オレたちひょうきん族

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オレたちひょうきん族
ジャンル バラエティ番組
放送時間 土曜日 20:00 - 20:54(54分)
放送期間 1981年5月16日 - 1989年10月14日
放送国 日本
制作局 フジテレビ
プロデューサー 横澤彪(初代)
三宅恵介(2代目)
出演者 ビートたけしツービート
明石家さんま
島田紳助紳助・竜介
片岡鶴太郎
山田邦子
西川のりお
コント赤信号
渡辺正行石井章雄小宮孝泰
ヒップアップ
島崎俊郎川上泰生小林進
ほか
出演者を参照)
オープニング ウィリアム・テル序曲
エンディング エンディングテーマ曲を参照
外部リンク フジテレビ

オレたちひょうきん族』(おれたちひょうきんぞく)は1981年5月16日から1989年10月14日までフジテレビ系で放送されたバラエティ番組土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送。通称「ひょうきん族」、「ひょうきん」。

目次

[編集] 概要

1981年5月16日に『決定!土曜特集・オレたちひょうきん族』と言うタイトルで『ナイター中継』中止時の雨傘番組として放送され、同年10月10日より『決定!土曜特集』の冠を取ってレギュラー放送となった。その回の放送はタケちゃんマンのあとにひょうきんベストテンを流した。

当時は、フジテレビが視聴率ノルマを廃し、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズとした頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとがあいまったバラエティ番組である。開始当時の裏番組には、お笑い番組の頂点に君臨していたTBS8時だョ!全員集合』が放送されており、初回視聴率は9.5%(関東地区)。『全員集合』とのいわゆる「土8戦争」の結果、『全員集合』を放送終了に追い込み[1]、『欽ドン!』以降低迷状態が続いていたフジテレビの土曜夜8時台を見事立て直しに成功し、1980年代バラエティのリーダー格番組にまでなった。

また、吉本興業に代表される関西系事務所と渡辺プロ太田プロに代表される関東系事務所のタレントが通常番組で共演するということは当時としては非常に画期的であり、その後吉本興業の東京進出(正確には再進出)へと繋がるきっかけを作った。

初めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、『笑っていいとも!』と同様、つまらない、人気が出ないとみるやすぐ企画をやめ新企画を練っていた。その手法は「とんねるずのみなさんのおかげです」等のバラエティに多大な影響を与えた。

土曜日にプロ野球中継(巨人戦)がある時は『ひょうきん族』の枠でナイター中継が組まれ、しばしば番組が返上された。『全員集合』の枠でのナイター中継は当時ほとんど組まれる事はなかった。

オープニングに流れる曲はロッシーニ作曲の『歌劇「ウィリアム・テル」序曲第4部「スイス軍隊の行進(終曲)」』。これは『スネークマンショー』のオープニングをパロディにしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』と同じ伊武雅刀がナレーションを行っていた。OP映像は、初期は単純な合成映像が使われたが、1983年4月から使われた東洋現像所ビデオセンター制作によるオープニングでは、当時としてはかなり珍しい最先端のCG映像を使用しており、特に1986年秋から使われた新しいバージョンのCGオープニングは、20年の時を経ても全く遜色ないほどの出来栄えである。

エンディングはEPOの『DOWN TOWN』。EPOは番組初期のアイキャッチ(“♪チャンネル~はそのまま”など)も担当していた。それ以外のエンディングは後述参照。

番組のBGMには、「バビル2世」、「勇者ライディーン」、「超電磁ロボ コン・バトラーV」、「機動戦士ガンダム」、「うる星やつら」、「超時空要塞マクロス」、「宇宙刑事ギャバン」などのサントラがよく用いられていた。

スタジオ以外でのロケーションによる撮影は、当時フジテレビの本社があった新宿区河田町やフジテレビ通り(現・あけぼのばし通り商店街。曙橋駅近く)一帯で行われたのが殆どだったが、北海道や軽井沢などでも行ったことがある。

2003年〜2004年には計5巻のDVD-BOX(それぞれ3枚組)が発売された。『8時だョ!全員集合』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など名作お笑い番組が相次いでDVD化されブームとなっていた時期である。

2008年7月26日から7月27日にかけて放送された『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』(フジテレビ系列)では、『FNS向上委員会』のコーナーでの懺悔として約22年ぶりに「懺悔室」を再現。また当時のメンバーのうち、『ネプリーグスペシャル』のコーナーに「ひょうきんオールスターズ」としてさんま・鶴太郎・サブロー・島崎・山田が出演し、『クイズ!ヘキサゴンIIスペシャル』のコーナーにさんま・紳助・ジミー・村上・渡辺・ラサールが出演し、中継コーナーにたけしが出演した。

[編集] 出演者

[編集] レギュラー

[編集] 準レギュラー

[編集] 前期(1981年5月〜1985年9月)

漫才ブームの影響が強く、ツービート、B&B、ザ・ぼんち、紳助・竜介、のりお・よしお等このブームで人気を得た若手芸人を中心とした合同コント番組という要素が強かった。また、力也・日吉・山本は最終回にゲスト出演した。

[編集] 後期(1985年10月〜最終回)

ほか

[編集] フジテレビアナウンサー

レギュラー(『ひょうきんベストテン』を担当、“ひょうきんアナ”とも呼ばれた)
  • 山村美智子(現:山村美智)(1981年5月 - 1985年3月)
  • 寺田理恵子(1985年4月 - 1986年9月)
  • 長野智子(1986年10月 - 1989年4月、ただし1989年10月の最終回直前スペシャルで復帰)
準レギュラー
  • 本間淳子(1983年 - 1984年ごろ『朗読の部屋』ほかコーナー進行)
  • 牧原俊幸(1984年ごろから不定期出演)
  • 山中秀樹(1985年ごろから不定期出演)
  • 露木茂(1986年4月ごろから『ひょうきん私の秘密』コーナー進行)
  • 逸見政孝(『ひょうきんスペシャル』に数回ゲスト出演)
  • 有賀さつき(1989年ごろから不定期出演)
  • 岩瀬恵子(1986年7月ごろから『青春グラフティ』コーナー進行)
  • 川端健嗣(1986年6月から1987年10月まで『関根くんの知られてる世界』コーナー進行)
  • 笠井信輔(1987年10月から『ひょうきん流行通信』コーナー進行)

ほか三宅正治福井謙二向坂樹興などがチョイ役で出演。

[編集] オープニングナレーション

※2代目と3代目の間には、アニメ作品(『巨人の星』、『機動戦士ガンダム』、『アタックNo.1』など)のキャラクターが週代わりでナレーションをした時期があった。

[編集] 番組に出演したゲスト

※順不同で記述。

[編集] お笑い・バラエティタレント

[編集] 歌手(アイドルアーティスト含む)

(特番では、時代劇コントの主役を演じた)

