エンタープライズ (CVN-65)

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USS Enterprise(CVN-65)
艦歴
発注 1957年11月15日
起工 1958年2月4日
進水 1960年9月24日
就役 1961年11月25日
退役
その後
性能諸元
排水量 基準:75,700トン 満載:93,284トン
全長 336 m
艦幅 40 m
全幅 76 m
吃水 10,7 m
最大速度 33.6 ノット (62 km/h)
機関 蒸気タービン
(280,000hps 210 MW)4軸推進
4基
A2W型加圧水型原子炉 8基
乗員 士官、兵員4,600名
兵装 シースパロー短SAM8連装発射機 2基
ファランクスCIWS 2基
RIM-116ランチャー 2基
搭載機 84機
愛称 Big E;
Mobile Chernobyl;
Three-Quarter Mile Island
モットー Ready on Arrival;
The First, the Finest;
Eight Reactors, None Faster

エンタープライズ (USS Enterprise, CVAN/CVN-65) は、アメリカ海軍航空母艦。世界初の原子力空母。その名を持つ艦としては8隻目である。同型艦はない。2006年現在バージニア州ノーフォークを母港とし、2016年ジェラルド・R・フォードと交代予定である。世界初の原子力空母であるため、原子炉は低出力なものとなり、合計8基もの原子炉を搭載することになった。

エンタープライズの艦種分類番号は当初 CVA(N)-65 とされた( 'N' は原子力の意)が、その後 CVN-65に変更された。艦は先代のエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) と同じく「ビッグE 」の愛称で呼ばれる。

目次

[編集] 艦歴

[編集] 就役 - 1960年代

エンタープライズは1958年2月4日ニューポート・ニューズ造船所で起工された。1960年9月24日に元アメリカ合衆国海軍長官ウィリアム・B・フランクの夫人によって進水し、初代艦長ヴィンセント・P・デュポア大佐の指揮下1961年11月25日に就役した。

当初はエンタープライズ級航空母艦6隻の一番艦となる予定であったが、建造費の増大から同級の建造計画はキャンセルされ、建造予定のCV-66キティホーク級航空母艦の一隻として建造された。CVN-67は新型原子炉を組み込んで建造される計画であったがそれもキャンセルとなりジョン・F・ケネディ (USS John F. Kennedy, CV-67) として再発注された。

就役後エンタープライズは一連の試験を含む訓練航海を行い、原子力空母の能力実証を行った。就役に先立って10月30日にVR-40所属の3機のTF トレーダーが艦上から公試を視察したVIPを本土へ送り届けている。

エンタープライズの最初の航空作戦参加は1962年1月に行われた。ジョージ・トーレイ大尉が指揮する F8U クルセイダーカタパルトによる発艦と着艦を行っている。1962年2月20日にはマーキュリー計画でフレンドシップ7の追跡測定ステーションの役割を果たした。

8月にエンタープライズは第6艦隊に加わり、地中海で作戦活動に従事する。ノーフォークに帰港したのは10月であった。

まもなくキューバ危機が発生。10月14日U-2偵察機が撮影した写真からキューバ国内にソ連準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を確認、さらにその後三つの中距離弾道ミサイル(IRBM)が発見された。アメリカ政府はフロリダ州陸軍部隊を移動、海軍艦艇による支援でキューバに対する軍事活動の準備を始める。

10月22日ジョン・F・ケネディ大統領はテレビ演説で国民に対してキューバにミサイルが持ち込まれた事実を発表し、ソ連を非難した。続いて軍への準戦時体制を発令し、エンタープライズを含む第2艦隊艦艇から成る海上封鎖部隊が動員される。海上封鎖はエンタープライズ、インディペンデンス (USS Independence, CV-62) 、エセックス (USS Essex, CV-9) 、ランドルフ (USS Randolph, CV-15) などの空母とその艦載機、地上基地からの航空機によって行われた。全ての士官及び兵士の任期は無期限に延長された。

