エリック・クラプトン
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| エリック・クラプトン | |
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| 基本情報 | |
| 別名 | スローハンド |
| 出生 | 1945年3月30日(64歳) |
| ジャンル | ブルース ブルースロック フォークロック ハードロック サイケデリックロック |
| 担当楽器 | ギター |
| 活動期間 | 1963年~現在 |
| 共同作業者 | ヤードバーズ クリーム ブラインド・フェイス デレク・アンド・ザ・ドミノス |
| 影響 | B.B.キング ロバート・ジョンソン アルバート・キング エルモア・ジェイムズなど |
| 公式サイト | ericclapton.com |
| 著名使用楽器 | |
| ブラッキー ブラウニー |
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エリック・パトリック・クラプトン CBE(Eric Patrick Clapton CBE、1945年3月30日 - )はイングランドのサリー、リプリー出身のギタリストでブルース&ロックミュージシャンである。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に、3大ギタリストと呼ばれていた。今もロックやブルースのギタリストの多くに影響を与え続けている。「スローハンド」というニックネームが有名である[1]。 ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第4位[2]。身長177cm。
目次 |
[編集] 経歴
クラプトンのプレイは、ブルースに影響を受けることから出発している。特にアルバート・キング、ロバート・ジョンソン、エルモア・ジェイムズなどのブルース・ギタリストから受けた影響は、彼のプレイ、音楽性によく現れている。クリーム時代の"Strange Brew"で披露したアルバートを模倣したソロなどはそのいい例である。1990年代以降ポップ色を強めたあとも、彼のプレイの根底には常にブルースがある。
クラプトンの功績は、「アフリカからアメリカに奴隷貿易によって連れてこられた黒人たちが起源の黒人の大衆音楽」=「ブルース」を、白人の感覚で解釈し直したことにある(ホワイトブルース)。ブルースの精神をロックと融合させることによって、より広い世界で鑑賞できる音楽に発展させた。また、ギターを単なるヴォーカルの伴奏から脱皮させた功績も大きい。
[編集] 音楽活動
クラプトンのキャリアは、ルースターズから始まる。クラプトンは1963年1月から8月まで在籍。その後、ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズに参加。程なくロンドンでも注目を集めていたバンド、ヤードバーズに迎えられる。1963年の秋である。ヤードバーズでのプレイが認められ、その存在が注目されるようになったが、バンドはポップ路線を志向するようになり、クラプトンは他のメンバーと意見が対立。1965年にバンドを去ることになる。直接の原因は、「フォー・ユア・ラブ」のレコーディングの際、クラプトンが推薦する曲を他のメンバーが無視し録音しなかったことに腹を立てたと言われる。(その後、前述のジェフ・ベック、ジミー・ペイジが相次いで「ヤードバーズ」に参加する。)
ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。ここでクラプトンは、ヤードバーズ以上にストレートなブルースの世界を追求している。オーティス・ラッシュ、フレディ・キングらのナンバーをプレイするメイオール時代は、クラプトンの原点的なものと言えるだろう。彼らのナンバーはその後のキャリアにおいても度々取り上げられ、また本人たちとの共演も行っている。この頃、ロンドンの街中に“CLAPTON IS GOD”の落書きが現れ、「ギターの神」と呼ばれるようになった。(ただし、クリスチャンであるクラプトン本人は、このあだ名をけっして望んでいない)。[要出典]
その後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成。メンバーの即興演奏をフィーチャーしたジャム・セッションや実験的な音楽で、ビートルズに対抗できる唯一のバンドと言われた。しかし、才能をぶつけ合い素晴らしい演奏が生まれる一方で、メンバーのエゴの衝突により人間関係が悪化、バンドは空中分解する形で解散。その直後、スティーヴ・ウィンウッドや先のベイカーらとブラインド・フェイスを結成し、1枚のアルバムを残して解散した。
