オークランド・アスレチックス
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| オークランド・アスレチックス Oakland Athletics |
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| 創設: 1901年 | |
| 所属リーグ | |
| 歴代チーム名 | |
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| 歴代本拠地 | |
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| 収容人員: 34,077人 | |
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| 永久欠番 | |
| OAK, 9, 24, 27, 34, 42, 43 | |
| 獲得タイトル(獲得年) | |
| ワールドシリーズ優勝 (9回) | 1910 • 1911 • 1913 • 1929 1930 • 1972 • 1973 • 1974 1989 |
| リーグ優勝 (15回) | 1902 • 1905 • 1910 • 1911 1913 • 1914 • 1929 • 1930 1931 • 1972 • 1973 • 1974 1988 • 1989 • 1990 |
| 地区優勝 (14回) | 1971 • 1972 • 1973 • 1974 1975 • 1981 • 1988 • 1989 1990 • 1992 • 2000 • 2002 2003 • 2006 |
| ワイルドカード (1回) | 2001 |
| 球団組織 | |
| オーナー: ルイス・ウォルフ | |
| GM: ビリー・ビーン | |
| 監督: ボブ・ゲレン | |
オークランド・アスレチックス(英語: Oakland Athletics、略称:OAK)はアメリカMLB、アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカリフォルニア州オークランドにあるオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム。ワールドシリーズ制覇9回を誇るMLB屈指の名門チーム。チーム名が長いことから「A's(エーズ)」と略称でも呼ばれる。
目次 |
[編集] 概要
シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
[編集] 略歴
1893年に発足し、1901年のリーグ発足以来アメリカンリーグに所属する。20世紀前半コニー・マックが50年以上にわたって監督を務め、後半はオーナーも兼ねた(現在はオーナーが監督、コーチまたは選手となることはできない)。1931年までに9回のア・リーグ優勝と5回のワールドチャンピオンに輝いている。
1955年にミズーリ州カンザスシティに移転。1960年にはチャーリー・O・フィンリーがオーナーに就任し、この名物オーナーの元で大変革が行われた。1968年に現在の本拠地であるカリフォルニア州オークランドに移転。1970年代にはオーナーの奨励で選手達が揃って長髪に口髭を蓄え、「マスターシュ(口ひげ)・ギャング」として恐れられた。
リーグを3連覇した1988年~1990年以降は選手の年俸高騰に苦しむが、2000年代前半からはビリー・ビーンGMによるセイバーメトリクスを重視したチーム作りが注目されるようになった。
[編集] 白い象
現在ユニフォームの袖につけられている「白い象」のマークは、1905年のワールドシリーズで対戦したニューヨーク・ジャイアンツ(当時)の監督ジョン・マグローが、新興ア・リーグのアスレチックスのことを「白い象のような意味のない存在(白象には「無用の長物」という意味がある)」とさげすんだことにちなんで、自嘲をこめてマスコットとしたもの。のちに1911年のワールドシリーズでジャイアンツに雪辱を果たし、その際のパレードでは本当に「白い象」をパレードに参加させた。当初は象に白いペンキを塗る予定だったが、反対にあい白い布を巻いてパレードに参加させたものである。
[編集] 球団の歴史
[編集] 創設~10万ドルの内野
フィラデルフィアは1830年代という古くから人々がタウンボール(ベースボールの原型)を楽しんでいた土地柄で、野球が普及し始めた1860年頃には、「アスレチック・ベースボール・クラブ」という強豪のアマチュアチームが活動し、ニューヨークやブルックリンのクラブに引けを取らない強さを誇っていた(フィラデルフィア・アスレチックス (1860-1876年)を参照)。 現在のチームは1893年に発足し、1901年に新興メジャーリーグとして誕生したアメリカンリーグに加盟した。チーム名はフィラデルフィアに本拠地を置くことが決まった際に上記チーム名を復活させたものである。
