評価されており、多くのランキングにおいてヘビー級(93kg-120kg)世界1位にランクインしている[5]。また長年活躍したロシアのトップアスリートだけに送られるスポーツマスターの称号も持つ。
[編集] 来歴
[編集] プロデビュー以前
1976年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ルハンシク州ルビージュネにてウクライナ人の両親の元に生まれる。姉1人、弟2人の4人兄弟であった。2歳の時に家族とともにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ベルゴロド州スタールイ・オスコルに移住し[6]、11歳になってサンボ・柔道を始めた。1991年に高校を卒業、1994年には専門学校を卒業する[6]。1995年から1997年[6]まではロシア陸軍の消防隊と戦車軍に入隊し、曹長で兵役を終える[7]。その後は柔道・サンボ両方の大会で活躍した(詳細は#獲得タイトルを参照)。当時は後に世界柔道選手権を制するアレクサンドル・ミハイリン(en)とはライバル関係にあるなどヨーロッパではトップクラスの実力を有していたものの、国からの補助金が出なくなったため柔道を続けるには経済的な問題が生じていた。ヒョードルは「国の支援が続いていれば柔道を辞めずにオリンピックを目指していたかもしれない」と語っている[8]。
[編集] RINGS
[編集] 2000年:プロ総合格闘技デビュー
2000年初頭にニコライ・ピチコフの誘いでヴォルク・ハン率いるリングス・ロシア(現ロシアン・トップチーム)を見学し総合格闘技に興味を持ち、ヒョードルはこのジムで練習を始めた(このときよりボクシングの練習を開始している)[9]。また来日のための新人オーディションに参加し、前田日明からバラチンスキー・スレン[† 5]に次ぐ評価を受け日本大会への出場が決まった[10]。同年5月にはリングスで総合格闘技デビュー。9月5日には初来日を果たし高田浩也[† 6]と対戦、開始12秒で左右のフックによるKO勝利を収めている[11]。同年12月22日、「KING OF KINGS 2000トーナメント」のBブロック1回戦でヒカルド・アローナに延長の末、3-0の判定勝ち[12]。同日に行われた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に反則の肘打ちが当たるアクシデントで目尻をカットし、ヒョードルは反則の肘打ちであると主張したものの、ドクターストップによるTKO負けとなった[12][† 7]。
[編集] 2001年:リングス2冠達成
2001年は4月6日にロシアでのミハイル・アポストロフ戦に勝利した後、ヘビー級王座決定トーナメントに出場する。4月20日の1回戦ではケリー・ショール(en)に勝利し[13]8月11日の決勝大会に進出すると、準決勝ではトーナメント本命と目されていた[14] レナート・ババルに判定勝利し、決勝では対戦相手のボビー・ホフマン(en)が左肩脱臼のため棄権し不戦勝[15]となり、初代リングス世界ヘビー級王者に就いた。その後10月20日には無差別級王座決定トーナメントにも出場、1回戦では柳澤龍志に[16]、準決勝ではリー・ハスデルに勝利し[17]、決勝戦に進出した。リングス最後の興行となった2002年2月15日の決勝戦ではクリストファー・ヘイズマンと対戦、2度のダウンとロープエスケープでポイントアウトに追い込み、リングス2冠を達成している[18]。
[編集] PRIDE
[編集] 2002年:PRIDEへの移籍
リングスが活動停止となると、2002年6月23日のPRIDE.21においてPRIDE初参戦。当時パンクラス無差別級王者だったセーム・シュルトに30cmのリーチ差をものともせず、グラウンドのポジショニングで優位に立って判定勝ち、PRIDEデビューを飾った[19]。11月24日のPRIDE.23では、ヒース・ヒーリングをパウンドの連打によるTKOで勝利し、ヘビー級タイトルマッチ挑戦権を獲得した[20]。
[編集] 2003年:ヘビー級王者に
2003年3月16日、PRIDE.25にて、初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦する。開始早々フックでノゲイラを吹き飛ばし、グラウンドではパウンドをまとめてダメージを与える。2R以降もテイクダウンからのパウンドで手堅くポイントを稼ぎ、3-0の判定によりノゲイラを下し、第2代PRIDEヘビー級王者となった[21]。4月5日にはリトアニアでBUSHIDO-RINGSに参戦、エギリウス・ヴァラビーチェスに一本勝ちを収めた。6月8日のPRIDE.26ではノンタイトル戦で藤田和之と対戦し、直撃した藤田の右フックによってよろめくシーンを見せたが、やがて反撃、右フック・左ミドルキックを打ち込んでダウンを奪いチョークスリーパーで一本勝ち[22]。
その後8月の「PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」ではワンマッチに出場、ゲーリー・グッドリッジと対戦し1R1分9秒でTKO勝ち[23]。11月にはミルコ・クロコップとのタイトルマッチが行われる予定であったが、練習中に右手を骨折したため欠場し、ミルコ対ノゲイラの暫定王者決定戦が代わりに組まれた[24]。この年の大晦日には3つのイベントによるヒョードル争奪戦が繰り広げられ、紆余曲折を経て最終的にイノキ・ボンバイエに出場[25]、永田裕志に勝利した。なおこれに関連して、年末には弟アレキサンダーと共にロシアン・トップチームからレッドデビルに移籍している[25]。後にヒョードルは、チーム代表であったウラジミール・パコージン[† 8]との確執があったことを述べている[26]。
[編集] 2004年:「60億分の1」の頂点に
