オトーリ

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オトーリ(御通り)は、沖縄県宮古列島で行われる飲酒の風習である。

目次

[編集] 概要

車座になって泡盛を飲む酒宴での宮古流の風習。参加者で「親」となるものが立って口上を述べた後、隣の参加者に自分が飲み使用したのと同じ杯に酒を注ぐ、注がれたものはその杯を飲み干す。「親」はまた次の人に注ぐ。逆時計回りで、一巡すると「親」の隣の参加者が、新しい「親」となり、同じように口上を述べたあと、隣の参加者へと杯が続いていく。口上は普通その会の意義とか、日ごろ思っている自分の主張などなんでもいい。回ることにより、親は参加人数+1杯飲むことになる。また、それが続く。

[編集] オトーリの歴史

起源は、16世紀頃に琉球王国の領地内で流行した中国式の乾杯である。その当時は、酒宴の開催者が来賓に酒を振る舞うために行っていたらしい。琉球王府時代、穀物の生産量が少なかったので、泡盛は首里でのみ製造を許可されていたため、庶民には非常に貴重品であった。そのため、量の少ない泡盛を酒宴の参加者に均等に分けるために行われた。

この16世紀頃の流行が、御嶽での祭祀の中に取り入れられ現代まで残ったと考えられる。この流行を起源とした風習は、宮古島の中でも限られた地域でのみ見られた。類似の風習が奄美諸島与論島にも残っており、与論献奉(よろんけんぽう)と呼ばれている。 この御嶽で祭祀の時に行われるオトーリは、現在広く行われているオトーリとは全く質の違った物であった。祭祀の神役の前にひとりずつ進み出て、祭器(高膳と角皿)注がれた御神酒を一人ずつ順番にアヤグ(祝詞)を神役と共に詠い上げた後に飲み干すと言う形であった。 近年になってから、泡盛の酒造メーカーが、泡盛の消費量を向上させるための宣伝で、風習にあったものをかなり簡略化・変形して居酒屋等でも行われるようになった。  ちなみに、1970年代平良の街では、オトーリ行われることはまず無かった。1980年代に歓楽街等で行われるようになり、1980年代に宮古島の観光業が盛んになると観光客に広まり、全国に知れ渡った。

山里正一氏は「オトーリの文化価値を高めよう」の中で1386年与那覇勢頭豊見親が沖縄本島に向けて白川浜から出帆するにあたって広瀬御嶽において航海の安全と大願成就を祈願し神々にささげた神酒を一族で回し飲みをしたのがオトーリの始まりとの一説を述べている。[1]一般に流行する前に、宮古の神事、とくに神女の儀式で行われたとの記載が多い。また来間玄次氏は多良間島のスツウプナカ(豊作物への感謝祭)において15世紀に原型があったという。しかし一般に流行したのは、戦後だいぶたってからで、古老も昔はやっていなかったという。なお、昭和58年にNHK報道で上野村がオトーリの習慣で高校生や中学生の死亡事故があり、その後、マイナス面も主張されるようになった。「交通事故原因はスピード違反が全国的であるが、沖縄県および宮古がトップで、55年1位下地町、2位城辺町、3位上野村、5位平良市である。」

[編集] オトーリの良い点と改良点

飲みすぎによるいろいろな障害は論外であるが、オトーリの良い点については、人の和を図るだけでなく、人前で臆せず発言する習慣が養われることである。 以前は沖縄本島からも、宮古には強制的に飲まされるから行きたくないという人もいた。オトーリを改良するべきと主張する意見は、強制しないことで、少し飲んでもよし、薄めてもよし、水によるオトーリもいいと主張している。

なお宮古島民の飲酒法はほかの地方とは違っていて、自宅で夕食をとり、飲み屋に集まり、延々と飲むのが普通である。

[編集] 脚注

  1. ^ おとーり 宮古の飲酒法 ぷからすゆうの会 2005 第1章 概説オトーリ 第2章 基礎オトーリ 第3章 論文オトーリ 第4章 思い出オトーリ 第6章 提案オトーリ 第7章 自由意見オトーリ

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月18日 (日) 22:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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