コロンビア・パークを本拠地とし、メンバーの多くは同じフィラデルフィアを本拠地としていたフィラデルフィア・フィリーズから移籍してきた選手で、発足1年目のチームとしては充実した戦力を誇っていた。特に看板選手だったナップ・ラジョイと、エースのチック・フレーザーの移籍のあおりを受けたフィリーズは弱体化し、以後長期にわたって低迷してしまうことになる。ラジョイはこの年打率.426と打ちまくり、アメリカンリーグの初代首位打者となった。翌1902年、移籍にからむ問題でフィリーズから訴えられたアスレチックスはラジョイをクリーブランドに放出、カブスにいたルーブ・ワッデルを獲得する。マックは奇行を繰り返すワッデルに手を焼いたが、その類まれな奪三振能力を見抜いていた。アスレチックス移籍後のワッデルは6年連続リーグ最多奪三振、1905年のリーグ三冠投手(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振)となるなど、1900年代のアスレチックスの主力投手となった。
1909年よりシャイブ・パークを本拠地とし、1909年から1914年は6年連続90勝以上でワールドシリーズ出場4回、ワールドチャンピオンに3回輝いた。マックが率いたメンバーは「10万ドルの内野陣」といわれた一塁手スタフィ・マッキニス、二塁手エディ・コリンズ、三塁手フランク・ベーカー、遊撃手ジャック・バリー。投手は殿堂入りコンビのエディ・プランク、チーフ・ベンダーが中心だった。
長く続くかと思われたアスレチックスの栄華は、選手の年俸高騰によりマックが緊縮財政に転換したことで、1915年に突如その終わりを迎えた。主力投手だったプランクとベンダーは、前年から運営されていたフェデラル・リーグへ放出され、チームの得点源だったエディ・コリンズもホワイトソックスへ移っていった。チームは機能しなくなり、アスレチックスは「前年リーグ優勝チームが次の年に最下位」という、不名誉な記録を作ることになる。
[編集] 2度目の隆盛
2度目のチームの躍進への転機は1925年に訪れた。この年久々に88勝を挙げてシリーズを勝ち越すと、1927年から1932年に6年連続90勝以上、3年連続100勝以上を挙げるチームになった。この頃のメンバーは、投手では殿堂入りしたレフティ・グローブの他、以前の低迷期から投げてきたエディ・ロンメル、1929年から3年連続20勝を挙げたジョージ・アーンショーらが中心で、野手では捕手ミッキー・カクレーン、一塁手ジミー・フォックス、外野手アル・シモンズ、三塁手ジミー・ダイクスらが猛打を振るった。特にシモンズはマック監督のお気に入りとして知られている。1920年代後半は「殺人打線」のニューヨーク・ヤンキースの全盛期でもあったが、1929年から1931年のアスレチックスはそのヤンキースさえ凌駕する勢いでリーグを3連覇し、2度ワールドシリーズを制覇した。しかし1932年以降、オーナー兼任となっていたマックは再び緊縮財政をとり、高給化した上記の主力選手を次々に放出、チーム成績は再び低迷する。1950年にマックの時代は終わりを告げたが、チームが低迷を脱するのは更に20年先のことになる。
[編集] フィンリーとマスターシュ・ギャング
成績の低迷が続き観客動員でも苦しむようになったアスレチックスは、1955年に本拠地をカンザスシティに移す。戦績は相変わらず伸びなかったが、移転1年目には初めて100万人を動員することができた。
シカゴの保険業をしていたチャーリー・O・フィンリーがアスレチックスを買収したのは1960年のことである。フィンリーは奇抜なアイデアを次々と出した。1963年には、黄色(公式には金色と呼称)のユニフォームを採用。それまで、メジャーでもユニフォームといえば白・グレー・黒だけだっただけに、当時としては極めて斬新であった(のち1972年にはグリーンのユニフォームを採用)。チームは1968年に現在の本拠地であるカリフォルニア州オークランドに移転。1970年代に入るとDH(指名打者)制を提案し、ア・リーグはこのフィンリーの案を満場一致で受け入れ、1973年よりDH制を採用した。当時、ワールドシリーズはすべてデーゲームとして行われていたが、初めてナイトゲームで開催。他にも、「四球」ではなく「三球」で出塁というルールや、カラーボールの採用を提案し、オープン戦では実行したが、受け入れられなかった。また、この当時すでに地元メディアにインターリーグの構想を提唱していた。チームにおいても、選手に長髪と口ひげを伸ばすことを奨励。童顔だったロリー・フィンガースはカイゼル髭を蓄えた。