10月24日に封鎖部隊は「キューバに対する攻撃用兵器輸送全ての厳密な隔離」を開始する。翌日最初のソ連船を停止、臨検する。10月27日U-2偵察機がソ連軍の対空ミサイルで撃墜されるなど緊張が続いたが、10月28日にソ連首相ニキータ・フルシチョフはラジオでミサイル撤去の決定を発表した。フルシチョフはキューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、キューバ危機は収束した。

1962年12月19日、リー・M・ラムジー中尉が操縦する E-2 ホークアイは、発艦間隔短縮のためカタパルト・ブライドルに代えて設置された艦首曳航機器を用いての発艦試験に成功した。

ロング・ビーチ、ベインブリッジと共に原子力機動部隊を構成するエンタープライズ

エンタープライズは1963年に2度目の、1964年には3度目の地中海配備が行われた。1964年5月13日、エンタープライズは原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチ (USS Long Beach, CGN-9) とベインブリッジ (USS Bainbridge, DLGN-25) らと第1原子力機動部隊(Task Force 1)を構成し、7月31日からシー・オービット作戦を開始した。第1原子力機動部隊は世界初の原子力推力艦による戦闘部隊であった。

部隊はジブラルタルを出航し、歴史的な65日間の航海を行う。総航海距離は30,216マイル (49,190 km)に及び、燃料無補給で行われた。部隊がこの航海で立ち寄った港はパキスタンカラチブラジルリオデジャネイロオーストラリアシドニーが含まれる。エンタープライズは10月にニューポート・ニューズ造船所に入りオーバーホールを受けた。

1965年11月、エンタープライズは第7艦隊に配属となる。12月2日にビエンホアの北ベトナム軍に対する艦載機の出撃を開始し、実戦に従事した最初の原子力艦となる。初日に125回の出撃を行い、167トンの爆撃ロケット弾攻撃を敵補給路に対し行った。翌日には165回の出撃記録を達成する。

1968年1月4日にアメリカを出航、同月8日にハワイに寄港、その後原子力ミサイル巡洋艦トラクスタン (USS Truxtun, DLGN-35) とハルゼー (USS Halsey, DLG-23) を率い長崎佐世保に直航、1月1718日には入港すると見られた。反対する日本社会党日本共産党は5万人規模の阻止集会を予定し、一方、三派系全学連は阻止闘争のため2,000人の動員を計画。それに対し政府側は、福岡県警察熊本県警察佐賀県警察長崎県警察から5,000人の機動隊を動員してそれに備えた。
入港前の1月17日、ついに佐世保で全学連と警察の間に市街戦さながらの激突が起きた。機動隊は完全武装し、放水、催涙ガス銃を容赦なく学生に向けて打ち込んだ。主戦場は佐世保駅から、やがて平瀬橋、そして学生が逃げ込んだ旧市民病院の中にまで移っていった。約2時間の激闘の末、市民病院に追いつめられた学生は機動隊の猛攻の前に制圧された。(佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争)学生・警官あわせて重軽傷者135人。逮捕者は27人にのぼった。
18日の寄港は一時延期し、翌19日午前9時10分、佐世保港に停泊した。この日もまた学生と機動隊の衝突が繰り返された。1月23日午前9時、プエブロ号事件発生に伴い佐世保港を出港し、エンタープライズとその護衛艦からな成る機動部隊は東シナ海に展開し、朝鮮半島付近の日本海に1ヶ月近く展開した。

炎上する艦載機

1969年1月14日の午前8:19に F-4 ファントムIIに装着された MK-32 ズーニー・ロケット弾が発艦準備を行っていた機体の排気により加熱され爆発事故を起こす。爆発とその後の火災で27名が死亡し、314名が負傷した。火災により15機の艦載機が破壊され、エンタープライズはその損害により修理を余儀なくされた。修理は真珠湾で3月初めに完了した。

