エース・パイロット

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エース・パイロット (Flying Ace pilot、米・英:Ace エース、仏:As アス、独:Fliegerass フリーガーアス、日本:撃墜王(げきついおう))とは、多数の敵機(現在は5機以上)を撃墜したものに与えられる称号である。航空機が戦闘に使用され始めた第一次世界大戦時からある名称である。

目次

[編集] 概要

名称ができた当初は、10機以上の撃墜が条件であったが、第一次世界大戦後半にアメリカ合衆国が参戦するに当たり、戦意高揚のため、5機に基準を引き下げて運用したものが現在の基準の始まりである。

なお、第二次世界大戦当時の日本海軍にはエースと言う称号や制度は存在せず、当時の作戦内容や記録方法に統一性も無く、ましてや人道的見地から「日本海軍にエースは存在しない」と言うのが「零戦の会」(元海軍戦闘機パイロットで組織する零戦搭乗員会を継承する会)の公式的な統一見解である。

撃墜の記録は目撃者の証言と自己申告がある。またガンカメラを搭載し、その記録に基づき褒賞する場合もある。

第一次大戦で戦闘機が誕生した当初、フランスが10機以上撃墜者をエースの資格と定義した。同盟国イギリスも、対戦相手のドイツも同様に10機以上撃墜者をエースの資格とした。第一次大戦終盤の1917年に参戦したアメリカは短期間を考慮して5機以上撃墜者をエースの資格と定義した。第一次大戦中、イギリス軍司令部は公式にはエースは存在しないという立場を取り続けた。第二次大戦が開始されると仏・英・独・米の各国は、各々の第一次大戦の定義で使用を再開した。その後連合国側は5機以上撃墜者をエースの資格とした。

エースの定義とは別に、第一次大戦フランス、および第二次大戦ドイツは、東部・西部戦線作戦方面の難易度に応じたポイント制により勲章と昇進で表彰した。また、第二次世界大戦終盤に空中戦機会が乏しくなった米軍は、地上破壊機数を貢献ポイントとして別途カウントした。

日本には「多数機撃墜者」という通称があり、日中戦争以降、大戦中の戦況優勢な緒戦では感状や叙勲で表彰された。空戦機会少ないが海戦勝敗が国運を左右した母艦搭乗員も評価された。各部隊は個人の功績を記録したが、戦況困難になった1943年後半以降は軍令部の指示で多くの部隊は個人記録を廃止した。戦闘機搭乗員や彼らの上司、空中指揮官たちの多くは個人撃墜数を数えることをやめ、多数が戦死し、敗戦時に特に陸軍航空関係記録書類は徹底して焼却され、戦歴が不明になった。

日本の戦史家たちは70年代に体面を考慮しつつ無言の者たちの撃墜数を一定率の掛け算などで引き下げ戦果を縮小し全体数の調整を試みたことがあったが結論は出ていない。

以下、世界の主要なエース・パイロットを英語版ページから日本語表記に修正・転載・加筆。


[編集] 第一次世界大戦

第一次世界大戦の撃墜王
氏名 出身国 所属 撃墜機数 備考
マンフレート・フォン・リヒトホーフェン ドイツ ドイツ空軍 80 "レッドバロン"
ルネ・フォンク フランス フランス空軍 75 連合国側のトップ
ウィリアム・ビショップ カナダ イギリス空軍 72 イギリスのトップ
エルンスト・ウーデット ドイツ ドイツ空軍 62
ミック・マノック イギリス イギリス空軍 61
レイモンド・コリショー カナダ イギリス海軍 61 イギリス海軍のトップ
エリッヒ・レーヴェンハルト ドイツ ドイツ空軍 54
ウィリアム・バーカー カナダ イギリス空軍 53
ジョルジュ・ギンヌメール フランス フランス空軍 53
ヴェルナー・フォス ドイツ ドイツ空軍 48
ジョージ・マクエロイ アイルランド イギリス空軍 47 アイルランド人のトップ
ロバート・リトル オーストラリア イギリス海軍 47 オーストラリア人のトップ
アルバート・ボール イギリス イギリス空軍 44
シャルル・ナンジェッセ フランス フランス空軍 43
オスヴァルト・ベルケ ドイツ ドイツ空軍 40 ベルケの空戦8箇条で有名
ロタール・フォン・リヒトホーフェン ドイツ ドイツ空軍 40 レッドバロンの実弟
フランチェスコ・バラッカ イタリア イタリア空軍 34 イタリア人トップ
エディ・リッケンバッカー アメリカ アメリカ陸軍 26 アメリカ人トップ
フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア イタリア イタリア空軍 20
フランク・ルーク アメリカ アメリカ陸軍 18 "Medal of Honor"
ヘルマン・ゲーリング ドイツ ドイツ空軍 18 後のナチス・ドイツの空軍最高司令官
マックス・インメルマン ドイツ ドイツ空軍 15 通称「リールの鷲」「インメルマンターン」に名を残す
ジェームズ・ホワイト カナダ イギリス海軍 12
クリストファー・ドレーパー イギリス イギリス海軍 9 "The Mad Major"
シリル・ローワ イギリス イギリス空軍 9
滋野清武 日本 フランス外人部隊 6 通称をバロン滋野。日本初のエースパイロット。