2地区制が始まった1969年以降、チームは長かった低迷期を脱しつつあった。ディック・ウィリアムズらがチームを率いた1972年から1974年にはワールドシリーズ3連覇を成し遂げた。6度の盗塁王に輝いたバート・キャンパネリス、強打者レジー・ジャクソンが攻撃の中心だったが、一方で充実した投手陣を要し、キャットフィッシュ・ハンター、ヴァイダ・ブルー、ケン・ホルツマンの3本柱にクローザーのロリー・フィンガーズ擁する投手陣は安定感抜群であった。いかつい顔つきに性格も荒っぽい選手が揃い、皆口ひげを蓄えていたことから、チームは「マスターシュ(口ひげ)・ギャング」として恐れられた。
この頃フリーエージェント制の導入もあり、選手の年俸が高騰。最初のFA移籍となったジム・ハンターがヤンキースに移籍したのを引き金に、レジー・ジャクソンらの主力選手も次々と高給を求めて移籍。また、ヴァイダ・ブルーらも放出し、チームは低迷して人気も下がり、フィンリーはチームを運営する情熱を失いオーナーの職を下りた。
[編集] バッシュブラザーズ
チームは1980年にビリー・マーチンを監督に迎え、リック・ラングフォード、マット・キーオ、スティーブ・マカティーら先発陣の踏ん張りで1981年にリーグ西地区の優勝を果たした。しかし翌1982年は前年と同じ顔ぶれの先発投手陣が軒並み調子を落とし、マーチンの時代は長続きしなかった。この先発陣の不振はマーチンの『完投主義』が先発投手に大きな負担を与えたことが原因とされ、以後メジャーリーグ全体に継投主体の投手起用や先発投手の球数制限などが普及するきっかけとなった。現に1981年のアスレチックスは109試合で60完投と、多くても30程度だった他チームの2倍近い完投数を記録していた。
1986年からはトニー・ラルーサを監督に迎える。時を同じくしてチームには若手が次々と台頭し、ホセ・カンセコ、マーク・マグワイア、ウォルト・ワイスとチームは3年続けて新人王を輩出する。1988年から1990年には3年連続90勝以上で3度のワールドシリーズ出場を果たし、1989年にはワールドシリーズを制覇した。打の中心はカンセコ、マグワイアのバッシュブラザーズに、史上最高のリードオフマンと言われるリッキー・ヘンダーソン。投手陣はデイブ・スチュワート、ボブ・ウェルチ、マイク・ムーア、デニス・エカーズリーと先発3本柱とクローザーはリーグ屈指であった。
[編集] 「マネーボール」の時代
1990年代以降はまたも主力選手放出や引退で低迷、球団の予算も限られる中、2000年代に入ると若手選手の育成が奏功し、プレーオフの常連となるなど強豪の一角に返り咲いた。一方でこうして主力に育った選手を他チームに放出することを繰り返している。ティム・ハドソン、マーク・マルダー、バリー・ジト、ダン・ヘイレンらの若手投手が躍進したが、いずれも他チームへ移籍した。2007年には9年ぶりに負け越すなど近年は再び低迷し、現在チームは再建期に入っている。
[編集] 移転計画と反対による中止
本拠地オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムが、アメフト兼用で野球観戦に適していない、球場周辺の治安が悪いなどの理由で、アスレチックスの観客動員は伸び悩んでいた。そこで、球団は2011年を目処にオークランドの南45キロほどにあるカリフォルニア州フリーモントに移転することを計画。この計画では、フリーモントに約5億ドル(約600億円)をかけて3万から3万4000人程度収容の野球専用の新球場を建設する予定であった。
フリーモントはシリコン・バレーの東よりに位置する街で、IT企業に勤務する裕福な住民が多いとされる。サンフランシスコ・ジャイアンツのフランチャイズ地域であるサンノゼから30キロほどの近さに位置するが、フリーモント自体はオークランドと同じアラメダ郡のためアスレチックスのフランチャイズ地域である。
2006年11月14日、新球場の名前がシスコ・フィールド(Cisco Field)となることが発表された。名称はシスコシステムズとのネーミングライツ契約によるもの。契約期間は30年で、年間400万ドル(4億7000万円)を球団に支払うことになっていた。球場建設予定地はシスコ・システムズから購入した58万平方メートルの土地であった。
このように計画は着々と進められていたが、2009年2月24日、移転が検討されていた地域の住民の反対などを理由に、球団は移転中止を発表した。
[編集] 主な選手
[編集] 現役選手
[編集] 殿堂入り選手
- フランク・ベーカー(Frank Baker)
- チーフ・ベンダー(Chief Bender)