クラプトンは新天地を求めてアメリカに渡り、南部のミュージシャンと組んだデレク・アンド・ザ・ドミノスを経て、様々なセッションにギタリストとして参加する一方、本格的なソロ活動をスタートした。現在もソロ活動を続け、自ら作曲し歌い(当然、ギターを弾き)、適時にヒット曲を出す。1974年9月14日付のシングルチャートではボブ・マーリーのカバー曲である、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(I Shot The Sheriff)でナンバー1を獲得しているが現在の所、クラプトンのシングル第1位は、この1曲のみとなっている。
1970年代には薬物依存症、1980年代にはアルコール依存症、交通事故、胃潰瘍、愛妻パティ・ボイド(親友でもある元ビートルズのジョージ・ハリスンの前妻)との別離を経験。
1990年代初めには、イタリア人女優ローリ・デル・サントとの間にもうけた初めての子供コナーがニューヨークの高層マンションの窓から転落死した。数々の災難に遭い人生の辛酸を味わったがそのたびに立ち直り、そうした経験を糧にますます演奏に奥行きを加えて、世界の第一線のミュージシャンとして活躍を続けている。
1991年、自らのバンドを従え、ジョージ・ハリスンのバックバンドに徹して参加し、日本だけのツアーを敢行。途中、ジョージの休憩を兼ねて、自らの楽曲を演奏するコーナーもあった。ジョージの世界ツアーの呼びかけに対して、亡くなった自分の息子の為の楽曲の録音をツアーの為にキャンセル。ジョージとしては、これが最後のライヴツアーとなった。そして亡くなった自分の息子に贈った歌が名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」(Tears In Heaven)である。なお、この曲は1992年に全米シングルチャート第2位を記録している。さらに1993年には年間最優秀曲に選ばれ、この歌が収録されたアルバムも最優秀アルバム賞を獲得。
1996年、映画『フェノミナン』にカバー曲、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供している(元々はカントリー・シンガーのウィノナ・ジャッドが歌っている)。この曲でクラプトンはグラミー賞のソング・オブ・ジ・イヤーを獲得している。ちなみにプロデューサーはベイビーフェイス。
[編集] 近年
世界各国でのツアーを行い、来日公演も多数(2006年秋=17度目)。2009年2月には2年ぶり18度目の来日公演が決定[3]。クラプトン本人は大の日本好きであることも知られており、ツアーでなくプライベートでも格闘技イベント(PRIDE)を観戦するためなどで来日している。
1998年にはB.B.キングらとともにアメリカ映画『ブルース・ブラザース2000』に出演した。1999年には、かねてから自身の所有するドラッグ更生診療所「クロスロードセンター」への資金捻出のために所有するギター104本をニューヨークのクリスティーズのオークションに出品した。その中には「愛しのレイラ」をレコーディングしたストラトキャスター「ブラウニー」が含まれていた。
2度目のオークションは2004年6月24日に開かれ、出品された56本の中には彼の使用したギターで最も有名で長年愛用したブラッキー('56年製のフェンダー・ストラトキャスター)の愛称を持つギターも含まれ、当初の落札予想価格を大幅に越え最終的に95万9,500ドル(およそ1億520万円)の価格がつけられ「世界一値段の高いギター」となった。エリックは友人でもあったジミ・ヘンドリックスがライブパフォーマンスでよくギターを壊すことから、彼へのプレゼントとして、ツアー先で楽器店に立ち寄る都度、程度の良いストラトキャスターを見つけては購入していた(ジミ・ヘンドリックスは左利きのフォームでギターを弾くが、右利き用のストラトキャスターをそのまま流用していた)。ツアーが明け、エリックが買い求めた幾本ものギターをプレゼントする直前に、彼はドラッグ・オーバードーズで死んでしまったため、結局プレゼントするにはいたらなかった。エリックは自身が買い求めた同じ型のギターをパーツごとに分解し、それぞれのパーツで最も良いものを1つずつ選んで一本のギターにしたのがブラッキーだという逸話も、世界一値段が高くなる要因を作ったともいえる。[要出典][誰?]--ERIC CLAPTON/THE AUTOBIOGRAPHY Published by CENTURY 2007/pp163 2009年9月4日