[編集] スペイン内戦

スペイン内戦の撃墜王
氏名 出身国 所属 撃墜機数 備考
アーロイス・ヴァサタク チェコスロバキア 共和国軍 17
レフ・シェスタコフ ソビエト 共和国軍 11 後の第二次世界大戦でも活躍
アベル・ガイド フランス 共和国軍 10
ヴェルナー・メルダース ドイツ コンドル軍団 14
ハーロー・ハルダー ドイツ コンドル軍団 11
マリオ・ボンザーノ イタリア ナショナリスト空軍 15
ブルネット・ディ・モンテグネッコ イタリア ナショナリスト空軍 14
ガイド・プレ-セル イタリア ナショナリスト空軍 13

[編集] 第二次世界大戦

第二次世界大戦の撃墜王
氏名 出身国 所属 撃墜機数 備考
エーリヒ・ハルトマン ドイツ ドイツ空軍 352 史上最多の撃墜王。僚機に戦死者を出さなかった。通称「黒い悪魔」
ゲルハルト・バルクホルン ドイツ ドイツ空軍 301
ギュンター・ラル ドイツ ドイツ空軍 275
オットー・キッテル ドイツ ドイツ空軍 267
ヴァルター・ノヴォトニー ドイツ ドイツ空軍 258 世界初のジェット戦闘機部隊指揮官
ヴィルヘルム・バッツ ドイツ ドイツ空軍 237
エーリッヒ・ルドルファー ドイツ ドイツ空軍 222(224) 現在存命中のエースパイロットで最高記録保持者
ハインツ・ベーア ドイツ ドイツ空軍 220 通称「プリッツル(電光)」
ヘルマン・グラーフ ドイツ ドイツ空軍 212
ハインリヒ・エールラー ドイツ ドイツ空軍 208 通称「極北のエース」
テオドール・ワイセンベルガー ドイツ ドイツ空軍 208
アントーン・ハフナー ドイツ ドイツ空軍 204 通称「トーニ」
ヘルムート・リッペルト ドイツ ドイツ空軍 203
ヴァルター・クルピンスキー ドイツ ドイツ空軍 197 通称「グラーフ・プンスキ(プンスキ伯爵)」
ヨハネス・シュタインホフ ドイツ ドイツ空軍 178 通称「マッキ」
ヴォルフ=ディートリッヒ・ヴィルケ ドイツ ドイツ空軍 162 通称「フュルスト(侯爵)」
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ ドイツ ドイツ空軍 158 通称「アフリカの星」
ゴードン・ゴロプ ドイツ ドイツ空軍 150
ヴァルター・エーザウ ドイツ ドイツ空軍 127
ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー ドイツ ドイツ空軍 121 夜戦撃墜数では史上最多。通称「サン・トロンの幽霊」
ヴェルナー・メルダース ドイツ ドイツ空軍 115
ギュンター・リュッツオウ ドイツ ドイツ空軍 110
アドルフ・ガーランド ドイツ ドイツ空軍 103 ドイツ空軍戦闘機隊総監 JV44「騎士鉄十字勲章部隊」の指揮官
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル ドイツ ドイツ空軍 9 通称「ソ連人民最大の敵」「スツーカ大佐」。史上最多戦車撃破王。撃破した戦車519輌は戦車部隊一個軍団に相当するが、実際には800輌以上破壊したとも言われている。
岩本徹三 日本 日本海軍 202 「最強の零戦パイロット」「零戦虎徹」。なお、このスコアに中国戦線で撃墜した14機は含まれていない。
西澤広義 日本 日本海軍 120 ラバウルの魔王」
杉田庄一 日本 日本海軍 70 通称「闘魂の塊」
坂井三郎 日本 日本海軍 64 通称「大空のサムライ」。僚機未撃墜。
奥村武雄 日本 日本海軍 54
藤田怡与蔵 日本 日本海軍 39
太田敏夫 日本 日本海軍 34
杉野計雄 日本 日本海軍 32
武藤金義 日本 日本海軍 30 通称「空の宮本武蔵」
笹井醇一 日本 日本海軍 27 通称「軍鶏」「ラバウルの貴公子」「ラバウルのリヒトホーフェン」。戦死直前に実家に宛てて送った手紙の中では54機撃墜と記す。
赤松貞明 日本 日本海軍 27 愛称「松ちゃん」。酒に酔った際の撃墜機数は“自称”350機
荻谷信男 日本 日本海軍 26