[編集] 俳優・女優

[編集] 作家・スポーツ選手・文化人他

[編集] CSでの再放送時にNGとなるケース

1998年にフジテレビCS放送が開始されてから絶え間なく放送しているが、権利上や諸事情により放送されない場合がある。また放送はするものの、コーナーそのものがカットされたり、ひょうきんベストテンの10位から4位の発表時にボカシが入ったり、映像が静止画に差し替えになる。再放送がカットされてしまうケースは現在のところ以下の通りである。

  • 1982年9月4日のTBSドラマ『ピンキーパンチ大逆転』との連動企画を行った回
  • サザンオールスターズの出演した回
  • オフコースの出演した回
  • シブがき隊、少年隊などのジャニーズ事務所所属(過去に在籍した人も含む)タレントの出演した回
当事務所は、基本的にCSにおける過去番組放送を許可していない(ただし地上波番組宣伝は放送される)。
  • キヨちゃんマン(タケちゃんマンの脇役キャラ)の登場する回
  • 田代まさしが度々登場するシーンの回(再放送時に不祥事が報道され、放送を控えた。現在ではレギュラー出演した『志村けんのだいじょうぶだぁ』などはファミリー劇場で放送されている)。
  • 1985年3月30日放送分の山村美智子が番組を卒業した回
  • ナンデスカマンロボの登場する回
  • ビートたけしが収録をサボタージュした回
  • 島田紳助が不祥事を起こしてタレント活動を自粛した期間は、放送を一時中断した。
  • ひょうきんスペシャルの回はレギュラーと分けて放送。1982年12月25日のブラックデビル最終回もこの類に入る。2002年の秋までスペシャルを放送。2003年の元日にスペシャルのみを集中放送した。しかし、2006年から1985年12月放送以降のスペシャル版も通常の枠と一括され放送されるようになった。
  • バーニングプロダクション所属タレントも放送NGであるが、内藤やす子が出演した回はDVDには収録されている。
  • 2009年8月8日、CSにおいて2度目の最終回を迎えた。8月15日から3度目の放送を開始した。
  • 1981年5月16日~9月26日の単発枠時代に放送した回は、2009年フジテレビONEで「パイロット版」として放送した。
  • レギュラー第1回放送分は、何らかのコーナーが10分程度カットされている。
  • 8月8日の最終回後から、不定期で三宅と番組出演者、川端健嗣のトーク番組「ひょうきん族話の泉」が放送される。主にDVD宣伝が目的。

[編集] 主なコーナー

[編集] タケちゃんマン

ビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま(初回は高田純次)扮するブラックデビル等の敵キャラによるコーナードラマ。人気ドラマや映画のパロディが多かった。アミダババアの唄はサザンオールスターズの桑田佳祐がプロデュースを行った。詳細はタケちゃんマンの項目を。

[編集] ひょうきんベストテン

TBSの『ザ・ベストテン』のパロディコーナー。正式名称は『オレたちひょうきん族ザ・ベストテン』。オープニングと最初のCMとを隔てて、最初に登場したコーナーであったため、時間にして20:05頃(多少前後することもあったり、後述の「ひょうきんお茶の間ショッピング」がオープニング前に入った場合は、所定よりさらに約5~10分遅れることもあった)。なお、コーナー全体の放送時間が約15分だったことから、10位~1位までの曲をすべて紹介することは出来ないため、司会者の挨拶の後、10位~4位の曲を「ザ・ベストテン」で言う20位~11位の曲のランキングに当てはめて発表し(1曲につき約10秒)、スポットライトを挟んで上位3曲を紹介する形式になっていた。

初期の司会は、明石家さんまと黒柳徹子の声色を使う栗山順子。その後、島田紳助と当時フジテレビアナウンサーの山村美智子に交代。山村降板後は寺田理恵子が、寺田降板後は長野智子(いずれも当時フジテレビのアナウンサー)が司会を務めた。

当時のアナウンサーはニュース番組が中心で、バラエティ番組に出ることはなかった。しかし、このコーナーにアナウンサーが出演したことで、その後の女子アナブーム~今日までつづくフジテレビの女子アナ路線を築くきっかけとなった。山村や寺田はこれが縁でレコードデビューも果たしている。また、紳助は後に『歌のトップテン』(日テレ系)で本物の歌謡ベストテン番組の司会者となっている。紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーである。

スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、スクールメイツの代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中からレギュラーによる歌真似が披露され、徐々に番組の名物となっていった(片岡鶴太郎による近藤真彦、山田邦子による松任谷由実、松尾伴内による五輪真弓など)。また本物の歌手も数組登場していたが、中には本家ベストテンにも出演したことのない歌手(イエロー・マジック・オーケストラ等)が登場し、視聴者を驚かせた。なお、ひょうきんベストテンのテーマ曲はザ・ベストテンとも全然違い、「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた。

セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する紙吹雪風船はない)での祝福も再現されていたが(ランクインした“歌手”が出演しない場合は笑い屋の笑い声をバックに、猛スピードで回される扉が映った)、天井から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪が舞い散った。因みに本家のザ・ベストテンでは、スタジオに1位の歌手が出演した場合には天井に吊るされたくす玉を本人が割って祝福するものだった。

主にベスト3やスポットライト(基本的に女性アイドルなどのゲスト初期はレギュラーが出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。しかし、ランキングの基準はリクエストはがきのみだったが、歌う人数も少なかった。なおかつ、点数の表示が3桁しかなく(「○○票」という数え方をしていた)、ザ・ベストテンや歌のトップテンにもランクインしない曲(それも、大半がこのコーナーのみのオリジナル曲)が1位になったり、スポットライトに登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ・出演者の好き勝手にやっていた。なお本家のザ・ベストテンは洋楽曲はランキング対象外であったが、このコーナーでは洋楽曲もランクインしていた。

また、初期の頃は夜のヒットスタジオでかつてあった「歌謡ドラマ」のパロディも行われていた。歌謡ドラマをやめた後は「西川のりおとフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)、「すもうダンサーズ」、「ピヨコ隊」(アヒル型衣装)などが登場し、ゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。笑っていいとも!等の収録後のスタジオアルタを日本武道館等として中継もしている。歌っている最中に天井から風船などが降ってくる、水上スキーに乗って歌っている最中、牽引しているボートからロープを切られて水中に転落するなど笑いを取る演出も行われた。

この番組から生まれたオリジナル曲から一般の音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する。安岡力也がタケちゃんマンに一時期出演していた頃に演じていたキャラクター「ホタテマン」に扮して歌った、内田裕也のプロデュース曲「ホタテのロックン・ロール」がその代表例。あまりの好評ぶりからシングルが発売され、32万枚のセールスを記録した。