2004年、ヒョードルは16名によるヘビー級トーナメント「PRIDE GP 2004」に参加し、4月25日に行われた1回戦で2000年のGP優勝者マーク・コールマンと対戦した。試合ではコールマンにテイクダウンからマウント、バックとポジションを奪われるも脱出し、その後再度タックルで下になったが腕ひしぎ十字固めで切り返し一本勝ちで初戦突破を果たす[27]。2か月後の2回戦では1回戦でミルコ・クロコップに番狂わせの勝利を演じたケビン・ランデルマンと対戦となり、開始後スープレックスで頭からマットに叩きつけられるも、すぐにポジションを奪い返してアームロックを極め一本勝ち[28]、8月15日の決勝ラウンドに駒を進める。準決勝では事前に組み合わせを決めるファン投票が行われ、最高得票を集めた小川直也との一戦が決定した[29]。試合は1ラウンド開始からパンチで攻勢に立ち、開始54秒で腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを決め[30]、決勝はセルゲイ・ハリトーノフに勝利したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦の運びとなる。「人類60億分の1の最強を決める」と謳われたGP決勝は1ラウンド3分過ぎにグラウンドでヒョードルの額とノゲイラの頭頂部がバッティングし、ヒョードルの右眉上が切れて試合が中断。協議の結果無効試合となり、優勝者は決まらなかった[30]。4か月後の大晦日、「PRIDE 男祭り 2004」にて行われた再戦で判定勝ちし、PRIDEヘビー級王座を防衛するとともにヘビー級GP王者となった[31]。
[編集] 2005年:ミルコとの頂上決戦
2005年4月3日、「PRIDE 武士道 -其の六-」でリングスで唯一の敗北を喫した高阪剛と4年半振りの再戦を果たす。試合前に高阪は「(ヒョードルには)穴が一杯ある」と語っていたものの[32]、試合ではテイクダウンからのパウンドでヒョードルが優勢に立ち、1ラウンド終了時にドクターストップによるTKOでリベンジを果たした[33]。6月にはロシアのクストヴォで開かれた全ロシアコンバットサンボ選手権に出場し、100kg超級で優勝する[34]。8月28日には「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」にて2年越しにミルコ・クロコップとのタイトルマッチが実現。試合はヒョードルは打撃で圧力をかけ続け、ミルコはバックステップでリングを回りながらの打撃で応戦するという形となった。1ラウンド前半にミルコの打撃に押される場面もあったが、それ以外は打撃で攻め立て、投げや足払いからのテイクダウン・ポジショニングでも制し、最強の挑戦者を判定で退け、2度目の王座防衛に成功した[35]。大晦日に出場した「PRIDE 男祭り 2005」ではズールと対戦。パンチでダウンを奪い、パウンドの連打により1ラウンド開始26秒でタップアウト勝ち[36]。
[編集] 2006年:右拳手術と復帰
2006年1月26日、強力な打撃ゆえの慢性的な拳の怪我や骨折[4][24]に苦しんでいたヒョードルは、サンクトペテルブルグの病院で右拳の手術に踏み切る[37]。続いて6月24日、同じサンクトペテルブルグの病院で、固定していた金属プレートの除去手術を受けた[38]。この手術のため、「PRIDE無差別級GP」の1回戦と、回復次第ではシード扱いで出場する予定だった2回戦を共に欠場し、代役でヴァンダレイ・シウバが参戦した[39]。2度に渡る拳の手術を経て、10月21日、マーク・コールマンを相手に復帰第1戦を行った。1Rは打撃で攻め立て、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[40]。続いて12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」でのヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦し、腕ひしぎ十字固めを返されたり、アームロックで追い詰められたものの、チキンウィングアームロックで一本勝ちし、3度目の王座防衛に成功した[41]。
[編集] BodogFightからAfflictionへ
[編集] 2007年:故郷ロシアへの凱旋
2007年3月、総合格闘技イベントボードッグ・ファイトと契約し、4月14日には、地元ロシアのサンクトペテルブルク大会に凱旋出場。マット・リンドランドに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[42]。この大会には当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチン[† 9]や、イタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニなど政治家の観戦も目立った。2007年4月にPRIDEが休止した後はUFC、BodogFight、HERO'Sなど世界中の格闘技団体がヒョードルの獲得を競っている状況であったが、2007年10月、米国の総合格闘技イベントM-1 Globalと2年6試合の契約を結んだ[43][† 10]。ファイトマネーは1試合につき基本給が200万ドルとなっており[44]、これは契約金・ボーナスなどのその他報酬を含めない額であった。11月10日、チェコ共和国プラハで行われた第31回コンバットサンボ世界選手権100kg超級に出場し、初戦は対戦相手が棄権し不戦勝、準決勝も順当に勝ちあがる。決勝戦の相手は準決勝でクリストフ・ミドゥを破ったウラジミール・ベゲーザだったが、彼も棄権し不戦勝となり、4度目の世界王者となった[45]。翌11月11日、ロシアの国家勲章であるピョートル大帝勲章を受章した[46]。12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で1年振りの来日を果たしチェ・ホンマンと対戦、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[47]。