菅野直 日本 日本海軍 25 通称「ブルドッグ」。25機は海軍の公認記録であり、実際の撃墜機数は48機とも72機ともいわれる。
羽藤一志 日本 日本海軍 19 通称「ポッポ」
谷水竹雄 日本 日本海軍 18 「米軍機のマークに矢」という独特の撃墜マークで戦後有名に
上坊良太郎 日本 日本陸軍 76 うち12機はB-29
篠原弘道 日本 日本陸軍 58
穴吹智 日本 日本陸軍 51 通称「ビルマの桃太郎」
黒江保彦 日本 日本陸軍 50 通称「魔のクロエ」
坂川敏雄 日本 日本陸軍 49+
島田健二 日本 日本陸軍 40
佐々木勇 日本 日本陸軍 38+
垂井光義 日本 日本陸軍 38
安間克己 日本 日本陸軍 32
金井守告 日本 日本陸軍 32
樫出勇 日本 日本陸軍 32 B-29最多撃墜者(26機)
加藤建夫 日本 日本陸軍 30? 第64戦隊「加藤隼戦闘隊」隊長
尾崎中和 日本 日本陸軍 19
若松幸禧 日本 日本陸軍 18以上 通称「赤鼻」
檜與平 日本 日本陸軍 12 右足義足のパイロット 通称「鉄脚のエース」
吉田好雄 日本 日本陸軍 6+
エイノ・イルマリ・ユーティライネン フィンランド フィンランド空軍 94 通称「無傷の撃墜王」
ハンス・ウィンド フィンランド フィンランド空軍 75
エイノ・アンテロ・ルーッカネン フィンランド フィンランド空軍 56
オイヴァ・トゥオミネン フィンランド フィンランド空軍 44
ウルホ・サカリ・レヘトヴァーラ フィンランド フィンランド空軍 43½ 記録によっては上記のオイヴァ・トゥオミネンと順位が前後する
オリ・ブハーカ フィンランド フィンランド空軍 41
ニルス・カタヤイネン フィンランド フィンランド空軍 35½ 「ついてないカタヤイネン」の異名有り
ラウリ・ニッシネン フィンランド フィンランド空軍 28½
ヨルマ・サルバント フィンランド フィンランド空軍 16 4分間で6機の爆撃機を撃墜
イヴァーン・コジェドゥーブ ソビエト ソ連空軍 62
アレクサンドル・ポクルィシュキン ソビエト ソ連空軍 59
ニコライ・グライエフ ソビエト ソ連空軍 57 射撃の名手。砲術士として乗り組んだ時の撃墜数は14機
ディミトリー・グリンカ ソビエト ソ連空軍 50
アレクセイ・アリリューキン ソビエト ソ連空軍 40
レフ・シェスタコフ ソビエト ソ連空軍 23 ルーデルが撃墜したとされるパイロット。この撃墜数にスペイン内戦での11機は含まれない
オルガ・ヤムシュコワ ソビエト ソ連空軍 17 女性戦闘機パイロットでは最高の撃墜数保持者
リディア・リトヴァク ソビエト ソ連空軍 12 女性のエース。通称「リーリャ(白ユリ)」「スターリングラードの白薔薇」
エカテリーナ・ブダノワ ソビエト ソ連空軍 11 女性のエース
フランコ・ルッキーニ イタリア イタリア空軍 26
アドリアーノ・ヴィスコンティ イタリア イタリア空軍 26
テレシオ・マルティノーリ イタリア イタリア空軍 23
レオナルド・フェッルリ イタリア イタリア空軍 20
フランコ・ボルドーリ・ビスレッリ イタリア イタリア空軍 19
コンスタンチン・カンタキュジン ルーマニア ルーマニア空軍 60
アレクサンドル・セルバンスキュー ルーマニア ルーマニア空軍 56
マト・デュコヴァク クロアチア ドイツ空軍 42 クロアチア人のトップ・エース
シヴィタン・ガリク クロアチア ドイツ空軍 38
フランジョ・ディザル クロアチア ドイツ空軍 16
アルビン・スターク クロアチア ドイツ空軍 11
リチャード・ボング アメリカ アメリカ陸軍 40 第二次世界大戦におけるアメリカのトップエース
トーマス・マクガイア アメリカ アメリカ陸軍 38
フランシス・スタンリー・ガブレスキー アメリカ アメリカ陸軍 28 ポーランド系アメリカ人
ロバート・サミュエル・ジョンソン アメリカ アメリカ陸軍 27
チャック・イェーガー アメリカ アメリカ陸軍 11½ 世界初の水平飛行で音速を超えた人間。ジェット戦闘機初撃墜者。