また、点数表示が3桁しかない事に目を付けた松戸競輪は「ベストテン等は無理だけどひょうきんベストテンなら800票あればランクインできる!」と組織票を呼びかけた。結果、松戸競輪のテーマ「走れ!自転車」は念願のランクインを果たした(1983年)。

2009年7月25日7月26日放送の『FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード〜爆笑!お台場合宿〜』にて約21年ぶりに復活し、司会もレギュラー時代および『26時間テレビ』総合司会の島田紳助(コーナーでの表記は「森紳助」[7])、中村仁美が担当した。中村は4代目アナウンサーと発言した。また、「20年ぶりのひょうきんベストテン」という発言があったが、このコーナーは1987年に終了しているため、実質的には22年ぶりであった。 また、この日の放送で紳助が言うには、仕掛けは制作当時から全て「ドッキリ」だったらしい。(出演者、関係者には何も知らせず、突然フラワーダンサーズを出させたり、部屋に閉じ込め発泡スチロールの雨を降らしたりして当時の神聖的な存在だったアイドル達をその地位からバラエティに引きずり落とし、マネージャーをカンカンに怒らせた逸話が残っている。)

[編集] ネタ一覧

ごく一部である。

  • 襲名型の(何代目~と呼ばれる)ネタ
    • 松本竜介:田原俊彦(初代)
    • でんでん:田原俊彦(2代目)
    • 佐渡稔:田原俊彦(3代目)
    • 坂田利夫:田原俊彦(4代目)・さだまさし・テレサテン(2代目)
    • 轟二郎:近藤真彦(2代目)
    • 間寛平:近藤真彦(3代目)
    • ジミー大西:近藤真彦(4代目)
    • 春やすこ:松田聖子(初代)
    • 松金よね子:松田聖子(2代目)
    • 清水よし子:松田聖子(3代目)
    • 若井小づえ:松田聖子(4代目)中森明菜(3代目)原田知世(3代目)工藤静香
    • 可愛かずみ:中森明菜(初代)
    • 松本明子:中森明菜(2代目)
    • 岡本麗:欧陽菲菲(2代目)
    • 月亭八方:村田英雄(初代)
    • ビートきよし:細川たかし(初代)
    • 高田純次:風見しんご(初代)
    • コロッケ:玉置浩二(2代目)長渕剛(2代目)
    • ダンプ松本:菊池桃子(ラ・ムー名義)(2代目)
    • ウイリー沖山:吉川晃司(2代目)
  • これ以外にも、レギュラー陣が歌を発表した際はこのコーナーで披露された(ビートたけし『抱いた腰がCHACHACHA』、明石家さんま・島田紳助『い・け・な・い・お化粧マジック』、片岡鶴太郎『IEKI吐くまで』など)。なかでもビートたけしの『いたいけな夏』のVTRはレギュラー陣に「一番面白い」と評されるなど、伝説になっている。また、ビートきよし、松本竜介、島田洋八の3人で結成された「うなずきトリオ」が歌った『うなずきマーチ』(大滝詠一プロデュース)などは特に有名である。
  • 後期になるとろくに歌も歌わずコントになる場合も多い。
  • 1986年10月頃から笑い声が無くなり、現場での生の笑い声のみが残るようになった。現在のバラエティなどによく使われる基本手法がここで出来上がっていた。

[編集] ひょうきん歌謡大賞

毎年年末に放送されていた企画で、FNS歌謡祭日本歌謡大賞を足して2で割ったようなパロディ。少女隊の大賞受賞に西川のりお扮する歌手が怒って、審査員に文句を言い反対に殴られると言う、1983年の歌謡大賞の裏側を彷彿とさせるシーンもあった。 テーマ曲はFNS歌謡祭と同じ曲である。またプレゼンターに当時「FNNスーパータイム」で人気の出ていた逸見政孝(こちらは本物)と幸田シャーミン(こちらはさんまの仮装)が出たこともある。

[編集] 漫才コーナー

番組開始から半年後は、まだMANZAIブームの引きずりにより、何回か漫才を組ましている。放送されたものは、

  • 元アイドル漫才「ザ・アイドリング」(伊丹幸雄・あいざき進也)
  • カップル漫才(横山たかし・春やすこ、横山ひろし・春けいこ)
  • ご本人と漫才(ものまねとそのご本人との漫才、太平サブローと浜村淳(本人)、明石家さんまと上田正樹等)
  • 同級生漫才(九十九一・里見まさと)
  • 夫婦漫才(ビートたけし・北野幹子、片岡鶴太郎と夫人)
  • 業務上漫才(ぼんちおさむ・「ザ・ぼんち」マネージャー)

[編集] ひょうきん絵描き歌

山田邦子がピアノ伴奏とコーラス隊(男女混合)の合唱に合わせて絵を描くコーナー。序盤は普通の絵描き歌だが、最終的には下ネタになったり、他の「ひょうきん族」でおなじみのネタにちなんだ物まで出てくる。時にはホワイトボードを回転させることで絵が完成する、など視聴者を唸らせる作品もあった。視聴者からの投稿も受け付け、優秀なものは山田から花丸をもらえたが、くだらない作品には描き終わるなり山田から「バカヤロウ!」と叱り飛ばされることも度々だった。時には絵とはまったく関係なく「コーラス隊の皆さんの私服姿が見たい」という視聴者からのリクエストもあったが、見事に応えて披露している。

1982年10月〜1984年の秋頃まで続いた。因みに絵描き歌の元の曲は、ポーランド民謡「森へ行きましょう」のサビパートである。「ひっくり返せばモーモーちゃん」という作品は、山田が出演した牛乳のCMに使われた。

[編集] ひょうきんプロレスアワー

芸人がプロレスラーに扮し、本物のプロレスのリングで闘うという、不定期コーナー。大根で殴られ骨折したり、オール阪神(=ミスター・タイガー(後述))が股裂きにあい、股を切るなど出演者が本当に体を張って演じた。

初期の柱は、アントニオ・紳助&ストロング・うなずき(竜介)とシャープ兄弟(ミスター・タイガー&ミスター・ジャイアント=阪神・巨人)という二大タッグチームによる、「HWA世界ひょうきんタッグ選手権」をめぐっての抗争劇だった。無敵を誇る紳助組に、悪玉のシャープ兄弟がその打倒に執念を燃やすといった図式で、初戦では紳助組が勝利(その際に前述の「股裂け」事件が起きた)、執念の末に得た再戦ではシャープ兄弟が勝利、そしてその決着戦は、大阪府立体育会館で行われた全日本女子プロレスの実際の大会を間借りする形で行われた(結果は紳助組のタイトル奪還)。コーナー自体は全日本女子プロレス興業の協力を仰ぎ、当時フジテレビが放映した「全日本女子プロレス中継」のスタイルを踏襲していた。実況は「全日本女子プロレス中継」のメインアナでもあった志生野温夫が務めた(後年、志生野は「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」の『異種格闘技戦・格闘王への道』でも実況、現在でも「めちゃ×2イケてるッ!」の1コーナー『めちゃ日本女子プロレス』の実況を担当している)。またごく初期には、後に実際の女子プロレスで「極悪レフェリー」として名を馳せた阿部四郎がレフェリー兼リングアナを務めていた。

