| エリック・カントナ |
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| 名前 |
| 本名 |
エリック・ダニエル・ピエール・カントナ |
| 愛称 |
キング |
| ラテン文字 |
Éric CANTONA |
| 基本情報 |
| 国籍 |
フランス
イングランド |
| 生年月日 |
1966年5月24日(43歳) |
| 出身地 |
マルセイユ |
| 身長 |
188cm |
| 体重 |
88kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW/MF |
| 利き足 |
右足 |
| 代表歴 |
| 1987–1995 |
フランス |
45 (20) |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
エリック・ダニエル・ピエール・カントナ(Éric Daniel Pierre Cantona、1966年5月24日 -)は、フランス共和国の元サッカー選手。引退後は俳優に転向し、現在はビーチサッカーのフランス代表の監督。
[編集] 来歴
1983-1984シーズンに、ディヴィジョン・アンのAJオセールでプロキャリアをスタートさせる。その後、オリンピック・マルセイユ、FCジロンダン・ボルドー、リーズ・ユナイテッドAFCなどを渡り歩き、キャリアの最盛期を迎えるマンチェスター・ユナイテッドFCを最後に現役から退いた。
引退後は活躍の舞台を俳優業に移し、Le Bonheur est dans le pré(1995年)、Elizabeth(1998年)、Mookie (1998年)、Les Enfants du marais (1999年)、La Grande vie (2001年)、L'Outremangeur (2003年)、La Vie est à nous ! (2005年)、Le Deuxième souffle (2007年)などに出演している。L'Outremangeurでは主演を務めた。
2002年以降、NIKEのテレビCMに出演し視聴者に印象を残す。現在はビーチサッカーのフランス代表の監督。
[編集] 人物
マンチェスター・ユナイテッドFCの伝統的な背番号7の系譜に名を列ねる1人。その威厳に満ちた振る舞いとユニフォームの襟を立てる着こなしから「キング」の異名で親しまれた。また芸術をこよなく愛し、静かなる激情家であった。
練習にも精魂を傾けるフットボールへの真摯な取り組みはチームメイトに多大な影響を与えた。しかし唯我独尊の態度で孤高の存在であったカントナは、他人の意見や規範による柵を徹底して嫌い、厳格な態度で規律を重んじるアレックス・ファーガソンの流儀に括られることもなかった。ベッカム曰く「エリックは特別だった」とのこと[1]。
[編集] 逸話
- 1995年1月25日、クリスタル・パレスFC戦でレッドカードを宣告され退場するカントナに「カントナ失せろ。シャワーを浴びて帰れ!」と野次を飛ばしたクリスタル・パレスのサポーター、マシュー・シモンズに対して、カントナは飛び蹴りを放った(ファンの間では「カンフーキック」「カントナキック」と呼ばれる)。これは大きな批判を呼び、約4ヶ月間の社会奉仕活動、1年弱の出場停止処分を言い渡された。
- リーグ・アン、ニーム・オリンピック時代に審判の判定に不服でボールをぶつけたため、2ヶ月間の出場停止を受けたことがある。フランスサッカー連盟は激しい非難をカントナに浴びせ、このためカントナはリーグ・アンからの「引退」を表明した。
- これほどの名選手でありながら、FIFAワールドカップには一度も出場していない。1990年イタリアW杯、1994年アメリカW杯は欧州予選で敗退。地元開催の1998年フランスW杯の時は前年に引退している。
- EURO1996のフランス代表発表の際にジネディーヌ・ジダンが頭角を現してきたことや世代交代の波もあり、カントナはフランス代表から外された。当時のフランス代表監督のエメ・ジャケは、カントナに代表落選を告げる時のことを「死ぬほど怖かった」と語っている。ちなみにカントナ自身はこのことが影響してか、同年イングランドに帰化している。
- マンチェスター・ユナイテッドの監督のアレックス・ファーガソンがアラン・シアラー獲得断念について「シアラーを獲得するにあたって、2つの問題があった。一つは彼がPKを蹴りたがること、もう一つは背番号9番をつけたいと思っていることだ。背番号の方はそれほど問題はなかったのだが、その頃の私のチームでPKを蹴っていたのは“カントナ”だったのだよ…」と語った。
- またファーガソンはカントナについて「確かにカントナには数えきれない程の欠点がある。彼は人の指図を受けない人間だ。しかし、彼が我がクラブにもたらした最大の功績は、完璧を目指すならトレーニングを疎かにするなということを思い出させてくれたことだ」と語っている。彼の練習熱心さはベッカムを始めとするチームメイトに大きな影響を与えた。
- マンチェスター・ユナイテッドFCにて、ファンが選ぶ歴代NO.1「7」に選ばれる。
[編集] 語録
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- 「世間では普通と違う人間を異常と呼ぶ。私はそう呼ばれることを誇りに思っている」