アーサー・チン アメリカ アメリカ陸軍 9+ 中国系アメリカ人。第二次世界大戦初のアメリカ人エースパイロット
デイヴィッド・マッキャンベル アメリカ アメリカ海軍 34
セシル・ハリス アメリカ アメリカ海軍 23
アレキサンダー・ブラシウ アメリカ アメリカ海軍 19
エドワード・オヘア アメリカ アメリカ海軍 12 アメリカ海軍初のエース
グレゴリー・ボイントン アメリカ アメリカ海兵隊 24
ジョニー・ジョンソン イギリス イギリス空軍 34 公認記録では英空軍トップエース
ジェームズ・ヘンリー・レイシー イギリス イギリス空軍 28
ロバート・ローランド・スタンフォード・タック イギリス イギリス空軍 27 通称「不死身のタック」
ネヴィル・デューク イギリス イギリス空軍 27
ダグラス・バーダー イギリス イギリス空軍 23 両足義足の撃墜王「足無しバーダー」
ジェイムズ・ランキン イギリス イギリス空軍 17
ロバート・ドウ イギリス イギリス空軍 14
ジョージ・ギルロイ イギリス イギリス空軍 14
ジョージ・アンウィン イギリス イギリス空軍 13
ジョン・チャールズ・ダンダス イギリス イギリス空軍 12
ブレンダン・エイモン・ファーガス・フィヌケーン アイルランド イギリス空軍 32
ピエール・クロステルマン フランス イギリス空軍 33 自由フランス政府軍所属・フランス人としてはトップエース
マルセル・アルベール フランス フランス空軍 23 東部戦線でソ連側に義勇兵として参戦
ジャンーフランソワ・ドモゼー フランス イギリス空軍 18
マーマデューク・パトル 南アフリカ イギリス空軍 51+ 第二次大戦中のイギリス空軍トップ・エース
アドルフ・マラン 南アフリカ イギリス空軍 32 「空戦の十則」で知られる
ペトルス・フーゴ 南アフリカ イギリス空軍 17
ジョージ・F・バーリング カナダ イギリス空軍 31 通称「スクリューボール」
ヘンリー・ウォーレス・マクラウド カナダ カナダ空軍 21
クリブ・コールドウェル オーストラリア オーストラリア空軍 28½ オーストラリア人トップ・エース
ケイス・トレスコット オーストラリア オーストラリア空軍 17
ジョン・ヤラ オーストラリア オーストラリア空軍 12
エイドリアン・ゴールドスミス オーストラリア オーストラリア空軍 11
コリン・フォークランド・グレイ ニュージーランド イギリス空軍 27 ニュージーランド人トップ・エース
エヴァン・マッキー ニュージーランド ニュージーランド空軍 20
レイモンド・ヘスリン ニュージーランド ニュージーランド空軍 18
アラン・クリストファー・ディーア ニュージーランド イギリス空軍 17
ブライアン・ジョン・カーベリー ニュージーランド イギリス空軍 15
ヤン・レズナック スロバキア ドイツ空軍 32 スロバキア人エース
アイジドール・コヴァリック スロバキア ドイツ空軍 28
ヤン・ゲルトファー スロバキア ドイツ空軍 26
デッツォ・スツェントジョルジィ ハンガリー ハンガリー防衛空軍 31
ジェルジ・デブレーディ ハンガリー ハンガリー防衛空軍 26
ミクローシュ・クニェネレス ハンガリー ハンガリー防衛空軍 19
アラダール・ヘッペシュ ハンガリー ハンガリー防衛空軍 12
ジェルジ・ウイサーシ ハンガリー ハンガリー防衛空軍 9
スタニスワフ・スカルスキー ポーランド ポーランド空軍 22
ヴィトルト・ウルバノヴィチ ポーランド ポーランド空軍 18
エウゲニウシュ・ホルバチェフスキ ポーランド ポーランド空軍 17.5 通称「ジュベック」、あるいは「ホービー」
ボレスワフ・グワディッホ ポーランド ポーランド空軍 17
ヤン・ズムバッハ ポーランド ポーランド空軍 12
カレル・カトルマスチュー チェコスロバキア イギリス空軍 20
ヨセフ・フランティシェク チェコスロバキア ポーランド空軍 17
フランティシェク・ペリナ チェコスロバキア チェコスロバキア空軍 13 後に自由フランス空軍、イギリス空軍にも所属
ストヤン・ストヤノウ ブルガリア ブルガリア空軍 17