その後は、実際のプロレスの忠実なパロディとなり、島崎がアントニオ猪木、鶴太郎がタイガー・ジェット・シン、さんまが藤波辰巳に扮するなどした。一時は新日本プロレスの協力を仰ぎ、荒川真扮する力道山や、永源遙扮する沖識名レフェリーが登場したこともあった。この時期は志生野アナ(前述)だけでなく、なぜか山中秀樹アナが実況を担当したこともある。また、紳助扮する「ふるい立ち伊知郎」が実況を、たけし扮する「大山マスタチ」なる武道家が解説を務めたりもした。

フリーとなった古舘伊知郎が、謎の覆面実況アナウンサー「ミヤタテルアビブ」(しばらく後「ふるい立ち伊知郎」と改名=正確には2代目)として登場した前後には、コーナーの方向性が大きく変わり、社会ネタのパロディが中心となった。景山民夫フルハム三浦(当時盛んに騒がれたロス疑惑三浦和義がモデル)のリングネームで登場し、高田文夫のジミー江古田(モデルはジミー佐古田)やグレート義太夫扮するジャーナル中江(投資ジャーナル事件中江滋樹がモデル)と闘ったり、タイガー・ジェット・おしんなるレスラー(扮したのは竜介)が登場したりした。この時期に解説を務めたのは、たけし扮する審判部長「ジャマモトコタツ」(山本小鉄のパロディ)で、「フジテレビ内部抗争」として行われたデタガリ三宅VS.ブッチャー小林戦においては、「笑っていいとも!」憎しとばかりに試合に割って入りながら、なんですかマンの乱入を逆に呼び込んでしまい、最終的に「審判部長がフォール負けするという四次元的な結果」(ふるい立ち伊知郎・談)を残したこともある。

なお、このコーナーの番組内での類似企画として「異種格闘技戦『北野武蔵(北野流空手道十段=たけし)VS.アルギン・ジェット・シン(全米マーシャルアーツ王者=紳助)』」「プロボクシング・世界ひょうきんジュニアライト級タイトルマッチ『ピストン北野(たけし)VS.ホセ・メンドクサ(メキシコ=サブロー)』」がある。後者は2試合行われたが、そのうちの1試合は日本ボクシングコミッションの協力を得て、後楽園ホールのリングで行った。

[編集] ヒップアップのひょうきんな青春

初期のコーナー。当時一番若手だったヒップアップのネタ見せ。途中からは視聴者からお題の募集をした。

[編集] 今週のひょうきんハイライト

オープニングで今週の見所を紹介するコーナーだが、司会の牧原俊幸アナが一言も笑わず、きっちりと台本どおりプロの仕事をするのを、隣の山田邦子が業を煮やし、レギュラー陣を乱入、一発芸をさせたり、素人時代に笑ってる場合ですよ!に参加していた時の映像をドッキリで流したりしてどうにかして牧原アナにNGを出させるコーナーに変わっていった。

[編集] うなずきトリオ

うなずきトリオ(ビートきよし、松本竜介、島田洋八)がコントや架空のラジオ番組(オールナイトひょうきん)を展開する。後に彼らによる「うなずきマーチ」なる曲が発表され、#ひょうきんベストテンなどで歌われていた。また、富山県宇奈月温泉が一躍全国的に知られる原因となった。

[編集] ひょうきんCM

  • 初期

カメラのひょうきんひょうきんゴルフサウナひょうきんひょうきんローン等のローカル風CMをやっていた。出演はひょうきんディレクターズ他スタッフによるもの。

  • 中期以降

1983年後半~1986年初頭は当時の人気CMのパロディとなった。こちらも担当ディレクターが多数出演しているものも多い。また、商品のかわりに、ひょうきん族の台本が出ていた。横澤彪の項目にあるとおり裏番組を茶化したものまであった。

[編集] モデル企業・商品・団体

他、順不同

このような番組タイトルを含んだCMパロディは、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」、「広告大賞」等でも同じ手法で行っていた。

[編集] ひょうきんニュース

  • キャスターは本名で出演。
初代 - 長谷川公彦(島田紳助)、酒井スエ子(今くるよ)
2代目 - 杉本高文(明石家さんま)、山田邦子
3代目 - 小林進(ヒップアップ)、山田邦子
  • テーマ曲はグスターヴ・ホルスト「惑星」の第4曲「木星」。
  • このコーナーの構成作家は高田文夫で、高田曰くひょうきん族で最初に作られたコーナーである。
  • キャスターが初代から2代目の途中までは、独立したコーナーであり、ひょうきんベストテンやタケちゃんマンと同じくらいの時間を割いて放送していた。コーナータイトルの後に必ず『このニュースはすべてデッチ上げのニュースです。見終わった後すぐに忘れて下さい。』という旨の字幕が流れていた。明石家さんまのブラックデビルが定着した後はスポットニュースのように、番組内で随所に挟み込まれる形になった。

[編集] ひょうきんお茶の間ショッピング

当時よく放送されていたテレビショッピング、「二光(当時は二光通販)お茶の間ショッピング」のパロディで進行は九十九一と春けいこ。番組収録で使われたセットの一部が商品として出された。商品によっては「20億円」とか、「凄すぎて価格が付けられません」といったモノまで登場した。もちろん発注先の電話番号はデタラメだったが、それでもフジテレビ宛に購入希望の電話がかかってくる事が多かった。その為、その後は「いずれもタダ」という触れ込みで番組の宛先を表示する視聴者プレゼントの形になった。また「二光~」が電話の呼鈴で始まっていたのに対し、「ひょうきん~」はドアチャイムの音で始まっていた。この趣向は後の『とんねるずのみなさんのおかげです』でも同様のコーナーが生まれている。

[編集] のりおのまかせなさい!