- 「カモメが漁船を追いかけるのは、(エサの)サバが海にまかれると思っているからだ」 ―95年のカンフーキック事件で、24時間の勾留後の記者会見で
- 「チームなんてどうでもいい、俺が目立てばいいんだ!」
- 「俺の墓石には、どんな言葉も刻んで欲しくない。まっさらな石のままでいい。俺という人間をいつまでも大きな謎につつんでおきたいから」
- 「俺がボスだ!」
- 「監督やチームメイトが何を言おうが関係ないね。興味がわかない」
- 「フットボールで最も重要なのは、集団として何をするかだ。個人として注目を浴びたいなら、私はテニスをやる。あるいは素敵な女性をパートナーにして混合ダブルスをやる」
- 「私はサッカーに対する情熱を失ってしまいました。今までありがとう」 ―引退会見にて
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| フランス |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
フランス杯 |
期間通算 |
| 1981-82 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
0 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1982-83 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
0 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1983-84 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
2 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1984-85 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
5 |
2 |
|
|
|
|
|
|
| 1985-86 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
7 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1985-86 |
マルティーグ |
|
ディヴィジョン・ドゥ |
15 |
4 |
|
|
|
|
|
|
| 1986-87 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
36 |
13 |
|
|
|
|
|
|
| 1987-88 |
オセール |
|
ディヴィジョン・アン |
32 |
8 |
|
|
|
|
|
|
| 1988-89 |
マルセイユ |
|
ディヴィジョン・アン |
22 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| 1988-89 |
ボルドー |
|
ディヴィジョン・アン |
11 |
6 |
|
|
|
|
|
|
| 1989-90 |
モンペリエ |
|
ディヴィジョン・アン |
33 |
10 |
|
|
|
|
|
|
| 1990-91 |
マルセイユ |
|
ディヴィジョン・アン |
18 |
8 |
|
|
|
|
|
|
| 1991-92 |
ニーム |
|
ディヴィジョン・アン |
16 |
2 |
|
|
|
|
|
|
| イングランド |
リーグ戦 |
FLカップ |
FAカップ |
期間通算 |
| 1991-92 |
リーズ |
|
ディヴィジョン1 |
15 |
3 |
|
|
|
|
|
|
| 1992-93 |
リーズ |
|
プレミア |
13 |
6 |
|
|
|
|
|
|
| 1992-93 |
マンチェスターU |
|
プレミア |
22 |
9 |
|
|
|
|
|
|
| 1993-94 |
マンチェスターU |
7 |
プレミア |
34 |
18 |
|
|
|
|
|
|
| 1994-95 |
マンチェスターU |
7 |
プレミア |
21 |
12 |
|
|
|
|
|
|
| 1995-96 |
マンチェスターU |
7 |
プレミア |
30 |
14 |
|
|
|
|
|
|
| 1996-97 |
マンチェスターU |
7 |
プレミア |
36 |
11 |
|
|
|
|
|
|
| 通算 |
フランス |
ディヴィジョン・アン |
182 |
54 |
|
|
|
|
|
|
| フランス |
ディヴィジョン・ドゥ |
15 |
4 |
|
|
|
|
|
|
| イングランド |
プレミア |
156 |
70 |
|
|
|
|
|
|
| イングランド |
ディヴィジョン1 |
15 |
3 |
|
|
|
|
|
|
| 総通算 |
368 |
131 |
|
|
|
|
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|
[編集] 脚注