- オーランド・セペダ(Orlando Cepeda)
- タイ・カッブ(Ty Cobb)
- ミッキー・カクレーン(Mickey Cochrane)
- エディ・コリンズ(Eddie Collins)
- ジミー・コリンズ(Jimmy Collins)
- スタン・コヴェルスキー(Stan Coveleski)
- デニス・エカーズリー(Dennis Eckersley)
- ロリー・フィンガーズ(Rollie Fingers)
- エルマー・フリック(Elmer Flick)
- ネリー・フォックス(Nellie Fox)
- ジミー・フォックス(Jimmie Foxx)
- レフティ・グローブ(Lefty Grove)
- ウェイト・ホイト(Waite Hoyt)
- キャットフィッシュ・ハンター(Catfish Hunter)
- レジー・ジャクソン(Reggie Jackson)
- ジョージ・ケル(George Kell)
- ナップ・ラジョイ(Nap Lajoie)
- ウィリー・マッコビー(Willie McCovey)
- ジョー・モーガン(Joe Morgan)
- サチェル・ペイジ(Satchel Paige)
- ハーブ・ペノック(Herb Pennock)
- エディ・プランク(Eddie Plank)
- アル・シモンズ(Al Simmons)
- エノス・スローター(Enos Slaughter)
- トリス・スピーカー(Tris Speaker)
- ドン・サットン(Don Sutton)
- ルーブ・ワッデル(Rube Waddell)
- ザック・ウィート(Zack Wheat)
- ビリー・ウィリアムス(Billy Williams)
- リッキー・ヘンダーソン(Rickey Henderson)
[編集] 永久欠番
- 欠番扱い-ウォルター・ハース・ジュニア(オーナー)
- 9 レジー・ジャクソン(Reggie Jackson)
- 24 リッキー・ヘンダーソン(Rickey Henderson)
- 27 キャットフィッシュ・ハンター(Catfish Hunter)
- 34 ロリー・フィンガース(Rollie Fingers)
- 42 ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)
- 43 デニス・エカーズリー(Dennis Eckersley)
[編集] 傘下マイナーチーム
| クラス | チーム | 参加リーグ |
|---|---|---|
| AAA | サクラメント・リバーキャッツ(Sacramento River Cats) | パシフィック・コーストリーグ(Pacific Coast League) |
| AA | ミッドランド・ロックハウンズ(Midland Rockhounds) | テキサスリーグ(Texas League) |
| A+ | ストックトン・ポーツ(Stockton Ports) | カリフォルニアリーグ(California League) |
| A | ケインカウンティ・クーガーズ(Kane County Cougars) | ミッドウェストリーグ(Midwest League) |
| A- | バンクーバー・カナディアンズ(Vancouver Canadians) | ノースウェストリーグ(Northwest League) |
| Rookie | アリゾナリーグ・アスレチックス(Arizona League Athletics) | アリゾナリーグ(Arizona League) |
[編集] 外部リンク
- オークランド・アスレチックス公式サイト(英語)
- オークランド・アスレチックス ファンページ
- シスコ・フィールド概要(英語)
- シスコ・システムズによる新球場に関するニュースリリース(日本語)
- チームの通算成績と情報 MLB, or ESPN, or Baseball-Reference , or The Baseball Cube
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| ワールドシリーズチャンピオン ロースター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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最終更新 2009年10月21日 (水) 13:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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