西川のりおのギャグ「まかせなさい!」から生まれたコーナーでのりおと帯同ディレクターがいろんな所へ行って便利屋仕事をするという(風呂掃除や老人の話相手など)もの。あまりに地味でほんの数回しかなかった(そのうち一回はボツと本人は愚痴っていた)。

[編集] ひょうきん族だよ全員集合

裏番組であった「8時だョ!全員集合」のパロディ。関東の公民館、ホールを使い、公開収録。オープニングは本家「全員集合」とほぼ同じフォーマット(北海盆唄の替え歌)であった。主に、明石第三小隊と山田邦子の物真似。各コーナーの延長版、親睦イベントを実施した。

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] かまへんライダー

番組末期の代表的なコーナー。『仮面ライダーシリーズ』と『秘密戦隊ゴレンジャー』のパロディ。オープニングBGMは当コーナー開始前後まで放送されていたスーパー戦隊シリーズ光戦隊マスクマン』の挿入歌『オーラに輝け!グレートファイブ』のインストを使用。明石家さんまが村上ショージらを連れた計5人で街中ロケ。各人スーパー戦隊シリーズのように色分けされていた。レッドは明石家さんま、ブルーはラサール石井、イエローは村上ショージ、グリーンは前田政二、ピンクはMr.オクレ。5人乗りのタンデム自転車に乗って現れるが、きついカーブを曲がれないので、一度降りて自転車を持ち上げなければならないところが滑稽だった。素人相手に仕事の手伝いなどをし、礼を言われると「カマヘン、カマヘン」と返していた。
同じ頃の『とんねるずのみなさんのおかげです』の一コーナー、「仮面ノリダー」とよく比較されていたが、現場勝負でストーリー性がないこともあり、人気でいうと圧倒的に負けていた(メンバーの誰かが何か失態する度にさんまが「そらぁ(当然)ノリダーに負けるわなぁ」と愚痴を零していた)。訪問先でも、「我々は仮面ノリダーではありませんよ」と言っていた程である。しかし、「草津よいとこ、一度はおいで、ジョイナ、ジョイナー」と街へ出動する時に歌っていた事もあり、草津温泉から感謝状を贈られて草津温泉に招待された。また、同様の移動法でソーラン節の「ヤレン、ソーランソーランソーランソーランソーランソーラン、ハイハイ」の「ハイハイ」の部分で這って歩くバージョンがある。 また、このコーナーで、さんまが大江千里の歌い方(曲目 「REAL」)についてコメントしたことがきっかけとなり、大江がこのコーナーにゲスト出演したことがある。只その際大江は例のジョイナー節のメロディーを正確に歌えず(はな~は霧島~♪の音程)、「それでもプロか!?」とかまへんライダー達にさんざん突っ込まれてしまっている。

仮面ノリダーと異なり、本家『ライダーシリーズ』と『ゴレンジャー』の原作者である石ノ森章太郎と放送局(毎日放送テレビ朝日)・東映にパロディ化の許諾をもらっていたためか、番組が復刻版DVDでソフト化された際に収録された。

本家の「仮面ライダー」では「変〜身!!」と叫ぶのが定番となっていたが、かまへんライダーは「変〜態なお父ちゃんやめてあげて!!」が決め台詞だった。

[編集] ひょうきんスター誕生

お笑いスター誕生!!』のパロディで、司会が神谷明園まりと、本家の声優・三人娘の組み合わせを踏襲している。 ひょうきんスター誕生の項目を参照。

[編集] 在庫一掃コーナー

1984年ごろに設けられたコーナー。司会の島田紳助とウイリー沖山・トニー黒岩などビートたけし扮する (ただし姿は全く変わらない)コメンテーターが漫才ブーム~番組初期の頃にかつて活躍していたお笑い芸人が出していたレコードを紹介し、時にはそれに加えポスターも送付して視聴者プレゼントにしていた。プレゼントという名の拷問だとたけしは語った。

[編集] よく見りゃ有名人?!

週代わりの司会者二人が自分の知り合い、友達(一般応募は無し)で有名人に似ている人を連れてきて(限りなく微妙な所)審査員がどっちが似ているかを審査をする。最後に「よく見りゃ賞」という一番似ていた人を決め、年末特番のグランドチャンピオン大会に出場した。初代グランプリは現在構成作家として活動を続けている藤沢めぐみが柳家金語楼に似ている人として選ばれた。第2弾として「よく見りゃ動物?!」を開催したが、わずか1週で打ち切られた。

[編集] ひょうきん史上最大のクイズ

「~は何と言ったでしょうか?」という形式の問題を出し、視聴者に答えを考えてもらうという現在で言うところの大喜利形式の先駆け。司会のさんまと紳助が、後ろで秒数を数えているタイムキーパーの女性に体を触る、嫌がっているにも拘らず前を向かせようとするなど、現在だったら二人は間違いなくセクハラで干されそうな行動をしており、当時を偲ばせる。

[編集] 今週の思いつき小細工

用意されたセットでレギュラー達の笑いのセンスを競う一発勝負。趣向を凝らす者もいれば、やっつけ仕事で叫ぶだけ(おさむ)、人間打楽器(渡辺。下半身丸出しで股間のものを左右に振って音に出す)、セットを破壊(ビートたけし)と様々。

[編集] 源さんの日記〜ある老人の一言より〜

  • 片岡鶴太郎扮する「源さん」(本名:片岡源右衛門)と言う名の老人が街中に飛び出し、源さんが不快に思うことを「思わずこう言いそうになった」のナレーションの後にテロップが表示され、最後に源さんがリアクションを取り、直後に「でも、言わなくて良かった。なぜなら、それが源さんなのだから…」というナレーションで締めくくるミニコントドラマ。基本的に他のレギュラー陣の参加は無し。2009年8月に放送された「ひょうきん族話の泉」で、撮影当時、片岡鶴太郎は演出した三宅ディレクターから、これは風刺であり、過剰な演技は極力するなと言われたと明かした。
  • ナレーションは矢島正明が担当。
  • サブタイトル(ある老人の一言より以外に)も何度か変貌があった。

[編集] ひょうきん私の秘密

  • NHKテレビ私の秘密』のパロディーコーナー。
  • 1986年4月から始まったコーナー。露木茂アナウンサー(当時)進行による番組レギュラー陣の自慢・秘密話を持ち込んでクイズにする内容。
  • 解答者にはレギュラー陣が「ひょうきんベストテン」「ひょうきんスター誕生」等で扮していたものまねキャラが携わっていた。
  • このコーナー担当は佐藤。曰く「流行が一回りしたから古い感じのコーナーが新しい」と言って始まったらしい。コーナー自体は長く続かず、紳助はひょうきんベストテンで、「皆さん、(佐藤が方針の間違いに気づくまで)付き合ってあげて下さい。」と言っていた。

[編集] 8つの顔を持つ男

番組最末期の「タケちゃんマン」終了後に後を継いだドラマ仕立てのコントコーナー。ビートたけし扮する怪盗・8つの顔を持つ男が現在・過去・未来の行き来しその名の通り「牛田モー(メイ牛山のもじり)」など様々な名前や顔を持ち盗みを働く。コーナーの流れはタケちゃんマンと同じだが前者が一応正義のヒーローだったのに対し、こちらは悪人という設定。一方、明石家さんまは「トン・ティン・タン教祖(トン・ティン・タンカッパ)」の固定キャラを持っていた。ここで使われた効果音には『ゲゲゲの鬼太郎』(第3シリーズ)と同じ物が使用された。番組末期の中では人気が高かったコーナーだったがわずか4ヶ月弱で終了。