[編集] 2008年:元UFC王者との対戦
2008年2月8日、全ロシアコンバットサンボ選手権100kg超級に出場。1回戦は寝技で極め35秒で勝利、準決勝は相手の鼻を骨折させ10秒で勝利、決勝は身長206cmのスタニスラフ・シュシュコと対戦し、パンチを浴びせて投げ倒し寝技で極め1分10秒で勝利し、優勝した[48]。2月15日にはコンバットサンボ大統領杯に出場し、100kg級で優勝している[49]。7月19日、アメリカ合衆国の新興MMA団体であるアフリクションの第1回大会「Affliction: Banned」において、元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアと対戦。スタンドのパンチでダウンを奪うと、グラウンドでバックからチョークスリーパーを極め、開始36秒で一本勝ちし、新たに設立された総合格闘技の王座認定団体であるWorld Alliance of Mixed Martial Artsの初代世界ヘビー級王者となった[50]。また他の格闘技大会に対して常に挑発的な態度をとっていたUFC最高責任者のダナ・ホワイトもこの結果に「ヒョードルに対する考え方が変わった」と驚愕していた[51]。11月、主演映画『第5の死刑』の撮影をタイで行い(撮影は12月にクランクアップ)、コンバットサンボのロシア代表合宿に参加できないまま11月16日の世界選手権に望んだ。100kg超級に出場したヒョードルは過去2戦勝利していたブラゴイ・アレクサンドル・イワノフとの準決勝で投げ技でポイントを奪われ、その後打撃で攻め立てたものの5-8の判定で敗れ3位に終わった。
[編集] AfflictionからStrikeforceへ
[編集] 2009年:アルロフスキーとの防衛戦とStrikeforce参戦
2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」では1R3分過ぎ、跳び膝蹴りに来たアルロフスキーにカウンターで右フックを命中させ失神KO勝ちを収め、WAMMAヘビー級王座の初防衛を果たした。試合後には「危険な場面は無く、落ち着いて戦えた。跳び膝蹴りで彼はミスを侵した」というコメントを残した[52]。2月21日には全ロシアコンバットサンボ選手権に出場、100kg超級で連覇を達成した[53]。
4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」で来日し、青木真也とサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった[54]。
8月1日、「Affliction: Trilogy」でジョシュ・バーネットと対戦予定であったが、ジョシュが試合前のドーピング検査で陽性反応が出たとして出場中止となり[55]、その影響で同大会は開催中止[56]、さらにAfflictionのMMA興行からの撤退が発表された[57]。その後、UFCとの交渉も伝えられたが[58]、8月3日にStrikeforceと出場契約を交わしたことが発表された[59]。
8月28日、「M-1 Global Presents Breakthrough」でゲガール・ムサシと道着ありのエキシビションマッチを行い、腕ひしぎ十字固めでタップを奪った[60]。
11月7日、Strikeforce初参戦となる「Strikeforce: Fedor vs. Rogers」で、ブレット・ロジャースと対戦。ヒョードルにとって金網での戦いは初めてであったが、右フックにより2ラウンドTKO勝ちを収め、WAMMA世界ヘビー級王座の2度目の防衛に成功した。
[編集] ファイトスタイルと評価
[編集] 寝技・組技に関する評価
ヒョードルのバックボーンは国際大会でも結果を残してきたサンボ・柔道である。柔道でヒョードルとの対戦経験がある小斎武志はバックボーンである組技の力が発揮されていると評価し、「あんなに力が強いロシア人とやったのは初めて」だったと証言している[61]。グラウンドでは安定感と決定力に秀でており、さらに強力なパウンドで攻め立てる。対戦したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは「休んでいる時はじっとしていて、動く時は数発集中して打ってくる」[62]と証言しており、また「左のパンチの方が強くて焦った」と述懐している[62]。パウンドを打つ時のボディコントロールの上手さは定評があり、下からの仕掛けをことごとく制することが出来る[† 11]。当然そのパンチはスタンディングの状態でも発揮され、彼のフックはイゴール・ボブチャンチンのロシアン・フックに似た軌道を描いているという。この強力なパンチを武器に幾多の試合で勝利を収めて来たものの、その威力故に拳への負担が大きく、慢性的な拳の怪我に苦しむこととなった。
[編集] 打撃に関する評価
[編集] 攻撃
元サンビスト・柔道家でありながら、日本での総合格闘技デビュー戦ではパンチでKO勝利と天性の物を見せていた。スタンドでの打撃は、ヘビー級では類を見ない踏み込みの早さと強力な連打を有している[63]。2005年に対戦したキックボクシング出身のミルコ・クロコップは「打ち負けた」ことを認め[35]、また36秒で敗れたティム・シルビアは「俺もヘビー級のトップファイターの一人だが、ヒョードルの強さには驚かされた。あいつは人間じゃない。あんなに強く殴られたことはなかった」とそのパンチ力を称えている[64]。
[編集] ディフェンス