[編集] 朝鮮戦争

朝鮮戦争の撃墜王
氏名 国名 所属 撃墜機数
ジョセフ・M・マコーネル アメリカ アメリカ空軍 16
ジェームズ・ジャバラ アメリカ アメリカ空軍 15
マニョエル・J・フェルナンデス アメリカ アメリカ空軍 14 1/2
ジョージ・A・デイビス アメリカ アメリカ空軍 14
ニコライ・スチャウギン ソビエト ソ連空軍 21
エヴゲーニー・ペペスチャーヴェ ソビエト ソ連空軍 19
レフ・シチェーキン ソビエト ソ連空軍 13
セルゲイ・クロマレンコ ソビエト ソ連空軍 13
キム・キンオク 北朝鮮 北朝鮮空軍 11
カン・ヨンドゥク 北朝鮮 北朝鮮空軍 10
リ・ドンギュ 北朝鮮 北朝鮮空軍 5

[編集] ベトナム戦争

ベトナム戦争の撃墜王
氏名 国名 所属 撃墜機数
Nguyen Van Coc 北ベトナム 空軍 9
Mai Van Cuong  北ベトナム 空軍 8
チャールズ・B・デベリーヴ アメリカ アメリカ空軍 6
ランダル・カニンガム/ウィリアム・ドリスコル アメリカ アメリカ海軍 5
Vadim Petrovich Shchbakov ソビエト ソ連祖国防空軍 6

[編集] 中東戦争

中東戦争の撃墜王
氏名 国名 所属 撃墜機数
Col. (Res.) Giora Epstein イスラエル イスラエル空軍 17
Yiftah Spector イスラエル イスラエル空軍 15
Amir Nahumi イスラエル イスラエル空軍 15
Majid Zugbi シリア シリア空軍 6
Djur Abid Adib シリア シリア空軍 5
Majad Halabi シリア シリア空軍 5

[編集] 第三次印パ戦争

第三次印パ戦争の撃墜王
氏名 国名 所属 達成年 撃墜機数
Muhammad Shams-ul-Haq パキスタン パキスタン空軍 1971 4
Syed Sa'ad Akhtar Hatmi パキスタン パキスタン空軍 1971 3

湾岸戦争において撃墜を記録したパイロットは複数存在するが、最高記録がひとりにつき3機であるため、湾岸戦争における撃墜王は存在しない。

[編集] 備考:個人撃墜機数(score)カウント

エースリストでは個人スコア数も主要構成要素の一つになっている。過去の各時代、各国空軍で異なる個人撃墜機数カウント方法が存在してきたことが知られる。後の時代に新規導入・変更・施行された基準は、その国での施行時点以前の時期に遡っては適用されず、戦歴も修正されることはない(基準の適用による見直しは無いが、調査の結果修正されることはある。)。