[編集] メロドラマ

東海テレビの昼の30分ドラマをパロディにしたドラマコーナー。さんまがメインで、ギャグはほとんど言っていいほど入ってはいなかった。重厚なストーリーを重視しての作風で8話2週完結の体裁で冒頭と番組の前半と番組の後半とエンディングで放送された。テロップも「2分後につづく」(オープニング・提供・CMの後)「番組の後半につづく」「CMの後につづく」「次週につづく」最終回では「」と表記をしていた。

ただし、東海テレビと各作品の著作権を持つ制作会社(泉放送制作アオイスタジオ東宝などに)に許可無く無断でパロディ化したためか、番組がDVDソフト化された際にはこのコーナーは入っていない。

[編集] ひょうきんスペシャル

春・秋の番組改編時と年末年始に行われる拡大版。タイトルには「春の~」「秋の~」「年忘れ~」「新春~」と付けられる。こちらも『8時だョ!全員集合』を意識した作りで、通常7時台はスペシャル企画(主にさんまとたけしのトーク、公開懺悔)で8時に通常プログラムをパワーアップさせた内容でベストテンを名曲プログラムやひょうきん歌謡大賞、タケちゃんマンにミュージカル要素を加えたプログラムになっており、基本プログラムをあまり崩さなかった。『全員集合』の終了後は公開懺悔に加え、これまで放送したタケちゃんマンの名シーンを電リクで視聴者から形だけ受け付ける形(実際、受付電話番号が出ないので直接フジテレビに掛けてもつながらない)を取っていた。なお通常の「ひょうきん族」とは別番組扱いとなっている。

[編集] ひょうきん懺悔室

  • ブッチー武者が神様役、番組プロデューサーの横澤彪(2代目は三宅恵介)が神父役を務めた番組の最後の名物コーナー。

ひょうきん懺悔室の項目を参照。

[編集] ラブ・ユー・貧乏

  • 後期を代表するコーナー。さんまの司会で何人トリオが己の貧乏自慢をしてもらう。三人の話が終わると黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」の「東京」の部分を「貧乏」に変えた替え歌を歌う。(他パターンあり)そして、最後にわざわざ来てくれているロス・プリモスに物乞いの一言で締めくくられる。元々はさんまが出演していた舞台やラジオ番組「MBSヤングタウン」で、何人トリオの3名が「難民トリオ」名でWe Are The Worldを流しながら行っていたもので、ビートたけしがフライデー襲撃事件で謹慎となり代替企画を探していた番組スタッフにさんまが推薦した企画である。
  • その後、ロス・プリモスがネタ切れによる降板を拒否したため、なんでもやると言う条件で「ラブユー貧乏ちゃん」(代わりにロス・プリモスメンバーと強面のマネージャー)、「貧乏DEデート」(クイズ)が行われるようになった。また、ラブユー貧乏はオリジナルの歌詞を加えレコード化された。

[編集] 関根くんの知られてる世界

関根勤演ずる文化人類学赤子研究家、クストー関根とアシスタントの川端健嗣アナが赤ちゃんの動作を見守りながらいろいろなコメントを述べる。必ず、結論として「○○に○○はいないという一言で締められる。

[編集] ショートコント

初期は必ず、「オレたちひょうきん族!」でオチをつける。後期の特徴として会社員のたけしとたけし軍団をまとめて出演した、後期ではたけしがこれぐらいしか出ない場合もある。CSで放送された中でも、「俺にも、佐世保!」はネット上や、恋のから騒ぎでネタにされている。

[編集] さんま・関根のひょうきん歌謡学院

さんま扮するデビュー前の学生杉本と関根扮する教師がゲストの歌う歌詞にいろんな表現、合いの手をつけて歌わせる。後に明石家マンション物語で大日本意味なし教でこのコーナーのリメイクが放送され、オチを付けず面白い所だけを放送する構成もマンション物語の基本となった。

[編集] Hyokin Kuning Show

山田邦子扮する好奇心いっぱいの女の子クーニンは、悩みはじめるとクーニンエイトに変身し、仲間の怪人たちと相談する。クーニンエイトに変身すると、頭がフジテレビの旧ロゴマークである8になる。なお、仲間の怪人は、それぞれ他局をモチーフに擬人化したもの。

  • 日本女(NHK)
  • 東京ドーム男(日本テレビ)
  • 印篭男(TBS)
  • テレビカメラ女(テレビ朝日)
  • 紙男(テレビ東京)

[編集] ひょうきんスタープロポーズ小作戦

ひょうきんベストテン終了後に開始したコーナー。プロポーズ大作戦のパロディ。島田紳助と長野智子の司会で、男女4人が登場し、フィーリングカップルを行い、カップルを決定。その後、ゲスト歌手が歌を歌うという形式。男女4人のうち、ゲスト歌手以外は、全てレギュラー陣によるものまねだった。事実上の次コーナー、ひょうきんお笑いジョッキーが始まるまでのつなぎ企画。

[編集] ひょうきんアライグマ劇場

瞬きのできる着グルミのアライグマのノンノン君がサブロー・シロー・紳助らにいじられまくる。ノンノン君の中の人は西川のりお。

[編集] ひょうきん名画の旅

妖精役の山田邦子が名画の裏側に隠された裏を発見する。例えば、笛を吹く少年は、何故、縦軸なのか?それは、横にあるのは、お囃子と東京コミックショーがいる。と言うこと等。

[編集] レンタルビデオドラマコント

番組末期。「ひょうきんビデオ」と言う名前のパロディ。オープニングは豆腐屋から転職し、レンタルビデオ店を経営する店長のたけしがバナナ滑りに拘るコントをする。 その後、理髪店兼ビデオ店、交番のビデオ店「駐在さん」等のコントから始まり、オープニングをはさんで番組前半、ドラマや時代劇などといったドラマ風コントを放送。最初はあることをすることで、店主のたけしが「ひょうきん大河ドラマ」などのビデオをレンタルしていた。

[編集] 歌えるパブ「ひょうきん」

番組末期。会員制のパブという設定。有名人のものまねをしたタレントたちが集まるパブという設定。後半はゲストがスタジオライブをする。このコーナーのおなじみの言葉は島田洋七による「やきそばできました」。

[編集] ひょうきんお笑いジョッキー

番組末期。ゲストを呼び、ゲストの生歌とレギュラーの生歌を交え、トークを展開していく。歌えるパブひょうきんの鹿の首(のりおとおさむ)をゲストがなじる。

[編集] ひょうきん芸能フラッシュ

番組最末期。島田紳助と大島智子の司会で、最新の芸能情報を紹介する。山田邦子とそのまんま東の小柳ルミ子・大澄賢也ネタや 片岡鶴太郎の村西とおるネタ、西川のりおのホワイトタイガーがヒット。「ひょうきんベストテン」からの音楽コーナーを一応継承しているものの、 ほとんど音楽ネタは使われることがなかった。