元々圧倒的なストライカー能力により守勢に立たされる場面が少ないため、あまり目立つことがないディフェンススキルだが、その能力は高く、マーク・ハント戦では、相手のパンチをガードに頼らず、その殆どに空を切らせる技術を披露した。ただし2009年1月のアンドレイ・アルロフスキー戦ではボクシングの攻防で劣勢になるシーンが見られ、アルロフスキーのコーチであるフレディ・ローチは「作戦通りに試合を支配していた。幼いミステイクが無ければ簡単な試合だった」と語っている[65]。また元シュートボクシング王者吉鷹弘は「ヒョードルにはカウンターしか残されていなかった。フィニッシュの右フックが無ければ負けていたかもしれない」と分析している[66]。しかし紛れもない事実として専門家の検証では、一分間辺りに相手の打撃をもらう回数が全階級を通してトップファイターたちのなかでもヒョードルは最も低い一人で、そのディフェンス能力の高さが証明されている。[67]
[編集] 精神面その他の評価
ヘビー級では小柄な部類だが高い瞬発力と柔軟性を持ち、打撃を交えながら相手をテイクダウンする一連の動きを一呼吸も置かずにワンテンポでこなす巧みさとパワーを有している。片足を取られてもテイクダウンされないバランスの良さや、相手に上に乗られた状態からの腕ひしぎ十字固めへの切り返しの早さなど、あらゆる面に優れており、試合戦略にも定評がある。
また試合中も常に冷静で落ち着きを払うことができるのは、生まれ持っての性格によるところと本人は語っている[68]。Affliction: Bannedでティム・シルビアのコーチを務めたパット・ミレティッチは「ヒョードルの強さはイカれてるよ。奴は何も恐れない。いつも平然と自分の戦いに向き合うことができている。こいつが他の選手からしたら大問題だ。誰もが自己防衛本能に身を蝕まれてしまうのに、ヒョードルはそれがないのさ。」と述べている[69]。
[編集] 練習方法
総合格闘技に転向する前までは、ウエイトトレーニングを積極的に行い、ヘビー級の肉体を作った。軍務中も、サンボ代表チームに入っていたときもウエイトトレーニングは行っていた。ヘビー級としての肉体が完成され、総合格闘技に転向後は、ウエイトトレーニングはもう必要ないことが分かり、自重を用いたトレーニングのみに切り替えている。ヒョードルは、「20歳くらいまでは(ウエイトトレーニングは)必要だが、その後身体が形成されてからは違う練習が適している」と述べている[70]。
ヒョードルの練習機材は古典的であり、質素である。肉体は主に自重を使った懸垂、腕立て伏せ、腹筋などで鍛えており、近代的なマシンは使用していないようである。ランニングも(マシンを使わず)ロシアの大自然の中で行っている。反動を積極的に使った筋力トレーニング、30kg以上のハンマーを用いたトレーニング。これらの練習方法は、多くのアスリートが行っている筋肥大の筋力トレーニングとは異なる。近代的マシンを利用していないことについてヒョードルは「私の場合、マシンを利用しない練習の方がたまたま自分にあっていたというだけで、近代的マシンが良くないというわけでは決してない。各個人にあった練習をするのが大事」と語っていた。ヒョードルとロシアの伝統的な鍛錬器具であるケトルベルはよく引き合いに出されるが、ヒョードル自身は公式サイトでケトルベルは使っていないと発言しており、軍隊にいた期間に使っていたと語っている[71]。
[編集] 家族・私生活
1999年に前夫人と結婚し、同年に娘が誕生[6]。その後離婚し、現夫人と再婚した。2007年12月29日に2人目の娘が誕生している。また、2008年には大学を卒業している[72]。趣味は描絵[† 12]・音楽鑑賞・読書で他にも遊園地のジェットコースターがお気に入りであり、来日時には試合後に富士急ハイランドなどに行くのが習慣になっているという。また宗教は正教を信仰している[73]。
自宅があるスタールイ・オスコルでは絶大な人気がありCMにも出演している。街の看板にはヒョードルが登場し、誕生日の9月28日は「ヒョードルの日」として街中がヒョードルを祝う日となっており、試合の際は男達が家でテレビ観戦するため町中が静かになるという[74]。ロシア全国内でも注目を集めており、2008年の北京オリンピックではロシアの聖火ランナーにも選ばれた。ヒョードルは愛国者であり、「ロシアの家族と国民のために戦う」とたびたび口にしている。
普段は冷静沈着で大人しい性格であり、リングスのスタッフは「外国人選手の中では珍しく手のかからない選手として評判が良かった」と語っている[75]。一方で弟のアレキサンダーが練習を怠った際は、弟が謝罪するまで馬乗りで殴り続けたという一面もある[76]。リングス在籍時の打撃コーチであるニコライ・ピチコフは「非常に複雑な性格の持ち主だった」と述懐している[77]。
イラストが趣味で、格闘家という人物像からは想像もつかないような可愛らしい絵を描く。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 柔道
- 全ロシア柔道選手権 優勝(1996年)[1][78]
- ロシア国際トーナメント 優勝(1997年)[6]
- 全ロシア柔道選手権 優勝(1998年)[6]
- ロシア国際柔道選手権 100kg級 3位(1999年1月24日、
モスクワ)[† 13][8]
- ブルガリア国際柔道選手権 100kg級 3位(1999年2月7日、
ソフィア)
[編集] スポーツサンボ
- Aクラス国際トーナメント 優勝(1998年、
モスクワ)[6]
- ロシア軍スポーツサンボ選手権 重量級 優勝・無差別級 準優勝(1998年)[6]
- モスクワ国際トーナメント 優勝(1999年、
モスクワ)[6]
- Aクラス国際トーナメント 3位(1999年、
モスクワ・ソフィア)[6]
- 全ロシアスポーツサンボ選手権 3位(2000年)[6]
[編集] コンバットサンボ
- コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2002年、
テッサロニキ)[6]
- コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2002年、
)[6]
- コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2005年10月20日-24日、
プラハ)[79]
- コンバットサンボ世界選手権 100kg超級 優勝(2007年11月7日-10日、
プラハ)[45]
- コンバットサンボ世界選手権 100kg超級 3位(2008年11月13日-17日、
サンクトペテルブルク)[80]
- 全ロシアコンバットサンボ選手権 優勝(2002年、
モスクワ)[6]
- 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2005年、
クストヴォ)[6][81]
- 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2008年2月8日)[48]
- 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2009年2月21日、
クストヴォ)[53]
- ロシア大統領杯 100kg超級 優勝(2008年2月14日-16日、
モスクワ)[82]
[編集] プロ総合格闘技
- 初代リングス世界ヘビー級王座(2001年)[15]
- 初代リングス無差別級王座(2002年)[18]
- 第2代PRIDEヘビー級王座(2003年)[21]
- PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント優勝(2004年)[31]
- 初代WAMMA世界ヘビー級王座(2008年)[50]
[編集] 戦績
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| ○ | ブレット・ロジャース | 2R 1:48 TKO(右フック→パウンド) | Strikeforce: Fedor vs. Rogers 【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
2009年11月7日 |
| ○ | アンドレイ・アルロフスキー | 1R 3:14 KO(右フック) | Affliction: Day of Reckoning 【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
2009年1月24日 |
| ○ | ティム・シルビア | 1R 0:36 チョークスリーパー | Affliction: Banned 【WAMMA世界ヘビー級王座決定戦】 |
2008年7月19日 |
| ○ | チェ・ホンマン | 1R 1:54 腕ひしぎ十字固め | やれんのか! 大晦日! 2007 | 2007年12月31日 |
| ○ | マット・リンドランド | 1R 2:58 腕ひしぎ十字固め | BodogFight: Clash of the Nations | 2007年4月14日 |
| ○ | マーク・ハント | 1R 8:16 チキンウィングアームロック | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2006年12月31日 |
| ○ | マーク・コールマン | 2R 1:15 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.32 "THE REAL DEAL" | 2006年10月21日 |
| ○ | ズール | 1R 0:26 KO(パウンド) | PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- | 2005年12月31日 |
| ○ | ミルコ・クロコップ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2005年8月28日 |
| ○ | 高阪剛 | 1R終了時 TKO(左瞼のカット) | PRIDE 武士道 -其の六- | 2005年4月3日 |
| ○ | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 【PRIDEヘビー級統一王座決定戦】 |
2004年12月31日 |
| - | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 1R 3:52 無効試合(偶然のバッティング) | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 決勝】 |
2004年8月15日 |
| ○ | 小川直也 | 1R 0:54 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 準決勝】 |
2004年8月15日 |
| ○ | ケビン・ランデルマン | 1R 1:33 アームロック | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【ヘビー級GP 2回戦】 |
2004年6月20日 |
| ○ | マーク・コールマン | 1R 2:11 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級GP 1回戦】 |
2004年4月25日 |
| ○ | 永田裕志 | 1R 1:02 TKO(パンチ連打) | INOKI BOM-BA-YE 2003 | 2003年12月31日 |
| ○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 1:09 TKO(パウンド) | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 【ヘビー級ワンマッチ】 |