2002年のイギリス女王即位50周年式典のライヴでは、ジョージ・ハリスン死去への追悼として、元「ビートルズ」のポール・マッカートニーと共に、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスを演奏し、当時の録音同様リードギターを担当し、加えて特別にリードボーカルも担当する。2004年11月3日、イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐとされる、「大英帝国第三級勲位」(CBE)が授与された。
2005年にはクリームの再結成ライヴが5月に4公演(5月2、4、5、6日)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3夜連続で当時のオリジナルメンバーで行われた。
日本でのアルバム売り上げは1999年発売のベストアルバム『BEST OF』が200万枚[4]、1992年発売のライブアルバム『アンプラグド』が120万枚[5](全世界では1500万枚)など。
[編集] 逸話
- トンカツが大好物である。来日したときには自ら「世界一お気に入りのレストラン」と称する原宿のトンカツ屋「福よし」へ足を運ぶが、注文するのはチキンカツである。[要出典]NHK-BS2の『BS熱中夜話』の「ロック黄金時代」の回において、ムッシュかまやつは「新宿のトンカツ屋で会いましたよ」と発言している。
- 来日中は寸暇を惜しんで買い物をするのは有名な話で、ブランドシューズであるレッド・ウィングのショップには来日ツアー中何度も訪れて(時には一人で訪れた)日本のみのモデルを合計10足以上買っていった(本人によると日本のサイズ=インチではなくセンチサイズが丁度いいらしい)[要出典]。またアルマーニに寄って棚一列全部買い占めた、トラヴィスワーカーのアクセサリーをショーケース1個分買っていったなどという逸話がある。[要出典]
- 近年はストリートカジュアルへの嗜好が深く、藤原ヒロシとの交友関係からグッドイナフ、ヴィズヴィム等、日本国内のストリート系ファッションを着こなしている。
- 無類のカーマニアで、特にフェラーリを好む。今まで数十台所有しており、アルバム「スローハンド」の中ジャケットには銀色のフェラーリ365BBが登場している。80年代後半にはテスタロッサ、近年ではエンツォ、599GTB等を所有している。また、ポルシェも好きらしく、911ターボを所有する。
[編集] 日本公演
- 10月22日,23日・フェスティバルホール、10月24日・京都会館、10月27日・北九州市立総合体育館、10月29日・静岡駿府会館、11月1日,2日・日本武道館
- 9月26日,10月1日・フェスティバルホール、9月27日・岡山県体育館、9月29日・京都会館、9月30日・名古屋市公会堂、10月4日・真駒内アイスアリーナ、10月6日,7日・日本武道館
- 11月23日・茨城県立県民文化センター、11月25日・名古屋市公会堂、11月26日・京都会館、11月27日・大阪厚生年金会館、11月28日・広島郵便貯金ホール、11月30日・小倉新日鉄大谷体育館、12月1日・大阪府立体育会館、12月3日,4日・日本武道館、12月6日・道立産業共進会場
- 11月27日・新潟県民会館、11月30日・愛知厚生年金会館、12月1日・フェスティバルホール、12月3日・福岡サンパレス、12月4日・京都会館、12月7日・日本武道館、12月8日・横浜文化体育館、12月9日・東京厚生年金会館
- 10月5日,6日・国立代々木競技場第一体育館、10月7日・大阪厚生年金会館、10月9日・名古屋市民会館、10月10日・フェスティバルホール、10月11日・福岡サンパレス
- 10月31日・名古屋レインボーホール、11月2日・東京ドーム、11月4日・日本武道館、11月5日・大阪球場
- 12月4日,5日,6日・日本武道館、12月9日・国立代々木第一体育館、12月10日・名古屋レインボーホール、12月11日・大阪城ホール、12月13日・横浜アリーナ
- 12月1日・横浜アリーナ、12月2日,3日,10日,11日,12日・大阪城ホール、12月5日・名古屋市国際展示場、12月6日・広島サンプラザ、12月9日・福岡国際センター、12月14日,15日,17日・東京ドーム