部隊総合戦果は個人撃墜機数の累計とは異なる。
第一次大戦でエースが登場した当時、部隊の撃墜戦果報告とは別に、個人撃墜数記録が生まれた。
第一次大戦終了時の欧州空戦では所属する各国空軍によって相違する個人スコアの数え方が数種類存在した。
第二次大戦開戦時には各国はその基準を再び適用した。
第二次大戦中にアメリカ軍は、編隊空戦での協同撃墜に対する基準を変更し分割公認戦果を導入した。
第二次大戦終了以降、現在までの戦果には第二次大戦終了時の勝者、連合国の標準が採用されている。

第一次大戦時、大量殺戮の大戦の中で疲弊した国民の愛国心を鼓舞するための過剰な英雄報道への要領よい対応とは別に、エースには実際の戦場で、冷静な判断で味方の最小リスク・損害で敵戦力に最大効率で損害を与え続ける役割が期待された。多くの撃墜王のスコアには、上空から不意をつき反撃できない状態の敵機、抵抗自体が絶望的に劣性能で逃げる偵察機、爆撃機を確実に撃墜した機数が多数ふくまれ、撃墜機数として認められていることが知られている[1] [2] 。 「敵機の彼が私の顔を見ないまま撃ち落したくはなかった。そうやれとは教えられていたけれど、それは自分に残っていたスポーツマン精神に反していたからだ。」(ジェームス・マッカデン)という趣旨の言葉が伝えられている。

[編集] 第一次大戦参戦各国の個人撃墜機数(score)カウント

第一次大戦終了時、各国の個人スコアカウント仕方の違い:

第一次大戦英国空軍はパイロットの撃墜認定で(ほぼ)撃墜確実(moral victory)は個人撃墜機数にカウントされた。[3] 英国空軍は協同撃墜(shared victory)では各機に1機の撃墜認定(fully credit)が与えられた。
例えば複数機の英国機が1機のドイツ機を撃墜したら、各機はともに1機の撃墜が認定された。[4]
第一次大戦フランス空軍では英国式の撃墜確実(moral victory)は個人撃墜機数として認められなかったが、協同撃墜に対する英国式の個人撃墜機数カウント方法は採用した。
第一次大戦アメリカ空軍機はフランス軍、イギリス軍の指揮下で戦ったので、それぞれ対応するルールをあてはめた。[5]
第一次大戦ドイツ空軍は英国式の撃墜確実(moral victory)は個人撃墜機数にカウントしなかった。
敵機が破壊(destroy)されたか、ドイツ領内に着陸させられ敵国搭乗員が捕虜となるか、となる必要があった。陸上不時着してもそれが相手側戦線内で救助された場合はスコアとして認められなかった。[6]
ドイツ空軍では協同撃墜に対する英国式の個人撃墜機数カウント方法も採用しなかった。ドイツでは、複数機で1機を協同撃墜した場合もそのなかの一人だけが個人撃墜機数スコアに加えることを認められ、それはエースだけが、エース同士の場合ならばより多数機撃墜スコアの上位エースだけが、その1機撃墜を自分のものとしてスコアに加えていた傾向が強かった。[7] [8]

[編集] 編隊戦闘への移行と米軍の協同撃墜判定・被撃墜認定システム

欧州戦線ではドイツ・メルダースにより2機編隊最小単位のロッテ(Rotte)を2組、4機編隊のシュバルム(Schwarm, 四つ指) 編隊戦法が編み出され、第二次大戦中、欧州戦線では形を変えながら英国にも編隊戦法が普及した [9]