2003年8月10日 |
| ○ | 藤田和之 | 1R 4:17 チョークスリーパー | PRIDE.26 REBORN | 2003年6月8日 |
| ○ | エギリウス・ヴァラビーチェス | 2R 1:13 チキンウィングアームロック | Bushido Rings 7: Adrenalinas | 2003年4月5日 |
| ○ | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE.25 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2003年3月16日 |
| ○ | ヒース・ヒーリング | 1R終了時 TKO(左眼窩底骨折の疑い) | PRIDE.23 【PRIDEヘビー級王座次期挑戦者決定戦】 |
2002年11月24日 |
| ○ | セーム・シュルト | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE.21 | 2002年6月23日 |
| ○ | クリストファー・ヘイズマン | 1R 2:50 TKO(ポイントアウト:ダウン2、エスケープ1) | リングス WORLD TITLE SERIES 〜GRAND FINAL〜 【無差別級王座決定トーナメント 決勝】 |
2002年2月15日 |
| ○ | リー・ハスデル | 1R 4:10 ギロチンチョーク | リングス WORLD TITLE SERIES 【無差別級王座決定トーナメント 準決勝】 |
2001年12月21日 |
| ○ | 柳澤龍志 | 5分3R終了 判定3-0 | リングス WORLD TITLE SERIES 【無差別級王座決定トーナメント 1回戦】 |
2001年10月20日 |
| ○ | ボビー・ホフマン | 不戦勝(棄権) | リングス WORLD TITLE SERIES〜旗揚げ10周年記念特別興行〜 【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級決勝】 |
2001年8月11日 |
| ○ | レナート・ババル | 5分2R終了 判定3-0 | リングス WORLD TITLE SERIES〜旗揚げ10周年記念特別興行〜 【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級準決勝】 |
2001年8月11日 |
| ○ | ケリー・ショール | 1R 1:47 腕ひしぎ十字固め | リングス WORLD TITLE SERIES 1 【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級1回戦】 |
2001年4月20日 |
| ○ | ミハイル・アポストロフ | 1R 1:03 チョークスリーパー | リングス・ロシア RUSSIA vs BULGARIA | 2001年4月6日 |
| × | 高阪剛 | 1R 0:17 TKO(右瞼のカット) | リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦 【Bブロック2回戦】 |
2000年12月22日 |
| ○ | ヒカルド・アローナ | 5分2R+延長1R終了 判定3-0 | リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦 【Bブロック1回戦】 |
2000年12月22日 |
| ○ | 高田浩也 | 1R 0:12 KO(フック連打) | リングス BATTLE GENESIS Vol.6 | 2000年9月5日 |
| ○ | レヴォン・ラグヴィラーヴァ | 1R 7:24 チョークスリーパー | リングス・ロシア: Russia vs. Georgia | 2000年8月16日 |
| ○ | マルティン・ラザロフ[83] | 1R 2:24 フロントチョーク | リングス・ロシア: Russia vs. Bulgaria | 2000年5月21日 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- エメリヤーエンコ・ヒョードル公式サイト
- 本人によるブログ(ロシア語)
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- Strikeforce 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- JudoInside.com 選手データ
[編集] 脚注
- ^ ティム・シルビア戦以降、この曲に変更している。
- ^ 姓がエメリヤーネンコで名がヒョードルであるため通常であれば「ヒョードル・エメリヤーネンコ」となるはずであるが、ロシアではパスポートなど公式書面に「姓・名・父称」の順で表記するため、そのまま「エメリヤーエンコ・ヒョードル」となってしまったと本人は述べている。また「エメリヤネンコ」が日本で「エメリヤーエンコ」と発音・表記されているのは、諸説あり、一つはリングスのスタッフが初来日時に「エメリヤネンコよりエメリヤーエンコの方が格好良くて面白い」と判断したからという説(FIGHTER(2007)、p.32)、もう一つは「パスポート発行の際に"n"が一文字欠落してしまった」というものである[要出典]。
- ^ ウクライナとの二重国籍であり、ウクライナ国籍で出場していた時期もあったが、現在は現住地のあるロシア国籍での出場を選択している。
- ^ アレキサンダーとはサンボの試合で3度対戦しており、いずれもヒョードルが勝利している(ゴング格闘技(2006a)、p.10)。公式サイト内の試合映像も参照。