- 10月12日,13日,21日,22日,25日,26日,27日,31日・日本武道館、10月14日・名古屋レインボーホール、10月17日・福岡国際センター、10月23日,30日・横浜アリーナ
- 10月1日,2日,3日,5日,6日・国立代々木第一体育館、10月8日,9日・大阪城ホール、10月11日,12日,13日・日本武道館
- 10月13日,14日,16日,17日,27日,28日,30日,31日・日本武道館、10月20日・マリンメッセ福岡、10月20日,21日・大阪城ホール、10月24日・広島グリーンアリーナ、10月25日・名古屋レインボーホール
- 11月9日,19日,20日,22日,26日,27日,29日,30日・日本武道館、11月11日・愛知県体育館、11月13日・マリンメッセ福岡、11月15日,16日,17日・大阪城ホール、11月24日・横浜アリーナ
- 11月19日,20日,21日・大阪城ホール、11月24日・愛知県体育館、11月26日・マリンメッセ福岡、11月28日,29日,30日、12月3日,4日,5日,10日,11日・日本武道館、12月8日・宮城県総合運動公園総合体育館、12月14日,15日・横浜アリーナ
- 11月15日・広島グリーンアリーナ、11月17日,19日,20日・大阪城ホール、11月22日・名古屋レインボーホール、11月24日・さいたまスーパーアリーナ、11月26日,27日・横浜アリーナ、11月29日,30日、12月2日,3日,9日,10日,12日,13日・日本武道館、12月5日・宮城県総合運動公園総合体育館、12月7日・札幌ドーム
- 11月11日,12日,14日,15日・大阪城ホール、11月17日,18日・名古屋レインボーホール、11月20日,21日,23日,24日,29日,30日,12月5日,6日,8日,9日・日本武道館、11月26日・札幌ドーム、12月2日・さいたまスーパーアリーナ
- 2月12日,13日・大阪城ホール、2月15日,18日,19日,24日,25日,27日,28日・日本武道館
[編集] ディスコグラフィ
詳細は「エリック・クラプトンの作品」を参照
[編集] 愛用ギター
ギターコレクターであり、何百本ものギターをコレクションしたりオークションに出している。それらギターの中でもとりわけ使用頻度の高いものを挙げる。
- フェンダー・テレキャスター
- 主にヤードバーズ時代に使用していた。
- ギブソン・SG
- ストラトキャスターの前にメインとして使っていたエレクトリックギター。サイケデリックペイントが施されておりクリーム時代に使っていた。
- フェンダー・ストラトキャスター
- 何本か所有しているが、とりわけ以前所有していた'56年製のカスタマイズド・ストラトキャスターの通称ブラッキー(色はブラック)が有名。その後はフェンダーが開発した自身のシグネチャーモデルやニューヨークで活動するアートディレクター、クラッシュが施したグラフィティ・ペイントのストラト(クラッシュキャスター)を使用していたが、2006年のジャパン・ツアーではニューカラーのメタリックグレー(ピューター)のストラトに持ち替えていた。
- なお、スライド奏法やチョーキング奏法などをメインとするためにトレモロ・アームは使用しない。そのためトレモロ・アームを外し、トレモロ・ユニット自体も木のブロックをはめ込んで固定してある(ジミ・ヘンドリクスのトリビュートアルバムで"Stone Free"を演奏した際には、初めてトレモロ・アームを使用したという)。ストラトは通常21フレットだが、クラプトンは22フレットを使用する。また、シグネチャーモデルは、通常のストラトキャスターとピックアップやコントロール回路のシステムが異なっている。
- ギブソン・レスポール・サンバースト(スタンダード)
- 1960年製。エリック・クラプトンがフレディ・キングの1954年製レスポール・ゴールド・トップを見てインスパイアされ、ロンドンのチャリング・クロス・ロード(大通り)にある楽器店にこれを購入しに行ったというエピソードがある。ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代に使用していた。ピックアップのカバーが両方外されていてピックアップのボビンがフロントはダブルホワイト、リアはダブルブラック。ペグがグローバー。先述のジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代のアルバム・「BluesBreakers」でレスポールとマーシャルアンプの組み合わせを確立した。
- ギブソン・ES-335
