エレックレコード (オリジナル)

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エレックレコード(初代社長=永野譲)は、1969年から1976年にかけて存在したレコード会社。今日のインディーズレーベルの先駆けとされる。1969年に設立され、一時、吉田拓郎泉谷しげるら人気ミュージシャンのレコードをリリースしたが、1976年6月、倒産。

その後のレーベル史の研究のなかで、URCレコードベルウッドレコードとともに初期フォーク系の3大レーベルのうちのひとつといわれる[1]

その音源は長く封印されていたが、1998年フォーライフ・レコードから復刻・CD化が始まり、以降、各社による復刻CDのリリースがすすんでいる。

2004年、当時の音源を管理するエレックレコード (新生)(法人名=エレックレコード株式会社、代表取締役社長=萩原克己)が設立され、往年のイベントである「唄の市」コンサートを復活させるなどしている。

目次

[編集] 沿革

1969年、出版社エレック社が行っていた音楽通信教育講座の会員作品をレコード化するため、永野譲、浅沼勇らの出資によって、新宿御苑に設立。同年4月、文化放送アナウンサー・土居まさるの歌による4曲入りコンパクト盤の市販をスタート。当時、流行が始まっていた、フォークソングのレコード制作に方針を決め、手始めに「広島フォーク村」のアーティストたちを抜擢[2]

1970年4月、吉田拓郎が「イメージの詩/マークⅡ」でデビュー。「青春の詩」「よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち」を発表。

1971年泉谷しげるとともに音楽制作集団「サイクル・ギス」(古井戸佐藤公彦ピピ&コット)を率いていた門谷憲二が同社に合流。同年11月、泉谷しげるが「泉谷しげる登場」リリース。

1972年ピピ&コットがシングル「捨ててはいけない」でデビュー。ピピ&コットの佐藤公彦はその後、ケメの愛称でソロ・デビューすることになる。同年3月、古井戸がアルバム「古井戸の世界」でデビュー。同年10月には博多から上京した海援隊が「海援隊がゆく」でデビュー。同年11月には丸山圭子が「そっと私は」でデビューした。同年から「唄の市」コンサートの各地での開催が盛んになる[3]

1973年5月、沖縄フォーク村の村長として活動していた佐渡山豊の「世間知らずの佐渡山豊」。

1974年2月、ずうとるび、「透明人間」でレコードデビュー[4]

1975年、ニューエレックレコードに社名を変更する[5]。同年9月、山崎ハコ、「飛・び・ま・す」でアルバムデビュー。

1976年6月、倒産。

[編集] 経営戦略

[編集] 「唄の市」コンサートとライブ盤の販売

同社の看板イベント「唄の市」コンサートは、1971年、東京都内で開催された「唄の市」旗上げ式から始まったといわれる。その後、「唄の市」コンサートを開催し、佐藤公彦、ピピ&コット、泉谷しげる、古井戸といった看板アーティストが出演して、全国展開した「唄の市」は一時、年間200本にも及んだという。同社が主催だけではなく、協力という形にして各地のグループが主催する「唄の市」コンサートも開催した[6]。プロのアーティストとアマチュアミュージャン、ファン、顧客との交流の場でもあった。コンサートの音源の一部は、ライブ盤のレコードとして販売された。

[編集] メディア戦略

ラジオ関東(現・ラジオ日本)のオーディション番組に同社から審査員を出し、新人を発掘。音楽雑誌やラジオ番組情報誌との連携によって新人をバックアップする体制をつくりあげた[7]

[編集] 社内レーベルの展開

基本のレーベル名としては、エレックレコードを通したが、多角的な展開をはかるために、ずうとるびのデビューの際に、アイドル系の「愛レーベル」を立ち上げ、大滝詠一の「ナイアガラ・レーベル」を傘下に入れるなどした。

[編集] 他社商品の販売受託

1974年年12月、URCレコードの販売を受託。

[編集] 倒産に至る経緯

[編集] 看板アーティストの相次ぐ移籍、独立

1970年4月、吉田拓郎が移籍[8]

1973年、海援隊が「風雲編」を最後にテイチクレコードへ移籍。スタッフのひとりが海援隊とともに音楽出版会社を設立[9]

1974年5月、スタッフのひとりが古井戸ととともに、音楽出版会社を設立[10]

1974年10月、泉谷しげる、「黄金狂時代」を最後にレコード会社を移籍[11]

1975年7月、ケメ(佐藤公彦)、「遠乗りの果て」を最後にレコード会社を移籍。

[編集] 放漫経営

1974年、6,000万円の手形危機が起こる。同社の社員であった門谷憲二は倒産の原因を放漫経営と分析している[12]

[編集] 同社から作品をリリースした主なアーティスト

[編集] 復刻版CD

一部アーティストの作品が移籍先の会社から再発売された以外、音源は長く封印され、中古レコードで入手するしかなかった。1998年フォーライフ・レコードから一部が発売されたが、その後、途絶えた。2004年に新生エレックレコードが設立されると、完全復刻プロジェクトが始まった。2005年から2007年まで、バップと提携した「エレックレコード200完全復刻プロジェクト」が続けられ、多くのタイトルが紙ジャケット(ライナーノーツ、帯完全版)入りのCDというかたちで発売された。2008年1月からジェネオンエンタテインメントが90タイトルの予定で復刻CDをリリースしはじめたが、9タイトルにとどまった。2008年末から2009年にかけて、ポニーキャニオンを提携先として、「エレックレコード・URCレコード復刻プロジェクト2009」が取り組まれた。

[編集]

  1. ^ 『資料 日本ポピュラー史研究 初期フォークレーベル編』- 黒沢進(1986年、SFC音楽出版)では、永野譲(エレック)、大瀧詠一(エレック、ベルウッド)・三浦光紀(ベルウッド)、秦政明(URC)、高田渡 (URC)、早川義夫 (URC)、岩井宏(URC)ら、URC・ベルウッド・エレックの関係者へのインタビューが行われている。
  2. ^ 年代別ラインナップ1969」エレックレコードの出来事
  3. ^ 年代別ラインナップ1972」エレックレコードの出来事
  4. ^ 年代別ラインナップ1974」エレックレコードの出来事
  5. ^ 年代別ラインナップ1975」エレックレコードの出来事
  6. ^ 1998年8月21日「唄の市~エレック・ライブ選集」についてのなぎら健壱のコメント フォーライフミュージックエンターテイメントサイト内
  7. ^ 前掲「なぎら健壱のコメント フォーライフミュージックエンターテイメントサイト内
  8. ^ 年代別ラインナップ1970」エレックレコードの出来事
  9. ^ 年代別ラインナップ1973」エレックレコードの出来事
  10. ^ 年代別ラインナップ1974」エレックレコードの出来事
  11. ^ 年代別ラインナップ1974」エレックレコードの出来事
  12. ^ BOOK 著者に会いたい「エレックレコードの時代 門谷憲二さん」文・宮崎健二 asahi.com 2006年10月15日

[編集] 関連事項

最終更新 2009年11月2日 (月) 04:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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