- ^ 1998年と1999年のサンボ世界王者。高い評価を受けていたが、唯一の来日となったリングスでのヴァレンタイン・オーフレイム戦ではTKO負けとなった。
- ^ レスリング・フリースタイルで全日本学生選手権97kg級で3位に入る。ヘビー級の日本人として期待がかけられていた(FIGHTER(2007)、p.32)。
- ^ 試合映像を参照。この試合を見ると、高阪の右フックはかわしており、打ち終わりの肘が当たっている様子が確認できる。
- ^ ロシア・サンボ協会の副会長も務めていた。2008年9月14日に飛行機事故により死去。
- ^ 柔道とサンボの達人であり格闘技好きで知られるプーチンはヒョードルの日本での試合もビデオで観ており、官邸への招待の際も互いの親密ぶりが報道されている。本来、プーチンとヒョードルは1月に会うことになっていたが、大晦日の試合の都合で予定を変更せざるを得ず、それがこの試合の観戦のきっかけとなった。試合後、プーチンは直々にヒョードルに試合の感想を伝えていた(Number(2007)、p.46)。
- ^ 2008年3月、Sibling Entertainmentのメンバーが撤退し、ヒョードルをマネージメントするレッドデビルが「M-1 Global」という名前をそのまま引き継いだ。(kamipro.com モンテ・コックス 旗揚げ戦を行なうことなく空中分解した『M-1グローバル』ズンドコな舞台裏と新団体『Adrenaline』について語る!! kamipro.com 2008年4月12日)
- ^ 中井祐樹は「組技出身者だからこそ、下からの仕掛けを外しながら強いパウンドを打てる」と評している(Number(2003)、p.49)
- ^ ヒョードル公式サイトの「ギャラリー」に自作のイラストが掲載されている。
- ^ この大会では1回戦で日本の小斎武志に一本負けを喫している。ヒョードルはその後敗者復活戦を勝ち上がり、小斎と共に3位に入賞している。
- ^ SHERDOGではホフマン戦の不戦勝はカウントされていない。
[編集] 参考文献
- 「皇帝の系譜。」、『ゴング格闘技』2006年3月号(No.167)、日本スポーツ出版社、2006年、pp.8-10。
- 「もうひとつの無敗王座 "コンバットサンビスト"ヒョードルが目指す頂」、『ゴング格闘技』2006年1月号(No.165)、日本スポーツ出版社、2006年、pp.8-9。
- 「仮面の裏側 エメリヤーエンコ・ヒョードル」、『格闘マガジン FIGHTER』2007年春号、晋遊舎、2007年、pp.26-41。
- 「エメリヤーエンコ・ヒョードル 強き拳を振るう者。」、『Sports Graphic Number』2003年11月27日号(No.589)、文藝春秋、2003年、pp.46-50。
- 「エメリヤーエンコ・ヒョードル ロシアの中心となった皇帝」、『Sports Graphic Number』2007年7月5日号(No.681)、文藝春秋、2007年、pp.44-49。
- ^ い ろ は プロフィール PRIDE OFFICIAL WEBSITE 選手データ(Internet Archive)
- ^ い ろ は に ほ へ SHERDOG FIGHTFINDER - Fedor "The Last Emperor" Emelianenko SHERDOG
- ^ ヒョードルが崔との身長差にクールな笑み 日刊スポーツ 2007年12月30日
- ^ い ろ ヒョードル、"氷の拳"に新たなヒビ。ミルコ戦の行方は? BoutReview 2005年4月4日
- ^ MMA TOP 10 HEAVYWEIGHT DIVISION MMA Weekly
Sherdog Official Mixed Martial Arts Rankings SHERDOG
Top 25 Heavyweights Rankings Inside MMA
「一目で分かる! 7階級世界総合格闘家ランキングTOP30」『GONKAKU』No.190、2008年4月号、イーストプレス、p.41 - ^ い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る を わ か よ バイオグラフィー ヒョードル公式サイト
- ^ ヒョードル選手が再びファンの皆さんの質問に答えます。 ヒョードル公式サイト 2009年2月14日
- ^ い ろ FIGHTER(2007)、p.36
- ^ FIGHTER(2007)、pp.36
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- ^ 村浜、関節技で激勝。坂田無念のドクターストップ BoutReview 2000年9月5日
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- ^ 元気、ヤマケンを破る! 金原は判定勝利 12・21リングス横浜大会 スポーツナビ 2001年12月21日
- ^ ロシアの最終兵器、VTのリングに恐るべき全貌を現す BoutReview 2002年6月23日
- ^ 高田、真剣勝負で22年のレスラー生活に幕 BoutReview 2002年11月25日
- ^ い ろ 衝撃決着が続出。ノゲイラ×ヒョードルは? BoutReview 2003年3月18日
- ^ ミルコが! ヒョードルが?あの日本人が! BoutReview 2003年6月9日
- ^ 桜庭、シウバの前に3度散る……! 吉田は胴衣を生かした袖車で田村に逆転勝利 スポーツナビ 2003年8月10日
- ^ い ろ ヒョードル欠場。ミルコ×ノゲイラで暫定王者決定 BoutReview 2003年10月16日
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- ^ ランデルマン、ミルコをKO! BoutReview 2004年4月27日
