エルサレム神殿

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エゼキエル書の挿絵(19世紀に作成された想像復元図)
フランチェスコ・アイエツ『エルサレム神殿の破壊』
ヘロデの神殿の模型(イスラエル博物館、エルサレム)

エルサレム神殿(エルサレムしんでん)は、古代エルサレムに存在したユダヤ教の礼拝の中心地。唯一の神の聖所であり、アロンの家系の祭司とレビ人と呼ばれるレビ族出身の非祭司階級が祭祀に当たった。

[編集] 概要

歴史的には、

がある。神殿はユダヤ戦争においてユダヤ人が立てこもったため、紀元70年ローマ帝国軍の攻撃によって破壊された。

現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分は、このヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分とされ、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。

[編集] 歴史

旧約聖書の『列王記』、『歴代誌』によれば、初めソロモン王により創建された。これは紀元前10世紀のことと推定される。

ユダ王国がバビロニアにより滅亡したのち衰微するが、ペルシア帝国のもとでユダヤ人の帰還が許され、神殿も再建された。この再建の背景にはキュロスが征服民に寛容な政策を取り、かれらに文化上・信仰上の自由を許すことが帝国の安定に寄与すると考えたことが関わっている。

再建された神殿はユダヤ人の信仰の中心であったが、祭司出身者によるハスモン朝が成立してユダヤが独立するとユダヤの神権政治の中心ともなった。

神殿は紀元前1世紀にイドマヤ出身(エドム人の改宗者)のヘロデ大王によって拡張され、その王宮と回廊で結ばれた。ヘロデ大王により拡張された神殿は、それ以前と区別してヘロデの神殿とも呼ばれる。ユダヤ戦争においては紀元70年のエルサレムにおける最後の攻防戦の舞台となった(この戦争におけるエルサレム神殿の様子はフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』にくわしい)。戦争が終わると神殿はエルサレムの市街ともどもローマ帝国によって破壊され、エルサレムと神殿はもはやユダヤ教の信仰生活の中心ではなくなった。

ローマ皇帝ハドリアヌスはもとのエルサレムに植民市アエリア・カピトリーナをおいたが、そこにユダヤ人が入ることは禁止された。皇帝ユリアヌスの治世に再建が図られたが実現せず、再建の計画は放棄されて今日に至る。

なお、現在のイスラエルユダヤ教の右派には、岩のドームを壊しての神殿の再建を計画しているグループがいる。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月6日 (金) 08:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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