[編集] その他テレビ番組のパロディ

[編集] スタッフ

スタッフの姓と名の間にミドルネームがつけられていた。これは、スタッフの中に大滝詠一ファンがいて、彼のアルバムの奥付にはスタッフの姓と名の間にニックネームを挟んで記されているのを真似したためと言われる。

作・構成

高平アクサイ哲郎大岩ナリキン賞介詩村マルユウ博史、永井ウタマロ準、廣岡サモア豊、高田ギョロメ文夫大倉ヨイショ利晴鶴間ゴカボウ政行、益子ニクマン強、萩原カラオケ芳樹、高橋ニセモノ秀樹、岩立ブラボー良作加藤ムサク芳一、植竹シメサバ公和、内村イトコ宏幸伊藤ダイサン正宏

プロデューサー

横澤オジン彪(初回 - 1987年8月)、三宅恵介(1987年9月 - 最終回)

三宅はプロデューサーとしてはミドルネームを使用していなかった。
ディレクター

佐藤ゲーハー義和、永峰アンノン明、荻野ビビンバ繁、三宅デタガリ恵介、山縣ベースケ慎司

ひょうきんディレクターズとしてレコード『ひょうきんパラダイス』をリリース
1987年8月末で佐藤・山懸両名が降板。後に佐藤はプロデューサーとして「夢で逢えたら」に専念するようになる。
アシスタント・ディレクター

清水淳司吉田正樹(現・ワタナベエンターテインメント会長)、窪田豊、栗原美和子(現・ドラマ第一制作部副部長)、片岡飛鳥(現・めちゃ²イケてるッ!総監督)、竹石康晴、佐藤一巳、豊島浩行

キャラクターの衣装デザイン

やまもと寛斎ほか

[編集] 放送局

[編集] 備考

  • 同番組が放送された土曜日午後8時の放送枠(通称「土8枠」)は、1989年に番組が終了した後も人気バラエティ番組を次々生み出している。この枠で現在放送されている『めちゃ×2イケてるッ!』は、ひょうきん族にADとして参加していた片岡飛鳥が総監督を務める番組である。
  • 初回の土曜特集特番のみ、レギュラー候補としてとんねるずが出演していた。しかし、当時としては珍しい師匠の居ないコンビであったこと、さらに芸風が独特ゆえに他のタレントに受け入れられなかったこと、更に当時の所属事務所がライバル局であるNTV系専属タレントとして売り出していた等の理由からレギュラー入りは見送られた。この後、とんねるずはブレイク後に同局で冠番組である「とんねるずのみなさんのおかげです」を開始し、同番組を終了に追い込むこととなる。
  • 番組後期の裏番組であるTBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の放送期間中にメインである加藤茶志村けんが裏番組で張り合っているにも関わらず『ひょうきん族』の収録現場に顔出したことがある。
  • 末期の1989年1月7日に放送予定だった『'89新春ひょうきんスペシャル』が昭和天皇崩御に伴う報道特別番組に差し替えられたため放送が延期となった。同年の3月にはエンディングの途中で放送事故を起こしたことがあった(地方のネット局は環境映像などで対応。フジテレビのみ黒画面のまま)。
  • 2003年正月に放送された『さんまのまんま』(KTV)にゲスト出演したビートたけしは、番組の中で「俺が60歳になったらもう1度(ひょうきん族を)やってもいいかな」と語っていた。また、この番組の中で二人はお互いを「そんなに笑いを取れて羨ましい」(たけし)と「世界の北野と呼ばれていいわ。俺も何か残るもんが欲しい」(さんま)と嫉妬にも似た感情をもっており今でもお互いが刺激しあう関係であることが暴露された。そして、現在でも、火曜午後8時台に「ほんとは怖い家庭の医学」、「踊る!!さんま御殿」と裏番組同士今でも鎬を削っており、後にたけしのこの思いは形を変えてではあるが、2008年に『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』として実現することとなった。
  • 後にこの番組で使われた『懺悔室』が『NG大賞』、アミトリおばさん、砲丸の美少年が『いたずらウォッチング!!』(後に同時間帯で『ザ・ウォッチング!!』と言うタイトルでレギュラー昇格)、初期に見られた出演者を東西問わず若手グループ、コメディアンで作られた番組と言う手法は後の『夢で逢えたら』『とぶくすり』『はねるのトびら』等と後のフジテレビの人気バラエティ番組に多大な影響を及ぼした。また『懺悔室』は後にキャイ〜ン司会の『100%キャイ〜ン!』の『チクリ忍者』のコーナーとしてこれの類似コーナーが放送された。
  • この番組で一躍有名となった片岡鶴太郎はたけしと番組スタート当初はとてもよい関係だったが、ある日2人がクラブで酒を飲んでいた時に鶴太郎が「自分の積み重ねた努力で自分はここまで来られた」と言うと、「自分が散々いじめてやったからここまで来た」とたけしに言われ、大喧嘩をし、その2人を和解させようとした山田邦子までも巻き込むこととなった。
  • 遅れネットの青森テレビでは、一時期土曜14時から放送していた為に同じ遅れネットの土曜ワイドスペシャル(12:30 - )に続き視聴できた。
  • 同じく遅れネットのテレビ山口では、上記から分かるように、放送開始から終了まで、なんとライバル『全員集合』→『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』と同じ曜日に、しかも同一チャンネルで放送していた。末期は土曜19時から放送されていたが、皮肉なことに、その『ごきげんテレビ』の前座的扱いだった。
  • 映画監督の森田芳光は1985年に雑誌のインタビューで「今はコメディー映画を撮らない方がいい。いくら撮ってもひょうきん族を超えることはできない」と発言している。
  • 映画監督のロバート・ゼメキスは1988年来日時ホテルで「日本にもヘンなテレビショーがあるじゃないか。昨夜見た『ひょうきん族』ぼくは笑っちゃったよ」と発言している(「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」パンフレット所載)。
  • コントの中には、中京テレビのローカル番組『ジョークドキュメントBBS放送局』で使われたモノを手直ししてで使うことがあった。両番組に出演していたラサール石井によると、『ひょうきん族』の構成作家の中に『BBS放送局』の構成も手掛けていた作家がいたことから、コントのパイロット版として『BBS放送局』でやってみてうけたものを『ひょうきん族』で使うことがあったという。また、ひょうきんベストテンでコント赤信号の扮したアイドルグループが中継で出演するという設定を、中京テレビ社屋前で収録して放送している。ちなみに、中京テレビは日本テレビ系列である。