- ^ 番狂わせ無く最終決戦へ BoutReview 2004年6月21日
- ^ 小川の相手はヒョードルに BoutReview 2004年7月29日
- ^ い ろ 2/60億に悪夢のアクシデント BoutReview 2004年8月16日
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- ^ 高阪初参戦。ヒョードルと5年ぶり再戦 BoutReview 2005年3月9日
- ^ ヒョ―ドルが高阪の技術を力で粉砕 美濃輪はアイブルを70秒殺 スポーツナビ 2005年4月3日
- ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手はコマンド・サンボを忘れていません。 ヒョードル公式サイト 2005年6月21日
- ^ い ろ ヒョードル&ショーグンが頂点に BoutReview 2005年9月1日
- ^ 五味、マッハをKO。シウバ防衛 BoutReview 2006年1月4日
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- ^ ヒョードル、ショーグンら完勝 BoutReview 2006年10月24日
- ^ ヒョードル防衛。五味、石田をKO BoutReview 2007年1月1日
- ^ ヒョードル一本。アルバレス初黒星 BoutReview 2007年4月18日
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- ^ Emelianenko Ready to Seize Marquee SHERDOG 2007年10月23日
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- ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手はコンバットサンボ大統領カップに優勝しました。 ヒョードル公式サイト 2008年2月17日
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再びチャンピオン。 ヒョードル公式サイト 2009年2月21日 - ^ ヒョードル魅せた! 青木と異次元エキシビション 日本代表、1勝4敗でイギリスに完敗 スポーツナビ 2009年4月29日
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- ^ FightMetric "Fedor Emelianenko vs. Lyoto Machida". Sunday, January 25, 2009. 相手の打撃をもらう回数は、アンデウソン・シウバが一分間辺り約0.71回、GSPが1.01回、BJペンが1.23回、ラシャド・エヴァンスが1.39回、フランク・ミアが2.7回。これらに対し、MMA無敗の現UFCライトヘビー級王者LYOTOは0.64回、ヒョードルは0.59回。
- ^ 試合、兄弟と大統領との面会について。 ヒョードル公式サイト 2007年5月8日
- ^ Sylvia's Ultimate Test Sherdog videos 2008年7月8日
- ^ ヒョードル選手にファンたちから沢山の質問が届いています。今日は一部の質問へのヒョードル選手の回答を記載します。 ヒョードル公式サイト 2008年12月30日
- ^ 下になった選手でも勝つことが出来る(記事名) ヒョードル公式サイト 2007年2月15日
- ^ ヒョードル選手が大学を卒業しました。 ヒョードル公式サイト 2008年6月14日
- ^ 「Affliction-2」に参戦したいですが、可能かどうかはまだ分かりません。 ヒョードル公式サイト 2008年8月8日
- ^ Number(2007)、p.48
- ^ FIGHTER(2007)、pp.37-39
- ^ ゴング格闘技(2006a)、p.9
- ^ FIGHTER(2007)、p.37
- ^ ヒョードル、ハッスル小川を完全否定「日本代表にふさわしくない」 スポーツナビ 2004年8月12日
- ^ ゴング格闘技(2006b)、p.8
- ^ PROTOKOL of competitions 国際アマチュアサンボ連盟
- ^ Russia Combat Sambo Championship 国際アマチュアサンボ連盟
- ^ Results of International Sambo Competitions "Russian Federation President's Cup" 2008 国際アマチュアサンボ連盟
- ^ On fights, brothers, and a meeting with the President ヒョードル公式サイト(英語版) 2007年5月8日(公式サイトには記載されていないが、この記事ではラザロフとの試合があった旨が述べられている。なお、同記事の日本語版には「2000年」という記述がない)
| 前王者 アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ |
第2代PRIDEヘビー級王者 2003年3月16日 - 現在 |
次王者 N/A |
| 前優勝者 N/A |
PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント優勝 2004年12月31日 |
次優勝者 N/A |
| 前王者 N/A |
初代WAMMA世界ヘビー級王者 2008年7月19日 - 現在 |
次王者 N/A |
最終更新 2009年12月5日 (土) 14:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【エメリヤーエンコ・ヒョードル】変更履歴