- クリーム時代にロバート・ジョンソンの楽曲である「クロスロード」をカバーする際などに使っていた。1964年製。ブロックポジション・インレイ、グローバー・ペグ仕様。2005年にギブソン・カスタムショップから世界限定250本で復刻された。
- マーティン・000-28・000-42
- アンプラグドで使用したのがビンテージの000-42である。
- 近年のライブツアーでは、000-28や、自身のオリジナルモデルである000-28ECを主に使っている。マーティンにとっては公式には初めてとなるアーティストモデルのギターでもあった。
[編集] 関連人物
- ジョージ・ハリスン - 元ビートルズのギタリストで大親友
- ジョン・レノン - 元ビートルズのギタリスト。ジョンのソロ・プロジェクトであるザ・ダーティー・マックやプラスティック・オノ・バンドに参加し、ライブやレコーディングを残している。
- ピート・タウンゼント - ザ・フーのギタリストで薬物中毒だったクラプトンを支えた人物
- パティ・ボイド - 前妻であり大親友のジョージ・ハリスンの元妻。名曲「いとしのレイラ」は彼女に向けたもの。
- ルース・クラプトン - クラプトンの娘
- ネイザン・イースト - 近年のライブツアーでベースを担当
- スティーヴ・ガッド - 近年のライブツアーでドラムスを担当
- デビッド・サンシャス - 近年のライブツアーでキーボードを担当
- ビリー・プレストン - 近年のライブツアーでキーボードを担当
- ジミ・ヘンドリックス
- デレク・トラックス - 2006年ライブツアーでスライドギターを担当
- ジャック・ブルース
- ジンジャー・ベイカー
- アンディ・フェアウェザー・ロウ - 近年ライブツアーでギターを担当
- スティーヴ・ウィンウッド - ブラインド・フェイス時代からの友人で、ライブやレコーディングでも共演
- B.B.キング - 1998年公開のアメリカ映画「ブルース・ブラザース2000」で共演。2000年には、キングと共に「Riding with the King」を共作している。
[編集] 註
- ^ このニックネームの由来については、ヤードバーズ時代のマネージャー、バンドのメンバーであったクリス・ドレヤ、そして本人が複数の説を語っている。 Slowhand: How did Eric get his nickname?
- ^ "100 Greatest Guitarists of All Time". Rolling Stone Issue 931. Rolling Stone. 2008-06-01 閲覧。
- ^ エリック・クラプトン、来日公演は武道館6デイズ+大阪2デイズ、BARKS、2008年11月11日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
- ^ international news、ワーナーミュージック・ジャパン、2000年5月29日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
- ^ エリック・クラプトン 最新アルバム100万枚突破、中日スポーツ、1999年10月15日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
[編集] 外部リンク
- Eric Clapton Portal by Where's Eric! The Eric Clapton Fan Club Magazine (英語)
- Eric Clapton FAQ - Eric Clapton Frequently Asked Questions (英語)
- Eric Clapton's official website (英語)
- Clapton's "Crossroads" Rehab centre, Antigua (英語)
- Clapton marries in secret, BBC, 3 January, 2002 (英語)
- 本人によるブログ(ウェブマガジンhoneyee.com内) (英語)
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最終更新 2009年11月17日 (火) 08:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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