日本の航空部隊は欧州戦線を注目しており、1942年春 BF 109E とともに来日したドイツのエース、ロージヒカイト大尉(後にドイツ帰国、最終撃墜数68機)と民間ドイツ人ヴィリー・シュテーア氏から伝えられたこの編隊戦法を学習・研究し、2機x2の4機編隊をロッテ戦法と呼んで採用した。
第二次大戦アメリカ軍は応用編隊戦法として2機が数100m離れた戦闘隊形に展開した隊形で相互掩護する戦法を研究提唱しサッチ・ウィーブと命名、ソロモン戦線で本格的に実戦導入され有効な成果を上げた。
第二次大戦中のアメリカ軍は、太平洋戦線で余裕なく苦戦だったガダルカナル攻防戦をしのいだ翌年1943年に、編隊空戦での協同撃墜の戦果認定基準を変更し、米軍航空隊に分割公認戦果システムを新規導入した。協同撃墜の場合は戦闘後、上官の協議により戦果判定され、撃墜1機に有効打撃を与えた複数機の各パイロットに1機を頭数で割算した値を個人撃墜数(score)として平等に割り振るシステムを制定した(分数値で追加)[10]
第二次大戦アメリカ空軍は、戦闘空域で撃墜されたと認定した機を被撃墜(loss)とカウントし、帰途に不時着と認定された機や修復不能大破機であっても帰着すれば被撃墜数にカウントしなかった。アメリカ海兵隊では、行方不明機搭乗者は戦争終了後相手敗戦国へ赴いて六ヶ月現地調査したあとで戦死と認定された[11]

英米の場合、ガンカメラなどの記録があったため、ある程度撃墜の確認は可能であったが、戦意高揚のためパイロットの個人申告を重視することもあった。一方ドイツの場合、ガンカメラの映像、僚機の証言や地上での目撃者など事細かに調査した後撃墜を認定したため、戦後連合国から疑いの目で見られていたドイツ人エースの戦果は、このような調査結果を知った連合軍からも認められている。

[編集] 日本における空中戦闘方法推移と撃墜・被撃墜判断

第一次大戦後、日本は当時最先端の欧州空軍システムを導入した。日本陸海軍戦闘機搭乗員の個人撃墜数(score)カウントの仕方も欧州先進各国に準じた。

日本海軍は英国式空軍システムを導入した。
日本陸軍はフランス式空軍システムを導入した。
日本海軍最初の空戦撃墜は亀井大尉が英国で学び伝えた英国式の3機編隊空戦による戦果だった(1932年2月22日午後4時、空母加賀戦闘機隊、生田乃木次大尉、黒岩利雄3飛曹、武雄一夫1空兵、上海公大飛行場発進、蘇州上空戦)。
第1次ノモンハン戦線(1939年5月)~中国戦線までの小型機撃墜については、単機空戦がほとんどだった。
第2次ノモンハン戦線(1939年6月-9月)、太平洋戦線のソロモン戦線、ニューギニア戦線以降(1942年11月~)は、小型機空戦も中隊同士の激戦になり編隊空戦に移行した。[12] ノモンハン戦線後期9月には全てが中隊戦闘に変っていて、各中隊が一丸で行動し糸を結び合ったように各機が相互に掩護連携して戦っていた。[13]
太平洋戦線ではソロモン戦線前期すでに、攻撃機・爆撃機、船団上空の掩護を担当する戦闘機隊は空戦戦闘に入ることは許可されず牽制(けんせい)し蹴散らすまでで、空戦戦闘に入って離れたため攻撃隊や船団が被害を受けた際の行動評価は低く評点された。
太平洋戦線中期・後期は戦闘機迎撃も編隊戦闘に移行していた。
日本軍は搭乗員の視認により、炸裂弾による敵翼飛散・爆発・炎上した機、空域離脱後を捕捉攻撃撃破し洋上に不時着させた機は撃墜数にカウントした。
各戦闘機搭乗員は戦闘直後のブリーフィングで中隊ごとに集合し空中指揮官の中隊長に個人撃墜数戦果報告をした。空中指揮官(中隊長、分隊士)は戦果を内容確認し重複確認整理して部隊に戦果報告した。その後書面で調書、戦闘行動図を提出した。
B-29本土爆撃の夜間迎撃戦では、37mm機関砲弾命中大破させたらその後暗闇で見失っても帰途墜落・洋上不時着後に行方不明になった喪失機数を敵無線を傍受暗号解読で確認できた場合には撃墜数にカウントした。
被撃墜では、空中指揮官(中隊長以上、海軍で中隊を率いる分隊士以上)が被撃墜を確認した機を自爆戦死とし、それ以外を未帰還機とした。未帰還機搭乗員は約一ヶ月あとまで待ってから戦死と認定された[14]