[編集] 番組の終焉

  • 番組に陰りが出てきたのは1987年頃からで(前の年にたけしがフライデー襲撃事件を起こし「タケちゃんマン」が子供たちから見放されるようになり、さんまが男女7人夏物語に主演し、さらに紳助が入院して方向性が変わった事がある)、全般的にマンネリ傾向が見られるようになり、裏番組の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の隆盛もあって(「全員集合」を終了に追い込まれた意趣返し)、更に下降線を辿ることになり、末期は視聴率も一桁台になることが多くなっていった。またこのころは番組のメインでもあるたけしがフライデー襲撃事件を起こした以降はほとんど出演しなくなっていた。「ひょうきんベストテン」を終わらせ、「タケちゃんマン」のかわりに「かまへんライダー」を入れる、「全員集合」に似た形式の公開収録を度々行なうなどのテコ入れを施すも伸び悩み、1989年8月に打ち切りを発表する。
  • 楽屋においてたけし、さんまら一部を除く多くの出演者が『(副業による)金儲けの話しかしなくなっていた』とさんまが語っている。そんな状況に嫌気が差していたたけしの『もう(番組を)終わりにしたい』という旨の発言を受けて終了になった、とも後年さんまは語っている。さんまのまんまにたけしがゲスト出演した際、たけしが『なんでアレ(ひょうきん族)終わっちゃったの?予算が無くなったから?』とさんまに問うたところ『アンタが終わりにしたい言うたからや!』と突っ込まれていた。
  • 1989年10月14日に最終回を迎え、1981年10月10日の単発(後期)放送時オープニングで、出演者達がディナー・コントをする場面を、1989年10月14日時点の出演者で再現。放送開始時ディナーの最後にビートたけしが『オレたち!』と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!!」と叫び番組が始まったのを、最終回ラストでも同様に再現し、ディナーの最後にビートたけしが「オレたち!」と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!!」と叫んだ後、ビートたけしが続けて『おしまい!』間をおいて「さあ帰りましょう!」の言葉で締められた後、最終回エンディング曲が始まり、出演者・番組スタッフの拍手歓喜の中、エンドロールが流れ始め、ディナーテーブルのセットがあるスタジオから、次々に出演者・番組スタッフが去り、照明が次々に落とされる中、ディナーテーブルだけが照らされ、最後は「長いあいだ本当にありがとうございました」のテロップで締められ、8年間の歴史に幕を閉じた。因みに、単発(後期)放送時でのこのコントのBGMはアントニオ・ヴィヴァルディ四季の『春』で、最終回には同曲の『秋』を入れたが、殆ど誰も気づいてくれなかったと「ひょうきん族話の泉」で三宅ディレクターが明かした。なお最終回エンディング曲は、EPOの『DOWNTOWN』(ニューレコーディングバージョン)だった。井手らっきょ松村邦洋がスタジオ外で観覧していたとのエピソードがある。
  • この番組のレギュラーとしての後枠は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に対抗するコントのバラエティ番組ではなく刑事ドラマあいつがトラブル』であった(10月・11月は特番編成でつないだ)。なお、『ひょうきん族』のスタッフは、山田邦子をメインにしたバラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』を制作していくこととなる。
  • 1985年視聴率が20%超えが続いた時の事を三宅ディレクターが「これはまずい。高すぎる。変な方向に行かなければいいんだけど。」と話していた。同じ頃に、明石家さんまも「子供が見るようになって番組が変わってしまった」と語っていた。
  • 番組終了から19年後の2008年7月に放送したFNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!でディレクター、三宅恵介が定年退職前の記念にもう一度ひょうきん族をやりたいとさんま・たけしに出演をオファーしたのがきっかけで番組出演者ほぼ全員そろったが、実は三宅は定年延長で更に2年フジテレビに残ることが明らかになった。
  • 当番組終了以降、浮き沈みの激しい土曜20時台であったが、1996年10月スタートの『めちゃ×2イケてるッ!』でなんとか持ち直し、当番組の記録も抜いている。
  • 現在、ネプリーグで、当時の出演者達(主にショ-ジ、鶴太郎、のりお、山田、島崎、ラサール等)5人が「ひょうきんオールスターズ」として登場する。

[編集] エンディングテーマ曲

  • 星に願いを(1981年5月16日)
  • EPO『DOWNTOWN』 (1981年5月 - 1982年9月)
  • EPO『土曜の夜はパラダイス』 (1982年10月 - 1983年2月)
  • 山下達郎『パレード』 (1983年4月 - 1983年11月)
  • EPO『涙のクラウン』 (1983年12月 - 1984年9月)
  • EPO『DOWNTOWN』(ニューレコーディングバージョン、1984年10月 - 1985年9月、1989年10月14日(最終回))
  • 山下達郎『土曜日の恋人』(1985年10月 - 1986年9月)
  • 松任谷由実『土曜日は大キライ』(1986年10月 - 1987年9月)
  • 松任谷由実『SATURDAY NIGHT ZOMBIES』(1987年10月 - 1988年9月)
  • 松任谷由実『恋はNo-return』(1988年10月 - 1989年9月)
  • 松任谷由実『卒業写真』(1989年10月7日(最終回直前スペシャル))

放送日が土曜日と言うこともあり、曲名や歌詞に「土曜日」「土曜」「Saturday」といった単語が含まれている曲が使われ(『パレード』・『恋はNo-return』・『卒業写真』を除く)、これによって「土曜日と言えばひょうきん族」というイメージを定着させた。

[編集] 脚注

  1. ^ また、すでに体力・精神共に疲弊していたいかりや長介がネタ作りを放棄(しかし、いかりやは著書でこれを否定し、「干された」と言っている)して、82年頃に志村けん加藤茶が主導権を握るようになっており、翌83年にいかりやから「もう俺は疲れた番組を止めよう」と発言して徐々に終了の方向にシフトしていった事も大きい。(いかりや長介「だめだこりゃ」・居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」)
  2. ^ ビートきよしの出演がなくなってからは、「ツービート」表記は無くなった
  3. ^ 一時、裏番組『ダントツ笑撃隊!!』(日本テレビ)に出演して番組を離れるも1982年に復帰。「ぼんちおさむ」を名乗るようになってからも当番組では「おさむ」名義のままだった
  4. ^ 1982年頃に降板し、約2年間番組を離れていたが石井章雄の洋七が好評で「W洋七」として復帰し、太平サブローの洋八と「B&B」として活躍
  5. ^ ザ・ぼんち同様、一時、裏番組『ダントツ笑撃隊!!』に出演して番組を離れるも1982年に復帰。
  6. ^ 中期より出演。
  7. ^ 直前のコーナーであるネプリーグスペシャル内で日ごろお世話になっている森光子がわからず「森紳助に名前を変えてやる!」と発言したことにより一時的ではあるが改名。

[編集] 関連項目

[編集] 後継番組

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月20日 (金) 02:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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