1969年4月14日北朝鮮軍機が厚木基地所属の EC-121 コンステレーション電子偵察機を撃墜し乗員31名が全員死亡する(アメリカ海軍EC-121機撃墜事件)。エンタープライズ、タイコンデロガ (USS Ticonderoga, CV-14) 、レンジャー (USS Ranger, CVA-61) 、ホーネット (USS Hornet, CV-12) の各空母と護衛の巡洋艦駆逐艦から成る第71機動部隊は日本海に派遣され、警戒態勢に入った。

[編集] 1970年代

1970年にエンタープライズはオーバーホールと二度目の燃料棒交換のためニューポート・ニューズ造船所のドック入りする。1971年1月19日に炉心の燃料棒交換後の公試が完了する。その後エンタープライズはベトナム海域に展開し、アメリカ軍及び南ベトナム軍の支援を行う。

ベトナムでエンタープライズはオリスカニー (USS Oriskany, CV-34)、ミッドウェイ (USS Midway, CVB-41)と共に、二艦での作戦行動を22日間、単独での作戦行動を9日間行い、1971年7月30日までに2,001回の出撃を行った。7月の出撃は空母が三つの台風 - ハリエット、キム、ジーン - を回避した際中断した。一ヶ月の間に南ベトナムに対する出撃は僅かながら増加し、これらは共産勢力の拠点に対する視認攻撃と、ヘリコプターによる作戦への支援であった。

エンタープライズは1971年8月1日から8月8日までは二艦による作戦活動に従事し、8日から31日までは単独で活動した。8月の出撃回数は1,915回を数えた。9月1日から4日までエンタープライズはヤンキー・ステーションで作戦活動に従事、9月の出撃回数はオリスカニー、ミッドウェイの回数も合わせて1,243回に上る。10月は11日から30日までヤンキー・ステーションにおいて単独活動を行った。

[編集] 1980年代

就役時装備されていたフェーズドアレイレーダー

就役時には、艦橋に巨大なSPS-32及び33型のフェーズドアレイレーダーを装備しており、外観上の特徴の一つであったが、整備に問題があったことから1982年に取り外している。同年、10回目の西太平洋配備に就く、1983年3月21日長崎県の佐世保港に15年ぶりに寄港する。1984年には11回目の西太平洋配備が行われた。1985年11月2日、演習中に海山と衝突し、船体およびスクリューに損傷を受ける。演習は継続されたがその後修理のためドック入りした。

1986年に12回目の西太平洋配備に就く。4月28日にエンタープライズはスエズ運河を通過し、同運河を通過した初の原子力空母となった。紅海から地中海に向かい、コーラル・シー (USS Coral Sea, CV-43) と任務を交代、リビア沖でアメリカ (USS America, CV-66) と活動する。運河の通過は03:00に開始され、12時間かけて行われた。エンタープライズが地中海入りしたのは就役後初であった。

1988年4月、エンタープライズは13回目の西太平洋配備に就き、アーネスト・ウィル作戦に参加する。同作戦はペルシャ湾においてクウェートの石油タンカーを護衛する任務であった。同作戦中の4月14日サミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts, FFG-58) が触雷し大きく損傷する。18日には報復としてプレイング・マンティス作戦が行われ、エンタープライズからは第11空母航空団が参加した。

[編集] 1990年代

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[編集] 2000年代

キティーホークの退役に伴い、2009年2月よりコンスティチューションに次ぐ古参艦(オールドネイビージャック)のポジションについている。

2006年の時点でエンタープライズは、2015年ジェラルド・R・フォード (USS Gerald R. Ford, CVN-78) が就役するまで現役に留まる予定である。エンタープライズの運命は未定である。

世界初の原子力空母である点を考慮して博物艦船として保存するという意見もあるが原子炉を取り出す際、船体を切断しなければならないため、解体される公算が大きく、エンタープライズが原子力艦再利用プログラムに基づき解体された場合、同プログラムで処分される初の原子力空母となる。

[編集] エピソード

巨大船5種の比較図
エンタープライズは灰色
桃色はベルゲ・スタール
黒色はクイーン・メリー2
水色はエマ・マースク
赤色はノック・ネヴィス

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ


最終更新 2009年11月16日 (月) 11:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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