[編集] 脚注

  1. ^ R.G.GRANT, 'FLIGHT 100Years of AVIATION' (Dorling Kindersley, London)
    R.G.グラント著、 天野完一訳・監修、乾正文訳
    『世界航空機文化図鑑』スミソニアン博物館&ダクスフォード・インペリアル博物館共同制作、東洋書林、ISBN 4-88721-635-1
  2. ^ ジェリー・スカッツ著、 『メッサーシュミットのエース 北アフリカと地中海の戦い』オスプレイ・ミリタリー・シリーズ、阿部孝一郎訳、大日本絵画、ISBN 4-499-22728-3
    (Jerry Scutts 'BF 109 Aces of North Africa and the Mediterranean' Ospray Aircraft of the Aces)
  3. ^ (ほぼ)撃墜確実(moral victory)、撃墜破について:敵飛行機を攻撃して敵前線であっても地上に落した、制御を失わせ(out of control)降下させた、撃破(damaged)し降下させた場合。
  4. ^ Christopher Shores, Norman Franks, and Russell Guest, 'Above the Trenches: A Complete Record of the Fighter Aces and Units of the British Empire Air Forces, 1915-1920' (Grub Street the Basement, London, 1991/01) ISBN-10:0948817194
  5. ^ Norman L. R. Franks and Frank W. Bailey, 'Over the Front: A Complete Record of the Fighter Aces and Units of the United States and French Air Services, 1914-1918' (Grub Street the Basement, London, May 1992) ISBN-10: 0948817542
  6. ^ 第一次大戦ドイツ空軍のスコアカウント基準:
    撃墜数カウントする- KIA 行動中に殺した、WIA/DOW 行動中に負傷し負傷が元で後に死亡した、POW 戦争捕虜として確保した
    撃墜数カウントしない- WIA 行動中に負傷したが生き延びた(不時着救助含む)
  7. ^ Norman L. R. Franks, Frank W. Bailey, and Russell Guest, 'Above the Lines: The Aces and Fighter Units of the German Air Service, Naval Air Service and Flanders Marine Corps, 1914 - 1918' (Grub Street the Basement, London, (1994/01)) ISBN-10: 0948817739
  8. ^ Norman Franks, 'JASTA PILOTS: Detailed listings and histories August 1916 - November 1918' (Grub Street August 2002, London) ISBN-10: 1898697477
  9. ^ 英国戦闘機隊はマランの編隊隊形を編み出した:
    英国はバトルオブブリテンでは旧式な傘型3機編隊x4の密集隊形で迎撃戦闘したが3機編隊では旋回内側機が脱落し編隊が崩れ被害があった。
    マランの編隊形式は通常は1分隊4機単縦列陣の3列で列間隔を数100m離し互いに相互の後ろを見張り、戦闘では各1分隊単縦列陣4機が2機ペアの編隊最小単位に分離し戦闘に入る。
  10. ^ バレット・ティルマン『第二次大戦のワイルドキャットエース』オスプレイ・ミリタリー・シリーズ、岩重多四郎訳、大日本絵画、ISBN 4-499-22742-9
    (Barrett Tillman 'Wildcat Aces of World War 2' Ospray Aircraft of the Aces)
  11. ^ グレゴリー・ボイントン BAA BAA BLACKSHEEP 『海兵隊空戦記』
  12. ^ 日本傑作機物語 -97式戦闘機/イ-15, 16 との比較- (酣燈社編, 1959年)
    第2次ノモンハン戦、97式戦闘機はイ-16に対する速度不足を補うため上空からパワーダイブ加速し追いかける、機体に強引な戦法を繰り返すようになり補助翼がガタガタになった。
  13. ^ 吉良勝秋 元陸軍准尉 太平洋戦争ドキュメンタリー 第3巻 『大草原にソ連空軍と渡り合う -群蜂と群蜂と-』今日の話題社、1968年。
  14. ^ 例:岩本徹三 『零戦撃墜王』、角田和男『修羅の翼』、斉藤三朗『零戦虎徹』、神立尚紀著『零戦隊長』

[編集] 参考文献

  • Christpher Shores & Clive Williams, ACES HIGH, GRUB STREET

最終更新 2009年11月21日 (土) 04:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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